MONO 「You Are There」
あらためていうと、ロック・ミュージックを語る上で、ポストロック、また音響系と呼ばれるジャンルがあり、そこには、シガー・ロス、MOGWAI、GYBE、といったバンドが各国にとっての代表的存在としてミュージック・シーンに鎮座しています。
これらのバンドの音楽性というのは、切れ目のないギター奏法を特徴とし、ドラマティック性を生み出し、長い尺の楽曲中、静寂と轟音の対比によって、空間的に奥行きのある音楽効果を演出するというコンセプトにおいて共通項があります。
そして、日本から米国に、はるばるサムライのごとく渡った四人衆MONOも、二〇〇〇年代から現在にいたるまで、ポスト・ロック、音響系の花形として世界的に活躍してくれているというのは、同じ日本人として頼もしいかぎりであり、もっと彼等の名が一般にも知られてほしいと思っています。
彼等は活動初期から、アメリカに拠点を移し、現在まで息の長い活動を続けています。まだそれほど、ポスト・ロックというジャンルが日本において全然認知されていなかった時代、このバンドの中心人物、Takkakira "Taka" Gotoは、最初のアメリカのライブで多くのファンが自分達の演奏を歓迎してくれた。その出来事をしっかりと受け入れ、のちの活動にとどまらず、異国アメリカで生きていく上での重要な動機に変えていったろうことは想像に難くないでしょう。
彼等のライブスタイルというのも独特で、God Speed You Black Emperror!と同様に、ギタリストが椅子に座り、オーケストラの弦楽器の奏者のように奏でるという独自の特徴があります。それがロックという音のグルーブを体感するというよりかは、ロックという囁き、はたまた、叙情的な唸りに、全く強制的でないにしても、静かに傾聴させるというスタイルを推奨している趣きがあります。
つまり、ロックを体で味わうのではなく、音がもたらす印象に対して、徐々に聞き手が接近をはかっていくという独特なスタイルといえます。
これは演者と聞き手の間で、はじめは分離していた2つの異なる世界の融合をはかるという要素もあるでしょう。
それはこのバンドの中心的な存在であるGotoが、椅子の上に座し、黒髪の長髪を振り乱しながら、淡々と、繊細でいながら激情的なギターフレーズの叙情性を紡ぐ、このスタイルは、視覚的にもクールとしかいいようがない。
サウンド面でも、目の前にある音響世界を拡張していき、曲の終わりにおいて、ミニマルな単位で構成された別世界を聞き手に提示する。聞き手は、曲の最初とまったく異なる世界に入り込むことができるでしょう。
また、それらの演奏中、彼は、椅子の上からほとんど動くことのない、音は動くのに、演奏者が微動にだにしない、このスタイリッシュとしか形容しようのないGotoの様子に、モノの素晴らしさが凝縮されています。
換言すれば、音という表現形態により、抒情詩を、静かに、そのさかしまに、情熱的に詠じているかのような印象も見受けられます。
さて、モノというバンドは、他のポストロック界隈のアーティストと異なり、哀愁のある音楽性を特徴とし、そして、モグワイのような、音楽的なストーリー性、もしくは静寂からドラマティックな轟音への移行という要素を持ち、その中にも、日本人的な独特ともいえる要素を持ちあわせているのが特徴。それは、彼等のその後の方向性をはっきり決定することとなった代名詞的アルバム、「You Are There」において、もっとも端的に表されているといえるでしょう。
一曲目の「The Flames Byond the Cold Mountain」からして、いわゆる「モノ節」は炸裂しまくっており、繊細で叙情性の強い物悲しいギターのフレーズが最初はかぼそく感じられたものが、だんだん一大音響の世界を形作っていきます。それらは曲のクライマックスで轟音という形で胸にグッと迫ってきます。
「The remains of the Day」では、シンセサイザーの奥行きのあるパッドのフレーズに、ピアノの旋律がフューチャーされた美しい情景が思い浮かぶような楽曲。その間に、歪んだリバーブの効いたギターが陶酔した雰囲気を形作っています。
そして、最後に収録されているトラック、「Moolight」は、モノのライブにおける重要なレパートリーであり、彼等の代名詞的な楽曲。
エレクトリック・ピアノのイントロとギターの繊細なトレモロ奏法が掛け合うような形で哀感ある大きな音響世界を作り上げていきます。その雰囲気は全く弱くはなく、日本の轟音ハードコアバンドEnvyにも比する力強いパワーを持っています。そして、この甘美な深みのある旋律は、ヴァイオリンにより、さらにドラマティック性がつけくわえられます。
しかし、これはドラムのタムの迫力のある連打によって、まだ序章、つまりイントロ似すぎない事がわかります。
その後、丹念に、ギターの哀感のあるフレーズがつむがれていきます。ここでの旋律というのは本当に鳥肌もの、モノ節そのものといえ、他のポストロックバンドにはない、淡く切ない独特な雰囲気が醸し出されています。
中盤にかけては、ドラムのクールなリズムの刻みによって、曲の抑揚が徐々に、徐々に高められていき、およそモグワイとも、GY!BEともつかない、独特なモノだけがつむぐことのできる音響世界が堅固に構築されて反復されていく。
そして、楽曲のクライマックスにかけては、ギターにディストーションのうねりがくわえられて、グルーブ感を伴って進んでいき、その最後には、ほとんどシューゲイザーともいえる甘美な陶酔した世界が完成を迎える。
この轟音のうねりのような世界には、賞賛、感嘆を通り越して、ほとんど惚れ惚れとモノの美しい音響空間の中に惹きつけられていき、アウトロにかけての美しいギターのフレーズの余韻とあいまって、音楽がすっかり鳴り止んでも、その独特な魅力にしばらく浸りきるよりほかなくなることでしょう。
日本からはるばる異国に渡った四人の侍、MONOは、アメリカという土地において、日本人にしかつむぎえない甘美な世界観を、「ポストロック」という形で見事に完成させたパイオニア的な存在と言えるでしょう。
その音楽性、他のアメリカのバンドの持ちえない独特な純和風の「MONO節」という、どことなくものがなしい哀感によって、異国の地の多くのファンの心をしっかりと掴んだ。そして、彼等の魅力というのは、アメリカ国内にどどまらず、世界中のロック愛好家の多くの人々まで評判はひろがりを見せ、いまだ多くの心を惹きつけてやまないようです。