レディオヘッドは2025年11月から再始動し、7年ぶりのツアー日程を開始する。ブラー、オアシスに続く第三のロックバンドが復活する。バンドのトムヨークとグリーンウッドはしばらくザ・スマイルとして活動していた。


公演は現時点で欧州と英国に限定され、11月4日のマドリード4公演からスタート。その後ボローニャ、ロンドン、コペンハーゲンを経て、12月上旬にベルリンで幕を閉じる。


チケットをファンに直接届けるため、ダフ屋やボットによる横取りを最小限に抑えるため、チケットはradiohead.comでの登録者限定で販売される。 登録受付は今週金曜日9月5日午前10時(英国夏時間)/午前11時(中央ヨーロッパ夏時間)に開始され、72時間後の9月7日(日)午後10時(英国夏時間)/午後11時(中央ヨーロッパ夏時間)に終了する。チケット販売は9月12日より開始される。


「昨年、ただ気まぐれでリハーサルを再開したんだ。7年間の休止を経て、再び曲を演奏し、5人全員の心の奥深くに刻まれた音楽的アイデンティティと再接続できたのは本当に心地よかった」と、レディオヘッドのベーシスト、フィリップ・セルウェイは声明で語った。 「同時に、一緒にライブをやりたいという気持ちも湧いてきた。だから、今後の公演にぜひ足を運んでほしい。現時点ではこれらの公演だけだが、これからどこへ向かうかは誰にもわからないよ」



Radiohead 2025 Tour 


11/04 – Madrid, Spain @ Movistar Arena

11/05 – Madrid, Spain @ Movistar Arena

11/07 – Madrid, Spain @ Movistar Arena

11/08 – Madrid, Spain @ Movistar Arena

11/14 – Bologna, Italy @ Unipol Arena

11/15 – Bologna, Italy @ Unipol Arena

11/17 – Bologna, Italy @ Unipol Arena

11/18 – Bologna, Italy @ Unipol Arena

11/21 – London, UK @ The O2

11/22 – London, UK @ The O2

11/24 – London, UK @ The O2

11/25 – London, UK @ The O2

12/01 – Copenhagen, Denmark @ Royal Arena

12/02 – Copenhagen, Denmark @ Royal Arena

12/04 – Copenhagen, Denmark @ Royal Arena

12/05 – Copenhagen, Denmark @ Royal Arena

12/08 – Berlin, Germany @ Uber Arena

12/09 – Berlin, Germany @ Uber Arena

12/11 –  Berlin, Germany @ Uber Arena

12/12 – Berlin, Germany @ Uber Arena

Saule les Copains

フランスではビートルズの人気に呼応するようにして、60年代から70年代にかけてフレンチポップ、別名、イエイエが流行した。このムーブメントを担ったのは、ラジオ曲や雑誌、それからなんといっても、コンデナスト社のVOGUEの媒体を筆頭とするファッション業界である。実際的にこれらのムーブメントの歌手はその奇抜なファッションセンスにより注目を集めた。

 

「Yé-Yéイエイエ)」という言葉は、フランス語で「イエーイ!イエーイ!」を意味する表現に由来するとされ、フランスのイエイエ歌手たちの楽曲で頻繁に用いられたフレーズであった。1959年から十年間続いたラジオ番組および雑誌『Saule les Copains(サリュ・デ・コパン)』(「やあ、みんな!」の意)が「今週のアイドル」を特集し始め、その歌は十代中心の歌手を瞬く間にスターダムに押し上げた。雑誌では有名人の写真を掲載し、ラジオでは、「今週のSweetheatな一曲」という名物コーナーがあり、このコーナーから数々のスター歌手が登場した。

 

こうした歌手たちの極端な純真さは、恋愛や思春期の生活をテーマにした無邪気な歌を歌う彼女たちに魅力を与えた。また、封建制度的な社会からの解放や女性の人権の確立を意味した。かつての音楽文化の中心地は、ビートルズのようなロックミュージックからの影響を受け、それらをゲンスブールの前衛主義と結びつけ、新しい商業音楽のスタイルを確立させた。それがフレンチポップの正体で、フランス語と甘口のポップは日本でもヒットを記録することになった。それらのヒットには彼女たちのファッションセンスや西洋主義へのあこがれもあったろう。


フランスのイエイエ音楽は1960~70年代に全盛期を迎え、フランソワーズ・アルディ、シルヴィ・ヴァルタン、フランス・ギャル、ジェーン・バーキン、ブリジット・バルドーといった著名な名前を生み出した。フランスのイエイエ運動に代表される女性たちとその楽曲は、女性の解放という政治的タイムラインを体現している。 今回、イエイエのブームに貢献した魅力的なシンガーとその音楽をざっくりと紹介していきます。

 

 

・Sylvie Vartan(シルヴィ・バルタン) 

 


 

1944年8月、シルヴィ・ヴァルタンはブルガリアで生まれた。ソ連軍によるブルガリア侵攻を受け、ヴァルタン家の4人はまずソフィアへ移り、その後フランス・パリへと亡命した。移民としての生活は容易ではなかった。シルヴィは小学校でフランス語を習得するため、非常に努力しなければいけなかった。パリでの最初の数年は、狭いホテルの一室で過ごした。


シルヴィーの兄エディ・ヴァルタンは彼女より7歳年上でした。シルヴィーが高校に通う頃、エディはRCAの芸術監督として働いていた。彼が担当していた歌手フランキー・ジョーダンが新EPで女性ボーカルを必要とした時、エディ・ヴァルタンは実の妹を推薦した。両親はこの案に反対したが、彼女が初めてのLPを録音できるよう折れた。  フランキーとのLPは大ヒットし、彼女は一躍人気者となった。やがて、17歳のシルヴィはRCAと契約し、学校を辞めてソロ歌手としてのキャリアをスタートさせた。シルヴィはフランス・イエイエ歌手がよく特集される雑誌『サリュ・ド・コパン』の創刊号で特集され、これが彼女の人気をさらに加速させた。



あるショーで、シルヴィの兄エディが彼女を「フランスのエルヴィス」と呼ばれる歌手ジョニー・ハラデイに紹介した。ジョニーは若いシルヴィに一目惚れした。ジョニーはシルヴィを追い続けたが、二人は関係を極秘にしていた。ある日、皆の驚きの中、ラジオで婚約を発表したのだ!シルヴィとジョニーはフランスで最も愛された恋人同士だった。


シルヴィは英語の曲をフランス語でカバーし、その後1962年に自身の名を冠したEPをリリースした。1962年から1964年にかけて、シルヴィはニューヨーク市とテネシー州ナッシュビルを訪れ、ジョーダネアーズ(エルヴィス・プレスリーとの共演でも有名)と共に音楽を録音した。フランスに戻ると、シルヴィはビートルズと共演した。彼女の名声は新たな機会をもたらした。  シルヴィは過去に映画出演経験があったが、『ピエロ・ラ・フー』や『シェルブールの雨傘』といった傑作映画で驚くべき役柄をオファーされた。奇妙なことに、彼女のエージェントは本人に知らせず役を断り、この絶好の機会を奪ってしまった。シルヴィは打ちのめされた。


しかし、音楽家としては国際的な評価が高まった。1965年、シルヴィーとジョニー・ホラデイは結婚し、新婚旅行からヨーロッパに戻ると、エリザベス女王のために特別なデュエットを披露した。1966年、シルヴィーは長男デイヴィッドを出産した。


60年代後半にかけて、シルヴィはパフォーマンスを進化させ、歌とダンスのルーティンを取り入れた。このスタイルはアメリカで人気だったが、シルヴィは歌いながら踊る技術を習得し、フランスで先駆者となった。多くのフランス人は彼女の新たな方向性に熱狂し、シルヴィはイエイエ・ガールからロックンロール・ガールへと変貌を遂げた。


彼女の声は他のイエイエ・ガールたちよりも常に低く、その声の荒々しさが人々に愛された。シルヴィは日本やアフリカをツアーし、ヒット曲を多言語で録音した。彼女は新たなEPを制作し、その多くは彼女とジョニーのデュエット曲で構成されていた。


シルヴィーとジョニーの未来は不安定で、1978年に離婚に至った。長年ゴシップ誌を賑わせてきた二人だが、離婚の噂が新聞を飾るのはこれが最後となった。シルヴィーは1980年代をアメリカで活動し、シェールやライザ・ミネリと比較される存在となった。  再婚した彼女はカリフォルニア州ビバリーヒルズで豪華な生活を送った。2000年代まで彼女は活動を続け、元夫ジョニーとの特別トリビュートコンサートも開催。母国ブルガリアでも公演を行い、子供支援のための慈善団体を設立した。

 

 

「Irrésistiblement」





・Brigitte Bardot(ブリジッド・バルドー)



 

ブリジット・アンヌ=マリー・バルドーは1960年代から70年代にかけて、セルジュ・ゲンズブールらと共に数多くの楽曲を録音した。フランスポップの不朽の名歌手、ジェーン・バーキンと並び、ゲンスブールとの共同制作が多い。バルドーには女性ファンが多いらしい。これは彼女の主な名声の源である映画活動と並行して行われたものだ。ブリジットを題材にした楽曲がヒットした後、彼女は自身の名前が成功するレコーディング活動に役立つかもしれないと考えた。  


彼女は楽曲のレコーディングを始め、自身の映画サウンドトラックにも歌唱を提供しました。やがてセルジュ・ゲンズブールの目に留まり、二人はレコーディングパートナーシップを築きます。ゲンズブールはブリジットの恋人となり、全身黒革のセクシーなバイカー・シックや、ボニーとクライドのデュオにおける不気味なボニー像など、彼女を象徴的な存在へと昇華させたのです。


ブリジットもゲンスブールと『J'taime Moi Non Plus』(日本でもヒット)を録音したが、この曲のリリースを懇願して止めた。彼女が曲の巻き起こす騒動を懸念していたのは想像に難くない。後にセルジュは恋人ジェーン・バーキンとこの曲を録音し、彼女の息をのむような歌声がこの有名な挑発的な楽曲で聴かれることとなった。実際に音源にまつわるゴシップ的な話題も呼んだ。


ブリジットは旺盛な創作意欲を発揮し、1970年代に引退するまで、約80曲もの楽曲を録音した。今日でもブリジットは話題を呼んでいるが、女優や歌手としてではなく、確固たる動物権利活動家としてだ!彼女は優雅に年を重ねることを許容しており、印象的な容姿と美しい心を備えた愛らしい女性であり続けている。フレンチ・ポップの中でも随一の実力派のシンガーである。その歌声は不朽の魅力があり現在のポピュラー・ソングにも通用する。

 

 

「La Madrague」

 

 

・Francoise Hardy(フランソワーズ・アルディ) 



フランソワーズ・アルディ2024年に喉頭がんにより惜しまれつつこの世を去った。フレンチ・ポップやイエイエ界隈で、抜群のファッションセンスを発揮し、VOGUEとの専属契約を交わしたこともあり、お抱えの歌手とも言える。しかし、ファッションアイコンのような存在であったが、意外にも恥ずかしがり屋であったという。

 

生粋のパリジャンで、パリ9区にアルディは生まれた。疎遠だった父親から子供の頃にギターを贈られた。十代前半で、前述のジョニー・アロデイと初の両面EPを録音。彼女の曲「トゥ・レ・ガルソン・エ・レ・フィーユ」は、フランスのイエイエ・ポップ歌手として初のヒット曲となった。当初はビートルズの最初期からの影響を元にした歌謡的なオールディーズを中心としていたが、後にはフォーク・ミュージックを始めとする広義のポピュラー・ソングを華麗に歌い上げた。


自らを「内気な歌手」と称した彼女は、33枚のアルバムを制作し、テレビや映画に出演し、数多くの映画サウンドトラックにも参加した。フランソワーズはジャック・デュトロンと結婚し、一人の息子をもうけた。


1963年から1966年にかけて、フランソワーズ・アルディは毎年1枚のフランス語アルバムを発表した。厳密に言えば、いずれも自身の名を冠したタイトルで、当時の主流フォーマットであった4トラック録音の7インチ・ピクチャー・スリーブEP(フランスでは「ル・スーペール45」として知られた)をまとめたものだった。

 

ファッション界との新たな繋がり、映画界への慎重な進出、高まる国際的認知、そして彼女の存在そのものがもたらす注目にもかかわらず、音楽はフランソワーズの焦点であり続け、これらのアルバムはそれを十二分に証明してみせた。

 

 

 

 

 

France Gall(フランス・ギャル) 







 

フランス・ギャルことイザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリー・アンヌ・ガルは、アイドルという名に翻弄されたシンガーで、ショービジネスの影の部分を映し出す。彼女は1947年にパリで生まれ、創造的な音楽環境の中で育った。

 

父は作詞家のロベール・ガル。エディット・ピアフやシャルル・アズナヴールにヒット曲を提供した人物。母は歌手セシル・ベルティエで、オーセール大聖堂のオルガニストであり、有名なフランス児童合唱団「クロワ・ド・ボワの小歌手たち」の共同創設者であるポール・ベルティエの娘であった。


イザベルは幼い頃からピアノとギターを習い、10代前半には兄弟と共に自身のグループを結成した。1963年、ロベール・ガルは娘に楽曲の録音とデモテープを音楽出版社デニス・ブルジョワへ送るよう勧めた。

 

彼女はパリのシャンゼリゼ劇場でブルジョワのオーディションを受け、その後フィリップスと契約を結んだ。 ブルジョワはフランスのジャズミュージシャン、編曲家、作曲家であるアラン・ゴラゲールと共に4曲を録音させた。

 

初シングル『Ne Sois Pas Si Bête(恋のお返し)』(Don't Be So Silly)が初めてラジオで放送されたのは彼女の16歳の誕生日だった。 この曲は瞬く間にフランスチャート首位に躍り出て、20万枚という驚異的な売上を記録。彼女はその後、イェイェーブーム(アングロサクソン系ロックンロールとフランス・ヴァリエテを融合させた1960年代の流行音楽)の中で大きな名声を得た。


ブルジョワはセルジュ・ゲンズブールにフランス・ギャルの楽曲提供を依頼した。ゲンズブール作「N'écoute pas les idoles」(アイドルばかり聞かないで)がギャルの2作目のシングルとなり、1964年3月にフランスチャート首位を獲得。 同時にベルギーでサシャ・ディステルの前座を務め、ライブデビューを果たした。

 

サシャ・ディステルのビジネスマネージャー/作詞家でもあったモーリス・テゼと組むことで、当時のイェイェ歌手の大半が英語圏のヒット曲のカバーを歌う中、独自のレパートリーを構築する道が開けた。

 

ギャルの楽曲は往々にして、十代の心理に対するステレオタイプ的な見方に基づく歌詞を特徴としていた。 アラン・ゴラゲールによる精巧な編曲は様々なスタイルを融合させ、ジャズから童謡まであらゆる音楽の間を自在にクロスオーバー。この混合ジャンルスタイルの代表例が『Jazz A Go Go(ジャズ・ア・ゴーゴー)』や『メ・プリミエール・ヴレ・ヴァンカンス』である。


1964年夏、ギャルとゲンスブールの共同作業からヒット曲「娘たちにかまわないで』(原題:Laisse tomber les filles)が生まれ、続いて『Christiansen(クリスチャンセン)』が発表された。当初は抵抗していたギャルも、1964年末にマネージャーの説得を受け入れ、子供向けシングルを録音した。 1965年、楽曲『Sacré Charlemagne)シャルルマーニュ大王』は200万枚を売り上げる大ヒットを記録。これらの楽曲は両面のシングルとして発売される。その後、フランス・ギャルは1965年ユーロビジョン・ソング・コンテストのルクセンブルク代表に選出された。


提案された10曲の中から、彼女はゲンズブールの『Poupée de cire, poupée de son(夢見るシャンソン人形)』を選んだ。 1965年3月20日、ゲインズブール、ギャル、ゴラゲールはナポリで開催された決勝戦に出席したが、リハーサル中にこの曲はブーイングを浴びた。彼女のパフォーマンスは1億5000万人の視聴者に生中継され、本番での歌い方は最高水準とは言えなかったものの、彼女は見事に勝利を収めた。


ユーロビジョンでの成功により、ギャルの欧州外での知名度も高まり、彼女は『夢見るシャンソン人形』をフランス語、ドイツ語、イタリア語、日本語で録音。 フランス・ガル自身による英語版はリリースされていないが、60年代の英国のスター、トゥインクルによる英語カバーは存在する。一部のフランス批評家は、ギャルとゲンスブールが自国ではなくルクセンブルグ代表として優勝したことを非難した。にもかかわらず、『夢見るシャンソン人形』はその後フランスで大ヒットを記録。フランス・ギャルは日本語バージョンでこの曲を録音し、日本でも人気を博した。

 

 

「Nous ne Sommes Pas des Anges」


・ジェーン・バーキンはセルジュ・ゲンスブールとの項で紹介していますので本記事では割愛します。 


サブリナ・カーペンターが、自身の『ロッキー・ホラー・ショー』に着想を得た「ティアーズ」ミュージックビデオの不気味な結末を書き直している。いかにも夏らしい映像で楽しませてくれる。


8月29日(金)、26歳のポップスターは、7枚目のスタジオアルバム『マンズ・ベスト・フレンド』のリリースに合わせて、不気味な「ティアーズ」のオリジナル版ビデオを公開した。


ビルボードによれば、約5分間の映像では、カーペンターが同行者を死亡させたと思われる交通事故から回復する様子が描かれるという。


孤独で混乱した彼女は不気味な孤立した家に出くわす。内部ではセックスと快楽主義の世界を発見し、カルト的な古典ホラーミュージカル『ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー』を想起させる。ビデオはカーペンターが死亡したと思われていた恋人の命を絶つ場面でクライマックスを迎える。


「待って、違う、君は前に死んだんじゃなかった? ビデオごとに誰かが死ぬのが決まりなんだから」と彼女は言いながら、彼の胸にハイヒールの先を突き刺す。「ごめんね。でも、私たちはいつまでも君を忘れないわ」


カーペンターが不気味な家から追い出されると、彼女は見上げると森から男が現れる。「ベイブ、無事でよかった」と彼は言いながら、足を引きずり咳き込む。 「ずっと君を探してたんだ」突然、稲妻が走り、彼は火花を散らしながら神経質な笑い声を漏らす。カーペンターは割れるような音が近づく中、彼に退くよう警告する。反応する間もなく、木が彼の上に倒れ込む。「どけって言ったのに」と彼女は立ち上がり、帽子を掴みながら言う。


映像にはアカデミー賞ノミネート俳優コールマン・ドミンゴの女装姿も登場。カーペンターがジャック・アントノフと制作した新曲「マンズ・ベスト・フレンド」のミュージックビデオで、2024年リリース「ショート・ン・スウィート」に続く作品。同作はビルボード200で4週連続1位を記録した。


「Tears」

Caribouのダン・スナイスは最近、ダンスミュージックの別名義Daphniで精力的に楽曲を制作しており、ギリシアのエレクトリックプロデューサー、ソフィア・クールテシスの「Unidos」に参加したほか、自身のシングル「Sad Piano House」と「Clap Your Hands」をリリースしている。 

  

「Eleven」は優雅で煌めくハウス・トラックで、約6分間にわたる。スネイスは実に素晴らしいムードあるシンセ・メロディと、幽玄なボーカル・サンプルを幾つか織り込んでいる。

 

ダミアン・ローチ監督によるミュージックビデオは、ダンが水上ボートに引かれる浮き輪を縦位置のスマホ映像で捉えたもの。下記でチェックしてみてください。


「Eleven」


 

アイルランドの三人組、Pillow Queens(ピロー・クイーンズ)が新曲「Be A Big Girl」を自主レーベルPillow Queen Recordsよりリリースし、ロード・ヒューロンのサポートアクトとして英国・欧州ツアーを行うほか、ダブリンでのヘッドライン公演も決定した。


ダニエル・フォックス(ギラ・バンド、スプリンツ、ランブリーニ・ガールズ)がストーニーバターのソニック・スタジオでプロデュース・ミックスを担当し、ジェイミー・ハイランド(モー、ギラ・バンド)がマスタリングを手掛けた本作は、静かに落ち着いていなければならないという期待に言及している。


バンドはこの楽曲について次のように説明している。「『大人な女性』とは、顎を上げて騒がず、ドアへ押し出されている事実を丁寧に無視することを意味すると人々は期待していると思う。私たちにとっては逆だ。 出て行けと言われてもその場に留まり、騒ぎ立て、その過程でより多くの空間を占めることです」

 

「アイルランドに住み、ここで音楽を作り、最初の便で飛び出さないこと自体が、頑固な楽観主義の行為。そう、時にはリドルで泣いたり、オーストラリアでのより良い人生を計画したりするけど、少なくともまだ立っています。私たちが目指す『大人な女性』とはそういう存在なのです」


「Be A Big Girl」

 

Palace of the Dukes of Burgundy(旧ブルゴーニュ公宮殿 ヴェルサイユ宮殿を設計したマンサールにより再建 現在は市役所と美術館)


ルネサンス期は芸術全般が大きく繁栄したことはほとんど常識であるが、音楽芸術においても独自の形態が出てきた。14世紀まではローマ・カソリックとフランク王国が結びつきを強め、同盟化し、西ヨーロッパ全土を掌握する中、芸術全般はその権威下で発展していくことを余儀なくされていた。しかし、15世紀以降は、レオナルド・ダ・ヴィンチやシェークスピアが絵画や演劇の世界で活躍し、ボッカチオは騎士道精神を込めた文学世界で大いに活躍した。

 

これらの時代は”芸術至上主義”が台頭した。旧来、カソリック教会の元で権威的な作品を王族や国家のために制作することを強いられたが、それとは異なる独立した芸術形態が出て来た。これらはまだ、王国や教会という組織や機構の元で名声を獲得するに過ぎなかった。しかし、それらの作品には、その多くが宗教的なモチーフが用いられていたが、芸術そのものを第二義的な範疇から開放し、表現者がよりいっそう自由な精神を発露するという意図が明確に示されていた。

 

 

・ルネサンス期と芸術の発展  宗教性と人間性 

Da Vinci(ダ・ヴィンチ)肖像画
 

これらのルネサンス期の時代背景を形成したのは、旧世界の拡大、言い換えれば、”新世界の発見”である。15世紀に至ると、旧来の封建制度が崩壊し、貿易が盛んになる。おのずと都市経済が発展していく。そして、これらは”人間の個別意識”を市民にもたらし、彼らは人間の理性に配慮しなければならなくなった。世の芸術家たちは、ギリシアやローマの旧来の芸術主義を参照した上で、人間の根本的な価値を探り、そして、人間的な概念を作品に求めるようになった。

  

これが俗に言われる「ルネサンス(再生)」と呼ばれる概念の正体であった。人間全体の生活が格段に向上していく中、人間そのものが社会の中でどのように生きるべきか、多くの人々は芸術活動や思想、哲学を通して探ろうとした。それは旧来の組織の中で生きる人間性からの脱却を意味していたのである。例えば、レオナルド・ダヴィンチは、繁栄と侵略が繰り返されるイタリアのフィレンツェで活動し、その生涯を通じて、宗教画、壁画、彫刻、建築の設計などを通して、自然探求、人間の生々しい姿、そして宇宙的な生命の神秘までを描いた。シェイクスビアは、王族から平民に至るまでくまなくその生活を観察し、すべての階級を活写した戯曲を書き上げた。ダンテは、幻想的な視点から、地獄、煉獄、天国を捉え、悲劇や喜劇、政治的な風刺、詩学を散りばめた文学作品を残した。いずれの芸術家も、それはその時代の人間の本性や、宗教改革が進む中で、模範的な人生観を探求していったという点において共通している。

 

15世紀以降は、新大陸の発見の時代だった。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の発見、マルコ・ポーロのアメリカ大陸の発見など、ヨーロッパ社会が新天地を発見し、世界にはまだ未知の大陸が存在することを明示した。スペインやポルトガル勢力は南アメリカ大陸を侵略し、植民地化する。また、1588年、イギリスはスペインとの開戦で無敵艦隊を撃破、そして植民地化政策の中で、その後、アフリカ大陸まで領土を拡大する大英帝国の基礎をこの時代の礎を築いていった。


キリスト教の宗教改革も隆盛をきわめる。これらの旧来のカソリック勢力に待ったをかけたのがドイツのマルティン・ルターだ。スイスではカルヴァン派が登場し、宗教改革を行う。イギリスでは英国教会が独自に誕生し、キリスト教自体が分裂を始めるようになっていく。その中でプロテスタントが発生し、イエズス会として勢力を広める。さらに、派閥争いも活発化した。特に、ハプスブルク家とフランス王家がたがいに対立を深め、カソリックとプロテスタントの対立も激化する。フランスのカルヴァン派のユグノー戦争は、それらが露呈したものである。

 

 

 

・宮廷音楽家の登場 ブルゴーニュ楽派 ルネサンス音楽の礎を築く

 

 Guillaume du Fay (ギヨーム・デュファイ)

 

こうした中、フランスとフランドル地方で音楽芸術が発展していく。フランスではブルゴーニュ楽派が発生し、フランドルではフランドル楽派が誕生する。これらは前バロック期に当たり、宗教音楽を完成させ、以降のバロック音楽の礎を築いた。フランスの中東部にあるブルゴーニュ公国では、首都ディジョンとブリュッセルで音楽文化が花開いた。この地方は、6世紀ごろゲルマン系の部族によって王国が成立し、その後フランク王国の領土となった。1363年から1477年までは、ブルゴーニュ家が支配し、公国となった。この時代のブルゴーニュ公国の領土は、フランスの一部、そしてオランダ、ベルギー、ルクセンブルクにまたがっていた。

 

公国の首都はディジョンに置かれ、その後、ブリュッセルに遷都され、フランスに匹敵するほどの勢力を持った。歴代の君主は芸術主義を重視し、これを保護したため、音楽文化が盛んになった。ブルゴーニュの音楽文化を担った礼拝堂楽団は、最盛期には28人の専門的な音楽家を抱えた。これは、フランス王室やアヴィニョンの礼拝堂楽団をしのぐほどの規模であった。その中で、ブルゴーニュ楽派は、宗教音楽を発展させる。中世のアルス・ノヴァという形式からルネサンス期の音楽形式へと移行させる。ブルゴーニュ楽派は、旧来のフランスの音楽を発展させ、その中で、イギリスの和声、そしてイタリアの旋律からの影響を受け、独自のルネサンス形式へと昇華させた。その中で、活躍した作曲家は、デュファイ、バンショワが挙げられる。

 

デュファイの音楽を聴いてみてほしい。リュートを用いた曲が多く、宗教音楽の印象は意外なほど薄い。特に、その音楽の中には、ケルト民謡などからの影響も見受けられ、民俗音楽も併存している。ブルゴーニュ楽派の音楽は、公国としての短期間での滅亡を度外視すると、平和の象徴とも言える音楽であり、ボヘミアンの性質が一際強い。権威主義の音楽とは対象的である。

 

デュファイは、ローマ教皇庁の礼拝堂楽団のメンバーとして活躍し、北フランスのカンブレでも活動した。その後、イタリアとブルゴーニュの両方で活動を行っていた。ブルゴーニュ音楽の専門的な特徴は、「フォーブルドン」と呼ばれる6度と3度の音程が連続する形式にある。これは後にイタリン・バロックの名手、スカルラッティがソナタで完成させている。音楽的な気風としては、どことなく田園の風景を思わせ、実際にこのソナタは「パストラル」と呼ばれたりもする。

 

3度と6度の連続する音程については、イギリス音楽からの影響があり、対位法の基本的な構成である。また、音楽の終止形にその土地の特性を込めるのが、当時の流行であった。ブルゴーニュ楽派では、旋律が導音(7音)から第6音に下降してから主音に向かうランディーニ終止が用いられた。ブルゴーニュ楽派では、ミサ曲、マニフィカト、モテットをはじめとする宗教曲も演奏されたが、同時に、世俗的な音楽への道を切り開いた。この時代からシャンソンやロンドなど、ポピュラー、ソナタや交響曲の三楽章などでお馴染みの世俗的な音楽も台頭するようになった。この15世紀の時代にポピュラー音楽は最初の萌芽を見せ始めたと言えるだろう。 

 

クラシック音楽というと、お硬いイメージを覚えるかもしれない。けれども、これらの音楽を見るとわかるように、世俗的な音楽と宗教的な音楽は互いに影響を及ぼして発展してきたことがわかる。世俗的な音楽と宗教な音楽はその後のバロック期を通じて、その融合性を強めていく。

 

 

 Guillaume du Fay (ギヨーム・デュファイ)- 「saltarello」

 

 

 

 

・フランドル楽派  教会音楽家らがバロックの扉を開く

 

フランドル楽派と楽奏天使


一方、現在のベルギーの古い呼称でもあるフランドルについてはどうだろう。フランドル楽派は、戦争の中で、ブルゴーニュ公国が滅亡した後に繁栄をきわめた。ブルゴーニュ公国が1474年から始まったフランスとの戦いの中で、公国のシャルル大公が戦死し、ブルゴーニュ公国はあっけなく終焉を迎えた。公国はフランスに併合され、 ネーデルラント地方(オランダ)は、フランスの王族から後にオーストリア地方の最大勢力であるハプスブルク家の領地へと譲渡された。

  

ブルゴーニュ公国が滅亡してから、ブルゴーニュ家に仕えていた音楽家たちは、国際的に活躍していたため、各地方の宮廷に使え、音楽の発展に貢献を続けた。以後、フランス北部やネーデルラント地方の出身の音楽家は、”フランドル楽派”の名称で親しまれた。この楽派の音楽家はパリの北部(現在のベルギー)に位置するカンブレの聖堂や教会で体系的な音楽教育を受けた。そして、その土地の宗教的な性質が強いことを受けて、教会の聖職に就くことが多く、聖歌隊のための作曲を行う。専門的な宗教音楽家は、12世紀から13世紀にかけてのノートルダム楽派が有名だが、この時代から音楽家としての職業性が強まり、専門職として一般化していく。

 

フランドル楽派は、過去のグレゴリオやノートルダムの原初的な音楽を発展させた。3声と4声のポリフォニックな旋律を導入させ、以降はそれ以上の声部の旋律をなす作品を制作していった。これらの複雑な対旋律が特徴のバロック音楽への扉をフランドル楽派が開いたのである。


旋律だけではなく、拍動も複雑化し、複合的なリズムを取り入れる。フランドル楽派の音楽は、ブルゴーニュ楽派のケルト音楽などの民俗音楽色の強い音楽形式とは対象的で、この時代において最も宗教音楽の性質が根強い。それはこの楽派に属する音楽家たちが、教会や聖堂の宗教活動の一貫として、これらの音楽を制作していたからである。彼らは、ミサ曲やモテット、儀式的な音楽を中心に制作し、それらは実際の修道士の仕事で演奏される場合が多かった。

 


Josquin Des Prez(ジョスカン・デ・プレ)

 

この時代に登場した中で傑出しているのは、ジョスカン・デ・プレ、そして、オケヘム、クレメンス・パパ、ラッソである。オケヘムは、モテットやミサ曲を中心に作曲し、重々しく厳粛な作風を確立した。一方、デ・プレは宗教音楽に根ざしながらも、イタリアのバロックのような優雅な旋律とハーモニーが特徴である。ジョスカンは、''ルネサンス期最高の作曲家''と呼ばれ、宗教作品のみならず世俗的な作品も数多く残した。彼の音楽は、通模倣形式と呼ばれるフーガの追走の形式の基礎をなし、以降のスカルラッティやバッハのバロック音楽の流れを形作った。

 


Josquin Des Prez(ジョスカン・デ・プレ)- 「Ave Maria」


“音に色が見える”共感覚を持つピアニスト、アカデミー賞ノミネート/エミー賞受賞作曲家のダスティン・オハロランが、ルーツに立ち返ったニューEP『The Chromatic Sessions』を10月にリリースします。


アカデミー賞ノミネート/エミー賞受賞作曲家・ピアニストのダスティン・オハロランがこの発表と合わせて新曲「Red」を公開しました。


アイスランドのレイキャビクのスタジオでワンテイクで録音された即興ピアノ曲で、ルーツに立ち返ったニューEP『The Chromatic Sessions』を構成する3曲の魅惑的な楽曲のうちの2曲目となります。 「Red」は7月にリリースされた「Gold」と対をなす作品で、最終曲となる「Blue」が続く予定。色彩をテーマにしたのは、作曲と録音の過程で自然に生まれたものだといいます。



 

「事前に計画していたわけではありません」とダスティンは語ります。「毎日ピアノで即興演奏していたんだけど、作曲中にいつも色について考えていることに気づきました。マイクを設置して録音していると、深い集中状態に入る。あの赤いランプが点灯している状態には、本当にその瞬間へと引き込まれる何かがあります」


ダスティンは長年、共感覚を経験してきました。これは多くの人が共感できる感覚の混ざり合いです。例えばある味が、訪れた場所を鮮明に思い出させたり、馴染みのある香りが強烈な感情のフラッシュバックを引き起こしたり、ダスティンの場合のように特定の音が色の感覚を呼び起こしたりする現象です。


「人は自覚している以上に共感覚的だと思います」と彼は言います。「それは意識的に調整できるものなのです。あらゆる感覚は最終的に脳で変換される——そしてそれらの感覚の異なる部分を結びつけることを学べると思う」


こうしたつながりは『The Chromatic Sessions』全体に流れるテーマです。それはダスティンとリスナーの間のつながりも含まれます。


『The Chromatic Sessions』の全シングルはBandcampで購入するとスコア(楽譜)がダウンロード可能で、リスナー自身が演奏できます。これはダスティンがリスナーとのより深い関係を築きたいという切実な願いから生まれた試みです。


「デジタルで音楽をリリースするのは、とても距離を感じ、つながりが断たれたように思えます」と彼は語ります。


「我々はみんな、どこかでつながりを求めていると思います。人々が演奏に参加することで、音楽は別の形で彼らの一部になる。それは共同体のものとなり、彼らのものになるということなのです」


ダスティン・オロハランのEP『The Chromatic Sessions』は10/8にデジタルおよび7インチレコードでリリース予定です。



 

Dustin O'Halloran  『The Chromatic Sessions』





アーティスト:Dustin O'Halloran(ダスティン・オハロラン)

タイトル:The Chromatic Sessions(ザ・クロマティック・セッションズ)

リリース日:2025年10月8日

フォーマット:デジタルダウンロード/ストリーミング/7インチレコード

ジャンル:ポストクラシカル

レーベル:Splinter Records / p*dis


Tracklist:

1. Gold

2. Red

3. Blue




・デジタルリンク(Red):

https://dustin.lnk.to/redNL


・Pre-save/Pre-addリンク(The Chromatic Sessions):

https://dustin.lnk.to/chromaticNL


・Bandcamp:

dustinohalloran.bandcamp.com


 

ニューヨークを拠点とするシンガーソングライター兼ミュージシャン、ROREYの力強い新曲「Hurts Me To Hate You」を下記よりチェックしてみて下さい。内的な痛みを独白する繊細な楽曲。


この衝撃的で変容をもたらす楽曲は、ロレイと彼女の母親が出演するパーソナルなミュージックビデオと共に公開されています。 幼い頃になしえなかった和解、分かり合えなかった経験、それでもなおその抱擁は人間的な温かさをどこかにとどめている。


ローリーはApple Musicのゼイン・ロウ、LADYGUNN、オフィス・マガジンなどから称賛を受けている。彼女の楽曲はSpotifyのプレイリスト「Fresh Finds」「Fresh Finds Indie」「New Music Daily」「New in Pop」などに選出されている。


ニューヨークを拠点とするシンガーソングライター兼ミュージシャン、Roreyは、生々しい告白を癒しと不安を同時に呼び起こす芸術へと昇華させる。セカンドEP『Dysphoria』は精神疾患の矛盾へ恐れを知らぬ飛び込みであり、心に残るメロディと幽玄なボーカルが、催眠的な渦巻く楽器演奏と融合する。


長年の共同制作者であるスコット・エフマンと2021年に共同制作したこのプロジェクトは、躁状態の中で意味を求めてもがく若きアーティストの混沌、美しさ、そして方向感覚の喪失を捉えている。


ROREYの音楽は単に共鳴するだけでなく、口に出すのを恐れる真実を示し、その感情を抱くのは自分だけではないと気づかせてくれる。新曲「Hurts Me To Hate You」について、ロレイはこう打ち明ける。


「『Hurts Me To Hate You』は21歳の時に書いたの。母への怒りが自分を護っているわけじゃなく、ただ痛みのサイクルに閉じ込めているだけだと気づいた時。 そして彼女を憎むことが私を傷つけた」


「たとえ彼女が私を完全に理解できなくても、私は彼女を人生に留めておきたかった。それは彼女のありのままの姿と、彼女が与えられるものを認めることを意味した。これは私にとって、徹底的な受容を受け入れる重大な転機となった。結局、私の感情に責任を持つべきなのは母ではなく私自身。他人をコントロールすることはできない。この境地に達するまで何年もかかった」


「Hurts Me To Hate You」





New York–based singer-songwriter and musician ROREY transforms raw confession into art that unsettles as much as it heals.


Her sophomore EP, Dysphoria, is a fearless plunge into the contradictions of mental illness, where haunting melodies and ethereal vocals merge with hypnotic, swirling instrumentals.


Co-written and produced in 2021 with longtime collaborator Scott Effman, the project captures the chaos, beauty, and disorientation of a young artist clawing her way toward meaning in the midst of a manic episode.


ROREY’s music doesn’t just resonate, it names the truths you’re afraid to speak and reminds you that you’re not alone in feeling them.


Her new single "Hurts Me To Hate You" is a powerful song of acceptance, healing and overcoming anger. The stunning and transformative song is shared alongside a personal music video with ROREY and her mom. ROREY confides, “I wrote Hurts Me To Hate You at 21, when I realized the anger I held toward my mother wasn’t protecting me — it was only keeping me stuck in a cycle of pain. And it hurt me to hate her. 
 
 
Even though she may never fully understand me, I still wanted her in my life. And that meant accepting her for who she is, and what she’s capable of giving. It was a profound turning point for me in embracing radical acceptance. At the end of the day, I am responsible for my emotions - not my mother. You can’t control other people. It has taken me years to get there.”
 
 

 Weekly Music Feature: Shabason/Krgovich/Tenniscoats 


2024年4月、カナダの東西に分かれて活動するミュージシャン、ジョセフ・シャバソンとニコラス・クルゴビッチはシャバソン&クルゴビッチとして初の日本公演となる2週間のツアーに出発した。 7e.p.レコードの齋藤耕治氏による取り計らいにより、日本の名高いデュオ「テニスコーツ」のサヤと植野がツアーに同行し、松本、名古屋、神戸、京都、東京の各公演でバックバンドを務めた。


4人はたった2回のリハーサルしかできなかったが、それで十分だった。彼らの絆は瞬時に生まれ、音楽に滲み出ていた。瞬時に音楽的に結びついた4者は互いの演奏に興奮と喜びを持って反応し合い、ライブ・セットは公演を重ねるごとに生き物のように美しく成長を遂げていく。齋藤はこの相性の良さを予見し、録音エンジニアを神戸(塩屋)で待機させる手配をした。彼らは名高いグッゲンハイムハウスに滞在する。この117年前のコロニアル様式の邸宅はアーティスト・レジデンシーに改装されていた。これまでにもテニスコーツ&テープの『Music Exists disc3』、ホッホツァイツカペレと日本人音楽家たちのコラボ作『The Orchestra In The Sky』、マーカー・スターリングとドロシア・パースのライブ・アルバムなどが録音されてきた伝説的な洋館である。


あらかじめ完成した楽曲を事前に用意することなく始まった録音だが、それぞれが持ち寄ったモチーフを起点に、即興的に湧き出ていく4者の多彩でフレッシュなアイディアによって音楽が形作られ、ケルゴヴィッチとさやが書き下ろした詞が歌われ、驚くべきペースで新たな楽曲が次々に生まれていった。


二日間で驚くべき化学反応が起きた。それぞれが持ち寄ったモチーフを起点に、即興的に湧き出ていく4者の多彩でフレッシュな着想によって音楽が形作られていく。ケルゴヴィッチとさやが書き下ろした詞が歌われ、驚くべきペースで新たな楽曲が次々に生まれていく。この制作過程を通じて、サヤとクルゴビッチはすぐ、歌詞作りのアプローチにおける共通点に気づく。 サービスエリアで空を見上げながら雲の日本語愛称を共有すること(魚鱗雲、龍雲、鯖雲、眠雲、羊雲)、衣料品店で靴下を片方ずつ探して揃えること、神戸王子動物園で老衰により亡くなった愛されパンダ「タンタン」への追悼歌——二人は共に日常の魔法を探し求め、歌に紡いだ。


この体験は毎日が魔法のようだという感覚だった。グループはグッゲンハイム・ハウスの窓から瀬戸内海の満ち引きを眺めながら作業を進めた。二日間で彼らは8曲を創作・録音し、制作順に並べたアルバムは『Wao』と名付けられた。これは録音後にテニスコーツのサヤがぽつりとつぶやいた言葉だった。これこそコラボレーションをした異国のミュージシャンたちの共通言語だった。


「このアルバムの素晴らしい点は、家がレコーディングスタジオとは程遠い空間だからこそ、超ライブ感あふれる音に仕上がっていることです。それに線路の真横にあるから、録音中に電車が通過する音がよく入っています。僕にとっては、それが大きな魅力と個性になっています」とジョセフは語る。 


「全てが夢のように感じられ、あっという間に終わったので、家に帰って数週間はすっかり忘れていました。セッションデータを開いた時、僕たちが特別な何かを成し遂げたことがはっきりと分かりました」


トロントでのシャバソンによるミックスを経て完成したアルバム『Wao』。さやによる日本語とケルゴヴィッチによる英語がナチュラルに歌い継がれる“Departed Bird”から、ツアー中テニスコーツのセットにてシャバソン、ケルゴヴィッチ両人を迎え演奏されていた “Lose My Breath”(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)に至るまで録音順に収録された全8曲。ケルゴヴィッチ&テニスコーツと親交の厚い、ゑでゐ鼓雨磨(ゑでぃまぁこん)のコーラス(M5、M6)を除き、全ての歌唱と演奏は4者によるもの。


ジョセフ・シャバソン、ニコラス・ケルゴヴィッチ、テニスコーツ各々のリーダー作、さらにシャバソン&ケルゴヴィッチ名義での作品とすらも確かに異なる、まさに「シャバソン・ケルゴヴィッチ・テニスコーツ」というユニットとしての音楽でありツアー&録音時の驚きに満ちたマジカルな空気が全編に流れる珠玉のコラボレーション。


ライブツアー、そして制作期間すべてが魔法のように瞬く間に過ぎ去った。夢のように彼らはその渦に飲み込まれ、そして離れていった。数週間後、録音データが郵送で届いた時、初めてその夢のような感覚が鮮明な記憶へと変わり、今や何度でも振り返ることができる瞬間となった。


 

 『Wao』-7e.p.(Japan) / Western Vinyl(World)  



このアルバムが録音され、アートワークにもなっている神戸の旧グッゲンハイム邸は、日本の近代化の象徴とも言える建築的な遺産である。

 

1890年代ーー日本が幕末から明治維新の時代に移行する頃の瞬間的な流れを建築的な遺産として残している。江戸幕府が鎖国を解き、日米修好通商条約を通じて海外との交易を活発化させてから、一時的ではあるにせよ、横浜、神戸、長崎の3つの開かれた港は、海外との貿易を通じて、上海に匹敵する''アジア最大の港''として栄えることになる。 横浜港の周辺一帯、長崎の天主堂やグラバー邸周辺は、''外国人居留地''と呼ばれ、実際に外国人が一時的に定住していた。

 

一方の神戸は、京都御所に近いという理由から、本居宣長の流れを汲む国粋主義的な思想を持つ攘夷派の反乱を懸念し、京都から少し離れた場所に居留地が置かれたという。これらの居留地は、明治時代以降の軽井沢のように''外国人の別荘地''ともいうべき地域として栄えた。しかし、維持費が嵩むことを理由に日本の土地として返還されていく。少なくとも、領土の側面において、外地とも呼ぶべき一帯として20世紀初頭まで発展を続けた。特に、神戸の居留地は特殊な事情があり、”租界”ともいうべき土地であった。実際的に、海外の人々が他の地域に出ることは多くなかったという。この神戸の居留地には、ドイツ人が多く住んでいたことがあり、北野異人館等が主な遺構として脳裏を過ぎる。グッゲンハイム邸もまた、ドイツ人が使用していた邸宅であり、館内にピアノがひっそりと残されている。現在はアーティストレジデンスとして利用され、ライブなどが開催されることもある。その昔、この地帯は外国人の観光海岸として栄えた。

 

土地柄の因縁というと語弊があるかもしれない。が、旧外国人居留地で録音された日本の実験的なフォークデュオ、テニスコーツとカナダの二人のプロデューサー、シャバソンとクルコヴィッチのコラボレーションアルバムは、異質な空気感をまとっている。発売元のテキサスのWestern Vinylは、アルバムを''魔術的''と紹介しているが、聴けばわかる通り、得難い空気感を吸い込んだ素晴らしい作品である。録音はたったの二日間で、よくこれだけ集中した作品を制作出来たものだと感心すること頻りである。実際の音楽性は表向きには派手ではないものの、得難い魅力に満ちあふれている。シャバソンとクルコヴィッチのふだんの音楽性については、私自身は寡聞にして知らぬが、テニスコーツのいつもの音楽とは明らかにその印象を異にしている。

 

カナダと日本のコラボレーターは、ライブツアーや二日間の制作期間を通して体験した出来事を日本の感性と外国の感性を織り交ぜて吐露している。そのやりとりの多くは、コミュニケーションとして深く伝わったかどうかは定かではない。しかし、アルバムに接するとわかるように、日本とカナダの音楽家は、ジェスチャーや共通する言語をかいして、共通理解ともよぶべき瞬間を得ることになったのは明らかだろう。この国際的なコラボレーションは、考えが異なる人々を相互的に理解しようと努め、それが最終的に腑に落ちる瞬間を持つようになる、その過程のようなものが音楽として表されていると思う。そして、グランドピアノなどの音色が取り入れられるのを見ると、現地の標準的な環境設備が楽曲の中に取り入れられている。また、全般的には、楽器の役割がかぶることなく、演奏パートが上手いバランスに割り振られている。


一曲目の「Departed Bird」は、サヤによる日本語ボーカルが中心となり、その後、ボーカルの受け渡しが行われる。ムードのあるエレクトリックギターとジャズの要素をイントロの背景に敷き詰め、日本の童謡のような音楽性が取り入れられている。伴奏の後、哀感に満ちた声で、サヤは次のように歌う。「鳥があるいている、道ゆくぼくらの足もとへ」 このマイナー調の曲は日本語の歌詞と連動するように、ピアノのフレージングを通して叙情性を強めていく。その後、口笛やサックスの演奏を通して、この音楽はアヴァンジャズのような遊び心が取り入れられるが、歌謡的な性質を強調づけるかのように、この曲全体は粛然たる哀感に包まれている。そして賛美歌のようなシンセとサックスの音色が重なり、テニスコーツらしい音楽が強まっていく。さらにその後にはクルゴヴィッチのボーカルが入る。また、シャバソンのサックスの演奏もそのペーソスを強める。歌詞はおそらく日本語と英語の対訳のような感じでうたわれている。

 

日本語と英語の同じ歌詞を二声の対位法のように並置するにしても、その言語的な意味やニュアンスは全く異なることが、このアルバムを聴くと痛感してもらえるのではないか。そもそも言語を翻訳するということに限界があるともいえる。日本語は、ある一つの言葉の背後にあるイメージを呼び覚まし、連想のように繋げていく。つまり、その言語的な成立の経緯からして、''論述的にはなりえない''のである。とは対象的に、英語は、論理的な言語の構造を持つ。つまり、英語は直前の文章を補強したり補填する趣旨がある。一つの同じような伴奏で、同じ意味の文章が歌われても、言語的な意味が全然異なることに大きな衝撃を覚える。特に、日本語の観点から言えば、短歌や俳句のような行間にある、言外のニュアンスや感情性が、サヤの歌から感じ取ることが出来るかもしれない。そして、論理的なセンテンスを並べずとも、日本語は何となく意図が伝わることがある。この''言語における抽象性''はアルバムの重要な核となる。また、英語の歌詞の方は、歌の意味を一般化したり平均化するために歌われる。これらの2つの言語の持つ齟齬と合致は、アルバムの収録曲を経るごとに、大きくなったり、小さくなったりする。

 

続いて、二曲目の「A Fish Called Wanda」は、ヴァースとサビという基本的なポピュラーの構成から成立しているが、実験音楽の性質がそうとう強い。言語的なストーリの変遷が描かれ、「Wanda」という英語の言葉から、最終的には王子動物園の「Tan Tan」の追悼という結末へと繋がっていく。しかし、これらは、英語の「Wanda」と日本語の「ワンダ」という言葉を対比させ、その言葉を少しずつ変奏しながら繰り返し、実験音楽としての性質を強めたり、弱めたりしながら、驚くべき音楽的な変容を遂げる。このあたりに、言語によるコミュニケーションの一致とズレのような意図がはっきりと現れている。 その言葉の合間に、サックスの実験的なフレーズ、シロフォンのような打楽器の効果が取り入れられる。同じような言葉が連鎖する中、言葉が語られる場所が空間的に推移していく。そして、それと対比的なポピュラー音楽のフレーズが英語によって歌われる。これがシュールな印象を与え、ピンク・フロイドのシド・バレットのごとき安らかな癒やしをもたらす。もちろん、ピアノの伴奏に合わせて歌われるフレーズは、明晰な意識を保持している。この点は対称的と言える。ときどき、スキャットを駆使して明確な言語性をぼかしながら、デュオのボーカルが背後のサックスの演奏と美しいユニゾンを描く。「Wanda」「Under」「Anta(You)」など、英語と日本語の言葉を鋭く繰り返し交差させながら、実験音楽の最新鋭の境地へと辿り着く。これらは、二人のボーカリストの言語的な感性の鋭さが、現実性と夢想性の両面を持ち合わせた実験音楽へと転移しているといえる。最終的には、アコースティックギターとサックスの演奏に導かれ、温かな感情性を持つに至る。

  

3曲目に収録されている「Shioya Collection」は、今年度発売された日本語の楽曲では最高傑作の一つ。塩屋の滞在的な記憶がリアルタイムで反映され、叙情的に優れたポピュラーソングに昇華されている。イントロではシンセの水のあぶくのような可愛らしい電子音をアルペジオとして敷き詰め、古くは外国人の観光ビーチとして栄えた塩屋の海岸付近の風光明媚な光景を寿いでいる。シンセサイザーの分散和音を伴奏のように見立て、徐々に音色にエフェクティヴな変化を及ぼしながら、センチメンタルなイマジネーションを呼び覚ます。それは、これらの滞在期間が短期間であるがゆえ、かえって、このような切ない叙情的な旋律を生み出したとも言えるだろう。ボーカルが始まる直前、ジャズの和音を強調したピアノが入り、それらの印象は色彩的な和声進行に縁取られる。以降、日本語の歌詞が歌われるが、これらは断片的な言葉にすぎないのに、驚くほど鮮明にその情景の在処を伝え、同時にその感情性を端的に伝えている。 


坂の上の光景、そして、頭の上を通り抜けていく清かな風、それらを言葉として伝えるためのたった一語「カゼーカゼ」という楽節が歌われるとき、涙ぐませるような切ない感覚が立ち現れることにお気づきになられるだろう。グッゲンハイムの窓から見た光景か、それとも館の下の階段からみた光景かはつかないが、そのときにしか感じえない瞬間的な美しさが最上の日本語表現で体現されている。サビのフレーズの後の始まるサックスやピアノの演奏もまた、非言語でありながら、言葉の間やサブテクストの持つ叙情性を明瞭に伝えている。二番目のヴァース以降は、クルゴヴィッチのボーカルで英語で歌われ、日本語のサヤのボーカルと併置される。今までに先例のない試みであるのに、驚くほど聴覚に馴染むものがある。海際の潮風の風物的な光景が「思い出をならべてる」というような言葉から連想力を持ち、そのイメージがどんどんと自由に膨らんでいくような、ふしぎな感覚にひたされている。そして、日本語と外国語を対比させながら、「カゼーカゼ」の部分では異なる言語のイメージがぴたりと合致している。

 

4曲目の「Our Detour」はエレクトロニカの音楽性が強まる。 イントロにはグリッチのリズムを配して、トーンクラスターやダブの要素を強調しながら、ゆったりとしたビートを刻んでいく。ヴァースの始めでは、「過去から振り返るな」という歌詞が歌われ、それが日本の童謡的な旋律によって縁取られる。その後、「繰り返すと」に言葉が転訛し、ボーカルの受け渡しが行われ、フレーズの途中で、英語の歌詞に切り替わる。以降、この曲は、ピアノのダイナミックな演奏を背景に、ボーカルの叙情的な感覚を深めながら、ダブのディレイのサウンドエフェクトを用い、急進的な楽曲へと変化していく。これまでに何度か述べたことがあるように、一曲の中で音楽そのものがしだいに成長していくような感覚があるのに驚きを覚えた。英語と日本語の歌詞のやりとりの中で「ここには時間がある」という抽象的な歌詞が日本語で歌われる。


ダリのシュールレアリズムの絵画のような趣を持ち、その内的な形而下の世界を徐々に音楽と連動するようにして押し広げていき、サビの箇所では、「みんながいて」、「呼吸は繰り返して」のようなフレーズへと繋がっていく。ここでは変化していく共同体のような内的な記憶がきざみこまれている。単なる郷愁的な意味合いを持つ音楽とはまったく異なるような気がする。曲の最後では、迫力のあるダブのエフェクトがこの曲の持つじんわりとした余韻を増幅させる。

 

「At Guggenheim House」は文字通り、グッゲンハイム邸の滞在について歌われている。デュオの形式で構成されているが、基本的には英語の詩で歌われ、グッゲンハイムでの同じような瞬間的な体験とリアルタイムの記憶を反映させている。とはいえ、ジャズポップス寄りの楽曲である。 クルゴヴィッチのボーカルとシャバソンのサックスは、モントリオールの港の気風を呼び込み、そして、ムードたっぷりの叙情的な歌唱を通じて、ジャズの空気感を深めていく。その中で、まれにリードの役割で登場するオーボエ、クラリネットのような木管楽器がどことなくエキゾチックに響く。これは憶測にすぎないが、日本と海外の双方のミュージシャンが感じたエキゾチズムがムード感のあるジャズソングに結びついたのではないか。つまり、由緒ある洋館やこの土地の街角に、ミュージシャンたちは異国的な情緒を感じて、そして、現在の地点からへだたりがあることを滞在時に彼らは肌身で感じ取ったのではなかったか。館の中に残る、当時の異国人の家族や子供の生活や暮らしの様子を、音楽として表現したとしても不思議ではあるまい。いずれにせよ、この曲は、英語のポピュラーの中に日本語の歌謡的な要素が混在している。風土的な概念を象徴付けるようなアトモスフェリックなアートポップソングである。

 

 

続く「Ode To Jos」では、同じように夕暮れの潤沢な時間を伺わせるようなジャズトロニカである。 この曲では、アコーディオンの楽器が取り入れられ、遊び心のあるフレーズが登場するが、全体的な旋律の流れとボーカルはどことなく郷愁的な雰囲気に縁取られている。時々、アヴァンジャズに依拠したサックスのブレスやジム・オルーク風のアヴァンフォークのアコースティックギターのフレーズも登場するが、夢見るような旋律の美しさが維持されている。デュオ形式で歌われる両者のヴォーカルのユニゾンも見事なハーモニクスを形成している。アルバムの中で最もアグレッシヴな趣を持つ「Look Look Look」は、イントロでフューチャーステップのシンセを配し、スキャットやハミングの器楽的な旋律を強調付けるサヤのボーカル、そして、クルゴヴィッチの深みのある英語の歌詞が対旋律として強固な構成を作り上げる。リズムとしても、オフキルターとの呼ぶべき複合的なポリリズムが強調され、ボーカルだけで伴奏と主旋律を作り上げる。この曲で、テニスコーツとクルゴヴィッチはヴォーカルアートの最前線へとたどり着く。その後、ヒップホップのリズムを交え、この曲は未来志向のアートポップへと傾倒していく。この曲に関しては、細野晴臣さんの音楽性にも相通じるものがあると思う。

 

 

このアルバムを聴くに際して、My Bloody Valentineのカバーソング「Lose My Breath」は意外の感に打たれるかもしれない。


1988年のアルバム『Isn’t Anything』の収録曲である。『Loveless』が登場する数年前の伝説的な作品で、ヨーロッパのゴシックの雰囲気に縁取られている。ダンスミュージックの要素以外のシューゲイズの旋律的な要素は、このアルバムでほとんど露呈していた。今回のテニスコーツのカバーでは、これをインディーフォークやネオアコースティックの観点から組み直している。

 

あるミュージシャンに聞くところによると、カバーというのは難しいらしい。原曲にある程度忠実でなければならず、過度な編曲は倦厭されがち。この曲は、構成や和声や旋律進行の特徴を捉え、それらをダークでゴシックな雰囲気で縁取っている。このカバーは、どちらかといえば、Blonde Redheadのように、バロック音楽に触発されたポップソングのように聴くことが出来る。


従来、My Bloody Valentineのクラシック音楽からの影響というのは表向きには指摘されてこなかった。しかし、このカバーを聴くとわかる通り、ビートルズと同じようにシューゲイズというジャンルには、ダンスミュージックと合わせて、クラシック音楽からの影響が含まれていることがわかる。少なくとも、今まで聴いた中では、センス抜群のカバーであるように感じられた。曲数はさほど多くはないけれど、凄まじい聴き応えを持つアルバム。それが『Wao』である。

 

 

 

 

 

 

86/100 

 

 

 

Shabason/Krgovich/Tenniscoats 『Wao』は本日、日本国内では7.e.pから発売済み。さらに日本独自CDとして発売。海外ではWestern Vinylから発売。こちらはVinylの限定販売となっている。『Wao』の国内CDバージョンの詳細については、7.e.p.の公式サイトをご覧ください。 



マンチェスターの気鋭のエレクトロニックプロデューサー、Demdike Stare(ダムダイク・ステアー)がその才能を見出したことで知られる埼玉のミニマル/ダブステップ・プロデューサー、Shinichi Atobeの最新の音源がデジタルで解禁となった。 日本国内でも最注目すべき制作者である。


埼玉は昔から住宅地の他、工業地帯が多く、工場からもくもくと立ち上る煙を見るのは日常的な光景だった。埼玉の風景……、それは東京のコンクリートがちの無機質な箱型建築の光景とはまったく異なる。彼のような工業的なサウンドを持つ制作者が出て来たのは必然といえるだろう。

 

シンイチ・アトベは、Basic Channel傘下のChain Reactionから2001年にデビュー。以来、10年以上の沈黙を経て、2014年からマンチェスターのレーベル”DDS”よりコンスタントにリリースを重ね、ダブテクノ/ミニマル等のクラブオーディエンスのみならず世界の熱心な音楽ファンを魅了してきた。


先日、Shinichi Atobeは自身のプライベートレーベル、Plastic & Soundsを設立した。第一弾となるリリース「A.Whispers into the Void | AA.Fleeting_637」が12INCH(45RPM/Limited Press)レコード/デジタルでリリースされる。あらためてこの音源を確認してもらいたい。


ミニマルなシンセとリズムからピアノのリフレインの導入と共に徐々に禁欲的に展開する「Whispers into the Void」。BPM125前後のフロアライクな没入感のあるミニマル・ダブ・テクノ「Fleeting_637」の2曲が収録される。

 

追記として、一曲目の「Whispers into the Void」は古典的なダブステップではなくて、その次世代に位置づけられる未来志向の色彩的なフューチャーステップの音楽である。一方、二曲目の「Fleeting_637」は、マンチェスターのクラブ・ハシエンダの80年代後半のフロアサウンドに回帰したような多幸感に満ちたサウンドである。最初期のWarp/XLのカタログに見受けられるようなアンダーグランド界隈のダンスミュージックの熱狂的な空気感を見事に復刻している。


ただ、このサウンドの主な特徴は、ヒプノティックで内的な熱狂性に求められる。大型のモニターでは確認していないものの、サブベースの出方はかなり良い感じになっていると思う。また、ベタ張りのリズムではなく、ランタイムごとにうねるようなテンポの微細なズレが楽しめる。


 Shinich Atobeのリリースの目的は音源のプロダクトの発表だけにとどまらないことは明白である。イギリスの産業的な要素を受け継ぎ、レコードが美術品であったり工業製品の雰囲気が感じられるようにプレスされている。部屋の壁などに飾るなんて楽しみ方もアリかもしれない。マスタリング/レコード・カッティングにもこだわりが込められ、Shinichi Atobeの作品を多数手がけてきたベルリンのアーティスト、Rashad Becker(ラシャード・ベッカー)が担当している。

 

また、Atobeは、伊豆の白浜で9月27日から28日にかけて開催予定のダンスミュージックやエレクトロニックに焦点を当てたフロア向けのライブイベント”FFKT”に出演予定。このイベントには国内外から秀逸なDJ/エレクトロニックプロデューサーがホテル伊豆急でライブを行う。

 

国内からはChanaz,北村蕗、Powderが出演、DJやライブを披露する。海外アーティストは、Huerco. S、Fabiano do Nacimento、Ash Rahなどが出演予定。イベントの詳細は下記より。

 

 

 


・Vinyl Release



Shinichi Atobe「A.Whispers into the Void | AA.Fleeting_637」

12INCH (3,500Yen+Tax Incl.) | 2025.07.25 Release | DDJB-91257 (P&S001)

Released by Plastic & Sounds | AWDR/LR2


A.Whispers into the Void

AA.Fleeting_637


Sounds:Shinichi Atobe

Mastering & Cutting:Rashad Becker

Design:Satoshi Suzuki



・Digital Releases



Shinichi Atobe「A.Whispers into the Void」

Digital | 2025.07.25 Release | DDJB-91257_1

Released by Plastic & Sounds | AWDR/LR2

配信:[ https://ssm.lnk.to/whispersintothevoid ]


Shinichi Atobe「Fleeting_637」

Digital | 2025.08.29 Release | DDJB-91257_2

Released by Plastic & Sounds | AWDR/LR2

配信:[ https://ssm.lnk.to/fleeting_637 ]



・Live Performance



FFKT 2025 Izu Shirahama

27th – 28th Sep 2025 at Hotel Izukyu

 

About The Event(イベントの詳細) [ https://ffkt.jp/2025-izushirahama ]

 

AKIRAM EN, Ash Rah, Chanaz, CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN, Fabiano do Nascimento,

Gigi Masin, Greg Foat, Huerco S., 北村蕗, Knopha, Loidis, Milian Mori, NOOLIO, Powder, Shinichi Atobe, Stones Taro



After more than 10 years of silence since his debut in 2001 on Chain Reaction subsidiary of Basic Channel, he has been consistently releasing music since 2014 on DDS label in Manchester, UK, attracting not only the club audience of dub techno / minimal but also the enthudieatic music fans around the world. Electronic musician Shinichi Atobe has established his own private label Plastic & Sounds.

 

The first release on Plastic & Sounds includes two tracks: ‘Whispers into the Void’, which gradually and ascetically develops from minimal synths and rhythms with the introduction of a flowing piano refrain, and the floor use ‘Fleeting_637’, which develops immersive minimal dub techno at around 125 BPM. Mastering / record cutting was done by Rashad Becker in Berlin, who has worked on many of Shinichi Atobe's productions.

 


Shinichi Atobe:


Electronic artists based in Saitama, Japan.

 

He made his debut with the 12-inch “Ship-Scope” (2001) released on Chain Reaction, a sub label of Basic Channel, a 90s cult label leading to dub techno and then the “minimal” trend of the 00s. A decade later, in early 2010s, he released his first full-length album, “Butterfly Effect” (2014) on DDS label by lobbying of Manchester duo Demdike Stare.

 

Since then, he has consistently released “World” (2016), “From The Heart, It's a Start, a Work of Art” (2017), “Heat” (2018), “Yes” (2020), “Love of Plastic” (2022),  “Discipline” and the EP ‘Ongaku 1’ (2024). He has garnered a large number of music listeners as well as club audiences and has received acclaim from various music media.


Although his debut on the legendary Chain Reaction and his releases on DDS have brought him to the attention of the world, he has remained an enigmatic and rare entity.

In 2025, he established his own private label, "Plastic & Sounds" .


・Sound source:https://plasticandsounds.bandcamp.com



シンイチ・アトベは、埼玉を拠点に活動する電子音楽家。ダブ・テクノ、その後の00年代の一大潮流"ミニマル"にまで至る90年代のカルト・レーベルBasic Channel傘下のChain Reactionからリリースされた12インチ「Ship-Scope」(2001年)でデビューを果たす。その10年後となる2010年代初頭、マンチェスターのデュオDemdike Stareの働きかけによりレーベルDDSから初のフル・アルバム「Butterfly Effect」(2014年)をリリース。

 

それ以来同レーベルからコンスタントに「World」(2016年)、「From The Heart, It's A Start, A Work of Art」(2017年)、「Heat」(2018年)、「Yes」(2020年)、「Love of Plastic」(2022年)、「Discipline」、EP「Ongaku 1」(2024年)をリリース。クラブオーディエンスだけでなく多くの音楽リスナーを獲得し、多様な音楽媒体からも定評を受けている。


伝説化されたChain Reactionからのデビュー、DDSからのリリースをきっかけに世界に知れ渡ることになるものの、謎めいた稀有な存在として注目をされ続けている。2025年には自身のプライベート・レーベル【Plastic & Sounds】を設立。

Winter 『Adult Romantix』

 

Label: Winspear

Release: 2025年8月22日


Listen/Stream

 

Review

 

シューゲイザーというのは本来、90年代はサウンドの一形態を表していたものの、次世代のポスト世代の音楽を経過して、Y2Kのようなファッションやライフスタイルに近づいてきた。

 

シューゲイズ業界……そんなものがあればの話だが、少なくとも、このジャンルは近年飽和状態にある。リスナーの需要とアーティスト側の供給がマッチしているのか定かではない。このジャンルは少なくとも、数あるアルトロックソングのスタイルでも最もわかりやすく、伝わりやすい。そういった中、このジャンルをファストファッションのように志向するミュージシャンが増えたとしても不思議ではない。シューゲイズは今やかつてのパンクのようになりつつある。ただ、このジャンルに入るのは簡単だが、それを高い水準に持っていくためには、+アルファが必要になってくる。そのバンドやミュージシャンしか持ち得ない何かが追加される必要がありそうだ。

 

Winterは、ブラジルのルーツを持つミュージシャン。近年はロサンゼルスに根を張っていた。アメリカのインディーズロックのミュージシャンとしてはよくある話であるが、どうやら独自のコミュニティで生活し、それらは”ザ・エコー”と呼ばれていた。このアルバムはDIYの共同体の生活をフランケンシュタインのようなラブコメディと組み合わせて、それらをノスタルジーに振り返るという内容で、30代になったミュージシャンが20代の人生観を総括するというものである。ロサンゼルスから離れたミュージシャンがその土地を回想する。二度とは帰らない青春の最後の年代の記憶……、センチメンタルにも思えるが、人間の円熟期はたいてい壮年期以降に訪れる。クリエイティビティの頂点はこの年代以降に訪れる。人生のなにがしかがわからなければ、音楽の真髄を理解することは難しい。その理解を的確に反映した時、名作が出てくる。20代でそれをやってしまう人もたまにいるが、少なくとも人生や音楽が本当に理解出来るのは、もっと後になってから。そしてそれが理解できたとき、その人は音楽の氷山の一角しか見ていなかったことに気がつく。どのようなジャンルも例外はない。もちろん、近道もない。

 

このシューゲイズアルバムは、まるでそれ以上の意味を持ち、人生の一部分を切り取ったかのような趣を持つ。名作ではないが、はっきりとした聞かせどころがある。ウインターは、写真でも日記でもブログでもTikTokでもない、音楽という形でそれらの記憶を留めておく必要があった。コラボレーションは人生の視野を広げ、華やかにするためにある。このアルバムに、独特なテイストを添えるのが、Tanukicyan、Horse Jumper of Loveである。前者は西海岸のシューゲイズの象徴的なミュージシャンによるコラボ、後者はボストンの気鋭のアルトロックバンドとのコラボレーションで、それぞれ異なる楽曲となっている。ただ、シューゲイズに傾倒したアルバムといよりも、ストレートなオルタナティヴロックソング集として楽しめるかもしれない。

 

アルバムの冒頭を飾る「Just Like A Flower」はどちらかと言えば、今週アルバムをリリースしたSuperchunkに近いロックソングで、シューゲイズの要素は薄めである。唯一、サミラ・ウィンターのドリーミーなボーカルがシューゲイズの要素を捉え、それらを伝えている。センチメンタルなボーカルが骨太のギターラインと結びつき、このジャンルの陶酔的な雰囲気を生み出している。湿っぽくナイーブなヴァース、それとは対象的に晴れやかなコーラスを対比させ、キャッチーなソングライティングが強調されている。サビはクロマティックスケールを使用して、ペイヴメントのような曲に近くなる。しかし、その旋律の中には、切ない感覚が潜んでいる。

 

一方、打ち込みのようなフィルターをかけたドラムと重厚なディストーションギターが特徴である「Hide-A- Lullay」はシューゲイズの質感が徹底的に押し出されている。ジャグリーなギターの中で独特のポップセンスが光ることがあり、2つ以上のギターでそれらの対旋律の響きを作り出す。おのずと音楽自体はドローン音楽に近づくが、結局のところ、それらを聴きやすくしているのが旋律的な要素である。コラボレーターとしてボーカルで登場するたぬきちゃんは、この楽曲にアンニュイな雰囲気を添えている。これは前作EPとどこかで繋がっている。


ボーカルに関しても、MBVの80年代後半の曲やステレオラブのような鋭いハーモニーを作ることがある。そして、複数のギターを入念に重ね合わせて、その中にトレモロの効果を強調することで、独特なトーンやハーモニクスを作り出す。ギターの音響を巨大なシンセサイザーのように解釈して、その中でボーカルの側面でポップセンスをいかんなく発揮している。それはまた、オルタナティヴポップとしてのポップセンスであり、オーバーグラウンドの話ではない。これらのニッチでナードな音の運びは、およそロサンゼルスや西海岸の意外な表情を浮かび上がらせる。LAのくっきりとした澄んだ色の青空とは対極にある曇り空のような印象を呼び起こす。それはまた、内側の世界と外側の世界の出来事をすり合わせるための音楽でもあるのだ。両者のささやくようなボーカルのやりとりは、曲の雰囲気と連動している。名コラボである。

 

これらのシューゲイズの憂愁により、まったりとした効果を添えているのが、Horse Jumper of Loveである。こちらのコラボレーションもボーカルが中心だが、良いコラボレーションの見本を提示している。こちらの曲は『Loveless』を現代的なアルトロックとして再解釈したという感じ。『Loveless』の「Sometimes」と聴き比べてみると面白いはず。この曲をシューゲイズの中のシューゲイズにしている理由は、アコースティックギターやエレアコのような音色を駆使して、スコットランドのThe Patelsのようなサウンドを作り出しているから。また、ボーカルのメロディーラインも秀逸で、Horse Jumper of Loveのドミトリー?のボーカルは、シールズに匹敵する鋭い感性がある。コラボレーターがどのように歌えば良いのかを熟知していて、それらを的確に声で表現している。音楽的な効果が明瞭に表れ出ている。この曲は、Wrensのような00年代のロックソングを思い起こさせる。決してクールではないが、その点に共感のようなものを覚えるわけなのだ。

 

近年のシューゲイズは、90年代の最初のウェイブがそうであったように、ダンスミュージックとロックを結びつけるという形式が主流になりつつある。もちろん、現在のダンスミュージックは90年代よりも未来に進んでいて、表側に出てくる内容もへんかしてきている。「Existentialism」 では、現代的なインディーポップのボーカルと、グルーヴ感を強調した打ち込みのようなドラムを連動させ、その中で、ウィンターらしい少しナイーヴな感覚を織り交ぜている。そしてこれは、全般的に言えば、ローファイやサイケに近い音楽として成立している。こういった曲が三曲ほど続く。これらはシカゴのKrankyから昨年新作アルバムをリリースしたBelongのスタイルに準じている。


その中、多幸感を持つフラワームーブメントの雰囲気を持つ「Without You」こそ「LAのシューゲイズ」と言える。ただ、この曲の中に揺らめく独特な感性、そしてアンニュイな感覚こそ、Winterのソングライティングの核とも言える箇所である。これらはドラスティックな印象を持つシューゲイズ曲のさなかにあって特異な印象を持つ。バラードやフォークのような音楽性を反映させたこの曲は、ドリームポップへと傾倒し、ヒップホップのビートを内包させながら、独特な音楽性へと落着する。アンニュイなボーカルは、飽くまでアトモスフェリックな要素を添えているに過ぎず、デコレーションのようなものである。どうやら今後のシューゲイズは、ダンスミュージックの他、ヒップホップのローファイを通過した形式が主流になっていきそうである。つまり、今日のこのジャンルは、必ずしもロックの系譜にあるわけではなく、ブラックミュージックの要素を内包させている。西海岸のラップヒーロー、Ice Cubeのように過激ではないにせよ、これらのリズムの要素は、今後のシューゲイズソングを制作する際の重要な主題になるに違いない。

 

これまでのシューゲイズバンドの課題は、90年代のケヴィン・シールズの音楽をどのように再現するのか、という点にあった。しかし、音響技術の発展やエフェクターやマスタリングの進化により、近年そのハードルは下がりつつある。今後は現代のミュージシャンとしてのシューゲイズを制作するのが最重要課題となる。アルバムの後半はトーンダウンして、90年代の模倣やミレニアム以降のブルックリンのベースメントのインディーズロックサウンドへの偏愛がうかがえる。しかし、独創的な感性を示した「Running」は、ポストロックや音響系のサウンドとむすびつき、アンビエントのようなアトモスフェリックな音楽に行き着いている。


この点を見ると、ポストロックやアンビエントとのクロスオーバーをやるのもアリかもしれない。ウィンターは、ボーカリストとしてはどこまでも叙情的であるが、ギタリストとしてはアーティスティックな感性をもっている。アルバムで聞こえるギタープレイはペインターのように芸術的。 色彩的なギターの音響は時々、マクロコスモスの音楽さながらに鳴り響くことがある。秀作。

 

 

 

78/100 

 

 

 

 

Best Track - 「Without You」

 


NYを拠点に活動するフューチャーソウル・バンド、The Love Experiment(ラヴ・エクスペリメント、以下LEX)が、ニューシングル「Whoʼs Gonna Save the World (feat. J. Hoard)」を2025年9月5日にリリース。記事の最下部のリンクより楽曲のプリセーブが可能だ。

 

東京を拠点に活動するエクスペリメンタルソウルバンド、WONKとのコラボアルバム『BINARY』をリリースし、日本でのツーマンツアーも成功させたLEX。その後 、メンバーはプロデューサー、ソングライター、ミュージシャンとして、それぞれのキャリアを広げ、ソウル/R&B、ジャズ、ヒップホップシーンで活躍している。Lauryn Hill、Nas、Anderson .Paak、Solange、Corey Henryなどのビッグネームから、Amber Mark、Poppy Ajudha、Standing on the Cornerなどの新進気鋭のアーティストまで、幅広くコラボレーションを重ねてきた。


Chance The Rapperの「No Problem」の作詞でグラミー賞を受賞し、NYのジャムセッション<The Lesson>のホストバンドでヴォーカリストも務める"J.Hoard"をフィーチャーした「 Who's Gonna Save the World」。

 

前作「House Boat」が、水面を漂うようなサウンドと内省的な世界観でリスナーを包み込んだのに対して、本作は、社会的な問いかけを力強く放ち、エネルギッシュかつアグレッシブなサウンドが耳を捉える。


太くうねるベースラインとアフロビーツのリズムが、J. Hoardの深みと繊細さを兼ね備えたソウルフルな歌声を後押しする。後半では、LEXのリーダー兼ドラマーであるCharles Burchell が、ラッパー名義の”Karnival Kid”として参加している。彼のラップが、社会の矛盾や個人の内面を鋭くえぐり出す。''世界を救うのは誰か?”というシンプルで根源的な問いが、静かに力強く繰り返されるこの曲は、祈りと警鐘が交錯し、個人の目覚めを促すアンセムとして響く。今年リリース予定のニューアルバム『Velvet』に向け、LEXの進化と覚醒を鮮やかに刻み込む1曲。

 

 

The Love Experiment 「Who’s Gonna Save the World (feat. J. Hoard)」- new single

 


 

アーティスト:The Love Experiment

タイトル:Who’s Gonna Save the World (feat. J. Hoard)

ジャンル:Soul / R&B / Afrobeats / Hip Hop

配信開始日:2025年9月5日(金)

発売元・レーベル:SWEET SOUL RECORDS 

配信リンク:https://lnk.to/LEX_WGSW