Album Of ther year 2021
ーModern Soulー
・Jungle
「Loving In Stereo」 Caiola
LOVING IN STEREO [歌詞対訳・解説書封入 / ボーナストラック追加収録 / 日本盤CD] (BRC672)
モダン・ソウル、或いはネオ・ソウルは、往年のR&Bに加え、様々なジャンルを交えたクロスオーバーを果たし、年々ジャンルレスに近づいているように思える。
そして、今年の一枚として選んでおきたいのは、ソウルミュージックの正統派の音楽でUKを中心とする数多くのヨーロッパのリスナーを魅了しつづけるJungleの最新のスタジオ・アルバム「Loving In Stereo」だ。
ジャングルは、ロンドンを拠点に活動するジョッシュ・ロイド・ワトソンとトム・マクファーランドを中心に結成された現在は7人組のグループとして活動するネオソウルプロジェクトであるが、デビュー作「Jungle」をリリースし、この作品が話題沸騰となり、イギリスを中心にヨーロッパのダンスフロアを熱狂の渦に巻き込んだ。「Jungle」はマーキュリー賞の最終候補にも選ばれた作品だ。
オアシスのノエル・ギャラガー、ジャミロクワイもジャングルの二人の音楽性については絶賛していて、リスナーだけではなく、ミュージッシャンからも評価の高いジャングルの音楽が人気が高い理由、それは、往年のディスコサウンド、EW&Fを始めとするソウル、ファンカデリックのようなPファンクを、アナログレコード時代のノスタルジアを交え、巧みなDJサンプリング処理を交えて、現代人にも心置きなく楽しめる明快なソウルミュージックを生み出しているからなのだ。
2021年リリースされた最新作「Loving In Stereo」でもJungleのリスナーを楽しませるために一肌脱ぐというスタンスは変わることはない。人々を音で楽しませるため、気分を盛り上げるため、ロイド・ワトソンとマクファーランドの二人は、このアルバム制作を手掛けている。もちろん、彼らの試みが成功していることは「All Of The Time」「Talking About It」「Just Fly,Dont'Worry」といったネオソウルの新代名詞とも呼ぶべき秀逸な楽曲に表れているように思える。
もちろん、Jungleは知名度、商業面でも大成功を収めているグループではあるが、話題ばかり先行するミュージシャンではないことは、実際のアルバムを聴いていただければ理解してもらえるだろうと思う。ブンブンしなるファンクの王道を行くビート、そして、分厚いベースライン、ヒップホップのDJスクラッチ的な処理、これらが渾然一体となった重厚なグルーブ感は実に筆舌に尽くしがたいものである。それは、言葉で語るよりも、実際、イヤホン、ヘッドホン、スピーカーを通してジャングル生み出すグルーヴを味わう方がはるかに心地よいものだといえる。
「Loving In Stereo」にあらわれている重厚なグルーヴ、低音のうねりと呼ぶべきド迫力は、EW&Fやファンカデリックといったアメリカ西海岸の先駆者に引けを取らないものであるように思える。そして、彼らのそういった先駆者たちへの深い敬意がこの作品に込められているのである。
・James Blake
「Friends Break Your Heart」 Polydor
ジェイムス・ブレイクは、インフィールド・ロンドン特別区出身のソングライターである。デビュー作「James Blake」で前衛的なプロダクションを生み出し、鮮烈なるデビューを果たし、一躍、UKのミュージックシーンのスターダムに躍り出た。
その後、ブライアン・イーノ、ボン・イヴェールといったUKきっての著名なミュージシャンだけでなく、RZAやトラヴィス・スコットといったアメリカのラッパーと深いかかわりを持ってきたミュージシャンであるため、電子音楽、ヒップホップ、ソウル、単一ジャンルにとらわれない、幅広いアプローチを展開している。
ブレイクの新作「Friends Break Your Heart」は今年の問題作のひとつ。アルバム・ジャケットについては言わずもがなで、賛否両論を巻き起こしてやまない作品である。SZAやJIDといったラップアーティストとのコラボについても話題性を狙っているのではないかと考える人もいらっしゃるかもしれない。
主要な音楽メディアは、このアルバムについてどのような評価を与えたのかといえば、イギリスのNMEだけは、このアルバムに満点評価を与えた一方、きわめて厳しい評価を与えたメディアも存在する。
それは、このアルバムがブレイクの告白的なコンセプト・アルバム、文学でいえば、フランスのルソーの「私小説」に近いニュアンスを持った作品であるからだろう。もしかすると、この点について、多くの音楽メディアは、なぜ、ジェイムス・ブレイクのようなビックアーティストが今更個人的なことについて告白する必要があるのか、と、大きな疑問を持つのかもしれない。ブレイクならば、もっと社会的な問題を歌うべきだ、と多くのメディアは考えているのかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。必ずしも、大きな社会的な問題を扱うだけがアーティストの役割とは言えない。
つまり、そういった社会の常識に追従しない気迫をジェイムス・ブレイクは本作において示しているように思える。それは、リスナーとしては、とても心強いことであり、なおかつ頼もしいことなのだ。さらに、好意的にこのアルバムを捉えるなら、この作品はPVを見ても分かる通り、いかにもこのアーティストらしい、個性的なユーモアが込められていることに気がつくのだ。
それは、明るい意味でのユーモアというより、ブラックユーモアに近いものなので、ちょっとわかりづらいように思える、イングリッシュ・ジョークに近い、暗喩的ニュアンスが込められているのである。
しかし、「自分の代替品はいくらだってある」と、自虐的に歌うブレイクだが、ラストトラック「If I’m Insecure」では、その諦めや絶望の先に希望を見出そうとしている。つまり、この作品を、寓喩文学に近い側面から捉えるなら、全体的な構成として、暗鬱な前半部、そして、明るい後半部まで薄暗く漂っていた曇り空に、最後の最後になって、神々しい明るいまばゆいばかりの希望の光がほのかに差し込んでくる、それが痛快な印象をもたらすわけである。
つまり、コンセプトアルバムとして、この作品には、ジェイムス・ブレイクの強いメッセージが込められている、生きていると辛いこともあるけど、決して諦めるなよ、という力強いリスナーに対する強いメッセージが込められているように思える。そういった音楽の背後に漂う暗喩的なストーリにNMEは気がついたため、満点評価を与えた(のかもしれない)。個人的な感想を述べるなら、本作は「Famous Last Word」をはじめ、ネオソウルの新しいスタイルが示されているレコードで、ジェイムス・ブレイクは新境地を切り開くべく、ヒップホップ、ソウル、エレクトリック、これらの3つのジャンルを中心に据え、果敢なアプローチ、チャレンジを挑んでいる。
それは、既に国内外でビックアーティストとして認められていながら、この作品を敢えてカセットテープ形式でのリリースを行うというアーティストとしての強い意思表示にも表れている。
つまり、どこまでもインディー精神を失わず、現在まで活動をつづけているのがジェイムス・ブレイクの魅力でもあるのだろう。
・ Hiatus Kaiyote
「Mood Valiant」 Brainfeeder
ハイエイタス・カイヨーテはオーストラリアを拠点に活動するネオソウル・フューチャーソウルの代表的なグループである。
この作品は2020年からレコーディングが始まったが、途中、このグループのヴォーカリスト、ナオミ・ネイパームが乳がんに罹患し、その病を乗り越えてなんとか完成にみちびかれた作品ということから、まずこの作品に対し、そして、このヴォーカリストに対して深い敬意を表しておかなければならない。さらに、2つ目のパンデミックという難関を乗り越えて完成へと導かれた作品でもあることについても、同じように深い敬意を表して置かなければならないだろう。
しかし、そういった作品の背後にあるエピソードを感じさせないことが「Mood Valiant」という作品の凄さとも言える。
本作では、ポップ、ソウル、ヒップホップ、エレクトロニック、チルアウト、ローファイ、これらの音楽性が渾然一体となり、ひとつのハイエイタス・カイヨーテともいうべきミュージックスタイルが確立された作品である。
長い期間を経て制作されたアルバムにもかかわらず、時の経過を感じさせないタイトで引き締まった構成力が感じられる。そこに、ネイパームの渋みのあるヴォーカルがアルバム全体に絶妙な艶やかさ、色気とも呼ぶべき雰囲気をそっと静かに添えている。もちろん、そのヴォーカルというのは、このアルバム制作期間において自身の病を乗り越えたがゆえの本当の意味での強い生命力が込められているのだ。
そして、ハイエイタス・カイヨーテがオーストラリア国内にとどまらず、世界的な人気を獲得し、グラミー賞にも、当該作がノミネートされている理由は、トラック自体のノリの良さに加え、その中にも深い味わい、一種のアンビエンス、ソウルという表現性を介してのメロウな雰囲気をもつ、秀逸なソウルミュージックを生み出しているから。そして、表向きの音楽性の中に強いソウルミュージックへのハイエイタス・カイヨーテの滾るような熱い気持ちが表された作品ともいえる。
・Mild High Club
「Going Going Gone」 Stones Throw
マイルド・ハイ・クラブはイリノイ州シカゴを拠点とするサイケデリックポップ・グループである。表向きにはローファイ寄りのロックバンドではあるものの、このバンドの音楽性には、ほのかにソウル、R&Bの雰囲気が漂っているため、モダンソウルの枠組みの中で紹介しておきたいバンドでもある。
「Going Going Gone」は近年、LAを中心に盛んなリバイバルサウンド、ローファイ感を前面に打ち出したモダンな作品といえる。
この作品の良さ、魅力については、「雰囲気の良さ」という一言で片付けたとしてもそこまで的外れにはならないと思える。
それに、加えて、MHCの生み出すメロウなメロディは、コアなリスナーに一種の安らいだ時間を与えてくれるはず。
しかし、もうひとつ踏み込んで、マイルド・ハイ・クラブの音の魅力を述べるならば、彼らの音楽のフリークとしての表情、矜持とも呼ぶべきものが、これまでの作品、そして、最新作「Going Going Gone」に表れ出ていることであろう。それは、俺たちは他のやつらより音楽を知ってるんだぜ、という矜持にも似た見栄とも言える。
無論、マイルド・ハイ・クラブの音楽性はお世辞にも、それほど、上記の作品ほどには存在感があるわけではないけれども、彼らの音楽に深い共感を見出すリスナーは少なくないはずである。
いわば、「レコードマニアが生み出したレコードマニアのための音楽」と喩えるべきフリーク性がこの作品には発揮されていて、それが音楽ファンからみても、とても頼もしくもあり、痛快でもあるのだ。
また、それは、別に喩えるなら、アナログレコードプレーヤーに針を落とし、実際にノイズがぱちぱち言う中、音がゆっくり流れ始める、あの贅沢で素敵なタイムラグ、そういったコアな音楽ファンのロマンチズムが、このアルバム全体にはふんわり漂っている。マイルド・ハイ・クラブの音楽に対する尽きせぬロマンチズム。
その感覚というのは、何故かしれないが、実際のサイケデリック寄りの音楽を介し、心にじんわりした温みさえ与えてくれるのである。