往年の名盤を振り返る ーGeorge Harrison 「All Things Must pass」1970ー


ハリソンとビートルズ

 

ジョージ・ハリソン、ひいては、ビートルズというバンドについては、やはり、六十代より上の世代の方々の知識にはかなうべくもない。もちろん、リアルタイムで武道館のビートルズサウンドを味わった人たちのような体験者としての生々しい感想を持つわけでもないのだから、このレビューについては精確さは期待できないと一応お断りしておきたい。


 

さて、ジョージ・ハリソンは、非常に奇異なロックミュージシャンである。もとは、ビートルズのギタリストしてかのロックサウンドを強固に支えていたが、徐々に、ビートルズ内でも強烈な存在感を見せるようになっていく。その理由のひとつは、ボブ・ディランがロックミュージシャンとしての通過儀礼を、レノン、ハリスンの二人に授けたからというのもあるかもしれない。

 

 

後期のビートルズのアルバムは、名作ばかりであることは疑いを入れる余地がない。それに音楽性においても、アートの高みに達しているといえる。しかし、その一方で、バンドとしてはローリング・ストーンズとは異なり、各個人の個性が強すぎ、そして、ソロメンバーとしての才覚が有りすぎたため、バンドサウンドに対する個人の才覚の落とし所を見つけるのに苦労していたというべきか、どことなく四人が譲り合うような雰囲気も見えなくはない。この曲はマッカートニー、この曲はレノン、もしくはリンゴ、ハリスンと、楽曲の分担制ともいえるようなアルバム作りをしていたと思われる。これは、ロックバンドとして存続していくための唯一の活路であったように思える。また、もっというなら、非常にバンドとしては、ギリギリのところでサウンドが成り立っていたに違いない。その緊張感とも呼ぶべき性質が、彼等四人を芸術家としての存在たらしめている。これは、初期のライブバンドとしての地位を手放し、のちにストイックな”スタジオ・ミュージシャン”としてのロックバンドに変身したことにも起因するのかもしれない。

 

 

そして、よくいわれるように、実際、一般的にダーティーなイメージを圧倒的に持つのは、ストーンズなのだが、一方で、ビートルズという存在が、必ずしもクリーンな存在であるとは言いがたい。個人的に思うのは、ストーンズほど優等生的なバンドはいない(かもしれない)。少なくとも、でなければ、あれだけ長い期間、第一線での活動というのは出来ないはずなのだ。むしろ彼等の印象をダーティーにしているのは、取り巻きの”Hells Angels”と、そして、一時的なゴシップ的事件によるものだったと思われる。

 

 

そして、かつては、そういった一般的な人と異質なイメージというのは、ロック・ミュージシャンのスターシステムを強化するものであった。人は、自分とは違うものを彼等に見出すからこそ崇め立てたのだ。そして、ここでもうひとつ、いっておきたいのは、ストーンズ、そして、フロントマンのミック・ジャガーの人柄には、育ちの良さ、品行方正さすら滲んでいるということである。往年のライブで、これ以上はセキリティの面で、観客の安全が確保できなくなり、ライブが続行できなくなる危険に見舞われた際、ほぼ暴動化寸前となった観客にたいして、「Calm down、please!!」と紳士的にステージから気の毒そうな表情を浮かべて、観客に根気強く呼びかけている。これというのは、ミック・ジャガーという人物の本質がジェントルマンだからなのだ。

 

 

ビートルズのバンド内での音の緊迫感ともいうべきものは、徐々にであるけれども、作品中、とくに”ホワイト・アルバム”辺りの音の雰囲気にも感じられるようになる。どことなく型破りな曲も多く、そして、現代音楽に対するアプローチも見られるようになる。そのあたりから既に、それまで隠れていたハリソンやスターの才覚というのは目にみえるような形で現れ出ていくようになる。

また、ロックのマスターピースであり、何度も他のバンドにカバーされている伝説的名曲「ヘルター・スケルター」は、以前は悪魔の音楽といわれたようだが、いや、今でも当然そのように感じられるだろう。このメタルという音楽、もしくは、ハードロックのルーツといわれる楽曲に垣間見れるマッカートニー、ハリソンのボーカル、いや、シャウトの掛け合いの異様で破天荒な凄さというのはなんだろう? これは、はるかに、ローリング・ストーンズを凌ぐダーティーさというしかなく、”ザ・ステッペン・ウルフ”をも震え上がらせであろうほどのワイルドさなのだ。そしてそのワイルドさというのは、まず間違いなくのちのハリソンのソロでの音楽性の中核を成しているように感じられる。

 

 

 

Geroge harrison 「All Things Must pass」

 

 

 

 

このジョージ・ハリソンのソロ名義でのスタジオアルバム「All Things Must Pass」は、1970年のリリース当時も世界的に大ヒットしたアルバムだが、リマスター版が再発され、再評価の機運が高まっている作品といえる。リマスター版ではオリジナル曲の貴重なリハーサルテイクを聴くことができるのが特徴である。

 

 

コロナ禍でロックダウンが敷かれる中、意外にも特に英国で売上が堅調だったのが実は往年の名盤アルバムで、特に、ザーフーの「Who's Sells Out」’67がイギリスのチャートで2020年に上位に再浮上したことは記憶に新しい。

 

 

これは、慎重に言葉を選ばねばならないが、あらためて、人々の忙殺された時間の中に、往年の名盤を振り返り、じっくり耳を傾ける余裕を与えたということもできるかもしれない。そして、このジョージ・ハリスンのソロスタジオアルバムも、現代において再評価に値する名盤の一つである。

 

 

ここで、ハリソンはビートルズ時代では、実現できなかったフォーク・ロック、もしくは、ハワイアンサウンド風の要素をまじえ、その上にハリスン節ともいえる独特な世界を築き上げることになんなく成功している。そして、ここではやはり、彼の素晴らしいポップセンスが遺憾なく発揮されている。

 

 

そして、彼の真骨頂とも言える楽曲、いや、彼のキャリアでの最高傑作といっても差し支えない「My Sweet Lord」では、キリスト、クリシュナ、さらには、ハーレー・アーレーの名まで歌詞においてリフレインされる。この歴史的な楽曲において、ついにハリソンは、音楽性において、レノン、マッカートニーに肩を並べ、驚くべきことに、ある部分では彼等の先を行ったともいえるだろう。もちろん、スライド・ギターにおいて名ギタリストとして新たな境地を見出していることも付け加えておきたい。

 

 

この素晴らしい楽曲の特長としては、車のCMソング等に使用されてもおかしくないような疾走感、そして、爽やかさがあり、そこに、ビートルズ時代から想像できない清涼感のあるボーカルが際立った特長を形作っている。これは、ジョージ・ハリスンがおそらく真の意味で自分の好きな音楽性を追求しつくした結果、彼の音楽における才覚がついに遅まきながら完成したといえる。言い換えれば、ビートルズのメンバーとしてのキャラクターからの脱却という近代音楽史的にも深い意味を持つ楽曲でもある。

 

 

また、ビートルズ・ファンとしても見逃せないのが「I'd Have You Anytime」である。ここで繰り広げられる音楽性というのは、往年のマッカートニーやレノンが書きそうなどことなく甘い感じのあるポップソングで、これはおそらく、現代の耳で捉えても、懐かしさこそあるものの、不思議なほど新しさの感じられる楽曲となっている。こういった曲というのは、実は、七十年辺りにはたくさんあろうと思われるのに、これこそハリソンのダンディズムというべきものか、そういった並み居る名曲群から頭ひとつ抜きん出ているという印象すらうける。ゆったりした味わいのあるナンバーなのだ。

 

 

そして、「Isn't It A Pity」においては、レノンのソロ活動でのロックに接近しつつあるといえる。また、ここには、後に隆盛したブリット・ポップの音楽性のメロディー骨格をなす根本的な要素が見られる。同時に楽曲においては、ビートルズに回帰している様子も興味深いところだ。これまでなんとなく疎んじてきたように思えるビートルズ時代の音楽を、彼はすべてそのまま認めた結果、このような新しくもあり、懐かしくもある数奇な音楽を生み出したといえるだろう。

 

 

 

あらためて、アルバムトラックの全体を見渡してみると、聴けば聴くほど渋い味が出てくるかみごたえのある素晴らしい楽曲ばかりである。

 

 

没してなお、多大な影響を後の人々に与え続ける人が稀にいるものだ。ジョージ・ハリソンもまた、その英国のロックのカリスマたち、レノン、キース・ムーン、ボウイに続いて同じ類型にある偉人のひとりなのだろう。

 

 

以後のイギリスの音楽史に、大いなる光を投げかけつづけるジョージ・ハリスンの傑作「All Things Mast Puss」は、今でこそ再評価されるべきマスターピースの一つで、あらためて傾聴に値する歴史的な名作であると断言できる。なぜなら、ここには、伝説上の数奇なロック・ミュージシャン、ジョージ・ハリソンの”音楽に対する愛情”が神々に対して、高らかに捧げられている。