Album of the year 2021 ーRap/Hiphopー

Album of the year 2021 

 

ーRap/Hiphopー 

 

 

 

 


・Nas  

 

「King Disease Ⅱ」 Mass Appeal 

 

 

 Nas 「King Disease Ⅱ」


 King's Disease II [Explicit]

 


アメリカ合衆国でディスコが衰退した後に登場したラップ、ヒップホップという音楽ジャンルは、1970年代後半のニューヨークのブロンクス地区の公園で、街中の電線から違法に電気を引いてきて、移民のDJがレゲエ、ダブを掛け始めることで始まった文化である。


この音楽文化を、Bボーイズ、ガールズ、数多くのDJインディーズレーベルがクラブカルチャーを通じて徐々に広めていった。当時、アメリカの主要な音楽を取り扱う最大手のビルボード紙にも、このラップ音楽の理解者が殆どおらず、一種のカウンターカルチャーとして見なされていた。しかし、今日のアメリカのミュージックシーンでは、ヒップホップがメインカルチャーに変わり、レコード産業はこの最も売れるジャンルに依存すらしているのは、時代の変遷ともいえるだろう。


長い時代を通して、アメリカの表社会からは見えづらい社会の闇、人種問題、人権問題、ゲットゥーの悲惨な生活、そういう影の部分にスポットライトを当てる役割がその後の世代を通して出現したラッパーたちには存在した。


もちろん、アメリカで最も著名なDJラッパーのひとり、ニューヨークのクイーンズ出身のNasについても全く同じことが言える。


ナズは、元々、八歳で学校をドロップアウトしたのち、ドラッグの売人をしながらゲットゥーをさまよった。彼に、教養、そして文学性を与えたのは、聖書、コーランといった聖典だった。


今日、ナズのラップが未だにアメリカ国内にとどまらず、ヨーロッパ圏でも大きな人気を獲得している理由は、「ラッパーの王者」となってもなお、そういった弱者、表社会からはじき出された人々に対する愛着を失わないからかなのかもしれない。赤裸々にアメリカ社会の闇を暴き出す姿勢、歯に衣着せぬ物言いが、特に、アメリカ国内の人々には痛快な印象すら与えるのだろう。


エミネムをゲストとして招聘した今作「King Disease Ⅱ」は、「王者のヒップホップ」というように、海外の複数の音楽メディアから数々の賛辞を与えられており、その中には歯の浮くような評言も見いだされる。もちろん、作品の話題性については言わずがな、グラミーも受賞するであろうレコードと率直に思う。現在も、ナズは、アメリカのラップ界のアイコンともいえる存在であることは、張りのあるスポークンワードだったり、そして、苛烈なフロウを見れば理解できる。そして、ゲトゥーからスターダムに這い上がってなお、ギャングスタ・ラップの色合いの強い、デンジャラスな雰囲気を今作でも過分に残しているというのは殆ど驚愕すべきことだ。


それはやはり、ナズが若い時代のゲトゥーでの生活、社会の底に生きる人々に一種の愛着のようなものを持ち続けていることに尽きると思う。このレコードに収録されている楽曲のトラックメイクについても王道のヒップホップを行くもので、全く売れ線を狙うような姿勢を感じさせないのも見事。

 

この作品には、いまだに、Nasのアメリカの表社会に対する一種の義憤、そして、ドラッグの売人の時代、ゲトゥーで暮らしていた時代に培われた強かな反骨精神のようなものがタフに感じられる。また、それが、ナズというアーティストが「ラップの王者」でありつづける要因でもあるのだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

・Kota The Friend  Feat.Statik Selektah 

 

「To Kill a Sunrise」 Fitbys LLC

 

 

Kota The Friend  Feat.Statik Selektah 「To Kill a Sunrise」  


To Kill A Sunrise [Explicit]  



コタ・ザ・フレンドとして活動するAvey Marcel Joshua Joneもヒップホップの発祥の地であるニューヨーク出身のラップアーティストであり、イーストコーストヒップホップシーンを代表するDJである。


近年、オールドスクールのヒップホップスタイルも行き詰まりを見せているように思え、他のジャンルがそうであったようにクロスオーバー、つまり本来異なるジャンルをヒップホップに織り交ぜていこうと模索するDJが出てくるようになった。いわばヒップホップも次の時代に進んでいこうという段階にあるのかもしれない。


コタ・ザ・フレンドも同じように、クロスオーバー・ヒップホップに取り組んでいるアーティストのひとり、大学でトランペットを学んでいて、ラップの要素に加え、ジャズ、そのほかにも、クラブミュージック、チルアウト、ローファイ・ヒップホップの要素を織り交ぜたくつろげる良質なヒップホップ作品をリリースしている。また、追記としては、2019年に発表した「Foto」は、ローリングストーン紙によってヒップホップのベストアルバムの19位に選出されている。


コタ・ザ・フレンドの新作「To Kill a Sunrise」は、カニエ、ナズ、ケンドリックといった大御所ラッパーの作品に比べると、いくらか話題性、刺激性に乏しいように思えるかもしれない。しかし、この作品には普遍的な良さがある。ヒップホップによりアート性を求め、芸術作品へ昇華させていこうというジョシュア・ジョーンズの意思を感じさせる。そして、張り詰めたヒップホップではなくて、それとは正反対のまったりした質感を持ち、くつろいだ感じが漂う作品である。


上記の「King Disease Ⅱ」ような鮮烈な印象こそないが、ローファイホップのようなリラックスして聴くことの出来る作品。ジャズの上品な雰囲気の漂うラップの良盤の一つとしてひっそりと取り上げておきたい。 



 

 

 

 

 

 

 

・Mick Jenkins 

 

「Elephant In the Room」Free Nation Cinematic Music Group

 

 

Mick Jenkins 「Elephant In the Room」  


Scottie Pippen [Explicit]  

 


長い間、ヒップホップ、及びラップアーティストは、このヒップホップ音楽がR&Bを始めとするソウル音楽に強い影響を受けて誕生したジャンルということを半ば否定し、忘れていたように思えるが、ようやく、ヒップホップにビンデージ・ソウルの音楽性を添えるDJが出て来た。それがシカゴ、イリノイ州に活動拠点を置くラッパー、ミック・ジェンキンスだ。ヒップホップのミックステープ文化に根ざした活動を行っており、カセットテープのリリースも率先して行っている。


これまで、アメリカの人種問題について歌ってきたミック・ジェンキンスは、今作「Elephant Int The Room」において、個人的な人間関係を題材とし、痛快なフロウを交えて歌ってみせている。若い時代の父親との疎遠な関係、そして、現在の友人関係であったりを、理知的に、ときには、哲学的な考察を交えながら、スポークンワードという形に落とし込んでいる。つまり、この作品は、表向きのラップの音楽性とは乖離した、内省的な世界が描き出されたレコードなのだ。

 

特に、ミック・ジェンキンスのルーツともいえるアナログレコード時代のビンテージソウルの影響を感じさせる作品である。


「Elephant In The Room」の個々のトラックメイクについては、ソウルミュージックの要素がサンプリングを介して展開されている。なんとなく、哀愁の漂うノスタルジアを感じさせる作品となっている。それは、なぜかといえば、ほかでもない、ミック・ジェンキンスの幼少期の音楽体験によるものだろうと思われる。幼い頃、両親が、家でかけていたビンテージソウルのレコード、それは彼の記憶の中に深く残り続け、今回、このような形でラップとして再現されたのである。


本作において、ミック・ジェンキンスは、形而下の世界に勇猛果敢に入り込み、それを前衛的な手法に導いてみせている。

 

それは言ってみれば、疎遠な父親との関係、幼少期の思い出を主題として、ビンテージソウルを介してどうにか歩み寄ろうと努めているように思える。


つまり、ミック・ジェンキンスが志すヒップホップは、このように、内的な感情に根ざした深い心象世界を描き出す。それがこのレコード作品にほのかな哀愁にも似た淡い雰囲気をもたらす。