アンビエントピアノの美しい調べ Peter Broderick 「Grunewald」

Peter Broderick 「Grunewald」



ピーター・ブロデリックは、かのニルス・フラームとも以前から深交があり、ポスト・クラシカル界隈では有名な音楽家といえます。只、この人は多趣味なアーティストであって、アンビエント、クラシカルという狭いジャンルにとどまらず、歌物みたいな楽曲も積極的にチャレンジしており、広範な音楽的背景を伺わせるミュージシャンです。

「Grunewald」は、2016年、Erased Tape Recordからのリリースとなります。古風な尖塔屋根を写した森の中の教会のモノクロ写真ジャケットがとても良い味を出しています。 

 

 

 

ピーター・ブロデリックは、デビュー当時から一貫して、他のポスト・クラシカル、あるいはアンビエント界隈のアーティストに比べると、清涼感のある爽やかな音を奏でています。それほど技巧的に凝ったことをやっているわけでもないのに、彼の音楽には異様な説得力が込められています。

このEPから、いよいよピーター・ブロデリックは超一流アーティストとして円熟味のある風格を見せ始めたといえるでしょう。

サウンドプロダクション面でも、音の余韻を極限まで引き伸ばして、まるで教会の石壁のなかで響くような高く広い音響、アンビエンスを感じさせます。また、歌声というのも、まるで、そういった広く大きなスペースで響いているように聞こえ、これが作品全体に爽快味のある雰囲気を形作っています。 おそらく、再生力の高いオーディオなどを介して聴くと、石壁に囲まれた高い天井の下で、彼の麗しいピアノの演奏や歌声を聴くかのような不思議な印象をうけるでしょう。

ティム・ヘッカーが「Ravedeath1972」という作品において打ち出した、ピアノの弦のメタリックな音を最大限に生かした革新的で前衛的なサウンドプロダクションは、耳の肥えたリスナーたちに大きな驚愕を以って迎え入れられ、後のアンビエント・ミュージックにもかなりの影響を与えたでしょうが、たしかに、このピーター・ブロデリックも同じような音の指向性を持ちながら、一方では、またティム・ヘッカーとは異なるアプローチを選んで独自の音を追求してきたアーティストです。

彼の紡ぎ出す音というのは、シンプルで洗練されており、また、非常に性質が落ち着いていて、刺激性に乏しいように聞こえますが、しかし、それでも何か雲ひとつない青空を見上げたときにおぼえざるをえないような興趣にとんでいます。

およそ、都会の喧騒と対極にある大自然の中で、美しい天蓋を眺め、清々しい大気を胸いっぱいに吸い込んでみたときの清涼感のようなものが彼の音楽には感じられます。

こういった安らぐ音楽というのは、ヒーリングミュージックにも似た面がありますが、ピーター・ブロデリックの音楽というのは、構成の単純さの内側に巧緻な作曲技法が滲み出ているので、その中にも何かふと考えさせられるような深みも含まれています。

 

 

  • 「Goodnight」

穏やかな伴奏が繰り返され、その上に美しいボーカルが乗ってくるというアンビエントにしては、少し珍しいとも言える形式によって構成されています。そこには、夾雑物は何もなくて、ただひたすら単純でいながら、清々しい音に満ちています。まるで清冽な水のようにそれらの旋律が流れていき、聞き手は音のむこうがわにひろがる心安まるような美しい情景に身を委ねさえすれば、どのような喧騒も次第に遠ざかり、自分の中にある静寂を取り戻すことができます。

 「Low Light」

一転して、ベートーヴェンもしくは、シューベルトをおもわせる古典ロマン派風の短調の楽曲。また、どことなくではありますが、Ketil Bjornstadの名作「River」を彷彿とさせるような哀愁のある楽曲で、途中の長調への移調という手法も、非常に洗練されていて、少なからず、こういった古典音楽にも親和性があるのが感じられます。

  • 「Violin Solo No.1」

弦楽器の技法トリルを前面に押し出した楽曲、 また、Paul Gigerのようなエキゾチックな風味も感じられます。途中の現代音楽的なアプローチ、バイオリンの早いパッセージがこのEPの中で間奏曲のような役割を果たしていて、全体の雰囲気の中に良い緩急をもたらしています。

  • 「It's  a Storm When I Sleep」

連続的な分散和音のトリルを、堅固な土台の建築のように反復して積み上げていくことによって、奥行きの感じられる音の独特な響きを作り上げています。それは、ただの無機質な音の塊でなく、音の全体がみずみずしく生きているかのような印象があります。サウンド処理によって、しっかりと音のゆらめきというか、空気を振動させて音が発生するという原理が魅力的に表現されています。

  •  「Eye Closed And  Traveling]」

 この曲は、音楽史に残ってもおかしくない、アンビエントのひとつの到達点といっても差し支えない名曲。それというのは、旋律がどうとか、技巧がどうとか、分析的なところから離れたところに、この曲の魅力があるからです。何もむつかしい説明はいらなくて、ただ、静かに目を閉じ、その音の中のある世界を見ると、そこには最も美しい情景が映るはず。そして、その情景こそ唯一の嘘偽りのないものであるということを、この素晴らしい楽曲は教えてくれるでしょう。