Album of the year 2021 ーElectronicー

Album of the year  2021   


ーElectronicー





・Squarepusher 

 

「Feed Me Weird Things」 Warp Records

 

Squarepusher「Feed Me Weird Things」 

 

Feed Me Weird Things [先着特典キーホルダー付/リマスター/高音質UHQCD仕様/本人よる各曲解説対訳・解説 / 紙ジャケット仕様 / 国内盤] (BRC671)  


今年6月4日リリースされたスクエアプッシャーの「Feed Me Weird Things」はトム・ジェンキンソンの幻のデビュー作、今から25年前の1996年、エイフェックス・ツインの所属するレーベルからアナログ盤としてリリースされた再発盤である。


この作品は、英国のドラムンベースの伝説的な作品で有るとともに、その後のイギリスのエレクトロニックシーンの潮流をひとつの作品のみの力で一変させてしまった、超がつくほどの名盤である。


この作品は、当時、トム・ジェンキンソンは、チェルシー・カレッジ・オブ・アートの学生であったが、入学時に還付された奨学金をレコーディング機材に充て、制作されたアルバムでもある。


トム・ジェンキンソンは、これらの奨学金で購入した90年代のレコーディング機器、そして友人から借りたベース等の楽器、そして、旧来の英国のダンスミュージックにはなかった音楽を新たに生み出した。


作品がリリースされた当時、英国の音楽メディアはこの作品をフュージョンジャズの名作として取り上げたけれど、当の本人、トム・ジェンキンソンはその評価を意に介しはしなかった。なぜなら、ジェンキンソンは、このデビュー作において、彼が若い時代に夢中になった、ジミ・ヘンドリックスのようなハードロックの音楽の熱狂性をあろうことか、ホームレコーディングにおいて、電子音楽で再現しようと試みていたのだ。リリースから二十五年、初めて今作はデジタル盤、CD盤として、音楽ファンの前にお目見えしたが、2021年になっても、今作を上回る電子音楽は存在しないと言って良い、おそらく、今年の中で最も衝撃的な作品のリリースだった。 

 

 

  

 

 

 

 

・Andy Stott 

 

「Never The Right Time」 Modern Lovers 

 

Andy Stott 「Never The Right Time」 

 

 Never The Right Time  

 

ダムダイク・ステアと共にマンチェスターのモダン・ラヴァーズのコアメンバーとしてダブステップ・シーンの最前線を行くアンディ・ストットの4月16日にリリースされた最新作は今年の一枚にふさわしい出来栄えである。


「ノスタルジアと自己省察」という哲学的なテーマを掲げて制作された「Never The Right Time」は世界情勢が混迷を極める2021年という年に最もふさわしいアルバムである。

 

これまでストットは、複雑なダビングの手法を用い、リズム、メロディ、曲構成という多角的な視点から、作品ごとに異なるアプローチに取り組んできた電子音楽アーティストで、この作品は、ストットの十年の活動の集大成と捉えたとしても的外れではない。テクノ、ダブステップ、ダウンテンポ、ヴォーカルトラック、この十年で取り組んできたアプローチを総まとめするような形で今作の楽曲は構成されている。


特に、「Faith In Stranger」時代からゲストヴォーカルとして長年制作をともにしてきたストットのピアノの先生を務めるアリスン・スキッドモアの独特な妖艶ともいえるヴォーカルの妙味は今作においても健在である。


「決して(未だ)正しい時ではない」と銘打たれたアルバムタイトルについてもレコーディングが行われた2020年の英マンチェスターの世相を色濃く反映している。作品中には、民族音楽、特にインド音楽の香りが漂うが、アンディストットの描き出す世界というのは、ーー現実性を失い、場所も時間もない、完全に観照者が行き場を失ったーーような孤絶性にまみれている。

でも、この奇妙な感覚というのは、ほぼ間違いなく、2020年のロックダウン中のマンチェスターの人々の多くが感じていた情感ではなかっただろうか。そして、この作品には、なにかしら窓ガラスを透かして、「現実性の乏しい夢のような現実社会」を、束の間ながらぼんやり眺めるような瞬間、そのなんともいえない退廃美が克明に電子音楽として昇華されている。「Never The Right Time」は、電子音楽でありながら、非常に内的な感情を表現した人間味あふれる作品である。 

 

 

 

 

 

 

 

・John Tejada

 

 「Year of the Living Dead」Kompakt 

 

John Tejada 「Year of the Living Dead」  

 

Year Of The Living Dead  

 

オーストリア・ウィーン生まれ、現在LAを拠点とするジョン・テハダはアメリカ西海岸のテックハウスシーンの生みの親ともいうべき偉大な電子音楽家で、アメリカで最も実力派のサウンドプロデューサーのひとりだ。これまで、二十年以上にも渡り、自主レーベルPalette recordingを主宰してきたジョン・テハダは、今年2月26日にドイツのKompaktからリリースされた今作において、実にしたたかで、名人芸ともいうべき、巧みなデトロイトテクノを完成させている。


「Year of the Living Dead」というアルバム・タイトルも上記のアンディ・ストットと同じくロックダウンの世相を反映した作品である。


今回、ジョン・テハダは、思うように、外的な活動が叶わなかった年、それを逆に良い機会と捉えて、新たな機材、これまで録音に使ったことのない機材をいくつか新たに使用し、今作を生み出している。既に、名人、達人ともいうべき領域に達してもなお、チャレンジ精神を失わず、そういった新たな機材、音色を使用する楽しみをその苦境の中に見出していたのだ。

 

「Year of the Living Dead」は、デトロイト・テクノの正統派として受け継いだ数少ない作品である。

 

中には、グリッチ、ダウンテンポ、といったテクノの歴史を忠実になぞらえるかのようなアプローチが図られ、やはり、今作でも、テハダの音楽性は、知的であり、哲学的でもある。それは一見、電子音楽として冷ややかな印象を受けるかもしれないが、それこそ、まさに表題に銘打たれている通り、ーー生きているもの、と、死んでいるものーー、これは、必ずしも有機体とはかぎらないように思えるが、これらまったく相容れないなにかが混在する今日の世界において、生きている自分、貴方、それから、我々のことを、電子音楽として体現した実に見事な作品である。

 

ドイツのKompaktのレビューにも書かれているとおり、この電子音楽は、極めて現実的でありながら、その中にテハダのユニークさが見いだされる。何か、その冷厳で抜き差しならない現実を、一歩引いて、ほがらかな眼差しで眺めてみようという、この電子音楽アーティストからの提言なのかもしれない。


もちろん、ジョン・テハダのこれまでの作風と同じように、頭脳明晰で、いくらか怜悧な雰囲気も漂うが、その上に叙情性もほのかに感じられる作品でもある。


実に、2020年の世の中に生きる我々の姿を、哲学的な鏡のように反映させた作品であり、生者と死者の間に彷徨う幽玄さに満ち溢れた傑作に挙げられる。


もちろん、本作「Year of The Living Dead」のアルバムアートワークを手掛けた「瞑想的なアーティスト」と称されるグラフィックデザイナー、デイヴィッド・グレイの仕事もまた音源と同じように名人芸といえるだろうか。  

 


 

 

 


 

・Clark

 

「Playground In a Lake」 Deutsche Grammphon

 

Clark「Playground In a Lake」  

 

プレイグラウンド・イン・ア・レイク  

 

これまでエイフェックス・ツイン、上記のスクエアプッシャーと列んでWarp Recordsの代表格として活躍してきたクラークは、近年、イギリスからドイツに拠点を移して、クラシックレコードのリリースを主に手掛けるドイツグラムフォンに移籍した。


代表作「Turning Dragon」では、ゴアな感じのテクノ、相当、重低音を聴かせたダンスフロア向けのトラックメイクを行っていたクラークは、ドイツグラムフォンに移籍する以前からより静謐なテクノ、またクラシックと電子音楽の融合を自身の作風の中に取り入れていこうという気配があった。


クリス・クラークのそういった近年のクラシックへの歩み寄りが見事な形で昇華されたのが「Playground In a Lake」の醍醐味と言えそうだ。


ブダペストアートオーケストラをはじめ、本格派のクラシック奏者を複数レコーディングに招聘し制作された今作はリリース当初からクラークが相当気に入っていた作品であった。ポスト・クラシカルとも、映画音楽のサウンドトラックとも、また、旧来のテクノ、エレクトリックとも異なる新時代のクロスオーバーミュージックが新たに産み落とされた、といっても誇張にはならない。


この高級感のある弦楽器のハーモニーの流麗さ、端麗さの凄さについては、実際の音楽に接していただければ充分と思う。


ピアノのタッチ、弦楽の重厚感のあるパッセージ、電子音楽家としてのシンセサイザーのアーキテクチャー、これらの要素は全て、新たな時代のクリス・クラークの芸術性を驚くほど多彩に高めている。