昨日、12月1日、現代音楽家として知られる巨匠アルヴィン・ルシエがコネチカット州ミドルタウンの自宅で死去したとニューヨーク・タイムズ紙が報じました。
アルヴィン・ルシエの元妻であるメアリー・ルシエがFacebook上で、この知らせを公にしました。アルヴィン・ルシエの娘、アマンダ・ルシエは死因について、転倒後の合併症であると同紙に語っています。
アルヴィン・ルシエは、実験音楽の作曲家、及びサウンドインスタレーションの製作者、そして「ポスト・ジョン・ケージ」として知られ、長年、ミドルタウンのウェスリアン大学で音楽の教授職を務めていました。彼の作風は科学の影響を受けており、音自体の物理的な特性を追究し、音響の倍音の特性を生かした独特な現代音楽、実験音楽の傑作を数多く残しています。脳波、室内音響名等を作曲中に取り入れて、前衛的な作風を生み出したことでも知られています。
"Alvin Lucier" by Non Event is licensed under CC BY-SA 2.0
アルヴィン・ルシエは、1931年にニューハンプシャー州、ナシュア出身。ナシュアの公立、教区学校、ポーツマス修道院学校、イエール大学、ブランダイス大学で教育を受けています。その後、1958年と1959年にルシエは、タングルウッドセンターでルーカス・フォスとアーロン・コープランドに師事。1960年、ルシエはフルブライトフェローシップでローマに出かける。その旅先で、フレデリック・ジェフスキーと親交を持ち、ジョン・ケージ、マース・カニングハム、デイヴィッド・チューダーといった現代音楽家の実際の演奏を目撃する。これを契機として、アルヴィン・ルシエは、それまでの古典的な作風から、現代音楽へとシフトチェンジを図るようになります。1962年、ローマから帰国したアルヴィン・ルシエは、 ブランダイス大学の室内合唱団のディレクターに就任。この合唱団は、数多くのクラシックの声楽作品を発表しています。
1963年、ニューヨーク市庁舎で開催されたチェンバーコーラスコンサートにおいて、ルシエはミシガン州アナーバーで毎年開催されるマルチメディアイベントのワンスフェスティヴァルのディレクターを務めるゴードン・ムンマ、ロバート・アシュリーの知己を得る。その一年後には、ムンマとアシュリーは、チェンバーコーラスをワンスフェスティバルに招待する。ムンマ、アシュリー、そしてルシエは、ニューヨークとブランダイス大学の互いのコンサートに招待し合うようになる。
これらのコンサートの成功によって、 ルシエ、ムンマ、アシュリーは意気投合するようになり、以後、”Sonic Arts Group”という現代音楽の芸術グループを結成し、アメリカとヨーローッパのツアーを敢行するようになります。(その後、Sonic Arts Unionに改名)十年の間、デヴィッド・バーマンを交え、ムンマ、アシュリーとともにSonic Arts Unionとしてツアーを行っていましたが、1976年にこの活動は終了しています。
1970年、ルシエはブランダイス大学を離れ、 ウェズリアン大学の教授職に就任しています。1972年からはViola Faber’s Dance Companyの音楽監督に就任、大学教授を務めながら1979年まで歴任しました。近年まで実験音楽の作品を多く発表し、作曲家として晩年まで旺盛なクリエイティヴィティを発揮、2021年には「Alvin Lucie:Navigations」を発表したばかりでした。