1. アイスランド、レイキャビクという土地
1990年代には、ビョーク、二〇〇〇年代から、シガー・ロス、ムーム、最近では、アミナ、オーラブル・アーノルズ、キアスモス、というように、世に傑出した現代ミュージシャンを数多く輩出しているアイスランドのレイキャビクという土地は、殆どの日本人にとってはそれほど馴染みがない土地のように思われます。
しかし、アイスランドの首都レイキャビクは、近年、上質な音楽家を数多く輩出してきており、ポストロック、エレクトロニカをはじめとするクラブ・ミュージック界隈にとどまらず、そして、一挙に現代のミュージック・シーンの覇権を取ろうかという勢いを見せている。事実、英国圏のミュージシャンに比べても遜色がない、いや、いや、それどころか、彼等の独自言語を駆使した珍しさというのが、コンテンポラリーミュージックに飽きてきた音楽愛好家にとってツボにハマったといえるでしょう。
しかし、近代までアイスランドという土地の音楽シーンというのは、度外視されてきたとはいわないまでも、近い地域でいえば、英国、スコットランド、アイルランドほどまでには華々しい脚光を浴びてこなかったのは、紛れもない事実かもしれません。
しかし、日本人としてちょっぴり不思議でならないのは、英国のように人口が多いわけでもないのに、なぜゆえ、1990年代から2000年代にかけて、非凡な音楽家を数多く輩出してきたというのか、少々掴みがたい部分のある土地のように思えます。
2, アイスランド音楽シーンの草分け
八十年代までのミュージックシーンというのは、英国のロックバンド、もしくは歌姫が主に牽引してきたわけで、その近辺ではスコットランド、グラスゴーのインディーロックバンド、ヴァセリンズ、ベル・アンド・セバスチャン、もしくは、パステルズ辺りしか世界的には脚光を浴びてこなかった印象があります。
そして、その英国圏一辺倒のシーンの壁をぶち破ってみせたのが、このビョークという華々しい歌姫でした。
彼女の歌声というのはイギリス圏、アメリカ圏にもなかなか肩を並べるような存在は見つからず、そして彼女のきわめて個性的な風貌と相まって、デビューアルバム「Debut」は天文学的な大ヒットとなります。
ビョークの独特な風貌を写したジャケット、そして、そのキャラクター性のユニークさに留まらず、彼女は、十年に一度、どことか五十年に一度出るか出ないか、ともいえるほどの実力を持つシンガーのひとりでもあります。
彼女の声質は、すべてのジャンルに通用すると言って良く、また、音程の広さというのも世界で屈指のものでしょう。そして、そこには、もうひとつスター性、カリスマ性というものが彼女の存在には宿っており、それはデヴィッド・ボウイのような華やかさがあるのが強みといえるでしょう。
また、世界的にセンセーションを巻き起こしたこのビョークのデビューアルバムというのは音楽的にも間口が広く、シンディー・ローパーの時代を彷彿とさせるディスコ風の曲もあり、ロック風味の曲もあり、そして、普通のポップソングもあり、エラ・フィッツジェラルドの再来ともいうべき独特なこぶしのきいた歌唱のしっとりしたバラード曲もありと、画期的な作品と呼べるでしょう。
このビョークという存在が世界的な認知度を高めたことにより、おそらく、それまで多くのすぐれたミュージシャンがいながら、世界的な市場からは度外視されてきたこのアイスランドのレイキャビクという土地にようやく1990年代に入って、活発な音楽シーンとして光が当てられるようになります。
3.アイスランド音楽の発展
このビョークのあと、華々しくシーンに登場したのが、シガー・ロスという存在でした。彼は90年代から活動は始めていたものの、二〇〇〇年代に入ってから、ワールドワイドな知名度を得るに至ります。彼は、いわゆるポスト・ロックの代表的ミュージシャンのひとりとして挙げられ、以前から現在にいたるまで、必ずといっていいほど、ポストロックバンドを紹介する際のディスクビュー各誌、もしくはフリーペーパーの類で、その名を挙げられる代表的な存在となりました。
また、シガー・ロスの音楽に対するアプローチは、ヨーロッパ圏の音楽性を重視したビョークよりも、はるかに顕著で個性的といえ、実験性の高いロックミュージック、そして、アイスランドという土地の民族性を背負い、音楽を演奏し、この土地の民族性を世界的に誇り高く示しているという印象を受けます。
彼は、ときに、ライブパフォーマンスにおいて、バイオリンの弓でエレクトリック・ギターを弾いてみせたり、アヴァンギャルドなアプローチを交えつつ、アイスランドの言語の風味を楽曲の中に取り入れている。
このアイスランド語というのは、英語とも、また、ドイツ語とも、あるいは、フランス語とも全然異なる、鼻にかかるような独特な響きがあって、それが非常に清々しいような印象を受けます。この北方言語の響きというのは、素朴で、混じりけのない、純粋な性質がなんとなく感じられて、新鮮味のある雰囲気が漂っています。
また、シガー・ロスの歌声というのは、現代の言語からは乖離した雰囲気が醸し出されており、もっといえば、ラテン語的な古い言語の趣きが感じられて、それが非常に上手く大衆音楽の中に融合されているところが圧巻としかいいようがなく、彼の登場というのが、行き詰まりかけていたロックミュージックに、新たな清々しい風を吹かせたことだけは確かといえるでしょう。その辺りのアイルランド語としての、美しい響きの魅力がはっきりと伝わって来る作品が「Med Sud i Eyrum Vid Spilum Endalaust」。
この作品の中に最初におさめられている「Gobbledigook」においては、美しいアイルランド語を聴くことが出来ます。
そして、ビョークが切り開いた局面を、このシガー・ロスという存在がさらに押し広げ、発展させ、また、ポストロックの最重要拠点としてのアイスランドという概念を世界的に知らしめたことによるかもしれませんが、この後、アイスランドからは素晴らしいミュージシャンが相次いで登場するようになります。
その一因として考えられるのは、二〇〇〇年代に入ってからの宅録技術の向上であり、以前のビョークのように、華々しいディーヴァとしての実力がなくとも、配信サイトなどを通じて世界的に音楽を発信できるようになった時代背景の後押しも、少なからずあったろうと思われます。
つまり、イギリスのような巨大な音楽のマーケティング市場を持たずとも、音楽活動を個人として世界にむけてごく簡単に発信できるようになったため、こういった今までスポットライトを浴びなかった地域にも、ようやく傑出した音楽家がいるのだということが世界的に知られるようになった。
もちろん、町おこしというのではないですが、こういった脚光を浴びる存在が、一人、二人と出れば、世界的に注目されるのはごく自然なことといえますし、また、その後のこのレイキャビクに住む音楽の担い手たちに大きな勇気を与えもし、彼等に音楽活動への手ほどきをしたのも事実でありましょう。
4,エレクトロニカの最盛期
そして、このシガー・ロスのポストロックというジャンルでの活躍を受け継いだような形で次に華々しく登場したのが、ムームというエレクトロニカアーティスト。
このバンドは、アンナという双子の姉妹を中心に結成され、他の地域にはまず存在し得ない幻想的な風味のある音楽を奏でることで有名です。上記のシガー・ロスの影響を受けてか、楽器の使い方の多様性も面白く、管楽器、弦楽器、グロッケンシュピール等が楽曲の中で強い印象をなし、そして、その上に、アナログシンセサイザーやシーケンサーによってグリッチというジャンルを独自に開拓してみせました。いわゆる、聴かせる電子音楽の筆頭としてあげられるでしょう。
リズム自体はすごくシンプルなんですが、よくよく聞くと、ブレイクビーツ的な手法も見られて、しっかり聴き込むと、かなり職人気質なことをやっていて、その辺りがおとぎ話っぽいかわいらしさの中に抜けさがない気骨ある哲学的精神が感じられます。もちろん、ビョークも同じですが、こういった一見したところ表向きにはキャッチーな性質がありながら、奥深くに高度な音楽が展開され、長い作曲の時間を要して作り込まれているのが、このアイスランドのレイキャビクの音楽家の共通点でしょう。そこには、深い部分では、哲学的な音のアプローチすら垣間見えるはず。
とくに、この他の英国のクラブミュージック界隈の音楽家とは異なり、フロアで大音量で鳴らされる音楽ではなく、家の中で静かに耳を傾けるタイプの音楽といえるでしょう。音の作り込みが巧緻で、内省的な響きがあります。彼女たちは、独特なかわいらしい雰囲気を音楽上で表現し、未だなお世界中で多くのコアなファンを獲得しつづけています。また、それまでポピュラー音楽界隈で使用が遠ざけられていたような楽器を積極的に楽曲の中に取り入れているのが特色でしょう。
このムームの音楽性は、いまだにプリズムのような澄明な輝きを放っており、物語性のあるサウンドスケープによって麗しく彩られています。なぜかはわかりませんが、ムームの楽曲を再生すると、中世ヨーロッパの世界にやさしく手を取っていざなわれていくような摩訶不思議な感覚に満ちあふれています。
また、単なる消費音楽に堕することがないのは、ムームの音楽の中に流れている文学性、抒情詩のような性質があるからでしょう、トールキンの指輪物語に紡がれているようなキャラクター性をエレクトロニカという音楽性で見事に昇華してみせたのが、このムームというバンドの際立った特徴といえるでしょう。
上記の、ビョーク、シガー・ロスの二人が開拓してみせた音楽性の荒野を、このムームというエレクトロニカアーティストが確立し、レイキャビクという土地の音楽性を決定づけた立役者といえるでしょう。
このムームというエレクトロニカバンドが世界的に有名になった後に、アミナというグループがシーンに登場したのは偶然ではなく必然でした。このアミナはムームと比べると、電子音楽グループというよりかは室内楽グループに近く、クラシック色が強く、うるわしい弦楽器のハーモニーを聞かせることで有名です。
5.アイスランド、今一つの音楽の開拓
エレクトロニカとは別の音楽性でこのアイスランド、レイキャビクという土地を賑わせたのが、キアスモスのメンバーとして有名なオーラヴル・アルナルズ、そして、もうひとり、ヨハン・ヨハンソンという音楽家でした。
彼等二人というのは、 ピアノ音楽によって、この世を救うためにやってきた英雄に違いありません。すでに剣をとって世を救う武勇などは過去のものとなり、今日においては、音楽によって世を救う英雄たちが多くを占めています。もちろん、これは、ちょっとした誇張を含んだ脚色であるのだとしても、彼等は、この小さな港町レイキャビクをついに二十一世紀の音楽の最重要地足らしめたことだけはたしかでしょう。
ヨハン・ヨハンソンの方は、映画の劇伴音楽らしい壮大な世界観を有しており、品の良い音楽性で美しい大自然を思わせるような楽曲を奏でています。
まさに、彼の音楽というのは、ただ単に美麗としか形容しようがなく、映画のワンシーンに使われるのにうってつけの音楽性で、シーンのストーリ性を深遠なものとし、映像風景をサウンドスケープという概念で麗しく彩り、シーンの価値を高める特質に満ちあふれています。きわめてシンプルな演奏でありながら、癖のない音楽性なので、人を選ばず、万人受けするソロ作品で、ギリシアの作曲家、エレニ・カラインドルーのような壮大でら抒情性のある音楽性を有しています。
もうひとりのレイキャビクを代表するアーティスト、オーラヴル・アルナルズの方も忘れてはなりません。
彼は非常に多彩な才能をもつ音楽家であり、ドイツのニルス・フラームとともに、ポスト・クラシカル派を牽引する音楽家の一人です。
クラブミュージックの指向性の強いキアスモスというユニットとして活動する傍ら、古典的な鍵盤奏者としても活躍しています。上記のヨハン・ヨハンソンの壮大な音楽性とは対照的に 、内省的かつ哲学的なピアノ楽曲をこれまで数多くリリースしており、三十代という若い年代ながら、既に長いキャリアを経てきており、これまで多くの美しいピアノ音楽を世界に向けて提供しつづけています。
昨年、コロナ禍のプレッシャーに押しつぶされることなくリリースされたスタジオアルバム、Some Kind Of Piece収録の「We Contain Multitudes」は、オーラヴル・アルナルズが新たな境地を切り開いてみせた世に稀な名曲といえましょう。このレイキャビクの美しい青い海のサウンドスケープを眼前に浮かび上がらせる、清涼感のある穏やかな楽曲を生み出しました。まさにこの楽曲というのは誇張なしに、涙腺を刺激するような輝かしいうるわしさに満ちあふれています。このリリースを見ても、オーラヴル・アルナルズは、これからが楽しみな音楽家のひとりであり、おそらく、ポスト・クラシカル派にとどまらず、現代音楽シーンを担うような偉大な音楽家としての階段を、今一歩ずつ着実にのぼりつづけているというのは疑いがありません。
また、先述した通り、オーラヴル・アルナルズは、同郷のヤヌス・ラスムッセンとともにクラブミュージックユニット、キアスモスとしても、ダンスフロアを沸かせています。このキアスモスも、彼のソロプロジェクトにも引けをとらない素晴らしい音楽ユニットで、彼等二人のクールで、パワフル、なおかつ、クリエイティヴな楽曲のダイナミックな運びというのは、世界的に見ても群を抜いており、今日のクラブミュージックの最前線にいるのがキアスモスといえそうです。ここでは、彼のソロプロジェクトでのアーティスティックな表情とは別の、繊細でいながら、それとは対照的なスポーティな側面が堪能できるはず。
6.終わりに
二十一世紀から始まったアイスランドの音楽ブームというのは、今、最骨頂を迎えているといえ、これから果たして、どのような音楽家が出てくるのか。そして、上記の音楽家たちがどういった素晴らしい音楽を生み出してくれるのか、非常に楽しみでなりません。
どのような音楽シーンも先駆者があり、そして、それに列なる音楽家がいて、そして、明日のシーンを形成する未来の表現者がいる。
およそ信じがたいのは、レイキャビクという土地はさほど大都市といえないのに、これほど優れた音楽家が数多くいる。
これは、先史の音楽家たちが音楽が発展する素地というのを表側の音楽シーンには見えない形で作り上げてきたからこそでしょう。
おそらく、ビョークが有名になる以前にも、陽のあたらないシーンで、良質な音楽を紡ぎ続けていた優れた存在が数多くいたはず。
それを見事にビョークという存在が全世界に向け、このレイキャビクという土地の存在を知らしめた。彼女がスターダムにのぼり詰めたのは、先史の音楽家からめんめんと引き継がれた音楽を大切に育みつづけてきたからこそなのです。アイスランドの音楽は、先人から引き継がれてきたバトンが次の世代に渡され続けている。
そういった意味において、
ローマは一日にして成らず、でなく、”レイキャビクの音楽は1日にして鳴らず”そんな表現がふさわしいかもしれません。
上記のミュージシャンが開拓した荒野を、後発のミュージシャンが長い年月をかけてじっくりと耕していき、そして、未来の音楽家たちが結実させた。そう、これこそ、素晴らしい音楽史というもの、また、線上に連なった人類の輝かしいカルチャーと呼ばれるものであり、まさにそれが今、如実に、ひしひしと感じられるのが、レイキャビクという町の音楽の特色だといえるでしょう。
このアイスランドに引き継がれてきた固有の美しい言語、そして、固有の音楽、こういった類の文化習慣は、後世に語り継がれるべき伝説のひとつであらねばならない、個人的にはそんなふうに思っています。