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テネシー州で生まれ、ケンタッキー州ルイビルで育ったマシュー・クーパーは、2000年代初頭にオレゴン州ポートランドへ移住して以来、自宅にこもり、脳内の振動を優雅なノイズの壮大な壁へと変容させることに多くの夜を費やしてきた。儚げな響きから氷河のような重厚さまで、幅広い深みを持つ彼は、ギターとピアノの密度の高いレイヤーを重ね合わせ、自らの周囲に畏敬の念を抱かせる要塞を築き上げる。
『Virga III』は、Eluviumによる独創的な実験的シリーズの第3弾であり、約5年ぶりの新作となる。『Virga II』の重厚で不気味な広がりとは明らかに対照的に、『Virga III』を構成する楽曲は、神々しいほどの安らぎをもたらす。『Virga』シリーズの各巻に息吹を与える、神経質な緊張感、制御不能感、そして忍耐強い再文脈化が、ここでは独自の形で表現されている。作曲家でありEluviumの中心人物であるマシュー・ロバート・クーパーは次のように語っている。
『Virga III』の楽曲は、いつものようにクーパーが作曲・演奏しているが、Virgaの世界において、彼は本質的に自身の内なるユニークなコラボレーションを感じている。クーパーは次のように説明する。「Virgaシリーズは、かつての自分へと回帰する機会を与えてくれるが、そこには新たなレベルの理解が伴っている。構築された音楽的システムや録音と向き合う際、より忍耐強く接することで、私は過去の自分と躊躇いながらもデュエットを繰り広げる。それは新たな演奏や加工のレイヤーにおいて、最初の音源を可能な限り長く消化し、そこから未知の感情が湧き上がるまで待ち、治療的な自己認識と発見の感覚を醸成することを願ってのことだ。探求的な精神と、絵画的な情感の共鳴が混ざり合い、徐々にそれ自体へと解き放たれていく。」
Eluvium 『Virga Ⅲ』- Temporary Residence
現在、ポートランドを拠点に活動を行なう作曲家/エレクトロニック・プロデューサー、マシュー・クーパーの連作シリーズ『Virga』は、おなじみのアンビエントの名盤で紹介した覚えがある。クーパーはブライアン・イーノに強い影響を受けたプロデューサーで、その音作りも傍流ではなく、直系とも呼ぶべきである。最近、Eluviumの作品から、私自身は遠ざかっていたが、やはり、最新作『Virga Ⅲ』はアンビエントとしてかなり高水準のレベルにある。しかし、もちろん、作曲的な巧みさ、プロデュース的な精細さというこのジャンルの基本的な要素が込められているのは事実であるが、 音楽の持つエネルギーがクリアで澄んでいる。結局、このジャンルは方法論や機材だけではなく、どのような性質の音を描くかという点が重要なのだ。
『Virga』は、推察するに、アンビエントの基本的なスタイルで構成されているが、必ずしも、クリアな音だけが存在するわけではない。アルバムの全編に走るサーというホワイトノイズが、風や大気そのものの流れを表現し、このアルバムのオーディオ体験は、山登りや高原のハイキングで感じるような大気の中に包み込まれているような感じがする。また、車やバイクで感じる風を切るような気持ちよさと言っても差し支えないかもしれない。昨年末、アンビエントは基本的には、体験型の音楽で、その中に、なにか新しい発見のようなものが含まれていることが重要なのではないかと私自身は指摘したおぼえがある。Eluviumのニューアルバム『Virga Ⅲ』にはこのポイントが備わっていて、音楽自体がある種のオーディオ体験になっている。それはサラウンドシステムのような広大な奥行きを持つ未知のリスニング体験である。
アンビエントは心地よい音のマテリアルを集約したように思う読者もいるかもしれない。例えば、畠山さんが言っていたように、安眠効果やリラックス効果という要素を度外視してこのジャンルを語ることは難しい。そこに、開けた感覚やリラックスするなにかが基本的には必要である。
しかし、同時に、ヒーリング・ミュージックとアンビエントを分け隔てる分水嶺となるのは、音楽的な系譜がどこから繋がっているかという点、そして一般的なヒーリングミュージックとは異なり、アンビエントは清濁併せ持ち、クリアな音だけで構成されるわけではないという点を抑えておきたい。つまり、宇宙の根源が必ずしも一つのものだけでは構成されず、磁石の陽極と陰極のような対極のベクトルが存在することを、ブライアン・イーノやマシュー・クーパーの音楽は象徴付けているのだ。そのことを象徴するかのように、Eluviumの音楽には、テクノからのフィードバックやダウンテンポの進化系のニュアンスが含まれている。確実に、電子音楽の系譜の延長線上に、マシュー・クーパーの音楽は居並んでいる。また、彼のサウンドにはヒーリングミュージックとは異なり、ホワイトノイズが積極的に使用され、 サイレンスとノイズが混在している。必ずしも、クリアで、きれいな音だけを集約したものではないわけである。
そして実際的に、大気や宇宙空間のことを考えて見ると、特殊な無響空間を除いては、まったくの静寂は存在しない。どのような空間領域においても、微細なノイズが、人間の聴覚では捉えられないレベルで存在する。これはイルカのような耳の良い哺乳類が、人間よりも遥かに遠い距離の音を把捉出来るという生物学的理論と同様である。つまり、わたしたちは、ノイズのようなものを聞き取れていないだけなのだ。このアルバムにあるような普段聞き取れないような音波や帯域の音が流れている。アンビエントという音楽は、こういった宇宙的な真理を表すもので、今まで気がづかなかったイデアのようなものを示す、そして現世的な感覚以上のシックス・センスやインスピレーションを掻き立てるものであるべきなのである。そして、個人的に感謝したいと思うのは、マシュー・クーパーの音楽にはそのシックスセンスが生きていること。
また、こういった音楽は、AIでも作り出せないわけでもないはずである。しかし、『Virga Ⅲ』は紛れもなく、人間が編み出したものだ。人間的な創造と機械的な創造を分け隔てるものが存在し、それは、先にも述べたようなシックスセンスがあるのか、そして人間の感覚を精細な方向へ導く力があるのか、もう一つは、その中に鮮やかな生命力が存在するのかということである。 人間には、AIにはできないことがあると私は考え、マシュー・クーパーの最新作にはそれがはっきりと提示されている。いわば、人間しかなしえないこととは、完全なものではなく、不完全ななにかである。
このアルバムは、ハイテクなアンビエントではなく、どちらかといえばローテクなアンビエントである。それは完全性とは対極にあり、不完全なものが残されている。 「A.M」は開けたような感覚があり、アンビエントのシークエンスがディレイによってドローン的に引き伸ばされ、背景となる微細なノイズと掛け合わされている。例えば、Pop Matterのようなメディアがマシュー・クーパーの音楽をメロディ的であると指摘している通り、この一曲目には、緩やかな旋律の流れがゆっくりと流れていき、雲や大気のような音楽の表層を作り出す。また、その中から、異なる旋律が同じように緩やかに流れていく。その中で、声のサンプリングが入り、まるで天上にいるような独特なアンビエンスを作り上げていく。印象派の絵画のように抽象的旋律の流れがシークエンスとして組み合わされて、開けた感覚を無限に向けて押し広げていく。
シンセ・パッドのフェードインから始まる「The Fires At Night」では、一曲目の風景的な印象は維持されている。タイトルに因んでい言えば、夜のキャンプのように遠くに見える熾火の炎が揺らめき、また消えかけたり、燃えたぎる。そういった風景的な描写が行われているようだ。その中で、メインとなるメロディーが主題的に立ち上る。風景的な動きを旋律的なモチーフとして使用している。どちらかと言えば、ごくシンプルなタイプのアンビエントであるが、短いシークエンスを音量的なダイナミクスを用いながら、副次的な旋律の主題を登場させたりする。この曲では、地球より大きな宇宙的なロマンチシズムを表現することに成功している。
「Remains」でより音の表現は精細で微細になる。同じように宇宙的な雰囲気を感じさせる壮大なシークエンスが優勢である。マシュー・クーパーはその音の流れの中から、現世的な感覚とは距離をおいて、融和を始めとする高らかな感覚をアンビエントで表現する。遠く離れたところにあるものが、自分のいる空間とどこかで繋がっているという感覚を感じ取る事もできる。そして時間的な流れも含まれていて、制作者が作り出すドローン的な音の層はランタイムごとに移ろい変わっていく。その中で、ディケイを徹底的に引き伸ばしたシンセのシークエンスが壮大なハーモニーを形成する。ここには偶発的な音の構成の巧みさを体感することが出来る。
「Halliucination Ⅱ」 では全体的なマスタリングの方向性を変更し、フィルターをかけたような抑制の取れたトーンを使用している。間違いなく本作の中では、最もブライアン・イーノの原初的なアンビエントに傾倒した一曲である。この曲では、同じように複数の旋律的な流れを組み合わせて、このアルバム全体の宇宙的な雰囲気や大気の流れのようなものを表現している。こういった曲に読み取れる美的な感覚は、例えば、山で満点の星空を見上げるような感覚がある。次々に積み重なる音のレイヤーが重層的な音の流れを生み出し、なにかほっとするような感覚をもたらす。アンビエントのリラックス的な効果を押し出した一曲として楽しめるはず。
「Microfauma」は本作のハイライトとなる。いわゆる精細な音楽の感覚を体験するのにうってつけであり、微細なイントロのシークエンスから微細なノイズを用いた広大なアンビエンスに繋がる。細かい点では、アナログディレイなども用いているが、マックス・クーパーはどちらかと言えば、微細な箇所ではなく、全体からそういったミクロのフレーズを作り上げている。しかし、最も大切にしたいのは、作曲的な側面ではなく、どういった音の印象が汲み取れるかという点である。この曲は最初に述べたような、大きな自然の中でゆったりと呼吸するよな癒しの感覚があり、それが断続的な減退しないドローン的な音楽的手法によって導出されていく。また、同時に自然と人間が共存したり、一体になるような瞬間が音楽的に表現されているように思える。音楽は、時間の流れとともに、緩やかに変遷していって、最終的に遠ざかっていく。
「Communication」も同様に、ポスト・ブライアン・イーノの系譜に位置する。「An Ending(Asent)」のような宇宙的なエネルギーの流れを感じさせる曲である。 旋律が宇宙的なエネルギーが接触するような神秘的な音楽である。いわば音が単なる物質的な媒体にとどまらず、生命エネルギーのような質感を持ち、それらが交流するような神秘的な一瞬を記録している。この曲からは、人間の持つ想像力の無限性と宇宙的な無限性が組み合わされるような感覚を汲み取れる。人間が地球だけではなく、宇宙に生きているということをふと感じさせる。また、この曲に見いだせるような万物に対する思索、人間や動植物、そして宇宙までもが大きな息をして、今この瞬間に生きているのだということをふと、考えさせてくれる偉大な曲である。
「Virga Ⅲ」は作曲的にハイレベルにある。ノイズを含めた抽象的なアンビエントで、現代的なサウンドプロダクションで展開される。Loscil、Time Heckerの系譜に位置する一曲で、ノンビートやダウンテンポの進化系と言えるだろうか。この曲では、ロスシルの楽曲プロデュースのようにトーンのゆらめきや変調に焦点が置かれている。だんだんと時間ごとに、フィルターをかけたような曇ったシークエンスが存在感をます。本作では実験的な作風に位置づけられる。従来のように大気やアトモスフェアを表現した印象派のサウンドアプローチに加えて、マックス・クーパーは慎重に音のレイヤー(層)を重ねながら、心地よくも聴き応えのあるアンビエントを生成している。高い音域で金管楽器のように鳴り響く、パンフルートのような音色が時折、ぼんやりとしたアトモスフェリックなサウンドがパーカッシブに立ち上がってくる。手法論を説明すると際限がなくなるが、こういった音楽にはやはりシックスセンスを掻き立てるなにかが含まれている。音楽は必ずしも現象的なものだけではなく、より高次な感覚が含まれることがある。特に、こういったサウンドはより静かな空間で効力も持つかもしれない。
シックス・センスとはもちろん、映画で描かれるような恐ろしい内容とは限らない。人間の持つセンサーみたいなものと言えるか。これらは、現代生活に不可分な物質社会の中で、大切な意味を持つはずである。大自然の中で感じる、なにかホッと息をつけるような感じ、山登りのときに感じる爽快感、あるいは美しい川の流れを見るときのような安らぎがどこかに存在する。マックス・クーパーが表現しようとするのは、こういった現代生活で忘れられがちなウォールデンのような人の暮らしの本質である。そこにはやはり、音楽としての実際的な体験のようなものが含まれている。
アルバムの終曲「Sore」は筋の通った内容で、そこには脚色的な内容はほとんどない。ある意味では、原初的なパンクロックやジャズのように、本質的な内容だけを抽出して、それを端的な形で表現したものである。このクローズは、アルバム全体の曲と呼応するように、人間の存在が自然や宇宙とともに呼吸していることを印象付ける。ボーカルが一つもないというところが味噌で、マックス・クーパーは依然として形あるはっきりとした音楽ではなく、聞き手が自由にイマジネーションをふくらませるような奥行きのあるサウンドを志している。
86/100
「A.M」
▪Eluviumのニューアルバム『Virga Ⅲ』は本日、Temporary Residenceから発売されました。ストリーミングはこちらから。




















