Lana Del Ray 「Chemtrails Over The Country Club」


 Lana Del Ray


 

ラナ・デル・レイは、アメリカ、イギリス、オーストラリアを中心に、世界的な人気を獲得しているため、ワールドワイドなスター・シンガーソングライターといっても差し支えないかもしれない。2012年のスタジオ・アルバム「Born To Die」は、複数の国の音楽メディアのゴールド・ディスクを獲得していて、既に、その実力というのはセールス面でもお墨付きといえるはず。

 

しかし、ここ日本で、ラナ・デル・レイの知名度がいまいち物足りない気がするのは、一度来日公演がキャンセルされているからなのかもしれない。その理由というのも、プロモーターから告知された言葉は不明瞭で、ドタキャンに近いものでした。これが来日公演を楽しみにしていたファンを相当がっかりさせたのは事実。つまり、少しだけ気分屋のような印象を受けるのが現代のアーティストとしては珍しいかもしれません。あらためて来日公演を心待ちにしたいところです。

 

こういった世界的な歌姫として挙げられるのは、イギリスでいえば、アデル、ワインハウス、アメリカでいえば、アリシア・キーズ、セント・ヴィンセント、あたりでしょうか? そして、ラナ・デル・レイも、ニューヨーク出身のアーティストという点において、アリシア・キーズに比する部分があるかもしれない。

 

しかし、ラナ・デル・レイは、これらのアーティストの類型に似ているようで異なる部分があり、彼女自身が誰よりもカート・コバーンを敬愛し、影響を受けていることからも分かる通り、結構、インディー気質のミュージシャンというべきか、マイナー趣味があり、メインストリームのアーティストでありながら、メインストリームに楯突くような力強い印象も受ける。

 

この2021年リリースのアルバム「Chemtrails Over The Coutry Trails」は、デビューから約十年目にして、ラナ・デル・レイというシンガーソングライターの真価が発揮されたというべきでしょう。このミュージシャンが、本当はどのようなアーティストなのか、それを音楽としてあるいは歌詞を歌い上げる上で、鏡のようにありありと反映する。つまり、この作品には、ラナ・デル・レイという人物の本質、御自身が言うように、サッド・コアの雰囲気が表れているという気がします。

 

元々、彼女は、エイミー・ワインハウスのように、順風満帆とはいえない人生を歩んできたアーティストで、十五歳の時、アルコール問題のため、コネチカットの矯正施設送りになったり、また、その後、ニューヨークの大学で形而上学を専攻したり、近年、割と品行方正な経歴を持つアーティストが目立つ中で、今どき珍しいほど破天荒なエピソードを持つミュージシャンといえるでしょう。

 

最初に、ギターを初めたきっかけとなった出来事も、何か深い人生の味わいのようなものが感じられる。コネチカットの矯正施設から戻ってきた後、親戚の叔母からギターのレッスンを受けたことによる。

 

彼女の歌声、ギターにハートウォーミング、心温まる雰囲気が感じられるのは、この音楽の原体験によるものかもしれません。

 

そして、ラナ・デル・レイが、カート・コバーンの音楽に共感を見出すのは意外に思えるけれども、実は全然不思議な話ではない。コバーンも、幼少期に親からのネグレクトを受け、親戚の家をたらいまわしにされて育った家庭環境に問題を抱える少年だったからである。

 

その若い時代の悲しみ、消しがたい精神の内郭の傷が、このラナ・デル・レイという際立ったアーティストの創作への強い原動力となっているように思われる。しかし、その悲しみは、前回挙げたエリオット・スミスのように、内側にとどまるだけではなく、外側に輝かしいエネルギーとして放射されることで、同じような境遇にある人々を勇気づけ、前に進ませる力を与える。

 

だからこそ、彼女の音楽は、本当に素晴らしい。

 

つまり、ラナ・デル・レイは、アーティストになりたくてなったわけではなく、アーティストにならざるをえなかったというタイプのミュージシャンなのでしょう。

 

そして、2021年の最新アルバムとなる本作は、現時点での今年のスタジオ・アルバムの最高傑作であると、大見得を切って断言しておきたい。それほど素晴らしい文句のつけようがない名作である。

 

 

「Chemtrails Over The Country Club」 2021

 

 

 

 

1.White Dress

2.Chemtrails Over The Country Club

3.Tulsa Jesus Freak

4.Let Me Love You Like A Woman

5.Wild At Heart

6.Dark But Just A Game

7.Not All Who Wander re Lost

8.Yosemite

9.Breaking Up Slowly

10.Dance Till We Die

11.For Free

  

 

 

ここで、ラナ・デル・レイは、シンガーとしてより高度な技術に挑戦していて、それはクリーントーン、そして、ウィスパー、またノイジーな歌い方、とこの3つの歌い方を駆使することにより、まるで一人三役を演じている趣すら感じる。

 

しかもその歌唱法というのは、誰に習ったわけでなく、内面から滲み出るソウルが、歌にあるがまま表れ出ているような印象すら受け、本当に歌手としての才覚の奔出がアルバム全体に醸し出されている。

 

そして、彼女自身が、「ギャングスター・シナトラ」と、自身の歌について形容してみせている通り、往年のアメリカのジャズ・シンガーへの傾倒もそこはかとなく感じられる。  

 

このアルバムについては、「Dark But It's Just a Game」の一曲を聴けば、その良さというのが分かってもらえるはず。それほど問答無用の名曲で、これは、歴史的なポップスの名曲の誕生の瞬間を、幸運にも私達は、同時代の音楽愛好家として目の当たりにしている。つまり、アルバム全体の購入についても、この一曲だけで、他のアルバム十曲分の価値を持つように思える。

この楽曲に表れ出ている哀しみ、これは普遍的な人間の感情といえる。でも、そこに浸り切るのではなく、また、喜びを掴み取ろうという前向きな思いが彼女の音楽という表現には込められている。

それは、長調と短調が対比的に配置されている構成にもいえるし、サビへの移行部においてのメロディーの駆け上りにも、はっきり表れている。そして、この楽曲は、歌詞が異様なほどの美しい輝きを放つ。この歌詞中の詩的な表現性、"No rose left on the Vine"、また、表題の”(It's) dark but just a game”という歌詞の中に、ラナ・デル・レイの表現は集約されているといえる。なおかつ、この歌の表現には、内面の切なさから引き出される深い共感性が込められている。おそらく、この素晴らしい楽曲は、21年、そして、これからの時代を生きる人々の情感に深い共感を与え、その悲しみに手を指しのべ、前に進みだすための勇気と力を与えてくれるだろう。

他にも、「Tulsa Jesus Freak」でのウィスパー的な歌唱法も清涼感があって、心あらわれるような気持ちにさせてくれる。このあたりは、アバのような北欧のアーティストのテイストに近いものがある。また、ここでのラナ・デル・レイの新たな歌唱法のチャレンジがこの楽曲を力強いものにしている。

 

「Not All Wonder Are Lost」「Yosemite」は、これまでの作品とは違った質感を持ち、落ち着いた心静まる感慨を与えてくれる。インディー・フォーク、サッド・コア寄りのアプローチを見せているあたりも流石といえる。

 

最終曲「For Free」では、ゴスペルの聖歌隊にルーツを持つワイズ・ブラッド、ゼラ・デイという秀逸なシンガーをゲストに招いている話題作。

 

しかし、この楽曲はただの話題集めのための楽曲ではなく、非常に奥行きのある立体感のある名曲に仕上がっているように思える、

 

特に、ブラッドのソウルフルな歌唱力が際立っていて、ほか二人も、その存在感に劣らぬ美麗な歌声を聴かせてくれる。三者の実力派のシンガーが、この楽曲中において競いあう様にし、入れ替わり立ち代わりにボーカルを披露することにより、ゴスペル、もしくはソウル的な内的な音楽性が積み上がっていく。ボーカルの”合奏”ともいえる圧巻さのある楽曲で、最後まで聴き逃がせない。

このアルバムは、冗長なところがなく、ぼんやり聴いていたら終わってしまう不思議な魅力を持っている。最近の歌物のシンガーソングライターの作品としては非常に珍しいタイプの作品です。

ラナ・デル・レイの最新スタジオ・アルバム「Chemtrails Over The Coutry Trails」。まだ、数ヶ月ありますが、多分、シンガーソングライター部門の今年度の最高傑作になるだろうと個人的には踏んでいます。