gellers 「gellers」

 

gellers 

 

 

gellersは、現在、ソロ活動として大活躍中のトクマルシューゴさんが、学生時代の同級生と組んだオルタナ/ローファイインディーロックバンドです。一時期、”どついたるねん”と企画を組んでいましたが、シングル「Cumparsita」リリース後、2018年から活動を休止中のようです。この辺りは、トクマルシューゴさんの仕事の忙しさとも関係している部分も少なからずあるかもしれません。

 

 

トクマルシューゴさんの名盤については、そのうちに、あらためて取り上げていくつもりですが、トクマルさんの簡単なバイオグラフィーを記しておくと、彼のデビューアルバム「NIGHT PIECES」2004は、当初、米国のインディーズレコード会社からリリースされ、現地の音楽メディアに称賛されたという面で、デビュー時から、天才性を遺憾なく発揮しつづけている。その後、活動拠点を日本に置きつつ、サポートメンバーを交え、バンド活動を行ってきており、TONOFONというインディーレーベルから作品のリリースを継続しています。このレーベルには、”王舟”という様々な個性的な楽器を演奏する良いバンドがいることも追記しておきたい。

 

 

トクマルシューゴさんは、本来、楽器ではない玩具を、楽器としてインプロヴァイゼーション風に自身の作品の中に取り入れ、Electronicaから派生したToytoronicaを日本で最初に導入したアーティスト。もちろん、ジャンルの括りを差し引いても、音楽においての独創性、クリエイティヴィティにおいて抜群のJポップ・アーティストという事実には変わりないでしょう。

 

 

このGellersは、先にも述べたとおり、メンバー全員が幼馴染で結成され、トクマルシューゴとしてのソロ活動のポピュラー音楽性とは対極にある雰囲気を持ったバンドと言えるでしょう。

 

 

ギター、ベース、ドラムの基本編成に加えて、アート・リンゼイやD.N.Aの実在した「NO NEW YORK」の時代にタイムスリップしたような、耳をつんざくような激烈ノイズを追求するキーボードをバンドサウンドの主な表情づけとし、また、時には、The StoogesやThe Velvet Undergroundの時代の強いタブー性を現代に蘇らせたかのようなアクの強いロックサウンドが特徴でしょう。

 

 

近年では、音楽性が徐々に変わってきて、掴みやすいポップ性を追求したシティポップ風のノスタルジックなサウンドを、最新作「Cumparsita」においては見せています。また、最初期のメンバーで、途中で脱退したミュージシャン、”ハラ・カズトシ”がゲスト・ボーカルに参加、肩の力の抜けた良質なJーインディ・ポップを展開する場合もあって、異質なほどの音楽性の間口の広さがこのバンドには感じられます。

 

 

そして、今回、再発掘する彼等のデビュー・アルバム「Gellers」は、日本の隠れたインディー・ローファイの名盤として、日本の往年のインディーシーンの伝説的ロックバンド”裸のラリーズ”的な意味合いで、ここで取り上げおこうと思います。

 

 

どちらかというと、海外の音楽フリークの間でひそかに人気の出そうな隠れたローファイの名盤のひとつかもしれません。

 

 

 

Gellers 「Gellers」 2007

 

 

 

このジャケットがはっきりと表すように、インディーローファイ、もしくは、サイケデリックロックという音を見事に昇華させた名盤。

 

一応いっておくと、世界的にもこういう音はメルト・バナナ以外では聴いたことがない珍しさもあるかと思います。

 

 

 

 

「9 teeth picabia」のイントロでは、映画の活弁士のようなサンプリングが挿入され、そこから突如、サイケデリックノイズとも、往年のThe Sonicsのようなガレージ・ロックともつかない、まさにゲラーズ・ワールドともいえる世界観を全面展開していく。

 

 

このアルバムとしてのイントロにぶちのめされる理由というのは、やはり、ブライアン・イーノ、プロデュースのニューヨークの前衛ミュージシャンのコンピレーション・アルバム「NO NEW YORK」を初めて聞いた時のような、のけぞってしまうあの直覚的な感じだ。

 

 

耳をつんざくぐしゃっと潰れたようなノイズ、テンポ感をあえてぶち壊すことにより、ザ・レジデンツを思わせるサイケで衝動的で異質なロックを現代のローファイとして再現し、また、出来上がったものを一瞬にしてぶち壊してしまうのもかなり面白い。

 

 

一見、とんでもない滅茶苦茶をやっているようで、バンドとしての演奏は巧緻な部分もある。両極端なアンビバレントな要素を交え、それを、バンドサウンドとしてダイナミックに展開していくのが、このゲラーズです。よくわからないけど、なんだか凄い。つまり、この名盤はパンクをひとっとびに越えて、もしかすると”サイケ・コア”の領域にまで踏み込んでいるんではないでしょうか。

 

 

それはあの底なし沼に踏み込んでいくときのような危なっかしい魅力を放つかのようでもある。彼等Gellersのライブでも、お馴染みの重要なレパートリー、「Buscape」も痛快な曲で、ここでは、楽曲の持つ異質な勢いの魅力もさることながら、日本語歌詞としてのタブー性に果敢に挑戦しているのも素晴らしく、暴力的な衝動性というのが遺憾なく発揮されている。

 

 

川副さんのボーカルは、ロックバンドというよりも、パンク・ハードコアに比する激烈さといえ、凄まじいアジテーションの雰囲気を、このアルバムに収録されている楽曲にもたらしている。このアルバムリリースのあとでも、その基本的なスタンスは変わらず、今日においてタブー視される言語を臆することなく歌詞の中に込め、実際にステージ上で激しさをもって歌い上げるのは、昔ならばいざしらず、近年では、相当な勇気が必要でもあるはず。にもかかわらずなんなくやってのけているのはさすがで、これこそまさにパンク・ロック精神といえるでしょう。

 

 

そして、このバンドイメージに柔らかなニュアンスを添えているのが、トクマルシューゴさんで、「Colorad」「Locomotion」「Sugar」においては、川副さんに代わってマイクをとり、この緊張感のあるサウンドにゆるさのある、癖になるようなインディー・ポップ性を添えることに成功している。

 

 

このあたりは、やはり、トクマルさんのポップセンスの高さというものが伺え、割と多くの人に受け入れられるようなキャッチーさもある。それほど過激さはなくて、万人受けするゆる〜い感じのギターロックの楽曲としてたのしむことが出来るでしょう。

 

 

しかし、このあたりにも、トクマルさんのローファイ趣味が伺え、そこに彼のソロ活動とはまた異なる一面が味わえるといえるかもしれません。

 

 

彼の歌詞性というのもやはり、なんとなく直感的、抽象的な言葉が使われているのが特徴でしょう。そして、彼の際立ったポップセンスが、これらの楽曲をどことなく、ノスタルジックにさせ、往年の古い日本のロック、はっぴいえんどの大滝詠一のような音楽性、渋く古臭い、それでいながら懐かしみのあるサウンドに昇華させているのもお見事。

 

 

また、このバンドの実験的なサウンドを 背後からしっかり支えているのが、大久保さんのベースラインでしょう。シンプルでありながら、リズムというものの深さ、そして対旋律的なメロディーを感じさせてくれる彼の職人気質のテクニックについても、このバンドサウンドの骨組みを強固にしている。

 

 

さらに、そこに、ドラムの轟音性を重視するダイナミクスと、キーボードのノイズが加わることにより、ゲラーズらしいサウンドが、既にデビューアルバムながら完成されているといえるでしょう。これは90年代から長く活動してきたからこそのぴたりと息のあったバンドサウンドといえるでしょう。

 

 

このデビューアルバムは彼等の勢い、そして、痛快なほどのアバンギャルド性を打ち出した日本のインディー・ロックの隠れた名盤として、推薦しておきたいアルバムです。