Album Review Max Richter「The Blue Notebooks」15 Years

Max Richter

 

マックス・リヒターは、ベルリンの壁崩壊以前の西ドイツ生まれの世界的に著名な作曲家である。東西のドイツが一つの壁によって分断されていた時代に生まれたことによるものか、時代に先んじた思想を持った非常に頼もしい現代音楽家として挙げられます。

もちろん、どちらかといえば、現代音楽家というよりは、映画音楽のサウンドトラックをこれまで数多く手掛けてきた劇伴音楽がマックス・リヒターの主な仕事です。


最新スタジオ・アルバムでは、人間の持つ多様性の素晴らしさを”声”によって表現した「 Voices 1.2」によって音楽上での新たな思想的な側面を提示しています。


音楽としては、基本的に、ヨハン・ヨハンソンやニルス・フラームのようなポスト・クラシカルに分類されるはずですが、クラシック音楽を英国で体系的に習得し、本格派のピアノ音楽、そして、弦楽重奏曲を主要な作風としている。殊に、現代作曲家としては、アルヴォ・ペルトをはじめとするミニマリスト学派に分類されるものと思われます。


今回、紹介するマックス・リヒターのアルバム「The Blue Notebooks」は元々、2千年代初頭に約一週間を掛けて録音された音源を二枚組にリイシューした作品です。ポスト・クラシカルの楽曲として聞きやすさがあるにも関わらず、その音楽には、リヒター氏自身の政治的なメッセージが強固に込められていて、その表向きな理解しやすさとは別に、現在、あらためて再評価すべき作品といえます。 


そもそも、ブッシュJr大統領時代から始まった中東戦争は、ほとんど泥沼化しつつあったように思えていましたが、その戦争の火種を受け継いだオバマ政権がこれを強引に幕引きへ導いていった印象を受けます。今でも記憶に新しいのは、当時のオバマ大統領は、「Justice has been done」というかなり強いメッセージで、中東戦争、多くの民間人を犠牲者にした長い長い戦争を締めくくりました。

 

 


「The Blue Notebooks (15 Years)」  2018


 

 

そして、このマックス・リヒターの「The Blue Notebooks」は、長い長い中東戦争のうちの、イラクに対する空爆に題材を採っています。

 

この作品中の「Horizon Variation」は、ニルス・フラームと共に、私に、ポスト・クラシカルというジャンルに親しむ契機をもたらしてくれた意義深い作品です。十年前に、この静かなピアノ曲を中心とするアルバムを聴いた際は、聞きやすく親しみやすい、ヒーリング音楽の作品のように思っていたんですが、この作品がイラク戦争に対する深い瞑想をモチーフに作曲されたことを最近になって遅まきながら知りました。つまり、自分はこの作品に対して誤ったイメージを抱いていたのを痛切に反省しなければならなかった。同時に、この作品に対する印象も全く過小評価していたと気が付かされたのです。


特に、作曲の際のエピソードを知った上で、あらためて、この作品の音楽に触れてみると、作品に対する印象も一変しました。中でも、「On the Nature Of Daylight」という楽曲の印象が以前とはガラリと変わってしまった。イラクの戦争に対する「黙想」という強固なモチーフが、この楽曲中の弦楽のハーモニーには力強く込められているように思えます。ここには、鎮魂のための弦楽重奏が重みを持って胸にグッと迫ってくる。それは、まさしく、東西分裂時代のドイツに生を受けた作曲家マックス・リヒターが、曲の中に込めた痛切な和平に対する痛切な、願い、祈りなのかもしれません。


もちろん、そうした難しく解決のつかない政治的な背景を抜きにしても、美麗なクラシック、ポスト・クラシカルの名曲がこのアルバムには数多く収録されていることは相違ありません。


「Horizon Variations」の黄昏を思い浮かばせるようなピクチャレスクな美しさというのも問答無用に素晴らしい。「A Catalogue of Afternoon」も惜しいくらい短い曲ではありますけれども、美麗な親しみやすいピアノ曲です。また「Vladimir's Blues」は、リヒターの映画音楽作曲者としての深い矜持が伺える名作です。そして、アルバム全体を通して、彼の映画音楽作曲者としての強み、サウンドスケープを目に浮かばせるかのような叙情性をたっぷり堪能できるはずです。


総じて、十五周年を記念して発売されたアルバム「The Blue Notebooks」は、全編がきわめて敬虔な内面的な静けさに満ちています。


リヒターの紡ぎ出す繊細な音の背後にある深甚な思想がこのスタジオ・アルバムの美を強固なものとしています。そして、彼の込める痛切な黙想は、十五年を経てもいまだ強い輝きを放ち続けています。


個人的には、世界が日々めくるめくような早さで移ろいゆく現代社会において、こういった静かで穏やかな落ち着きをもたらしてくれる音楽は重宝したい。オリジナル作品発売から、すでに二十年近くが経っているものの、あらためて光を当てておきたいポスト・クラシカルの名盤です。

 

 


参考サイト

 

Max Richter The Blue Notebooks Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Blue_Notebooks