1.渋谷のカルチャーと海外のカルチャーの比較
十数年前、一時期、海外の音楽視聴サイト、特に、AudioLeafで他の多種多様の海外の音楽ジャンルに紛れ込んで、見慣れたジャンルが海外のリスナーの間で微妙に盛り上がりを見せていて驚いたことがありました。
「Shibuya-Kei」という英語で銘打たれた音楽ジャンルが、AMBIENTやEDMといったその頃一番話題を集めていたジャンルに、日本のちょい昔の音楽ジャンルが混ざり込んでいた。調べてみると、サブカルチャー的ではあるものの、一定数の海外リスナーがこのジャンルに興味を抱いていたのです。
かなり、コアな海外の音楽ファンがこの日本のシブヤ系アーティストに関心を抱いている雰囲気がありました。ちょっと昔には、ヨーロッパなどでkaroushiといった経済用語が一般的な言葉として認知されてしまった日本ですが、こういった既に日本人がすっかり忘れてしまったようなサブカテゴリーに属する音楽ジャンルが海外でひそかな人気を呼んでいることに、少なからずの驚きをおぼえた次第です。海外のリスナーというのは、そもそも、良い音楽を追い求めていて、時代性というべきか、それが何年の音楽だとか、そういうことは、それほど頓着しないように思えます。
たとえ、十年前、二十年前、いや、五十年前の音楽であろうとも良いものは良いと認める潔さがある。日々接する音楽に対して恬淡な評価を下すのが、海外のリスナーであるのだと思う。加えて、一般的にヘヴィなロックコンサートは若者が参加するのが相場というのが日本の考え方であるように思える一方、アメリカにおいては、ロックコンサートに参加するのは十代の若者からお年寄りまで幅広い年代がロックコンサートを楽しむ。
アメリカでは、御年配の方が、若い音楽を楽しむことを若者たちも自然のことだと考えているらしい。だから、若者からお年寄りまでみな等しく若い音楽を心から楽しんでいる。そもそも音楽に、年齢という概念を持ち込まないというのが海外のリスナーの常識のようです。そんなものだから、幅広い年代が若い年代の旬のアーティストを積極的に聴いていたりする。それを、たとえばいい年をしてロックなんか聴いて!とか思ったり、全然恥ずかしいとかそういう概念はまったくないらしいんです。これは、そもそも、ロックというジャンルが文化に深く根付いているから、年代を問わず、幅広い楽しみがあたりまえのように根付いているらしいのです。
さて、ここ最近、昔の日本の一ジャンル、シティポップが海外の一部の愛好家の間で親しまれていたのは既に多くの方がご承知と思います。往年の、山下達郎、竹内まりあといった日本歌謡界を長年率いてきたアーティストたちの音楽がすぐれていて、普遍的に、こころの琴線に触れるものがあるからこそ時代を越え、熱心な海外の音楽ファンがこのジャンルに見目好い評価を下した。そして、海外のファンが日本の音楽に評価を下す際、重要視しているもの、それは今、現在において海外の音楽としての完成度ではなくて、日本らしい独特な雰囲気が漂っているかどうかに尽きるように思える。
日本にずっと住んでいると、日本語の美しさには気が付かないが、たとえば想像してみていただきたいのは、もし十年海外で生活をして日本に戻ってきたときにふと日本語の発音を聴いたら、どのような感慨をおぼえるでしょうか? もし、トルコで宗教的理由で豚肉が食べれない生活を何年間か続けて、数年ぶりに帰国し、吉野家や松屋を見かけたときにどのような感慨をおぼえるでしょうか?
そこに、異様なほどの親しみやすさ、ノスタルジーを思い浮かべざるをえなくなるはずです。この相違点というのは音楽についても全く同じことがいえ、内側から日本の音楽を眺めていると見えづらい日本の文化的美質が存在している。それは実はそこに常に存在しているが、私達はそれをすっかり見落としているような気がする。それをときに、海外の人々から「コレだよ!」と教えられてしまう場合もある。二十世紀初頭から西洋文化を真綿のように吸収してきた日本文化ではあるが、日本らしい概念、日本しか存在しえないものが今でも私達の文化の中にあるはずなのです。
殊、音楽という分野について限定して考えてみると、昨今においても折坂悠太、ミツメ、トクマルシューゴ、Tricotをはじめ海外の音楽として通用するようなすぐれたアーティストは多数いるものの、海外のファンが求めるような音楽と、日本のファンが求める音楽は、そもそも土台において全然異なるように思えます。一体、何が異なるのか、何が求められるのか、必ずしも海外に迎合する必要はないはず。これはちょっとした意識のずれとして、文化の相違として見ると、興味深い点があるように思えます。例えば、それは、ボアダムスや電気グループだとか、意外に思えるような日本で知られていないアーティストが海外で話題になっているのを見てもその傾向は顕著。そしてこれは、そもそも音楽がどの程度、生活の文化として深く根ざしているのか、人々が音楽というのをどういった分野として捉えているのかで大きな差が出るように思えます。
もちろん、その考え方というのも、日本人だからこうとか、海外の人がこうとか一概に決めつけるべきでなく、考え方というのもそれぞれの人で異なるはず。
しかし、どうも、日本人と西洋人の音楽についての捉え方は、似ているようで異なる部分も少なくない様子。一見、双方ともに音楽を体で感じて、耳で聴いて楽しむ、という点については、全く同じであるように思えるのに。しかし、私が考える、あるいは述べたいのは、その両者の嗜好性、価値観の違いは表面的に顕現しているのではなく、文化性といった根深い意識の最も深い部分、概念的に浸透しているものにおける相違点がひとつかふたつ存在しているということです。
これは、ちょっと今、現在では説明し難いので後にとっておきたい疑問点です。お分かりの通り、音楽という古代ギリシアで重要な分野として文化のいち形態を築き上げてきた分野にとどまらず、他の表現媒体、映画、写真、演劇、文学という分野に押し広げて適用できるような考え方と言えるでしょう。
そして、独断と偏見をまじえた上で述べるなら、もし、このシティポップの次に、好い評価を受ける可能性がある日本のジャンルを挙げるとすれば、間違いなくシブヤ系ではないだろうかと個人的には考えています。 少しばかり懐古主義的な言い方になってしまうけれども、元々、平成時代というのは、日本の経済の活発さがあった。
好景気の後押しを受け、レコード産業も発展、多くの粋の良い若手アーティストが無数に出てきた時代。特に、この時代において、渋谷の109やHMVというのはかなり名物的な場所、たまごっち、ギャルや音楽といった若者たちが発信する文化が発生し、それが結びついて発展していった。
平成時代の日本の音楽をざっと概観してみると、言語という側面でも面白い特徴があり、J-popという他の歌詞だけは日本語でうたわれ、サビだけが英語という独特なスタイルの立役者は間違いなく、小室ファミリーと称されるアーティスト。
次いで、浜崎あゆみや沖縄のスピード、そして、その一連の流れを、最後に決定づけたのが宇多田ヒカル。その流れの中で、19やゆずのような街での弾き語りとして活動していたアーティストのフォークが注目を浴びたこともあった。ビギンのように、これまで脚光を浴びてこなかった沖縄の民謡音楽の影響を受けたポップス、あるいは、沖縄出身のアーティストが数多くシーンに台頭してきたのも興味深い特徴だったと思えます。
この平成時代の音楽で最も際立った特徴は、渋谷という平成時代の若者文化の発信地を中心として盛り上ったこの「Shibuya-Kei」というジャンルには、他の海外の音楽には全くない日本独特の要素が感じられます。シティ・ポップと同様に、聞きやすく親しみやすく、どことなく都会的な雰囲気が滲む音楽性。
それは都会、特に、平成時代のシブヤという土地の雰囲気を見事に音楽で表現してみせたといえるかもしれない。この時代の渋谷の音楽を憧れを抱いた方も少ないないはず。つまり、この音楽にはどことなく漠然としながらも当時の若者たちよ夢という概念が漂っているように思える。
少なくとも、ここ、何十年の世界的なシーンを見渡したとき、このシブヤ系というジャンルのような音楽を他の国や地域に探すのはむつかしい。それほど小沢健二やコーネリアス、カヒミ・カリイを初め、シルヴィ・バルタンをはじめとするフレンチ・ポップに近い独特でお洒落なトウキョウサウンドが流行していた。
109や道玄坂、スペイン坂、特に、竹下通りといった場所を中心に発展していった独自のシブヤ文化には、今、考えてみても世界的にも特異な文化といえ、とにかく、元気があり、活気があり、おしゃれな若者らしい雰囲気に包まれている音楽が多く発見出来る。若者が悟りを開く前の日本の音楽の物語。そして、メロディーの良さだけではなく、雰囲気というのに重きが置かれていたように思えます。
音楽性としては、平成ポップスと、その時代に流行しはじめていた電子音楽との融合を図ったもの、ジャズラウンジ、ボサノヴァ、ネオアコ、ドリームポップ、また、往年の日本歌謡としてのフォークを都会的に捉え直したもの、と広範なジャンルに及んでいた。
今、時代的なフィルターを度外視して聴き直すと、やはり独特な雰囲気が滲んでいる素晴らしい音楽といえます。普遍性を持ち、時代を問わない音楽のように感じられます。 今回、あらためて、このシブヤ系サウンドの魅力的なアーティストと名盤にスポットライトを当ててみたいと思います。
懐かしくもあり、新しくもあるシブヤ系サウンドの再発見の手助けとなれば無常の喜びです。これらのサウンドにはいかにも東京、渋谷のオシャレさが感じられ、楽しみに溢れています。ここに日本としての文化性の魅力がたくさん見つかるでしょう。是非、魅力を探してみて下さい!!
「THE BAND OF 20TH CENTURY:NIPPON Columbia Years 1991-2001」2019
「Singles」1992
「Future Listening!」1994
「Le Roi Soleil」EP 1996
「サニーデイ・サービス BEST 1995-2018」 2018
改めて言うと、小山田圭吾というミュージシャンは日本国内だけでなく、海外のインディーズシーンで強い影響力を持ったアーティストであることは疑いを入れる余地はありません。特に、アメリカのニューヨークのインディーレーベル「Matador」レコードからリリースを行っていたアーティスト。
もちろん、フリッパーズ・ギターでは、小沢健二と共に平成時代の日本のPOPSシーンを盛り上げた音楽産業に大きな貢献を果たした人物です。特に、なぜアメリカでこの小山田圭吾が有名なアーティストなのか、よく考えてみると、特に、このCorneliusは、日本の音楽としてでなく、世界水準の音楽をこのソロプロジェクトで体現させようと試みていたんです。
「FANTASMA」 1997
特に、アメリカの90年代のインディーシーンでは、ダイナソーJr,に代表されるような苛烈なディストーション、そして、グワングワンに歪んだギターというのがメインストリームのアメリカらしいロックとして確立されており、このCorneliusの名作「Fantasma」は、シューゲイズとオルタナサウンドの直系にあたる音楽性が魅力。
邦楽という領域を飛び出し、海外にも通用する日本語ロックを完成させたと言えるでしょう。特に、小山田圭吾のギタリストとしての才覚は、色眼鏡なしに見ても、海外の著名なギタリストと比べても全く遜色がないほど素晴らしい。
このコーネリアスというソロプロジェクトにおいて、小山田圭吾は、フリッパーズ・ギターからの音楽性の延長にある次の進化系サウンドを体現し、渋谷系、つまりシブヤ発祥音楽を世界的に特にアメリカのインディーシーンに普及させた功績があったわけです。打ち込みのアーティストとしても、ギタリストとしても、抜群の才覚があるアーティストであったことは間違いないでしょう。
東京オリンピック開催の際に生じたプライベートな問題については、プライベートな問題にとどまらず、公的な問題に発展していったように思えます。この騒動について、日本だけではなくアメリカの主要な音楽メディアでも大きく報じられ、大きな驚きをアメリカのリスナーに与えたようです。
これから、小山田さんが音楽活動を続けていくのか、難しい問題が立ちはだかるように思えます。やはり、渋谷系サウンドというものをもう一度、再建し、何らかのかたちで音楽を通して、喜びを与えていってもらいたいと思います。勿論、これは贔屓目に見た上での意見といえる部分もあるかもしれません。
最後に御紹介するのが、平成のヒットチャートをマイリリース毎に賑わせた良質なシンガーソングライターの、ミスター・スウェーデン、カジ・ヒデキさん。
1997年に渋谷系アーティストとしてデビューを飾り、のちにはJ−POPシーンきっての人気ミュージシャンとなりました。現在に至るまで大きなブランクもなく、良質で親しみやすい楽曲を生み出し続けています。
特に、カジヒデキさんの楽曲は、耳にすっとやさしく入り込んできて、覚えやすく、誰にでも親しみやすい。その点で、そこまで音楽に詳しくないという人でも馴染みやすいアーティストなのではないでしょうか??
「tea」 1998
カジヒデキさんの渋谷系としての名盤はファースト・アルバムもみずみずしい輝きに満ちていて素晴らしい。
しかし、渋谷系サウンドらしい、オシャレさ、格好良さ、リラックスした楽曲としてたのしめるセカンドアルバム「tea」1998こそ、渋谷系サウンドのニュアンスを掴むための最良の作品。
「Everything Stuck to Him」「Made in Swede」「カローラ2」の何となく健気で純粋な雰囲気があり、青春の輝き溢れる永遠の名曲ばかりで、平成時代のポップスのおおよその感じを掴むのにも最適といえそう。
また、平成時代初めの社会ってこんな感じだったんだよという見本を示してくれる軽快な雰囲気のある作品。カジヒデキさんの楽曲をカウントダウンTVやラジオのJ-WAVEの番組ヒットチャートで聴いていたのは子供時代、小学生の頃でしたが、これらの楽曲は、今聞いても抵抗感がなく、すっと耳に入ってくるのは不思議。平成初期の若者の独特な空気感というのは、他の時代には感じられない雰囲気があったと、スタジオアルバムを聴いてて、あらてめてそんなふうに思います。