Aquascutumに流れる美学 イギリス首相から、俳優、ミュージシャンまで

Acuascutum 英国老舗服飾ブランドとしての始まり

 

アクアスキュータムというブランドは英国の老舗バーバリーに比べ海外においては知名度の低いブランドではあるものの、バーバリーよりも旧い歴史を持つ英国王室御用達のブランドである。

 

アクアスキュータムは、仕立て職人であったジョンエマリーがロンドン西部の高級住宅地に1851年に開業した服飾ブランドである。

 

特にこのアクアスキュータムは、防水加工を施したウール生地を生み出して、特許を取得、ファッションに機能性をもたせたのが非常に革新的であった。ブランド名も防水加工の素材にちなんでおり、ラテン語で「水の盾」を意味する。日本では、防水加工の素材は梅雨時や秋雨の時期しか役立たないイメージも一般的にあるかもしれないが、雨の多いイギリスにおいて、この技術革新は生活に根ざしたものであり、尚且、アウターの実用面での機能性を追求したものであった。


1895年には、ロンドン中心部リージェント・ストリート100番地に最初の旗艦店をオープンした。

創業当初のAquascutum
 

 特に、アクアスキュータムは、イギリス王室からのオーダーメイドに求められ、イギリス王エドワード7性からグレンチェック柄のコートの注文依頼を直々に賜ったことからブランドは始まった。

 

その後、1897年、王室の紋章入の盾板「ロイヤルウォラント」を賜り、王室御用達ブランドとして発足した。そして、1900年に入ると、男性だけではなく、女性のアウターのデザインも手掛けるようになり、当時、イギリスで婦人参政権を訴えていた女性活動家を中心に大きな支持を得ていた。

 

その後、アクアスキュータムはトレンチコートの生産を中心にブランドの商品展開を行うようになる。1914年、第一次世界大戦、および第二次世界大戦に従軍した兵士のために、耐久性の強いトレンチコートの生産に踏み出した。素材そのものの耐久性、そして、防水性に優れているこのアクアスキュータムのトレンチコートは従軍したイギリスの兵士たちから大きな称賛を受けた。

 

さらに、それから、アクアスキュータムは防水加工素材のアウターの他に、防風加工のコートの開発に乗り出し、1953年、エドモンド・ヒラリーのチームがエベレスト登頂に挑んだ際にトレンチコート、ウィルコンという特殊加工素材を生み出し、時速160kmの突風をもろともしない耐久性に優れたトレンチコートを開発し、アウター専門ブランドとして世界的に知られるようになった。この後、アクアスキュータムは次なるアイテム、レインコートの開発へと乗り出していく。

 

多くの著名人に愛される老舗ファッションブランドとしての歩み

 

このアクアスキュータムのトレンチコートは、第二次世界大戦後、多くの著名人に愛されるようになった。

 

アメリカでは、名画「カサブランカ」で主演を務めるハンフリー・ボガートはソフト帽と共にこのアクアスキュータムのトレンチコートを着用し、ボガートのハードボイルド俳優としてのイメージを形作った。そして、ボギー、ハードボイルドという概念が何たるかを世界に発信してみせた。

 

もちろん、これらのアイテムを愛した人物はアメリカの映画俳優にとどまらず、イギリスの政界の大立者の中にも数多く見られる。

 

アクアスキュータムは、婦人参政権の導入を訴えていた女性活動家を中心に支持されていた経緯を持つため、「鉄の女」とも称される宰相マーガレット・サッチャーがこのブランドのアウターを好んで着用していた。

 

マーガレット・サッチャー首相

その他にも、サッチャー政権時代に財務大臣、外務、連邦大臣を歴任した後、イギリスの首相となるジョン・メージャー首相もこのアクアスキュータムを愛用した。これはサッチャー政権をはじめとするイギリスの政権が新たな時代の政治イメージを表するため、アクアスキュータムを好んで着用したとも言える。婦人参政権をファッションブランドとして支えた概念が流れている。

 

また、1996年のアトランタオリンピックでアクアスキュータムは公式ウエアとして採用されている。

 

王室御用達ブランドとして始まった経緯を持つ服飾ブランド、アクアスキュータムは、時代の流れと共に、上品さ洗練さを併せ持つ。

 

服装の中に1つ強いワンポイントのアクセントを設ける独特なアウター専門ブランドとしての歩みを進めていき、着実に、世界的なファッションブランドとしての地盤を築き上げていったのである。

 

ロックミュージシャンとアクアスキュータム

 

 

ミュージシャンとして、このアクアスキュータムのステンカラーコートをファッションの中に絶妙な具合に取り入れてみせた人物がいる。それがポール・ウェラーである。

 

 

ロックンロールにR&Bの影響を伺わせる”The Jam”のメンバーとしてイギリスのミュージックシーンに登場し、70年代から80年代の英国のパンク・ロック、モッズ・ムーヴメントを牽引した重要な人物だ。

 

その後、The Style Councileのフロントマンとして活動、1984年ポリドールから発売された1st Album「Cafe Blue」の中に収録「My Ever Changing Moods」で世界的な大ヒットを飛ばした。この曲は英国内にとどまらず、アメリカ、日本でも売れに売れたヒット作である。その後、ウェラーはソロ活動を始め、イギリスの重鎮的なロックミュージシャンとみなされるに至る。

 

そもそも、ポール・ウェラーは、音楽の側面だけでなく、ファッションアイコンとみなされる場合も少なくない。彼の個性的なファッションはモッズの代名詞ともなり、一世を風靡した。英国内のファッション業界に大きな影響を与え、日本の”渋カジュ”と称されるファッションにも影響を及ぼした。

 

ポール・ウェラーは若い時代からファッションに興味を示し、独自のウェラー流のファッションを追求してきた人物でもある。The Jam時代において、背広に上下に丈の短いトラウザーを合わせ、白いソックス、革靴というモノトーンスタイルで、他のロンドン・パンク勢と異なるフォーマルスタイルで他のバンドと差別化を図っていた。そして、The Jamの後の活動、スタイル・カウンシルにおいて、ポール・ウェラーのファッションは完成される。特に、1stアルバムに映し出されているスラリとしたウェラーのファッションは現在でも新鮮味にあふれている。

 

上掲の写真は、ザ・スタイル・カウンシルの「Cafe Bleu」1stアルバムの内ジャケットの一枚であるが、ウェラーは、ここでイギリススタイルとフレンチスタイルの融合を見事に図ってみせているのに注目である。

 

彼が、ステンカラーコートとして粋に身につけているアイテムは老舗ブランド”Aquascutum”である。

 

そして、ここにはフランスの上流階級で流行った”BCBG”と呼ばれるオールドフレンチスタイルが大胆に取り入れられている。

 

髪を短く揃え、サングラスをかけ、丈の短い八分丈のデニムの下に白いソックスを覗かせ、イギリスのゴルファーが履くような革靴で揃えるスタイル、そこにさらに、最もシルエットとして目立つトップスに英国老舗ブランドとして知られる”Aquascutum" を合わせる。これは、ポール・ウェラーの英国人としての通人としての嗜み、あるいは、矜持のような概念性が表れ出ている。

 

上品さの中に滲むそこはかとないダンディズム。これは、ハンフリー・ボガートが「カサブランカ」で演じた役柄の雰囲気を、ロックミュージシャンとして1980年代に再現させてみせた。

 

フランス流のエスプリとオールドイングリッシュを融合した概念は、その後のブリット・ポップのブラー、オアシスといった面々の「ファッションの美学」として引き継がれていくことになる。