Green Day 「Dookie」
このアルバムは、洋楽もしくはパンク・ロックというジャンルについて知りたいんだけれども、どれから手をつけてよいのかよくワカラナイ!という若い人たちに、是非とも聴いておいてほしい名盤のひとつ。
そもそも、これは芸術全般においていえますが、文学にせよ、絵画にせよ、映画にせよ、演劇にせよ、はたまたその他の媒体にせよ、その時々の年代で「ビビッ!」と心に来るものそうでないものがあり、年をとってからだと魅力がよくわかりづらくなるものも稀にあります。
年齢を重ねるにつれて、人間というのは、若い頃より広範な知識、経験によって培われていきますが、一方において、その知識と経験、それらの価値観にがんじがらめにされてしまい、柔軟な考え方ができなくなるおそれもあり、その都度、新しい概念を柔らかく取り入れていかないと、視野が狭くなり、自分の価値観を脅かすようなものを受け入れがたくなる側面もあります。
こういった理由において、ぜひとも、多感な若い頃に体験しておかなければいけない音楽というのも中にはあって、このグリーン・デイの「Dookie」というのも、ティーンエージャーの頃に聴いてこそ、その輝きがはっきり感じとられるアルバムと言って差し支えないかもしれません。
このアルバムの中に収録されている楽曲には、いわゆるカルフォルニアを中心にして1990年代流行った”メロコア”というジャンルの雛形のようなものが示されていて、ジャンルという側面から見ても、また、ロック史的な観点からいっても、なおざりにできない楽曲ばかり並んでいるといえましょう。しかし、そういった評論的な視点はこのアルバムにおいて重要ではないんです。
講釈めいた言葉を付け加えることだったり、音楽を小難しくすることだったりを明朗に笑い飛ばし、ただ、楽しい音楽をシンプルに奏で、ただひたすら、目の前の現実を自分なりに楽しんでいくという、いわば人生の本質をそのまま直視する趣のあるグランジ・ロックと対象的に、音楽の享楽的な側面を追求しようというスタイルが、カルフォルニア、オレンジカウンティを中心として広がっていった、”メロディック・ハードコア”と称されるパンクロックジャンルの正体でした。
何しろ、このメロコアという音楽の画期的だったのは、八十年代終わりのアメリカの商業もしくは産業ロックがスターシステム化され、一部の限られた人間が音楽の殿堂という神棚に祀りあげられてていくこと対する強烈な皮肉と疑念をまじえて一石を投じてみせたことでしょうか。
そして、この90年代はじめに一般的に浸透し始めていた価値観、今日の音楽は限られた選ばれし特別な人間だけがやるものという、そのシステム構造に対する痛快な反駁を試みたのが、このグリーンデイだったはず。
彼らにとどまらず、このメロコア界隈のバンドは、特別歌が上手いわけでも、ギターソロが秀でているわけでも、ロックスター然としているわけでもありません。どこにでもいそうなありふれた若者たちが、シンプルでクールな演奏をするところが、最も多くの若者の心に琴線に触れるところがあったのでしょう。
彼らのファッション性というのも、短く刈り込んだ髪、安っぽいTシャツに短パンを履いて、ギターをローポジションに据えて、初心者でもかんたんに弾ける”スリーコード”を駆使して、クールでスタイリッシュでわかりやすい楽曲を奏でてみせた。そこが最も画期的だったといえましょう。
それはパンクロックの本来の意義、ーー体系的な音楽教育を受けなくても、譜面が読めなくても、歌が格別うまくなくても、はたまた、演奏がおぼつかなかろうが、音楽はすべての人類に対して門戸が開かれている。目が見えなかろうが、字が読めなかろうが、音は誰にだって楽しめる。それが音楽というものだ。音楽をたのしくやるのにむつかしいことは何ひとつもない、金持ちだろうが、貧乏人だろうが、関係ない。どんな人にだって音楽をやってみる権利を持っているーーこういったきわめて重要な真実を、あっけないくらい簡素に伝え、若者の心を前向きにして、
「よし、おれたちもひとつ音楽をやってみよう!」と奮い立たせてくれたのが、メロコア勢のバンドの素晴らしさだったはず。
彼等の代表曲のひとつ「Basket Case」を筆頭に、この「Dookie」に収録されている珠玉の輝きを放つ楽曲には、「君たち、つべこべいわず、頭を空っぽにして、音楽を心からひたすら楽しんでくれよ!」そんな若かりし頃のビリー・ジョーの素敵なメッセージが含まれている気がします。
そして、いまだにこのグリーンデイをこぞってロック好きの若者たちが聴き、彼らの音楽に深い感銘を受けつづけているのは、他のスターシステム構造化に置かれているアーティストたちとは異なり、彼らが聞き手と同じ立ち位置に立っていて、常に苦しんでいる弱者を支えるアーティストだからでしょう。それは、このアルバムに収録されている「She」という曲でよく表現されています。
いまだジェンダーという明確な概念も存在しない頃、それはまた、女性の地位的な向上がままならなかった時代に、グリーンデイは、すでに時代に先んじた中立的な精神を持ち、音楽というささやかな形で、女性の社会的な苦しみに対し、そっと寄り添い、その苦しみを優しさで包み込むように歌った。
このロック史上において稀な特徴を持つ楽曲によって、どれほど多くの人々が勇気づけられたのか、全く想像に難くありません。
このメロコアという若者を中心に起こったムーブメントは、アメリカ、イギリスといったロックの中心地にとどまらず、世界中に飛び火して、多くの若者達を熱中させました。そのムーブメントは、およそ十数年も続いていきます。
もちろん、ここ、日本でも、多くの若者たちがこぞって、彼等を親に持つ”メロコア・キッズ”としてクールな存在になるろうと躍起になっていました。
グリーン・デイという存在が、音楽だけにとどまらず、文化的、また思想的な面においても、その世代から後につづく若い人たちに与えた影響というのは、計り知れないものがあったでしょう。
そして、いまだにグリーン・デイが以前と変わらぬ精神を保ち、かつてよりもグレードアップして、音楽シーンの最前線で活躍しつづけてくれていることに、何かしら頼もしさすら感じてしまいます。