Vagabon
ヴァガボン、LaetitiaTamkoは、1992年カメルーン生まれ、ニューヨーク育ちというバイオグラフィーを持つマルチタレントアーティスト。
ソロアーティストともいえるが、実際のライブ活動はベース、ドラムのサポートメンバーを交えて行われ、三人体制で行われる場合が多い。つまり、レコーディングの際には複数の楽器を演奏するマルチタレントという括りに属するものの、基本的にはギタリスト、シンガーソングライターという表現がぴたりと当て嵌る。
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元々、Laetitia Tamkoは、アフリカ、カメルーンの首都、ヤウンデという州都で生を受けた。
この土地は、Wikipediaによると、元々、象牙の貿易都市として栄えた一世紀以上の歴史を持つ場所。最初の開拓者は、19世紀終わりのドイツ軍で、当初、ヤウンデは象牙貿易都市として栄えた。21世紀初頭に入ってからは、フランス統治下となった。カメルーン国家として独立後も長らくフランス語が主要な使用言語であった都市であり、ヤウンデという200万人ほどの人口を抱える土地で生を受けたLaetitia Tamkoは、歴史的な慣例に倣い、幼い頃、フランス語を母国語としていた。
その後、17歳の頃、彼女の母親がアメリカのロースクールで勉強をはじめる関係で、家族と共にカメルーンからニューヨークに移民として渡る。アフリカからはるばるアメリカに渡るくらいだから、彼女の生家は相当な知的階級にある家庭といえるだろう。言うまでもなく、ニューヨークに移住当初は、たとえ、ニューヨークという土地が多くの人種で構成される多文化の世界都市と断定付けられるとしても、彼女は、この移民の際にカルチャーショックを受け、アフリカとアメリカの文化の違いに戸惑いを覚えたらしいが、次第しだいに英語を習得していき、アメリカの文化に慣れ、溶け込んでいこうとした。その延長上に、ハイスクールへの進学と、シティカレッジ・オブ・ニューヨークでの勉強の時代が彼女のインテリジェンス性をさらに高める手助けとなった。
Laetitia Tamkoのミュージシャンとしての目覚めは17歳の時。面白いのは、なんと大型量販店のコストコで購入したFender!!が音楽家になるための布石を作った。アメリカのコストコでは、Fender USAが普通に買えるというのが滅茶苦茶羨ましいかぎり。
それから彼女は、ギターの演奏に夢中になる。ギターの技術習得は、主に教則レッスンDVDを介してだった。 その後、ギターだけでなく、シンセサイザー、ドラム、といった楽器も習得していった。
2014年に、音楽家”Vagabon”としての彼女のキャリアが始まる。ヴァガボンの最初のリリースはEPの「Persian Garden」。ここでは、Tamkoの天才性が遺憾なく発揮されており、楽曲性としては、ローファイポップ、あるいは、インディーロックの境界線上にある。まだ、音楽性としては完全に定まっておらず、模索を続けている段階にあると思えるが、Latitina Tamko特有の歌声の個性、魅力が痛感できる作品となっている。
とくに、Vagabonの歌声について言及するなら、白人のシンガーとは明らかにビブラートの伸び方が全然異なっていることに着目しておきたい。この異質なビューン!と伸びのある声質は、他のシンガーソングライターには見られないもので、異様な迫力が込められている。
このフランス語を母国語とするヴァガボンというシンガーの英語歌には、どことなく鼻にかかるようなフランス語の独特な発音の影響が残っているように思える。しかも、ギタリストとしても相当見どころがあって、ただ、単に、飾りでギターを持っているわけではない事がわかる。
特に、この最初のEPでは、ソニック・ユースを彷彿とさせる激烈なロックギタリストとしての表情を滲ませ、また、あるいは、落ち着いたフォークギタリストとしての別の表情を見せるあたりも、インディーロックに相当な造詣を持っているのが伺える。
デビュー当時から既に、彼女の天真爛漫でありながら切ない雰囲気のある歌声、そして、奥行きのあるソウルフルで激した歌声は、異質な魅力を放ち、我々の心を鷲掴みにする。この最初の作品を聞けば、彼女が既に、歌姫、ポップスターとしての抑えきれないポテンシャルを持つことが感じられる。
もちろん、それは楽器の技術習得自体は彼女自身の努力の賜物といえようが、歌声についてはアフリカ大陸から、アメリカ大陸への移民としての背景、そして、カメルーンという土地に引き継がれているDNAのようなものが彼女の歌声を清廉たらしめ、なおかつ、他のアメリカのシンガーよりも遥かに力強くパワフルにさせているように思える。
つまり、この歌声は、付け焼き刃でない天賦の才覚といえる。またもうひとつ、特筆すべきは、シンガーソングライターとしても、高い評価が与えられるべきであり、天才的メロディメイカーとしての才覚がこの最初の作品「Percian Garden」全体にほとばしり、鮮やかな印象と荒削りさを併せ持っている。
Vagabonとしてのデビューアルバムは2017年、Father/Doughter recordsからリリースの「Infiniteworld」である。
ここで、Vagabonは楽器のマルチプレイヤーとしての才覚を十二分に発揮し、ギター、ドラム、シンセをすべて自分自身の手で演奏に加え、サウンド面でのプロデュースも彼女自身の手で行われているDIYな作品。
Infiniteworld 2017 |
ここでは、最初のEP作品「Percian Garden」の特性を受け継いでおり、ローファイあふれる魅力的なアルバムに仕上がっている。
ニューヨークらしい初期衝動性とも称すべきか、往年のパンクサウンド、The Sonicsのようなガレージロックの雰囲気が感じられるあたりも聴き逃がせない。また、このアルバムの中の一曲「Cleaning House」では、懐深さのある歌姫としての資質を伺わせる。深い叙情性もあり、艶気もある歌声という点には、他のシンガーソングライターにない資質が感じられるはず。
また、ソングライティング、あるいは、サウンドプログラミング能力としても卓越した洗練性、そして、抑えがたい才覚のほとばしりが感じられる。それは、シンセサイザーの心地よいフレージングにより、さらに楽曲がオシャレでスタイリッシュになっているのに驚く。
そして、このデビューアルバムでは、激したソウルフルな迫力味のあるシンガーとしてのヴァガボン、それから、穏やかな温かみのあるシンガーとしてのヴァガボン、この対照的な二つの歌声を楽しむことが出来る。
Vagabon on Audiotree Live 2017 |
それから二年間、シカゴのAudiotreeでのLive作品リリースを重ね、 着実に米インディーシーンでの知名度を高めていく傍ら、三つのシングル作品を経て発表された2019年の「Vagabon」は、アメリカのインディーシーンにおいて、エンジェル・オルセンと共に再注目の作品である。
既にオルセンの方は、既に母国だけでなく、イギリスでも音楽メディアに高い評価を受けている女性版プリンスという雰囲気を感じさせるアーティストではあるが、もしかすると、Vagabonもまた黒人シンガーとしてその次に大きく取り上げられるかもしれない。
ヒップホップを主なフィールドとしての活躍する女性ミュージシャンは多いものの、実は、常に、正統派の黒人女性ポップミュージシャンを世界の音楽シーンは待ち望んでいるのだ。
コアなジャンルではなく、世界中の大人から子供まで安心して楽しめる女性シンガー。それは、これまでのポップス史を見ると分かるように、古くはアレサ・フランクリン、こういったシンガーは世界を変える魔性の力を持っている。そして、それこそ真の「デーヴァ」と呼ばれるアーティストである。
そして、ヴァガボンも、デビュー時こそインディー色の強い音楽性を打ち出していたが、2019年を境にして、世界的な歌姫の系譜に位置づけられるポップ・ミュージシャンとしての道をあゆはじめているように思える。
「Vagabon」は、自主レーベル「Vagabon Music」からのリリースで、何がしかの決意が感じられる作品。
言い換えれば、不思議でミステリアスな魅力あふれる作品である。又、これは、ヴァガボンの実質的なデビュー・アルバムといえ、このアーティストの才覚が次の段階に進んだことを証明付ける素晴らしい作品となっている。
Vagabon 2019 |
これまでのヴァガボンの作風はプリミティブな質感に覆われていたが、ここではさらにシンセ・ポップの爽やかさが前面に引き出された作品となっている。デビュー作品ではどこかしら刺々しさもあった歌声は完全に洗練され、聞きやすくなった印象を受ける。しかし、もちろん最初期のほとばしるような歌の魅力はそれで帳消しになったかといえばそうではない。依然としてその歌声は奇妙なほどの美しい輝き、艶気が漂っている。
楽曲についても同じである。それまではインディーローファイ、かなりアクの強い音楽性はそれまでコアなファンにはたまらないものではあったかもしれないが、一般的な音楽として表現されていたわけではなかった。それが今作「Vagabon」で、見事な変貌ぶりを見せたといえるかもしれない。ここでは、全体的にシンセポップあるいはエレクトロ・ポップという領域に舵取りを進めたことにより、Vagabonというキャラクター自体も変容した。そのモデルチェンジは勿論、良い方向に転じたように見える。
爽やかで涼やかな歌声、そして全体的な楽曲性を演出することに成功している。以前とは異なり、ゆったり聴く事も出来、そして、踊る事も出来、また陶然とすることも出来るという、多角的な音楽の魅力がリスナーにより広い選択肢を与え、自由な音楽を、Vagabonは提示するようになった。近年の流行の音楽、ポップ、ロック、R&B,クラブミュージック、そして、電子音楽、さまざまな要素を取り込んで、見事な”Vagabon”というひとつのジャンルをここで確立してみせている。楽曲のバランスもすぐれていて、クラブ・ミュージック、そしてシンセ・ポップ、また、落ち着いてしっとりしたバラードと、楽器のマルチプレイヤーらしく、アルバムのトラック全体に、幅広い音楽性がバランス良く、宝玉のように散りばめられているといった印象である。
このキラキラとした眩しいほどの感じ、他の人に出し得ない不思議で奇異なミステリアスな感覚は、いつもブレイクする直前のアーティストに感じられるものだ。そして、歌声についても、張り、艶、そして、力強さが歌声に滲み出るようになって来ている。
勿論、女性シンガーの歌を表現することは一筋縄ではいかない部分がある。声質が良いとか、ピッチが安定しているとか、ヴィブラートが良いとか技術的なことはいくらでもいえるかもしれないが、良いミュージシャンを探すためには、最後は直感がものをいい、つまり、その音楽に正直に接した時、ピン!とくるかどうか、しかないのである。そして、それは自分の中にしか正解がないので、理論的に証明付けることは困難をきわめる。しかし、このヴァガボンの歌声、あるいは、このアルバムの楽曲を聴いてみると、この歌声は「善なるもの」であるというように私は考えた。多くの人達の考えを正しい方向に導くような何かがあるように思えたのだ。このなんともいえない、スタイリッシュで美しく、穏やかな歌声をなんとたとえればよいのか?
かなり短絡的な考えではあるかもしれないが、どことなく、このアルバム全体には、それまでになかった要素、カメルーン人としてのアフリカ音楽への憧憬のようなものも見えなくはない。以前は、ニューヨークの音楽または文化性にとらわれていたヴァガボンは、その領域から這い出ることに成功し、より自分らしい音楽を素直に追究していっているように思える。もちろん、歌声についてもしかり、以前よりも遥かに自然で力みのないナチュラルな歌い方となっている。
このアルバム全体は、ロマンティックな美しさに彩られている。また、この作品「Vagabon」で聴くことの出来る素直で嘘偽りのない歌声には、心を平らかにする何かが込められているという気がしてならない。
表側の世界には現れない普遍的な美しい概念によってこの音楽は強固に支えられている。仮に、音楽という表現形態がその人の感性だけではなく、人格も映し出す素直な鏡であるとするなら、もしかすると、ひょっとすると、これは彼女の博愛主義的な資質、優れた人格から滲み出てくる素直さだとか、清々しさのようなものなのだろうか??
2021年月に、コットニー・ヴァーネットをゲストに迎え入れたニューシングル「Reason To Believe」をリリースし、話題沸騰中のアーティストと言える。このカメルーン出身のアーティスト、ヴァガボンは、自身の歌によって世界を美しく変えうるほどの不思議な力を持っているのだろうか?
そこまでは明瞭に断言しないでおきたいが、ともかく、ヴァガボンはこれからが楽しみな素晴らしい黒人シンガーソングライターのひとりであることには変わりないはずだ。