実験音楽について
今日、現代の実験音楽、いわゆるエクスペリメンタル・ミュージックと称されるジャンルは、きわめて多彩なアプローチを取るアーティストが多く見受けられる。
それは現代音楽としての系譜にあたる純性音楽としてのバックグラウンドを持つアーティストから、それとは一見対極にあるような電子音楽のバックグランドを持つアーティストまで、作曲者によって各々表現方法もさまざま。
もちろん、シュトックハウゼンの時代から、無調音楽としての電子音楽家は数多く存在した。それがいつしか、古典音楽家としての音楽の一派と、電子音楽家としての音楽の一派と、枝分かれしていくようになった。
しかし、かつて、武満徹が実験工房で、湯浅譲二らとテープ音楽を作成していたが、これこそつまり、その意図はないかもしれないが、クラブミュージック的な音楽を時代に先駆けて体現しようと試みていたように思える。
もちろん、オリヴィエ・メシアンのフランス和声を研究し、その音楽性に影響を受けつつも、現代のクラブミュージック、中でもIDMに通じるようなアプローチが世界のタケミツの音のアプローチには感じられる。
このあたりのエピソードから引き出される結論があるなら、現代音楽とクラブミュージックは、一見して相容れない水と油の関係のようでいて、源流を辿ってみると、実は、同じ場所にたどり着くような気がする、つまり、同じ祖先を持っているといえなくもないかもしれません。
現在のミュージックシーン
現在において、全く分離した古典音楽、そして、電子音楽あるいは、クラブ音楽を繋げるような役割を持つアーティストが2000年代あたりから出て来た。ドイツの気鋭アーティスト、ニルス・フラームを筆頭にして、アイスランドのオラブル・アーノルズらがその流れを形作っている。
他方、イギリスの音楽シーンでは、Clarkが、このヨーロッパを中心とする流れを汲み取ってのことか、それまでのテクノ界のカリスマというキャリアを手放し、イギリスからドイツに移住し、ドイツグラムフォンと契約、ポスト・クラシカル、現代音楽の系譜にある新しい音楽に方向性を転じ始めている。これは、この周辺のクラブシーンを知る人にとっては衝撃的な出来事だったはず。
いよいよ、2021年、ヨーロッパを中心として今、最もトレンドといえるポスト・クラシカル、現代音楽シーンは、ほとんど、各国の音楽家の群雄割拠ともいえる状況になっている様子が伺われる。
そして、このポスト・クラシカル勢の台頭にあたり、クラシック音楽界隈の人々は、彼等のことをどう考えていたのかまで明確に言及できないものの、少なくとも、最近では、彼等は、クラシック音楽に馴染みのない音楽リスナー層も取り込んで、古典音楽への橋渡しをしようとしている。
実際、アイスランド交響楽団、BBC交響楽団をはじめとする古典音楽を中心として活動する集団も、これらのポスト・クラシカル勢の活躍に対しては、協力的な姿勢を示しているように思われる。
もちろん、ポスト・クラシカルという音楽は、それほど、クラシック音楽に馴染みのない人にも、クラシックへの重要な入り口をもうけ、”古典音楽の雰囲気を持った聞きやすいポピュラー”音楽を提示し、その先にある古典音楽へのバトンを繋げるという文化的な役割を担っているようだ。
現在の実験、現代音楽としてのトレンドの傾向を伺うなら、やはり、アメリカ、イギリスのアンビエント寄りのアプローチを取るクラブミュージック勢、あるいは、古典音楽家、ロベルト・シューマンやフランツ・シューベルト、フレドリック・ショパンのピアノの小品集の雰囲気を受け継いだドイツロマン派の系譜にある、ヨーロッパの現代ポスト・クラシカル勢の二派に絞られるかと思う。そして、その中にも、多種多様なアプローチを図る気鋭の音楽家達が今日のミュージックシーンを活気づけており、俄然、この辺りのシーンからは目を離すことができない。
今回の新しい特集「Modern Experimenral Music」では、上記のようなポスト・クラシカルとはまた異なる雰囲気を持った生粋の世界の最新鋭の実験音楽を紹介していこうと思っています。
Eli Keszler
ニューヨーク在住、イーライ・ケスラーは、現在のエクスペリメンタル音楽シーンの中で今、最も注目すべきアーティストの一人。パーカッショニストとして、そして、ヴィジュアルアーティストとしても活躍中の芸術家。
元々は、ハードロックやハードコアに親しみ、十代の頃からすでに作曲に取り組んでいたという。ニューイングランド音楽院を卒業を機に、マンハッタンに移住、ニューヨークを拠点にして活動中のアーティストです。
イーライ・ケスラーは、楽器のマルチプレイヤーであり、パーカッションだけにとどまらず、ヴィブラフォンやギターも演奏している。
最初の作品「Cold Pan」をイギリスのエレクトロやダンスミュージックを取り扱うレーベル、Panからリリースしている。
最初期は、アバンギャルド性の強い、ピアノの弦を打楽器的なサウンド処理を施し、それにくわえ、彼自身の音楽の最も重要な特長、パーカッションの小刻みなサウンドプログラミング的な音色加工をほどこしている。元来、イーライの音楽の本質がどこにあるのかと言うと、一例を挙げると、ジョン・ケージのプリペイドピアノの技法をより打楽器としての解釈を試み、それをきわめて前衛的な手法で解釈した音楽といえ、しかも、そこには、UKのエレクトロ界隈の最もコアな音楽性を取り入れている。またそこに、ブレイクビーツ、ドラムンベース、その先にあるドリルンベースを、イーライ・ケスラー自身のパーカッションの演奏で試みようとしているように感じられる。
ときに、スネアドラムの縁の部分を叩く”リムショット”の技法が取り入れられ、スティック捌き、そして、実際のストライクは、凄まじい速度である。つまり、生演奏のスネアやリムの素早いストライクにより、生演奏ではありながら電子音楽のグリッチに近い領域に踏み込んでいる。これをさらに楽曲アナライズとして解釈するなら、パーカッションの演奏にトーン・クラスターの技法を取り入れ、そこにクラブミュージックの要素、アシッド・ハウス、ダブ的な要素を付加し、異質なグルーブ感を生み出している。そして、実際にケスラーのパーカッションの演奏を聴いてみると、AIが演奏しているのではと聴き間違うかのような自動演奏に近い印象を受ける。
また、イーライ・ケスラーの音楽をトラックメイクという別の切り口から解釈するなら、自身の生演奏を録音した後に、ダブ的な手法で、短いサンプリングをかけ合わせて、それを一つのリズムとして入念に繋げるという、いうなればサウンド・デザイナー的な手法が取り入れられる。そこにビブラフォン、メロトロン、シンセサイザーのテクスチャーが重層的に加えられていく。これがこのケスラーという現代音楽家の生み出す音を、立体的構造的な構造にしているというわけである。
現地のニューヨーク・タイムズ誌は、イーライ・ケスラーの音楽的な背景について、「パンク・ロック、アバンギャルド・ジャズにある」としている。つまり、このケスラーの前衛性というのは、偶然に生まれでたものではなく、ましてや破れかぶれにアヴァンギャルドの領域に踏み込んだわけでもなく、まえの時代のニューヨークの前衛音楽、とりわけ、サックス奏者、ジョン・ゾーンをはじめとするフリージャズ、あるいは、往年のニューヨークパンクス達を生んだニューヨークに育まれた前衛音楽、つまり、この2つの文化側面を受け継いだがゆえのモダンミュージックなのである。
たしかに、ニューヨーク・タイムズが、彼の音楽を評して言うことは非常に理にかなっているように思え、イーライの最初期の作品においては、アヴァンギャルド・ジャズに近い手法が積極的に取り入れられている。また、よくよく聴いてみると、彼のリムショット、スネアのストライクには、ニュースクール・ハードコアの極限までBPMを押し上げたスピードチューンからの影響もあるように思える。
最初期のイーライ・ケスラーの作品は、お世辞にも親しみやすいとはいいがたものの、ここ数年、秀逸なトラックメイカーとしての真価を発揮しつつあり、作曲家として覚醒しつつあるように思え、楽曲においても一般的なクラブ・ミュージック等に理解があるリスナーを惹きつけるに足る音楽性に近づいている。
また、電子音楽家としてのキャリアも順調に積み上げている。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのツアーにドラマーとしてのサポート参加、あるいは、イギリスのエレクトロ/ダブ・アーティスト、ローレル・ヘイローの作品制作への参加等の事例を見てもわかるとおり、元々は、現代音楽寄りのアプローチを選んでいたイーライ・ケスラーではあるものの、近年では、少しずつではあるが、電子音楽、クラブ・ミュージックに近い立ち位置を取るようになって来ている。
「Stadium」 2018
この「Studiam」は、ケスラーの七年目のキャリアで発表された作品であり、フランスの実験音楽を主に取り扱うインディペンデントレーベル「Shelter Press」からのリリースされている。
アルバムのトラック全体には、どことなく清涼感のある雰囲気が漂っていて、そして、ヴィジュアルアーティストとしてのサウンドスケープが、電子音楽として見事に描きだされているように思える。
2011年ー12頃のアヴァンギャルド色の強い作品に比べると、今作「Stadium」で、イーライ・ケスラーはより多くのリスナーに向けて、このトラックをかなり緻密に作り込んでいる様子が伺える。
実際、今作は、彼の作品としては非常に親しみやすい部類にあり、落ち着いた感じのあるIDM(intelligence Dance Music)として楽しむことができるはず。
全体的にどことなく涼し気な雰囲気が満ちているのは、Caribouやレイ・ハラカミに近い質感があり、その中にも、イーライ・ケスラーにしか生み出し得ないパーカショニストとしての進化がこの作品には見られる。
それまでの作品に比べ、全体的な都会的な質感に富んだ雰囲気に満ちている。数学的な計算が緻密にほどこされた打楽器の小さな単位が、緻密に重層的に積み上げられ、彼独特の現代最新鋭のクールなブレイクビーツが形成される。
この作品で、イーライ・ケスラーが取り組んでいるのは、簡潔に言えば、パーカショニストとしての新たな領域への挑戦、冒険といえる。打楽器の音ひとつの音響の単位を極限まで縮小し、それを、サンプリングとしてつなぎあわすことにより、独特のビート、特殊なリズム感を生み出している。しかし、最初から最後まで、自分自身の実際のパーカッション演奏のマテリアルを利用している。リズム自体は、徹頭徹尾オリジナルで、これは、ほとんど驚愕に値する技法である。
パーカッションの音は、トーン・クラスターに近いものがある。それをリマスタリング作業で、音域を自由自在に操り、ダブ的なサウンド加工を施すことにより、アシッド・ハウスの雰囲気に近い現代的なグルーブ感を生みだすことに成功している。
そして、それは、楽曲中において、リズム自体が極限までたどり着いて、リズム性としての行き詰まりを見せたとき、エイフェックス・ツイン、スクエアプッシャーのようなダイナミックなドリルンベースへと様変わりを果たす。これは、ほとんど驚愕すべき現代音楽のひとつといえるでしょう。
パーカッションの生演奏により、電子音楽の最新鋭に近づき、それを乗り越えた未来の音楽が今作では心ゆくまで味わえるはず。
「Icons」 2021
イーライ・ケスラーは、今作「Icons」においてさらなる新境地へと進んだ、と、いえるかもしれない。レコーディング作業はニューヨークのロックダウン中に行われ、彼は人が途絶えた夜のマンハッタンをそぞろ歩き、実際のバイクや車のモーター音を丹念に記録し、今作「Icons」の楽曲のサンプリングとして取り入れている。もちろん、それ以前にフィールドレコーディングは、断続的に行われており、世界中の生きた音がここではサンプリングとして取り入れられている。
イーライ・ケスラーは、このロックダウン中において、文明の移り変わりの瞬間を肯定的な側面から物事を捉え、それを音楽として表現する。もちろん、サンプリングとして取り入れられているのは、何も現代の人々の生活音だけにとどまらない。中には、古い時代のフィルム・ノワールも存在する。そういった新旧の音楽が組み合わさることで、ひとつの強固な音響世界が形成される。
アルバム全体のアプローチとして、前作「Stadium」と聴き比べると、その違いが理解できるかと思う。ここでは、ローレル・ヘイローへの作品参加の影響もあってか、ダブ寄りのアプローチに進み、アシッド・ハウスに代表されるような音の質感に彩られる。そして、この独特の陶酔的な雰囲気は、間違いなく、ロックダウン中のニューヨークのマンハッタンでの夜の文明の新たな移り変わりの瞬間を、彼は、見事に音楽として描出することに成功している。それは、マンハッタンの夜の街の姿が見る影もなく変貌した瞬間を捉えたすさまじい作品であるとも言える。
今作「Icons」では、シンセサインザーの音源に加え、グロッケンシュピール、(チベットボウル)をはじめ、新しい楽器も数多く取り入れられているように伺え、それも、旋律楽器と打楽器的の中間点にある演出が施されている。この独特なイーライ独自のアンビエンス、環境音楽の雰囲気は、2021年にマンハッタンの夜の街角で彼自身が体感した大都会の静寂を”音”で表したといえる。そして、この作品には、どことなく、イギリスのダブ・ステップのアーティスト、アンディ・ストットに近い質感に彩られており、不思議なほど甘美な印象を聞き手にもたらすことだろう。
今作においての、イーライ・ケスラーの楽曲の中に感じられる静寂、その奇妙で得がたいサイレンスというのは一体、何によってもたらされたのか。ウイルスの蔓延なのか? また、あるいは、それとも、蔓延を押しとどめようとする圧力なのか?
そこまで踏み込んで明言することは難しいかもしれない。しかし、少なくとも、この名作において、ケスラーは、真実を、真実よりもはるかに信憑性のある「音」により明確に浮かび上がらせている。ニューヨークの殆どの経済活動がロックダウンにより、たちどころにせき止められた瞬間、その向こうから不意をついて立ちのぼってきたマンハッタンの姿を、その夜の果てにほのみえる摩天楼の立ち並ぶ奇妙な世界を、気鋭の現代音楽家、イーライ・ケスラーは、最新作「icons」において、パーカッショニストとしての現代/実験音楽により、異質なほどの現実感をもって克明に描き出してみせている。
参考サイト
Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Eli_Keszler
BEATNIK.com https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11877