日本ポストクラシカルの旗手 Akira Kosemura 「In The Dark Woods」

小瀬村晶 In the Dark Woods

 


ここ日本で、海外勢にもひけをとらない素晴らしいポスト・クラシカルの音楽家が良質な音を追求しつづけてくれています。

 
このシーンの一角を担うのが”Scole”というインディーレーベルであり、エレクトロニカをはじめ多くの名盤をリリースしつづけています。
 
そして、日本のポスト・クラシカル界隈を語る上では、Scoleレーベルオーナー、小瀬村晶氏を紹介せずに済ましておくことは無粋になるでしょう。

彼は、芸術家としての表情と実業家としての表情を併せ持ち、”Akira Kosemura”名義の数々の素晴らしいリリース作品とともに、”Haruka Nakamura”(Nujabesとのコラボでよく知られる)という先鋭的なアーティストをはじめとして、当時、無名であったフランスのアーティスト、クエンティン・サージャックを自身の主宰するScoleにスカウト、サージャックの知名度をワールドワイドにしました。
 
アーティストとしての自身の作品の発信する傍ら、レーベルでのさまざまな優秀なアーティストを発掘し、国内外にむけてグローバルに紹介している、こういった2つの大きな功績が認められます。

実は、私自身、十数年前、小瀬村晶さんの主催するイベントに足を運んだことがありました。
 
その日は、日本人アコースティックギタリストの”Paniyolo”と、このフランスからのアーティスト、クエンティン・サージャックが出演していました。一階席には、木の椅子がおそらく十数席くらい置かれ、ロフトとでもいうべきか、オルガンがある木製の手すり付きの中二階席にも、いくつかアンティーク風の木椅子が設えられていて、そこに腰をおろし、演奏に静かに耳を傾ける形式で行われたコンサートでした。
 
ライブでは、途中、Paniyoloの演奏中、彼の使用しているエレアコの電池が切れ、それを交換したり、結構大きめの地震が起きて、演奏が中断するハプニング続出しましたが、彼は大きく取り乱すこともなく無事演奏を終えた。彼が紡ぎ出す耳にやさしい、麗しい音色、それはさほど多くはない観衆を陶然とさせ、また、我々の余震による動揺を落ち着かせてくれました。Paniyoloは、あたたかなエレアコの安らいだ音色により、目の前の不安を上手く払拭してくれました。
 
クエンティン・サージャックは、コンサート前に、ベーゼンドルファーの後ろの弦に特殊な演奏技術をほどこすため、いくつかの音階をジョン・ケージのようにプリペイドピアノとして使うため、彼自身がグランドピアノの後ろにかがみ込んで、たしか、ゴムのようなものを弦の間に挟みこんでいた記憶があります。
 
彼の音楽は、現代音楽的な要素を持っていて、あえてチューニングをずらした音階をアルペジオで奏でたりするので、きわめて難解な印象がありますが、きわめて綺羅びやかで色彩に富んだ音楽性を有しています。
 
サージャックはピアニストとしての技術的も非凡であり、アルペジオの滑らかさにとどまらず何気なく腕を交差させながら軽やかに流麗に旋律を引きこなすところでは、体系的な音楽教育をしっかり受けてきたように思われます。
 
そして、その経験からくるたしかな技法を土台とし、その上に現代音楽的、もしくはエレクトロニカ的ななエッセンスも感じられました。クエンティン・サージャックのコンサートは、正直に言って、他の出演者を圧倒するほどの存在感と、才覚の光輝を感じさせるコンサートでした。
 
そのところで、曲の間の語りの、MC(サージャックは、フランス語ではなく、流暢な英語を話していました)では、ちょっとした冗談を挟んだりして、地震の後の観客の緊張感を和らげさせるような素晴らしいサービス精神も十二分に持ち合わせていました。
 
この日のScole主催のイベントは、ロックコンサートとも、クラシックのコンサートとも異なり、五十人にも満たない観客が、すぐ目の前で奏でられる美しい音色に、シンプルな音響の中で、じっと耳を澄ましていました。
 
そこには実際にピアノや弦楽器によって紡ぎ出される音にとどまらず、私たちの目の前にいる演奏者の息遣い、ちょっとした動作の音、ピアノのハンマーの軋み、観衆の緊張した呼吸といった、空間の中に自然に流れていくすべての音が一体に合わさることにより、すべての音が音楽そのものになっていました。

 
小瀬村さんの演奏というのは、心地良い音のツボをしっかりこころえていて、調和のとれたアルペジオが左手の伴奏に乗り、それが全体の音に大きな厚みを作っていました。ベーゼンドルファーは、低音が非常によく伸びる性質があり、オーケストラのような重厚なアンサンブルを奏でているようでもありました。
 
スタインウェイの計算され尽くした綺羅びやかで整然たる音の響きとは一味異なる、ベーゼンドルファーのグランドピアノの温かみある木の音を愛でるかのように、小瀬村さんは上半身をかがめながら、鍵盤の上に指を軽やかに運びつづけていました。
 
そこには、彼の音楽に対するただならぬ愛情が表現されているという気がし、深い感銘を受けました。彼はベーゼンドルファーの低音域がスタインウェイよりはっきり出るという性質を活かし、およそピアノひとつで表現したと思えないような奥行きのある音楽を聞かせてくださいました。

 
 
このアルバム、「In The Dark Woods」に関して言えば、この頃よりも楽曲に深みが感じられ、Goldmundのように、ピアノの弦を叩くハンマーの音をエフェクトで強調していることにより、どことなくアンティークな風味の感じられる作品となっています。
 
これまでの路線を引き継いだ形で、シンセサイザーを交えたエレクトロニカ的な曲もありながら、アルバムの中核をなしているのは、やはりシンプルなピアノ曲となっています。この作品の特性ともいうべきものは、その表題どおり、何かしら深い神秘性を有していて、実に雰囲気たっぷりの佳曲が揃っている点でしょう。
 
その音楽の中にある世界は、ジャケットに描かれているような深い森の思わせるような神秘性に包まれていて、その中に足を踏み入れると、出口のない迷宮をさまようがごとき情感にみちています。
 
個人的には、このような安らぎのある音楽を求めるのは、決まって、心がざわめいたりするようなときで、漠然とした不安を感じているときでもあります。
 
心の中にある喧騒を取り払ってくれる効果があり、いうなれば癒やしが小瀬村晶の音楽には込められています。
 
何より、彼の音楽が素晴らしいと純粋に思わざるをえないのは、紡ぎ出す音楽が和やかさといういわくいいがたい情感を体現しているところでしょう。それは、専門家のむつかしい学術的言語よりも、多くの人に伝わり、また、それらの言語よりもはるかに大きな説得力を持っている。

小瀬村晶の音楽は、常に、平らかで、穏やかで、美しい。
 
 
都会の気ぜわしい生活に感覚が疲労感を覚えたときや、そして、そのコンクリートジャングルのような喧騒から少し距離をおいた場所に、小さな旅を企ててみたい、そんなふうに我々が願う時、かれの音楽がこの世にあるということに何かしら安堵、そして、頼もしさすら覚えてしまいます。