Album of the year 2021
ーPost Classicalー
・Lucinda Chua
「Antidotes Ⅱ」 4AD
ルシンダ・チュアは英国、マレーシア、中国、と3つの国のルーツを持つチェロ奏者、ヴォーカリストである。
3歳の頃からSuzuki Methodを介してピアノ、チェロの学習をはじめ、その後、ノッティンガム大学で写真を学び、写真家として活動を行った後、音楽家としての道を歩みはじめた。Stars Of the Lidsといったアンビエントミュージシャン、FKA Twingsといったポピュラー音楽のアーティストのライブで共演を果たしたことが、 ソロアーティストとして活躍する布石となった。英国の名門インディーレーベル”4AD”からの「Antidotes」を引っさげてのデビューは、写真家として、チェリストとしての下積みの後に訪れた、満を持してのシーンへの台頭と言えるだろうか。
そして同じく、4ADから今年の夏にリリースされた二作目のミニ・アルバム「Antidotes Ⅱ」はアンビエントという枠組みでも語られるべき作品で、次いで、モダンポップス、ポスト・クラシカルとしても良質な名盤のひとつには違いあるまい。
この作品は、ピアノ、チェロ、そして、ルシンダ・チュアのヴォーカルをフーチャーし、クラシック、ポップス、ジャズ、アンビエントといった様々なジャンル要素が渾然一体となった作品である。
そのように言うと、いくらか堅苦しい印象を覚えるかもしれない。それでも、実際の楽曲を聴いてみれば、この作品はそれほど難解ではなく、ゆったりくつろいで聞けるアルバムであることが理解していただけるはずである。
この作品で繰り広げられるエキゾチックな雰囲気の漂うクラシカルやR&Bを基調にしたポピュラーミュージック(この作品にどことなく西洋ではない東洋の雰囲気がほのかに漂っているのは、取りも直さず、ルシンダ・チュア自身が中国というルーツを、ことのほか気に入っているからでもある)は、現代のモダンクラシカル、ポスト・クラシカルという2つのジャンルに新鮮な息吹をもたらしている。
依然として、それほどまでには大きな注目を受けていない作品ではあるものの、あらためて、今年のポスト・クラシカルの名盤として、ここで紹介しておきたい傑作のひとつ。
Nils Frahm
「Old Friends,New Friends」 Leiter
「Old Friends,New Friends」について何度も書いてきているが、再度この作品を取り上げるのは、ニルス・フラームはポスト・クラシカルというジャンルを2000年代の黎明期から開拓してきた立役者の一人であるとともに、今作品がポスト・クラシカルというジャンル自体のクロニクル、このそれほど一般的には浸透していないジャンルをよく知る手がかりともなっているからである。
「Old Friends,New Friends」はフラームが自身のマネージャーと設立した”ライター”から12月3日にリリースされた作品で、ニルス・フラームがこの約十年間未発表曲として温めていた楽曲を収録したレコード。
これまで古典音楽、電子音楽、そして、F.S,Blummとのダブ作品を始めとするクラブ・ミュージックの作風というように実に多彩なジャンルのレコードを発表しているので、その内のどの性格がこのアーティストの実像であるのかについて、多くのリスナーは不可解に思っているかもしれないが、実際、くるくると変化する表情、あるいは、作風、まるで掴みどころのないような変身。そのうちのどれもが、ニルス・フラームという人物の本質ともいえるかもしれない。そして、今作「Old Friends,New Friends」は、彼の最初のキャリアを形作ったクラシカル、つまり、ドイツロマン派に近い雰囲気を持った、このアーティストの姿が見いだせる作品でもある。
2021年現在、アメリカのJoep Beving、アイスランドのOlfur Arnoldsをはじめ、世界を股にかけて活躍をするアーティストが増えてきた。
その中でも、ニルス・フラームは、やはり、ドイツのロマン派の音楽の継承者として、過ぎ去った時代の東欧の音楽の伝統性を次世代に引き継ぐ役割を担っているように思える。それが、最も、わかりやすい形で体現されたのが、このニルス・フラームのクロニクル的な作品だ。
ーーロマンチシズム、エモーション、ノスタルジアーーといった、シューベルト、リストの時代に最も繁栄したロマン派の音楽の可能性を、現代において新たにスタイリッシュに組み直した作品である。
しかし、この作品は決してアナクロニズムと喩えるべきではない。これはまた、新時代のモダン・クラシック音楽の形の一つで、2020年代の新しい音楽として解釈されてしかるべきなのだろう。
Listen on 「All Numbers End」:
https://www.youtube.com/watch?v=SgKjNXxNaSQ
The Floating Points・Pharoah Sanders ・London Sympony Orchestra
「Promises」 Luaka Bop
どちらかといえば、厳密には「Promises」はモダン・クラシカルの枠組みで紹介されるべき作品ではあるものの、2021のポスト・クラシカルとしての最高傑作に挙げることをお許し願いたい。
フローティング・ポイントとして活動するサム・シェパード、モダンジャズのサックス奏者として長年活躍するファラオ・サンダース。そして、ロンドン交響楽団。見るからに豪華な三種三様のアーティストが制作、録音にたずさわり、電子音楽、ジャズ、クラシック、3つのジャンルをクロスオーバーして生み出された新時代の音楽である。この「Promises」は、2020年、パンデミックが到来し、最もロックダウンが厳格だった時代に録音された作品ということもあって、後世の歴史から見たときにとても重要な意味を持つレコード、「音楽による記録」のひとつである。
「Promises」という連作形式の作品のプロジェクトを最初に働きかけたのは、モダン・ジャズの巨匠ファラオ・サンダースだった。彼が、フローティング・ポインツの作品を聴き、それに感銘を受け、食事を実際にともにすることで、2020年代を代表する大掛かりな音楽プロジェクトは始まった。
その後、ファラオ・サンダースがロンドン交響楽団に依頼し、ヴァイオリン、チェロ、ビオラ、コントラバスのスペシャリストがこの録音に加わることになった。
フローティング・ポインツとして活動するサム・シェパードは、チェレスタの音色を使用したシンセサイザー演奏者として、ファラオ・サンダースは、即興演奏、インプロヴァイぜーションのサックス奏者として、ロンドン交響楽団は、由緒ある楽団の弦楽器奏者として、この作品の完成を異なる方向性から支えている。
「Promises」は、未来、現代、過去、3つの並行する時間軸を、サム・チェパードのチェレスタの演奏を中心点として、その周囲を無限に彷徨うかのような作品である。そして2020年の世界の奇異な閉塞感を、音楽芸術という形でリアルに表現している。 また、この作品は、米、ロサンゼルスの「サージェント・レコーダー」、英、ロンドンの「AIRスタジオ」という遠く離れた国を横断して制作されたことについても、前代未聞といえる。これまで歴代の音楽史では見られなかった稀有な事例「リモートレコーディング」に近い意味を持つ、前衛的な作品と呼べるのである。
もちろん、これはうがった見方なのかもしれないが、作品中に漂っている異様な緊迫感というのは、Covid19のパンデミックが始まった最初期の社会情勢を暗示しているといえる。英国と米国、2つの国を跨いで録音された楽曲「Moviment1−9」は、連作形式の交響曲であり、ミニマル・ミュージックとしての構造を持ち、サム・シェパードの演奏する短いモチーフを限りなく繰り返すことにより展開され、それが様々な形で変奏され、9つのセクションを構成している。
これは単なる楽しむための音楽というふうに捉えるべき作品ではないのかもしれない。言ってみれば、異なる音楽ジャンルの行き詰まった先にある究極のアート形態の完成系、アメリカとイギリス、2つの国を通じての「コールアンドレスポンス」が、前衛的にこれまでにない迫力をもって繰り広げられている。これは音楽や楽器の演奏を通しての音楽家のメッセージ交換といえる。また、「Promises」という傑作は、今後、如何に移ろっていくかきわめて不透明な時、我々が未来に向けて歩いていく上での重要な指針ともなり、啓示的な教訓を授けてくれるかもしれない。