Tortoise 「TNT」
そう、ロック音楽というのもまったく同じで、若い頃には、刺激的なもの、こってりしたもの、ノイジーなものをむさぼるように求め、徐々に興味がマニアック、コアになっていきます。しかしながら、不思議なことに、その刺激性を求める嗜好性が極点に達したとたん、そういうものに全く興味がわかなくなり、いつしかそれとは真逆の音楽性、静かな、自然で、落ち着いた音楽を求めるようになります。
いわば音楽嗜好の分岐点。ある人は、そこで、ジャズに向かうかもしれませんし、クラシックに向かうかもしれませんし、また、ある人は、クラブミュージックに向かう人もいるかと思われます。こと私の場合は全方向にがむしゃらに進みつづけております。
さて、このトータスという「ガスター・デル・ソル」のメンバー、ジョン・マッケンタイアの中心とするプロジェクトは、そういったノイジーな音楽に飽きてしまった人にとって、ぴったりな大人向けの音楽を奏でています。
彼等の特徴というのは、上記に挙げたジャンルをすべて通過した後に、それら全部の影響を咀嚼して生み出された独特な風味のある音楽といえます。シカゴという土地で、ロック、ブルーズ、ジャズ、ハウス、そしてとりわけ「I Set My Face to the Hillside」に代表されるようなスパニッシュ、もしくはジプシー性の感じられる異質な民族音楽、このアルバムに収録されている全ての楽曲というのは、多種多様な人種の音楽を通過したのちにしか絶対に生まれでない渋みある音といえます。
おそらくトータスのメンバーは、シカゴという土地で暮らす上で、生活の中に当たり前のように鳴っている音楽を最大限に楽曲に活かしています。おそらく、アメリカの街角では、他の土地よりもはるかにこういった多人種の奏でる音楽が手の届くところで聞けるのでしょう。日本人にとっては、驚くべき音のように聞こえますが、実は、トータスにとっては街にある当たり前の音楽、それが生かされているだけであり、彼等にとっては何ひとつも驚異でなかろうと思われます。しかし、世界的には、彼等の音楽というのは、驚異であるかのように聴こえるのも興味深いところです。
トータスは、その五人編成という音の厚みを出す上で恵まれた構成で、白人と黒人が一緒に混在しているバンドという面では、ビースティ・ボーイズのような印象がありますが、彼等ほどには尖ってはおらず、落ち着いた音楽を提供してくれています。ビースティ・ボーイズもですが、こういった白人と黒人が混在しているバンドは、面白いエッセンスが出てくる場合が多いです。
ラップトップの上にレコーディングシステムを構築し、複雑なサウンド・エフェクトを最大限に活用しているのが、このアルバム。追記として、大阪、枚方市出身のエレクトロニカ・アーティスト、竹村延和が最後の主題曲「TNT」でリミックスを手掛けているところが興味深いところです。
しかもこれは、最終盤のリバーブエフェクトの広がり方がほとんど鳥肌ものであり、またホーンを使った渋いミニマル性の強い楽曲。これはエレクトロニカ界の屈指の名曲と断言します。
このトータスというバンドは、シカゴ音響派、もしくは、ポストロックという文脈上で語られることが多く、自分たちの作りたい音をとことんまで追求していった結果、こういった多彩なジャンルを通過した音楽性に至ったといえます。
もちろん、多重録音の要素もあるでしょうが、このアルバムについては、相当な数のセッションを重ねた末にレコーディングされたものと思われます。しかし、それは苦虫を噛み潰したような顔をして生み出されたのでなく、メンバーがスタジオに籠もってたのしく音遊びをしているうちに自然と完成した感じがあって、それが彼等の音楽にそれほど気難しい印象をうけない理由でしょう。
同郷シカゴのバンド、Sea And Cakeのジャム・セッション感の強い音楽と同じく、彼等の音の出の風通しが良いため、全然、身構えず、くつろいだ気分で聴きとおすことができるはず。しかし、それは彼等の楽曲が弛緩した印象を放っているわけではなくて、時には、抜けさがないストイックさも随所に見られます。シー・アンド・ケイクに比べると、ジャズ・フュージョンふうの玄人好みの音であり、その中にも、ガスター・デル・ソルの放つようなアヴァンギャルドめいた緊張感や緊迫感がある。これが実は、トータスというバンドの魅力で、掴みやすいところがありながらマニア向けでもあるという、矛盾めいた両極端の要素を持った音を奏でています。
その理由は、彼等が楽曲の細部を御座なりにせず、楽曲の小節の切れ目に至るまで細かに配慮し、絶妙な間を図ったかのように音を出す、いうなれば、これしかないという完璧なアンサンブルを奏でているから。
このアルバムのすべての楽曲には、これまで浸透していたレコーディング技術を遥か上を行くような高度な洗練されたリミックスが施されている点から、アビッドテクノロジー社の提供する「Pro Tools」、もしくはアップル社の提供する「Logic Studio」のようなDAW(digital audio worksystem)が一般的に浸透しはじめた時代のテクノロジーの恩恵を大いにうけた音楽といえます。
十数年前、最初にこのアルバムを聴いて驚かされたのは、「The Suspension Bridge at Iguaz Falls」や「Four Day Interval」の二曲に代表される、マレットの独特なかわいらしい音色でした。
それがすでにノイジーなロック音楽ばかり聞くことに嫌気が差しはじめていて、何か静かな音楽はないかないかと探しまわっているところに、トータスの音楽、とりわけ、このマレット・シンセの独特のゆらめきある音が、耳にスッと飛び込んできて、言いしれない安らぎのようなものを感じました。ロックという音楽を、相当数聴いてきたつもりでいて、それで全部が全部の音楽を知ったように思っていたため、そのマレットの音に打ちのめされ、腰が抜けそうなくらい驚かされました。今ですら、マレットというのは、アメリカン・フットボールあたりのエモコアバンドが当たり前のように使用しているので、それほど斬新ではないように思えますが、やはり、そういったバンドを知らなかった時代において、木琴楽器のロック音楽の中での使用に対して、相当な驚きをおぼえざるをえなかったです。
およそ1990年代半ばくらいまでのロック音楽を通し聴いてきた印象といえば、ギター、ベース、ドラム、シンセサイザーが加わるくらいの編成が主流であったはずで、そういう音楽しかロックではないのだと偏った考えを持っていたため、こういった全くアナログ感のある木琴楽器、クラシック、ジャズ、ブラック・ミュージック界隈でしか使われないはずの楽器を、柔軟な発想で取り入れ、さらにそれを楽曲の中で、主体的に使用するというのは目からうろこでした。
同じ頃、シガー・ロス、ムームをはじめとする、アイスランドのレイキャビクでもポストロックのジャンルが生まれ出る動きがありましたが、こういった今まで使われなかった楽器を編成の中に積極的に取り入れていく手法というのは、次世代のロック音楽に、革新的なニュアンスの息吹をもたらしたことだけは間違いないでしょう。
そして、シカゴ音響派の二大巨頭、トータス、ガスター・デル・ソルの台頭がその後のミュージックシーンに与えた影響は計り知れないものがあったであろうし、二〇〇〇年代に向けてのアメリカのロック・ミュージックにとって重要な転換期に当たったのではないかと思われます。
このアルバムで、全ての楽曲の主体的な印象を形作っているのが、マレット、そしてもうひとつが、アナログシンセサイザーです。
今や、デジタル・シンセが主流となった時代の音楽に、旧時代の電子音楽、たとえば、古くはクラフトヴェルク辺りがアウトバーンなどにおいて鳴らしていたアナログシンセの「ギュゥイーン」というアナログ信号でしか出し得ないニュアンスの音が、むしろどことなく新らしく感じられるよう。
また、ドラムのジョン・マッケンタイアのシーケンサーを巧みな使用、またあるいは、プロツールズのWAVE(およそ今日のマスタリング、録音した音楽を完成品としてパッケージする際に多くのプロミュージシャンによって使用されている)のようなソフトウェアを介しての複雑なサウンド・エフェクトのほどこされたドラム、またはドラムという楽器の生の響き、その音の魅力を重視した上で、クラブミュージック的なサウンド加工を施し、アナログではなくデジタルなニュアンスを与えています。
その意図というのは、これまでブレイクビーツ界隈のアーティストの独占権であったはずの打楽器的な音響効果をロックミュージックにいる人々にも、こういう手法があるのだというように告知し、ロックという手狭な表現方法に行き詰まりを感じていたアーティストたちを解放してみせた功績というのはあまりにも大きなものだったはず。
そして、その革新性がこのアルバムに独自なエキスを与えて、トータスの音楽性の印象を形作り、とても聞きやすくもある一方で、玄人と自負するリスナーの耳にも、これはなかなか手ごわい、侮れないと思わせた要因といえるでしょう。
そしてまた、「Almost Always Is Nearly Enough」での、ボーカルサンプリングのリズム的な使用法、その上に乗ってくるキレキレのブレイクビーツのクールさというのも、リリースしてから二十年も年月が経っているというのに、これは今でもアヴァンギャルドとしかいいようがなく、その後のロックミュージックに新たな息吹を吹き込んでみせたことは間違いなかろうと思います。
この「TNT」には、無数のジャンルの音楽性が良いとこ取りで詰め込まれていて、長く聞くに耐えるほどの、渋みを持ち合わせた良質なアルバムであることだけは疑いなしです。そして、ここには、のちのポスト・ロックだけにとどまらず、エレクトロニカ、インディーロックといったさまざまなジャンルの萌芽が見られ、それらの要素が洗練された形で、スタイリッシュに昇華されています。
つまり、トータスというロック・バンドは、このデジタル的な性質の強い音楽を、あくまでアナログの表情を前面に突き出して、それを独自のインストゥルメンタル楽曲にしたのが主だった特色。
そして、それこそが、彼等の音楽の独特な性質を形作り、空のCDケースの表に黒いマジックで手書きしたかのような可愛らしいジャケットデザイン。そのキュートな印象とも相まって、「これぞ!」もしくは、「あんた達、ほんと良くやった!!」と、トータスのメンバーの肩を叩いて労いたくなるような、通好みには実にたまらない嗜好性が満載のアルバムが完成するに至ったといえるでしょう。