エモの名盤をピックアップ ジャンルの出発と先駆的なアーティスト

エモとは一体何を意味するか?


1.エモの語源

イリノイ州にあるアメリカン・フットボールの1stアルバムのジャケットのモチーフになった物件  2023年にレーベルとバンドが共同で購入
 

近年、”Emo”という言葉、概念は、多岐に渡るジャンルに適用されるようになってきたように思えます。90年代、00年代に入ってから、Jimmy Eat World,My Chemical Romance、The Used、Taking Back Sunday、Motion City Soundtrackと、オリジナル・エモの後にシーンに登場したバンドの活躍により、ロックのジャンルとして一般的に認知されるようになりました。以降も、ミュージック・シーンにおいて、"エモ"という音楽は、他のメタル・コアや、メロディック・パンク、ポップス/ロックに上手く溶け込んでいったような印象を受けます。


そもそも元を辿ってみれば、エモの語源は”Emothional Hardcore”に求められる。これは、すでにDIYの記事でも述べたとおり、当初、1980年代のワシントン・DCのハードコア・バンドの激烈な音楽の中に滲んでいたエモーションを、当時のアメリカの音楽評論家が端的に指摘したものであっただろうと思われます。それが、1990年代、2000年代に入り、本来の意味がどんどん押し広げられていき、欧米の若者のサブカル的な生活としてごく一部に定着、ファッション文化を明示するまでに至った。近年では、インディーズ音楽という意味の使用法だけにはとどまらないで、広い範囲でこそないものの一般的に浸透しつつある言葉のように思えます。

 

翻ってみれば、この”エモ”という言葉の叙情性の持つ意味の中には、複雑で奥深い概念が宿っているのに気付かされます。それは、数式や科学では容易に解きほぐせない人間の感情のあやとでも言うべきでしょう。もっといえば、このエモという概念は、叙情性の内側にある人の生き方や価値観に根ざした感情の類であり、——青春、切なさ、若者特有の青臭さ、往年のオリジナルパンクロックにも比する衝動性——こういった概念が込められているように思えます。


これらの”エモーション”という概念からもたらされる不可解な感覚、切なく、甘酸っぱいような感覚、内省的な感情というのが、エモという概念のはじまりで、本当の意味というべきなのです。

 


2.エモーショナル・ハードコアの始まりは?

 

エモという言葉を音楽の範囲において語る際には、まず、はじめにその音楽の始まりというのを追っていくべきです。そもそも、エモのジャンルの源流は、ワシントンDCのハードコアバンドに求められます。改めて説明させてもらいますが、Minor Threat(マイナー・スレット)の中心人物であるイアン・マッケイが主宰するワシントンDCのインディペンデントレーベル、”Discord”レーベルには、オールドスクール・ハードコアバンドのリリースが専門に行われていました。徐々にそのムーブメントは、ニューヨークやロサンゼルスにも波及し、先鋭化し、政治的になり、ときに、宗教、思想めいて、ライブ自体も暴動寸前の様相を呈してくるようになりました。しかし、これはバズホールでのバンドのライブの映像を観ると分かる通り、必ずしもバンドが意図したものではなかったようです。


この辺りの音楽の上の堅苦しさに反抗するような存在となったのが、マッケイと”Fugazi”を結成するガイ・ピチョトーでした。  ガイ・ピチョトーは、Rite of Spring、One Last Wish、といったロックバンドで中心的な役割を担い、その後、イアン・マッケイとFugaziを結成、ワシントンDCのインディー・シーンの最重要人物となる。そして、このフガジの反商業主義の活動はのちのインディーズシーンの活動形態の母体を作ったのです。自前のインディペンデント・レーベルから作品を独自にリリースし、ハンドメイドのフライヤーの広告を作製し、公園、大学の構内においてのライブ、あるいは、音楽スタジオでの数十人という少人数規模のパフォーマンスといったスタイルが、以後のエモコアバンドの活動形態の基礎を形成していくようになる。これは、例えば、U2に代表されるようなアリーナでの大規模な商業主義の公演とは異なり、世界中のインディー界隈のグループの活動形態の伝統性となって現在に引き継がれている特質です。


上記2つのハードコアバンドの音楽性の中には際立った特徴があり、ハードコア・パンクの無骨な音楽に、叙情性、激烈なエモーション性を孕んでいた。そして、後のスクリーモというジャンルのボーカルの激烈に叫ぶスタイルの萌芽も、これらのバンドの音楽性の中に見受けられる。”激情性の中にある抒情性”がエモという音楽の出発点であるとともに俗説となっています。


特に、ガイ・ピチョトーが在籍したバンド、Rite of Spring(ライツ・オブ・スプリング),One Last Wish(ワン・ラスト・ウィッシュ)は、ワシントンDCのハードコアバンド、後のエモーショナルハードコアに重要な影響を及ぼしています。特に、One Last Wishの「Loss Like A Seed」、「Three Unkind Silence」、「One Last Wish」といった楽曲には、エモーショナル・ハードコアの萌芽が垣間見えます。


このバンドの音楽性に触発を受けたMinor Threatのマッケイは、同時期、”Embrace”というハードコア・バンドを結成する。しかしエンブレイスは、セルフタイトルアルバム一作で解散しています。活動期間が短く、ほとんど幻のようなバンドであったにもかかわらず、この唯一のスタジオアルバムに収録されている「Money」は、反商業主義への嫌悪を高らかに宣言したトラックです。このあたりのロックソングも、後の"エモ"というジャンルの基礎を形作ったといえる。


また、ワシントンDCから離れ、アメリカ中西部のミネアポリスでも、エモの先駆けともいえるパンクサウンドが隆盛をきわめる。ボブ・モールドは、Husker Duとして活動し、ミネアポリスの80年代のインディーシーンをリプレイスメンツと共に牽引した。特に、インディーロックシーンに与えた影響の大きさという面で、Husker Du(ハスカー・デュ)という存在は、見過ごすことができないでしょう。


Husker Duこそ、ワシントンDC、および、LAのハードコアパンクとは異なる独特な叙情性、つまり、エモーションを擁しているバンドなのです。最初期は、ハードコアバンドとして台頭したHusker Duではあるが、徐々に、アメリカン・ロック、あるいは、AORに近い大人のロック・バンドとしての表情を見せるようになり、メロディー性を前面に出していくようになった。もちろん、ザ・リプレイスメンツもハスカー・ドゥと同じ流れにあるパンクロックバンドです。


アメリカン・ハードコアとしての最初期の音楽性から劇的な様変わりを果たし、その後、アメリカンフォークとしての音楽性を特色としていくようにると、、その後、このザ・リプレイスメンツのの中心人物、ポール・ウェスターバーグは、アメリカンインディー・フォークの名物的なミュージシャンとなる。少なくとも、このアメリカ中西部にあるミネアポリス周辺のインディーロックバンドの音楽性は、シカゴ界隈の音楽シーンとも関わりを持ちつつ、ワシントンDCとは別軸で、"エモ"の重要な土台と以後のシーンの足がかりを作り、90年代以降、カルフォルニアのオレンジカウンティを中心に発展していく"スケーター・パンク"の素地を形成しました。 

 

 

3.エモの発祥と発展

 

これまで語ってきたエモーショナル・ハードコアというのは、あくまで狭い意味でのハードコアパンクの一ジャンルとしての手狭な内在的な要素でしかなかったことは理解してもらえましたか?


ところが、1989年になって、 新たな音楽性を掲げるロックバンドが台頭する。そして”エモ”というジャンルを更に先の時代に進めていく。それがこの”エモ”というシーンを、1990年代から現在まで最前線で牽引しているマイク・キンセラ擁する、イリノイ州シカゴの"Cap 'n Jazz"というロックバンド。そして、このバンドのフロントマンは彼の兄であるティム・キンセラです。現在二人は、ソロアーティストとしても活動、そしてデュオ、LIESとしても活動しています。

 

*上の記述に誤りがありましたので訂正しておきました。ーー誤 Nate(ネイト)正 Tim(ティム)となりますーー




 

Cap 'n jazzの音楽性には、同時期にポスト・ロックを発生させた"シカゴ"という土地の風合いが深く浸透しています。Cap 'n Jazzは、このミュージカルやジャズで名高いシカゴという都市の多種多様な音楽性を孕んだバンドで、エモだけでなく、ポスト・ロック/マス・ロックを語る上でも軽視出来ません。 

 

Cap 'n Jazzの基本的な音楽性としては、メロディック・パンクの疾走感、爽やかさ、青臭さを表立った特徴とし、そこには同地のバンド Tortoise(トータス)との共通点もあり、フォーク、アバンギャルド・ジャズ、ポスト・ロックの要素も感じられる。Cap 'n Jazzがインディーシーンで後に最重要視されるようになったのはサウンドの前衛性は当然のことながら、バンドサウンドに、金管楽器を導入したからでしょう。この音楽性は、1990年前後という時期にしては時代に先んじていました。バンドの功績というのは、その後のポスト・ロックやエモ・コアの音楽性の中に、金管楽器や木琴楽器の音色を取り入れる契機を作ったことにあるでしょう。


それまでのロック・バンドの主流であったギター、ベース、ドラムという基本的な構成にくわえ、補佐的な楽器の音色を楽曲のアレンジメントに取り入れるという前衛的な要素は、意外にも、後のポスト・ロックのサウンドの特徴と共通する部分でもある。サックスやマリンバなどのジャズ楽器をロック音楽の中に積極的に取り入れたのが画期的な息吹をロックシーンに呼び込みました。


そして、この流れは2000年代に入ると、金管楽器や木琴楽器をロックサウンドに取り入れるのはそれほど珍しいことではなくなりました。あらためて、このあたりの経緯を再考してみると、エモコアとポストロックという両音楽は全然関係ないように思えて、その実、シカゴという土地の中で密接に関わり合いながら発展していったジャンルのように思えます。惜しむらくは、キャップ・ン・ジャズの活動期間が短かったことでしょう。実験的なロックバンドとしての鮮烈なイメージを与えることには成功したものの、線香花火のようにパッと一瞬にして活動を終えた名バンドの一つでした。


Cap 'n Jazzは、EPのリリースを数作、スタジオアルバムとしては、”Jade Tree”から「Analphabetapolothology」をリリースしただけで解散しています。しかし、このロックバンドは、正真正銘の実験音楽としてのロックサウンドを体現した重要なグループとして、アメリカの90年代以降のインディーズシーンを語る上で必要不可欠です。なぜなら、Cap 'n Jazzから、American Football、Promise Ring、Jane of Arcと、伝説的なバンドが分岐していったからです。。スタジオアルバム「Analphabetapolothology」に収録されている「Little League」「In The Clear」は、サウンド面での荒々しさこそあるが、エモの黎明を高らかに告げています。


  

4.オリジナル・エモの幕開け

 

ワシントンDC,イリノイ州界隈のエモーショナル・ハードコアバンドが活躍した時代を、仮に”第一次・エモブーム”と定義するなら、その新しいウェイヴは、90年代半ばになって最高潮を見せる。これは、この二地域の局地的なムーブメントーーごく一部のマニアしか着目していなかったムーブメントーーが、おおよそ数年を掛けて、アメリカ全土へ普及していきました。


90年代の早いエモのロックバンドとしては、意外にも、シカゴではなく、シアトル近辺で活躍したSunny Day Real Estateが挙げられます。Sunny Day Real Estateは、同郷、シアトルのサブ・ポップからリリースを行っている。ベーシスト、ネイト・メンデルは、Nirvanaのカート・コバーン亡き後、ドラマーのデイヴ・グロールと共にフー・ファイターズを結成、アメリカを代表するロックバンドとして活躍。2024年現在、再結成を果たし、新曲をリリースしました。


Sunny Day Real Estateのデビュー作「Diary」1994は、最も早い時代のエモの名盤として知られています。 1991年、デラウェア州に、”Jade Tree”というメロディックパンクやエモを専門とするインディペンデント・レーベルが立ち上がり、エモ・ムーブメントの地盤を着々と築き上げていくようになります。ジェイド・ツリーはKids Dynamite、LIfetimeといった良質なメロディックパンク・バンドのリリースを行いました。他方、エモを発生させたシカゴでは、Braidというバンドが、95年前後にかけて起きたエモブームに先駆けて、大きな人気を獲得していた。ブレイドは、このエモの幕開けの時代に人気があり、2000年代に来日公演を行っています。アリーナほどの規模ではないにしても、割と大きな収容人数のライブ会場で演奏するロックバンドで、アメリカン・フットボールも憧れの存在でした。


そして、このシカゴから、Cap 'n Jazzの主要メンバーが複数のバンドを結成し、この90年代のムーブメントを先導する。キャップ・ン・ジャズに在籍していたマイク・キンセラは、American Football、Owenを結成し、重要なアーティストとなります。一方、ギター・ボーカルとしてキャップ・ン・ジャズに在籍していたデイヴィー・フォン・ボーレンは、このロックバンドの解散後、The Promise Ringを結成し、一部の愛好家の間で、カルト的な人気を博しました。


今、最初のエモムーブメントをあらためて再考してみると、これは、R.E.Mをはじめとするカレッジ・ロックを発生させたアメリカらしいムーブメントといえるかもしれません。そして、エモというのは、若い世代を中心に広がっていったジャンルであることは疑いがないようです。特に、当時のイリノイの大学生に熱狂的なファンが多く、シカゴ周辺の地域の若者たちが中心となって盛り上げていったムーブメントです。


やがて、この第一次エモ・ムーブメントは、95年前後に全米各地に及び、最盛期を迎え、無数のインディー・ロックバンドが、全米各地で台頭しはじめた。この後「Bleed American」でのセールス面での大成功によって、アメリカを代表するロックバンドへと成長するJimmy Eat Worldを筆頭に、Ataris、Saves The Day、Get Up Kids、Mineral、ニューヨークのJets to Brazilまで、アメリカの西海岸、東海岸全体に渡って、エモムーブメントは徐々に広がりを見せ、音楽文化として認められるに至った。


もちろん、アメリカで最も影響力のある音楽サイトとして成長した「Pitchfolk」の台頭も、このジャンルの隆盛を背後で支えていた。それから、実際、ロックバンドとしても多くの魅力的なグループが多く登場するようになり、それは「スクリーモ」という新たな音楽ジャンルを発生させた。


この語をはじめて、どの音楽誌がいいはじめたのかは寡聞にして知らないものの、エモーショナルであり、絶叫系のボーカルを特徴とした音楽、つまり、「エモーースクリーム」という語をかけ合わせた造語が、この「スクリーモ」と呼ばれるジャンルです。


この後、二千年代のThe Used、My Chemical Romanceといったスクリーモ・ムーブメントは、音楽自体の掴みやすさ、痛快なポップ性により、商業的に成功を収め、世界的に「エモ」という語を普及させる役割を担った。2000年代半ばを過ぎると、エモは、90年代からのムーブメントの終焉を迎えたように思えます。その間、台頭したロックバンドの総数こそ、凄まじい数に上ると思われるものの、90年代半ばから00年にかけて、オリジナル世代のバンドは、Jimmy Eat World以外は、メインストリームで活躍するバンドは、それほど多くは出てこなかったような印象がある。


ところが、2010年代あたりから、エモ・ムーブメントが再燃するようになっています。エモを生んだ中西部から、続々と勢いあるエモバンドが多く出て、"Midwest emo"と称されるように、Algernon Cadwallder、Snowing、Midwest Penpals、といった”エモ・リヴァイバル”と称されるロックバンドがインディーズシーンに再度台頭し、シーンは賑わいを見せる。これらのバンドの多くが、最初期のエモコアムーブメントと同じように、スタジオライブを基本的な活動の主軸としています。

 

2020年代に入ると、このエモというジャンルのフォロワーにはインディーズバンドよりも、オーバーグラウンドのポップアーティストがその影響を公言していることが多い。例えば、イギリスのポップシーンをリードするPinkpantheressは若い時代エモであったことを明かし、このジャンルからの影響を受けたことをApple Musicのインタビュー内で明かしています。今後はアンダーグラウンドシーンにとどまらず、オーバーグラウンドのポピュラーアーティストなどにこのジャンルに触発されたミュージシャンが増加していくかもしれません。今や、エモはインディーズミュージックではなく、メジャーなジャンルとなったという見方が妥当かもしれません。





5.Original Emo Essential Disc Guide (オリジナル・エモの傑作選)

 

1.Get Up Kids 

「Something to Write Home About」 1999



 


日本でもエモ:ムーブの火付け役となったカンサス・シティのロック・バンドの代表的な作品。


デビュー作「Four Minutes Mile」での前のめりな焦燥感、そして、どことなく青春の甘酸っぱさを感じさせるバンド。元々、活動初期は荒削りなところのあるエモ・バンドだったが、徐々に洗練された渋みのある良質なアメリカン・ロックバンドに変身を果たす。


パンク・ロック寄りのアプローチという面では、「Four Minutes Mile」に軍配があがるが、完成度、洗練度、聞きやすさとしては、二作目のスタジオ・アルバム「Something to Write Home About」が最適といえる。そして、このアルバムこそゲット・アップ・キッズの日本での人気を後押しした印象がある。


この作品でゲット・アップ・キッズはアナログ・ムーグ・シンセを導入したという点で画期的な新風をロックシーンに吹き込んだ。親しみやすい楽曲が多く、エモの入門編としておすすめしたい。


ロボットの可愛らしいイラストを用いたアルバム・ジャケットもエモすぎる。そして、楽曲の面でもハズレ無しで、このアルバムの印象に違わぬ温かみのある良質なロックソングを聴ける。


ゲット・アップ・キッズの代名詞的な楽曲、「Holiday」「Red Letters day」「Valentine」。アコースティック・バラードの名曲「Out of Reach」が収録されている。

  


2.Jimmy Eat World 

「Bleed American」 2001

 


 


Jimmy Eat Worldのエモとしての名盤としては、デビュー作「Static Prevails」も捨てがたい。アルバム一曲目の「Thinking That's All」には、スクリーモというジャンルのルーツが垣間見えるような名曲である。


他にも、トラックリストを眺めているだけで、陶然とせずにはいられない曲目がずらりと並んでいる。「Clair」「World is Static」は、エモというジャンルきっての名曲である。


しかし、作品自体の知名度、ガツンとくるような掴みやすさという側面では、やはり「Bleed American」を避けて通ることはできない。


このアルバムには、ギターとして革新的な技法が見受けられる。それまで、六弦の半音下げというのはハードロックバンドでも使われていた。しかし、このBleed Americanでは、大胆にもギターの六弦のチューニングを、EからDにチューンダウンさせた”Drop D"という画期的なギターの演奏法を生み出したモンスター・アルバム。


Bleed Americanは、メロディック・パンクムーブメントを引き継いだシンガロング性の強い掴みやすさと、パワフルな爽快感がある。このあたりがジミー・イート・ワールドの最大の魅力といえるはず。


誰にでもわかりやすい形でのエモという音楽を提示したという点において、いまだこれを超えるエモコア作品は出ていないように思える。爽やかで、清々しい名曲が多く、なおかつまた、エモの叙情性と、アメリカン・ロックの力強さ、これらの対極にある要素が絶妙に噛み合った傑作と断言出来る。


ケラング誌では、アルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得し、商業的にも、アメリカのビルボード・チャートで31位にチャートインし、エモバンドとしては最も成功を収めたアルバムとして名高い。


ジミー・イート・ワールドの名、エモというジャンルを最初にワールドワイドの存在に押し上げた歴史的傑作である。 名曲「Bleed American」「A Praise Chorus」が収録されている。 

 



3.Mineral

「The Complete Collection」 2010 

 



ミネラルは、テキサス州、ヒューストンの90年代のアメリカのエモシーンの中で最重要バンドといえる。セールス的にはJimmy Eat Worldほど振るわなかったものの、不当に低い評価を受けているバンドである。


どちらかといえば、ミュージシャンズ・ミュージシャンといえ、スタジオ・アルバムは二枚、活動期間も短いが、後のスクリーモに多大な影響を及ぼしたバンドである。クリス・シンプソンは、このMineralの解散の後、The Gloria Recordを結成し、エモコアシーンを牽引していく。


このバンドは、非常に叙情性の強い美麗なメロディーを特徴としており、そしてクリス・シンプソンの線の細いヴォーカル、少し舌足らずなボーカルは、日本のビジュアル系のような雰囲気もあって、このあたりは好き嫌いが分かれるところかもしれない。


しかし、このバンドのゆったりとしたテンポから生み出される静と動の劇的な展開力、そして、ツイン・ギターの繊細なアルペジオの絡み合いは、どことなく叙情的でピクチャレスクな趣がある。


オリジナル・アルバムとしては、名曲「If I Could」が収録されている「The Power Of the Falling」1997を推薦しておきたいところですが、彼等のもう一つの伝説的な名曲「Feburary」 が収録されていません。そのため、2010年、リイシュー版として発売されたベスト盤「The Complete Collection」を入門編としてまずはじめに推薦しておきたい。


2014年にミネラルは再結成し、今後の活躍に期待したいところです。新作EP「One Day When We Are Young」収録の「Aurora」は、ミネラルの新たな代名詞といえるような作品となっている。



4.Jets To Brazil 

「Perfecting Loneliness」 2002

 


Jet To Brazilは、カルフォルニアのJawbreakerというメロディック・パンクバンドで活躍していたブレイク・シュヴァルツェンバッハがカルフォルニアからニューヨークに移住した後に結成した。


このあたりの移住の経緯、また、拠点を東海岸に移したのは、どうも、このシュヴァルツェンバッハという人物が、カルフォルニアの土地の気質に肌が合わず、ニューヨークの都会的カルチャーに近い感覚、いわば詩人的な表情を持つ繊細な感性を持つミュージシャンだったというのが通説となっている。


ブレイク・シュヴァルツェンバッハが、それ以前に在籍していたジョーブレイカーも、グレッグ・セイジ率いる”Wipers”とともに伝説的なアメリカのパンクロック・バンドといえ、聞き逃すことが出来ない。


そして、このブレイク・シュヴァルツェンバッハが新たに組んだJets To brazilは、彼の独特でエモさがより深みをましたというよあな印象を受ける。Jets To Birazilのデビューアルバム「Perfect Loneliness」2002は、どことなくエジプト民族音楽のようなエキゾチックなコード感、そして、甘く美しいメロディが随所にちりばめられている美しい作品である。ジャケットから醸し出される絵画的な印象と相まり、物語調の世界観が強固に形作られているため、「コンセプト・アルバム」として聴くこともできるかもしれない。


簡潔に言えば、「Perfect Loneliness」は、レディオ・ヘッドの名作「OK Computer」に対するアメリカのインディーミュージックからの回答ともいえるだろう。ロック音楽としての古典音楽に対する歩み寄りの気配もある。旋律、展開力ともに深い思索性が感じられる繊細かつダイナミックな名曲だ。


この楽曲の途中では、パイロットの無線のSEが取り入れられているあたりは、Sonic Youthの名作「Daydream Nation」収録の楽曲「Providense」を彷彿とさせる。また、「Lucky Charm」も、ブレイク・シュヴァルツェンバッハの生来の良質なメロディセンス伺える、落ち着いた雰囲気のある楽曲だ。Jets To Brazilは、この後、次作のアルバム「Orange Rhyming Orange」で、穏やかなフォーク・ロック色の強いアプローチを図る。こちらも併せて推薦しておきたい。

 

 


5.Sunny Day Real Estate 

「The Rising Tide」 2000

 

 


 


Sunny Day Real Estateは、エモの元祖ともいえるシアトルのロックバンドである。初期こそグランジ色の強いロックバンドの表情を見せていたが、解散前の本作ではロックバンドとしての気負いがなくなったといえる。


そして、今作「The Rising Tide」は、サニー・デイ・リアル・エステートとして、有終の美を飾るような傑作となっている。大胆にピアノ、ストリングスを実験的に取り入れたり、また、街頭をゆくハイヒールのSEを積極的にイントロに取り入れていたりするあたりは、映画のサウンドトラックのようなアプローチを図ったものと思われる。


このバンドの中心的な存在、ギターボーカルのジェレミー・エニグクは、本作において、美しい自分の甘美な歌声を見出し、それを気負いなく前面に押し出すようになった。


「The Ocean」「The Rain Song」は、エモという狭い枠組みを取り払い、フォーク、ポップ音楽として楽曲の真価が見いだされる。これらの楽曲は、往年のレッド・ツェッペリンの名曲「Rain Songs」を彷彿とさせるな甘美な世界観を持った堂々たる作品である。


また、前述したように、サニー・デイ・リアル・エステートの解散後、ベーシストのネイト・メンデルは、デイヴ・グロールと共にフー・ファイターズを結成し、一躍、米国を代表するロックミュージシャンとなる。2024年現在、再結成を果たし、ツアーを再開、新曲もリリースしました。

 


 

6.Promise Ring 

「Nothing Feels Good」1997 (後にリマスター盤も発売)

 



Promise Ringは、Cap ’n jazzの解散後、このバンドのメンバーであるデイビー・フォン・ボーレンが結成したバンドで、デラウエア州のレーベル”Jade Tree”を代表するロックバンドである。


1stアルバム「30 Degree Everywhere」では、キャップ・ン・ジャズ直系の疾走感のある楽曲、またそれとは対象的な落ち着いた感じのポップソングが交錯していた。ごく一部のファンからはかなり熱烈な支持を受けていたが、一般的な作品とは言い難かった。


しかし、アルバム二作目となる「Nothing Feels Good」においては、バンドサウンドとしても前作より洗練され、音楽性がより掴みやすく、親しみやすくなった印象を受ける。


「Why Did Ever Meet」での”ヘタウマ”というべきボーカルこそ、プロミス・リングの音楽性の真骨頂といえる。このバンドの奇妙な癖になるキャッチーさは、時代に左右されない。本作は、エモ・ファンにとどまらないで、スケーター・ロック、メロディック・パンクのファンにも是非、お勧めしたい爽快味あふれるエモの名盤である。次作スタジオ・アルバム「Very Emergency」1999に収録されている"Happiness All the Rage"という楽曲も併せて強くおすすめ。 


 

7.American Football 


「American Football」1999 (後にデラックス・バージョンも発売)

 

 


 

 



あらためて説明さしておくと、Cap 'n Jazzから、ファミリーツリーとして分岐したエモバンドは、Promise Ring、Jane of ark、そして最後のバンドが、マイク・キンセラ擁するアメリカン・フットボールである。


American Footballは、他のバンドと異なり、ハードコアパンクの要素がない純正のエモバンドとして挙げられる。ドラマーのスティーヴ・ラモスのドラムセット前にマイクを立ててのトランペットの演奏も、アメリカン・フットボールのライブパフォーマンスのお約束となった。


バンドとしての活動はこのファーストアルバム「American Football」をリリースした後、主要メンバーのマイク・キンセラがOwenを結成した以外は、メンバーもミュージシャンとは異なる道を歩んだ。ところが、2014年に再結成を果たした頃には、このアメリカン・フットボールは伝説的なエモバンドとしてインディー・ロック愛好家に知られるようになっていた。


2014年、マイク・キンセラの従兄弟ネイト・キンセラをメンバーに迎え入れ、より一層バンドとして纏まりが出た。マリンバ奏者、パーカッション奏者のサポートメンバーをツアーに帯同させ、堂々たる復活を果たす。


2021年まで「american football LP2」2016「american football LP3」2019、と、スタジオ・アルバムを順調にリリース。すでに、レディング、フジ・ロック、ピッチフォーク・ミュージックフェスティバル、といった世界的な音楽フェスティヴァルにも出演を果たした。近年、名実共にワールドワイドのロックバンドとして知られるようになった。


このアルバムジャケットに映し出された「Emo House」と称するべき名物的な景観も、有名すぎて最早説明不要となっている。

 

 バンドサウンドとして音の繊細性、抒情性、複雑さというのも、エモ、後のマス・ロックに与えた影響は、およそ計り知れないものがある。アメフトの奇妙な”泣き”の要素こそエモというジャンルの大醍醐と断言する。”エモ”という表現を知るために、絶対不可欠なロックの大名盤のひとつ。

 


 


2000年代以降のリバイバルエモに関してはこちらをお読み下さい。