John Cage 「Early Piano Music」
ジョン・ケージという人物は、日本との関わりが深い人物であり、禅文化をアメリカに広めた鈴木大拙とも親交が深く、日本の臨済宗の寺に招かれ、畳の上に背広とネクタイ姿で正座をし、大拙が立てた茶を受ける姿も写真に残されています。また、現代音楽家である一柳慧も、ケージに深い薫陶を受けた一人で、”プリペードピアノ”という、グランドピアノの弦のところにゴム等を挟んで本来の音色を変える技法を、日本において他の作曲家に先んじて取り入れていきました。
ケージの代表曲として、「4分33秒」ばかりが、彼の”サイレンス”という独特の概念を端的に表していると取り上げられることに対して、個人的に少なからず不満を覚えています。もちろん、この楽曲というのも素晴らしく、なおざりに出来ないところもありますが、ジョン・ケージのサイレンスの概念の本領というのは、彼のピアノ曲、もしくは、歌曲の楽曲に感じられると私自身は考えておりまして、「Early Piano Music」では、彼の作曲をする上でのサイレンスという概念を知るための秀逸なピアノ曲が並べられていて、彼の思想の本質に迫るための足がかりになるでしょう。
この「Early Piano Music」と銘打たれたアルバムに収録されているケージの初期の作品集を聴くと、ケージの音楽的な才覚というのが、他の作曲家の性質と異なるものであり、なおかつ活動の初期からすでにかなり高く洗練されたものであることが分かり、そして、ベートーヴェンの三十番以降のソナタに比するような高級な静けさの特質を擁していることも見えてきます。
特に、このアルバムに収録されている「In a Landscape」という楽曲が彼の持つ旋律美の才覚が遺憾なく発揮されています。この楽曲というのは楽譜を見ても、作曲者の独特な指示がなされていて、最初に踏み出したクレッシェンドペダルを最後まで踏み続けなさいという記譜が、楽譜の最初に見られます。これは、ピアノの演奏の初歩的な学習、ペダルは必ずしもどこで踏むとは決まっていませんけれど、基本として段階的に踏むべきであり、曲の間じゅう踏み続けるというのは本来の規則から逸脱した禁則的手法であることには違いありません。
クレッシェンドペダルを踏みつづけていると、どのような音響的効果がもたらされるのかというと、弾いた和音なり単音なりの反響の余韻がいつまでも消えやることなく、倍音だけが増幅され、弾いていないはずの音がハーモニクスのように折り重なっていく奇妙な現象が生じます。
実際に鍵盤を叩いた瞬間に鳴り渡る音の向こう側に奇妙な倍音が漸次的にひろがりをましていって、一種の漠としたアンビエント的な奥行きのある音響の世界がその向こう側に浮かび上がってきます。 実は、エストニアの作曲家、Arvo Partなども「Fur Alina」という楽曲において、同じような技法を取りいれており、こちらの方は鐘の反響のような独特な効果がほどこされています。
この楽曲「In a Landscape」は、単一の旋律が対旋律な技法で構成されていて、バッハの平均律をシンプルに解釈したような気配もあります。しかし、そこにはケージ独特の旋法が感じられます。ここには、分散風の和音は出てきますが、縦に構成された明瞭な和音というものが全く出てこないので、楽譜を見ると、あまりに単純で、初歩的な記譜にも思え、ロマン派などの作曲家で鍛錬を積んできた演奏家などが見れば、あまりの単純さに呆れ、拍子抜けしまう印象すらあります。
しかし、油断のならないのは、その簡素さは悪い意味での単純さに堕することなどなく、深い示唆に富んだ言語的、哲学的な作風となっています。この楽曲は、一種の音楽を聴いたり弾いたりという形をとった「内的な悟りの体験」といっても差し支えないでしょう。おそらく、禅的な静寂というものをケージはここで表したかったように思え、その旋律自体もどことなく西洋風でなく、四七抜き音階的な純和風のニュアンスがうまい具合に表されています。
おそらくこの楽曲でケージが表現しようと苦心惨憺していたサウンドスケープというのは、禅寺の庭にひろがる寂びた情景、また、例えるなら、重盛三玲に代表される作庭にあるような雰囲気、およそ喧騒とかけはなれたわびさびの世界であり、枯山水の庭を縁側に腰をおろして眺めているようなサウンドスケープを想起させます。
さらにまた、この「In a Landscape」の楽譜の最後に、独特な指示記号が見られ、「瞬間的に音を途絶えさせなさい」というような、一見したところ理解しがたい指示がなされています。これは実際やってみると、ほとんど無理な話で、どれだけミュートペダルを強く踏み込んでも、音が完全に消えることはなく、音というのは、力学的な圧力を加え、無理やり消そうとしても、どうあっても一瞬では消せないという事実に気がつきます。ここには、いわば、矛盾撞着のような意図が隠されている気がします。さらにいうなら、この音の発生の原理がここでは嫌というほど理解できます。時系列においてどちらが先なのか定かではないものの、ここでは彼の若き日のハーバード大学の無響室での異質な体験というのが何らかの形で関わっているのかもしれません。
おそらく、ここでジョン・ケージが音として込めた概念は、外側に満ちる静けさのみにとどまらず、それと呼応するように充ちている”心の内側の静けさ”ではなかっただろうかと思われます。
まさにその本当の意味でのサイレンスという概念こそ、若き日のジョン・ケージがこの「In a Landscape」において明瞭に表現しておきたかった極めて異質な内的体験であったかもしれません。
この「Early Piano Music」というECMレコードのリリース盤において、「Dream」というジョン・ケージの初期の名曲が収録されていないところが、少しだけ残念ではありますけれど、「Seasons」、「Metamorphosis」といった組曲がその心残りを完全に埋めあせてくれています。
これらの組曲は、モートン・フェルドマンにも似た風味が感じられて、非常に洗練された雰囲気に満ち溢れていますので、現代音楽というジャンルのニュアンスを掴むのにうってつけだといえましょう。
何より、「In a Landscape」でのヘルベルト・ヘンリクの演奏の程よいテンポ感とための作り方、そして間のとり方が素晴らしく、他のこの楽曲を収録したレコードに比べて、頭一つ抜きん出ており、この楽曲からおのずと滲み出てくるケージの持つ真価をヘルベルト・ヘンリク自身の深い理解度によって裏打ちされた演奏によって、これ以上はなかろうというほど引き出しています。
このアルバムは、ケージの初期の名曲の本来の良さが他の盤よりも遥かに理解しやすい作品となっています。