大バッハの叙情性 J.S.Bach Das Wohltenperierte Klavier Till Fellner

J.S.Bach Das Woltentenperirte Klavier Till Fellner

 

バッハの平均律クラヴィーアといえば、やはり、音楽史的にはグレン・グールドが最も有名で、彼の落ち着きのある演奏も捨てがたいといえます。それに次いで、現代で言えば、ハンガリー三羽烏の一人、アンドラーシュ・シフがバッハの平均律の傑出した弾き手として世に知られているかと思われます。

今回、御紹介する名盤は、バッハの平均律クラヴィーアⅠのみを収めた二枚組。

ライナーノーツによれば、2002年、オーストリアのウイーン「Jugendstilltheater」の9月のティル・フェルナーの公演において録音された音源をCD化した作品です。 

 

 

 

 この名盤は、聴きやすさという面ではかなり抜きん出ており、平均律を飽きるほど聴いてきて飽きてしまった、という愛好家にも、新たな発見を生み出す作品となっています。

当該作品は、プロデューサーとして、ドイツの名門ECMレーベルオーナーのマンフレッド・アイヒャーが自らサウンドプロダクションを手掛けている事実からも、リリース側としても一方ならぬ期待が込められているのが伺えます。

そして、このアルバムでは、録音マイクの指向性というのを誰よりも熟知しているマンフレッド・アイヒャーらしい音作りがなされており、”音の透明感、クリアで精妙な質感を極限まで引き出す”という、彼のサウンドプロダクション面での顕著な特徴がバッハの傑作とティル・フェルナーの演奏に素晴らしい相乗効果をもたらしています。

 特にこの作品を通して聴くと、目から鱗というべきなのは、実は、一見、崇高すぎて近寄りがたく、難解な印象のあるバッハの平均律クラヴィーアというのが、実は、情感に富んでいて、ときに涙を誘うようなエモーションが、対旋律とフーガ形式という大バッハの作曲技法の集大成の中に込められている。その特徴がこの現代演奏家、ティル・フェルナーの流麗な演奏によって、見事に引き出されている所でしょう。

ドイツ・ロマン派を得意とするオーストリアの気鋭ピアニスト、ティル・フェルナーの特徴というのは、師のアルフレッド・ブレンデルと同じように、原典版の楽譜に忠実に演奏され、現代の人々にも聞きやすいように洗練されたテクニックによって、あざやかに演奏がなされている点。

そして、このECM NEW SERIESの盤を聴いてよく分かるのは、実は平均律クラヴィーアというのは、只の作曲のために作られた作曲集、もしくは、練習練度を挙げるための練習曲のような曲集ではなくて、聴かせるための楽曲集なのだということでしょう。

前奏曲とフーガ形式の中で展開されていく主旋律だけでなく、対旋律にも美しくたおやかな響きがあり、また、それらの複数の旋律が絶妙としかいいようのない形でピタっと合わさることにより、ピアノという楽器のオーケストラレーションといっても過言でない壮大なハーモニクスを形作っています。

あらためて、ピアノ・フォルテという楽器が、オーケストラで使用される楽器の音階を網羅している意味というのが、この平均律の盤を聴くと理解できる。

 

もちろん、中には、実際に弾いてみないと理解しがたい曲もありながら、その中にも非常に初心者にも優しく手ほどきをしていくれるような掴みやすい楽曲もあり、聴く曲としても聴きごたえがあり、また、時には、泣けるというような美しい情感もその曲中に持ち合わせているのがよく分かります。

実は、後のロマン派のいわゆる「泣ける」という楽曲を多く世に残したフレドリック・ショパン、フランツ・リストにも全く引けをとらない、いや、どころか、彼らを超えるような上質な叙情性が平均律クラヴィーアには宿っているのを、彼の演奏によってはっきり気がつくはず。

つまり、そのあたりに感じられる、現代的なピアニストとしての演奏上の解釈を交え、これまであまり重視されてこなかった側面、”バッハの叙情性”、そして、掴みやすさという面にあらためて光を投げかけたのが、この演奏家ティル・フェルナーの画期的なところ、素晴らしいところだったでしょうか。

音を一つ一つ入念に確認し、バッハの意図を汲み取って、それを丹念に再現しようとつとめるグレン・グールドとはきわめて対照的に、ティル・フェルナーという演奏家は、現代の人々の耳に、どういうふうに聴こえるのかを重視し、それをたおやかな運指、きわめて繊細なタッチにより、平均律クラヴィーアをこれまでにはないほど、華麗に、優雅に弾きこなしているように思えます。

その辺りは、ディスク1の十四曲目「Fugue in E flat major BMV 852」。ディスク2の十曲目「Prelude in A Flat majar BMV 862」。十一曲目「Fugue in A Flat Major BMV862」を聴いて見ればお分かりいただけるはず。

いわゆる、バッハの平均律が、高級で上質な情感にとんだ深い情感に満ち溢れ、ときにその音の余韻というものが、涙腺を刺激するほどの美しさに富んでいることがこのアルバムによって理解できるかと思います。