環境音楽について

 

1,環境音楽の発明
環境音楽、いわゆる、のちにアンビエントともいわれる概念を築き上げたのは、一般的にブライアン・イーノと言われています。


この音楽について、現在ではかなり広い範囲で聞かれるジャンルとなり、それなりに認知されるようになりましたが、簡単に言うと、家具としての音楽の役割を担っていて、その場の雰囲気に馴染むように作られ、その多くがインストゥルメンタル曲で、広い空間処理が施され、どことなく癒やし効果が感じられるような曲風が多いといえます。
無論、適用される音楽が幅広いのでアーティストごとにその表現方法がまるきり異なるのがおもしろいところなんでしょう。大自然を感じさせるような音楽もあれば、その対極に、工業的なインダストリアル風の音楽もありますし、その中にもさまざまな細かいジャンルを内包しているように思えます。
イーノは自身の作品において、もしくはハロルド・バッドとの合作において、あるいは、敏腕サウンドエンジニアとして、キャリアの当初から現在にいたるまで長らく、さまざまな方面において輝かしい才覚のきらめきを放ちつづけています。言うまでもなく、U2の「Joshua Tree」の天文学的な大ヒットというのは、ブライアン・イーノの手腕なくしてはなしえなかったといえます。
しかし、のちにイーノがバッドとの共作「The plateaux of mirror」においてみせるアンビエントミュージックとしてのひとつの到達点というのは、彼の音楽ジャンルの出発点から考えてみると、相当かけ離れた意外なものであるように思われます。というのも、元々、ブライアン・イーノというアーティストは、ロキシー・ミュージックというグラムロック、もしくは、ゴシック・ロック寄りのバンドメンバーとして音楽シーンに彗星の如く現れ、 今でこそにわかに信じがくもなりますけれど、イーノの音楽家としての最初の出発点というのは、デヴィッド・ボウイ、TーREXのマーク・ボランのような毳毳しい化粧をしたグラム・ロックミュージシャンとしてであったわけです。
その後、彼の音楽キャリアを揺るがすような大きな出来事が起きます。75年、ロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノが、不運にも自動車事故に見舞われます。
そこで、アンビエンスという部屋の中に満ちている音の存在に気がつくわけです。身体が病などに侵されて身動きが思うようにとれないような状態に陥ると、人間というのは、きわめて五感が鋭敏となってきて、動物的な本能というべきか、ごく稀にそれ以上の微細な感覚が呼び覚まされることがあります。
いわゆる有名な映画のシックスセンスのようなもので、この感覚が優勢となってくると、たとえば、今まで全然注意を払わなかった音、さらに微細なアンビエンスというのが感じ取られるようになっていきます。
2.アンビエントの概念
実は、この有名なブライアン・イーノの事故のエピソードというのは、ジョン・ケージの ハーバード大学の無響室での体験ときわめて共通するところがあると感じられます。彼も、またイーノと同じように、無響室という異質な人工空間、四方の壁、そして、天井から突き出ている無数の木杭が、すべての音を吸収し、音が響かないようにしてしまう。そこでは、手をパンと叩いても、足踏みをしても、なんの音も聞こえません。
その無響空間、いわば、地球の中に人工的に拵えられた宇宙的な空間の中で、音楽史における数奇な発見に至り、そして、その概念からかの有名な「4分33秒」が産み落とされるにいたるわけです。その四分半の時間は、指揮者も譜面台の前にたち、白紙のオーケストラ譜をひろげ、その前にも、弦楽器の奏者が椅子に腰をおろし、指揮者が演奏を始めようと、手を振り上げると、実際に演者は演奏を始めようと弓を引きますが、その四分半、音が鳴なりわたることはありません。
しかし、コンサートホールにいる観客たちは、何も鳴らないと思われる広い空間の中で、すでにそこにある音「アンビエンス」に気づかされます。
この両者に共通しているのは、「すでにある音という存在に気がつく」というごくごく自然の出来事でしかありませんが、しかし、そのことに気がつく人はごく稀でもあります。彼等二人は、己の中に備わっている繊細な感覚という音を扱う人間として欠かさざるべき素質に恵まれた、或いは、なんらかの霊感により、その契機を与えられたおかげで、その覚知体験を、音楽という概念上での「悟り」のようなものとして受け入れ、それを見事に、自分の作風に仕上げていったというわけです。

ケージ、イーノという二人の偉大な芸術家は、現実において、自分が体験した美しい瞬間を、それぞれ異なる手法によって洗練された音楽作品として組み立て、ケージは、「沈黙」という表現によって、イーノは、自分が病室で聴いたような空間で鳴り響いている「環境音」をシンセによって生み出しました。さらに、ケージの初期の「Dream」という楽曲に代表されるような空間的な奥行きの感じられる簡素なピアノ演奏をちりばめていくことにより、彼独特の作風に仕上げていきました。 つまり、ブライアン・イーノという傑出した音楽家は、ジョン・ケージの音楽的な遺伝子を引き継いで、その先へ推し進めていこうという意図もあったように思われます。
3, アンビエントのもう一つのルーツ
およそアンビエント・ミュージックの重要な要素である環境音という概念については、大雑把ではありますけれど、そこにどのような意図が込められ、なおかつどういった経緯があって生み出されたのか理解してもらえたろうと思います。
そして、次にもうひとつアンビエントという音楽を語る上で「ミニマル」という欠かさざる重要な要素についても簡単に説明し、そのルーツを探っていこうかと思います。
この「ミニマルミュージック」というのは、今ではごく普通にクラブミュージック、ヒップホップのサンプリング等にも用いられている手法であり、短い楽節が延々と繰り返される音楽性を意味し、同じ楽節のループによって分厚いグルーブ、音のうねりを生み出す効果があります。その手法というのは、アーティストめいめいの特性によって多種多様、同じフレーズを曲の後ろの方にそのまま形を崩さないで繋げていくこともあれば、また、変奏のカタチをとって複雑なアレンジメントが付け加えられる場合もあります。
このいわゆる、ミニマル・ミュージックという音楽概念を、明瞭な形で世に知らしめたのは、スティーブ・ライヒという人物であり、彼はのちのクラブミュージック、ハウス、テクノといったジャンルのお手本となっただけにとどまらず、ダンスミュージックの側面からアンビエントを追求したアーティストたちに、ケージとともに大きな影響を与えたのは音楽史的に疑いを入れる余地はないでしょう。
そして、このミニマルミュージックというのは、たしかにスティーブ・ライヒが積極的にみずからの作風とした、延々と反復される小さな楽章というスタイル、前衛的でありながら過剰な手法を選ぶことによって、ループというやり方で前面に押し出していったジャンルであることもまた相違ないですが、以前の中世の古典音楽などにおいて、まったくそういったミニマルの原型のような性質の音楽が存在しなかったのかというと、そういうわけではありません。
実は、古くは、ベートーベンの「月光」、もしくはバッハの平均律クラヴィーアの前奏曲の中にも、同じようなフレーズの執拗な反復という手法が用いられており、非常にわかりやすい形で、ミニマルミュージックの要素が見られます。
さらにいえば、同じフレーズの執拗な繰り返しによって、無秩序であった空間の中に、なんらかの概念に規律が生みだされて、そこに一種のまとまりのようなものが出てきます。これが法則だとか、規則の根本的な概念を音という形で表現したものであり、こういった手法を過剰な形ではないまでも、グレゴリオ聖歌の時代から好き好んで使われていたのは、それらの反復的な要素が一切なければ、芸術性に乏しい作品と見做されてしまいます。
反復性といわれる要素、ここにすべての学問の美学の源泉が求められ、和声についても、対位法についても、ひいては、楽曲というものが生み出されるためには、すべてが規則という名の土台の上に、整然と礎石が計画的に積み上げられる必要があります。
特にドイツ・ロマン派をはじめとする音楽家たちは、規律、規則、禁則という面を重要視し、今日の音楽に慣れた耳には堅苦しくも思えるような気風を重じたという印象があります。無論、ベートーヴェン等は、あえて作品を美しく見せるために、意図的にそれらの和声法における作法を破ったりしています。
そして、その「反復」という規則性を生み出す要素をきわめて過剰な形で表現し、さらなる当時の意味における現代的な手法を一番最初に採用していったのが、この近代フランスの作曲家、エリック・サティであり、彼の偉大さであったでしょう。
サティは体系的な教育から出発しながらも、アカデミズムから距離をとった芸術家であり、どことなくアウトサイダー的な人物ともいえ、フランス国立音楽院を卒業するのに十年以上を要したという話を始め、彼ほど人生上の興味深いピソードを持つ芸術家はそうそう見当たらないでしょう。そしてまた、フランスのサロンにおいて、ショパンを客の前で演奏していたというエピソードも有名です。
こういった逸話から伺えるのは、エリック・サティという人物はフォーレのようなアカデミズム寄りの音楽家でなくて、市井寄りの大衆音楽家の一人だったといえます。
無論、フォーレの後世のフランス和声に対して与えた影響というのも少なくないはずですが、このサティという人物の独特な作曲技法というのは、後のドビュッシー、ラヴェル、プーランク、メシアンをはじめとするフランス近代和声にきわめて大きな影響を与えたでしょうし、さらに、完全に古典和声の禁則事項を無視したかのような、きわめて前衛的な和声法を生み出しました。
そして、この和声法における革新と言っても差し支えない、奇妙な和声法の影響というのは、ラヴェルやドビュッシーをはじめ、ガーシュウィン、マイルス・デイビス以降のジャズ音楽へと受け継がれた部分もあるかと思われます。ジャズ特有の独特な和音発生の起源というのは、おそらくでありますが、この人の勇ましい音楽の既成概念への挑戦による部分が多かろうと思われます。
エリック・サティのこの独特な音楽性は、のちに「家具の音楽」と称されるようになり、簡単にいえば、何かしら他の存在の雰囲気を引き立たせるために存在する名脇役の音楽というように形容することもできます。
そして、是非とも言っておきたいのは、ここでいう他の古典ロマン派などの音楽に比べ、楽曲の存在感が希薄であり、その場の雰囲気にスッと馴染んでいくよう作られたサティの楽曲スタイルが、アンビエントの源流の出発点ではないだろうかと思われます。そして、このサティが、サロンで体験したと思われる、その場の空気を主体として重んじた上で音を奏でるという概念は、上記したブライアン・イーノが知覚した片方のスピーカーからのハープの音色が、外側の空間の音に馴染んで聞こえる、つまり「環境音」と呼ばれる概念ときわめて合致しているようにも思えます。
それは、実に、近代フランスのサロン文化において必要不可欠な要素であり、客の食事だったり、おしゃべりの雰囲気を壊さない、心地よくたのしくやすらげる音楽というのを、サティはみずからの体験から引き出して、それが彼の特異な性質とあいまって、アカデミズム性の高い音楽と一線を画した、大衆のためのくつろいだ環境音楽が生み出される契機となったのかもしれません。
エリック・サティは、「ジムノペディ」をはじめ、短い楽章を反復したごくシンプルで聞きやすく、どことなく癒やしの効果のある楽曲を数多く遺し、その癒し効果のある反復性の強い音楽性というのは、のちのジョン・ケージ、また、ブライアン・イーノの系譜にあたる楽曲スタイルに大きな影響を与えたろうと思われます。
4,終わりに 
今日のアンビエントミュージックにアンビエントの遺伝子は受け継がれていき、現代のアンビエントは、さまざまなジャンルを内包するに至ります。それはリチャードD・ジェイムス、ティム・へッカーまでその手法というのはそれぞれ異なりますが、今なお、ブライアン・イーノが考案した音楽の概念というのは大切に引き継がれています。
今や、ごく自然に、電子音楽、クラブミュージック、スタンダードなロックバンドにいたるまで、アンビエントの要素を取り入れるようになっていきます。これは、このジャンルというのは、主役を引き立てる名脇役の作用があるので、他の楽曲の個性をより引き出すような効果もあろうかと思われます。そして、何か、まだまだこの音楽の概念には掘り下げる要素があって、この次のジャンル、アンビエントの向こうにある新たなジャンルが何者かによって生み出される日もそう遠くないでしょう。
我々が日々接している音楽はまだまだ発展する余地が残されていて、いよいよ新たなジャンルが生み出す分岐点に差し掛かっているようにも思え、その新たな生命の産声が聞かれるのも夢見事とはいえません。
新たな人類のテクノロジー社会の影響と相まって、これから数年後、新しい音楽、もっと大げさに言えば、音楽という小さな枠組みから飛び出すような新しい概念が生み出されないともかぎりません。
今日のアンビエントミュージックの盛り上がりというのは、現今のクラブミュージック界隈のアーティストを見ても、いよいよ最高潮を迎えつつあるように思えます。
これから、サティ、ケージ、イーノと引き継がれたアンビエントという音楽の概念がどのように変遷をたどっていくのか個人的に期待し、楽しみにしていきたいところです。