Yard Act  パンデミック時代におけるデビューへの道筋

 


英リーズを拠点に活動するYard Actは、今年の1月21日にZen F.C(islands)から「The Overloard」をリリースして鮮烈なデビューを飾った。

 

ヤードアクトは、ブラックカントリー、ニューロード、そして、スリーフォード・モッズとともに現在最も英国で注目を浴びる四人組と言える。UKポスト・パンク、ディスコパンク、ヒップホップ、果ては、ノーウェイヴまでをも取り込んだ革新的な音楽性はどのように生み出されたのだろうか。


ヤードアクトの魅力は、1970年代に隆盛したUKポスト・パンクの歴史を引き継ぐサウンドにある。そして、ヤードアクトのもうひとつの魅力は、ヴォーカリスト、ジェームス・スミスの生み出す痛烈で皮肉たっぷりのスポークンワードにある。ジェームス・スミスの紡ぎ出す歌詞は、往年のモリッシーのように、皮肉交じりではあるが、そこにはザ・スミスのような自己陶酔は存在せず、ただひたすら現状を痛快に笑い飛ばすばかりである。ブラックユーモアにみちてはいるが、それはジメッとした雰囲気とは程遠く、乾いた笑いの印象を聞き手にもたらす。そして、実際の楽曲にしても、MVにしても、共感性のような感情を受け手に与えるのは不思議でならない。

 

ヤードアクトが今月21日にリリースした「The Overload」の最後のプレリリース「Rich」という楽曲では、資本家からみた資本主義自体の虚しさ、あるいは、資本主義への不信が痛烈に暴き出される。それは、資本主義社会に参加することのできない爪弾きにされた多くの一般市民の心を捉えた。 

 

 

 

 

 

ヤードアクトがスポークンワードという形式で表現する歌詞、つまり、英国社会にとどまらず世界全体に蔓延する一般市民が共感性を見出すことができない「資本主義社会の完全なる行き詰まり」を暴き出そうとするスタイルは、資本主義とは一定の距離を置いて生活をする若者だけにとどまらず、毎日のデスクワークに翻弄される会社員、何らかの思想的な活動に明け暮れて疲れ果てた活動家というように、幅広い層の心に強く響くものがある。それは言ってみれば、お体裁の良い商業ポップスとは完全に異なる図太さのある音楽なのだ。もちろん、彼らが冷笑を交えて痛烈に批判を繰り広げるのは、社会のような蒙昧とした概念にとどまらず、実際の政治であったり、まつりごとを司る政治家に向けられる場合もある。ヤードアクトは、常に逃げも隠れもせず、実態のある何かを相手取り、それをブラックユーモアを交えて表現しているのである。

 

 

 

そもそも、ヤードアクトのバンドとしての始まりは、奇しくも、パンデミックが始まった時期と重なっている。バンドとしての活動を開始し、三回目のギグを地元リーズで行った時、パンデミック時代が到来した。

 

このパンデミックの時代について、ヤードアクトのヴォーカリストのジェームス・スミスは「すべての出来事は当時の私にとっては、あまりに早く起こったように思えました。それでも、完全な憂鬱に陥ることはありませんでした」とヤードアクトとして活動をはじめた当初のことをスミスは振り返っている。

 

 「最初、私は・・・」と、ジェームス・スミスは、後に以下のようにヤードアクトの結成秘話について語っている。

 

 

「ライアン・ニーダムと何年にもわたり、友達以上の関係を築き上げて来ました。彼は、私が”ポストウォークグラマーガールズ”という地元のバンドで活動を行っていた時代、ライアン・ニーダムは、メナスビーチというサイケ・ポップバンドで演奏をしていて、ジャンボレコードから7インチのスプリットシングルをリリースしたばかりでした。ニーダムと知り合った当初、お互い意見がぶつかりあうことも多かったけれど、その後、何度かリーズのパブでニーダムと会って話すことが多かった」とジェームス・スミスは語っている。「私達は、かねてから一緒にバンドをやろうとパブで話していたんですが、なかなか実際にバンドを始める機会を見失っていたんです」

 

 

2019年9月、ライアン・ニーダムがジェームス・スミスの自宅の空き部屋に引っ越した時から、ヤードアクトは本格的な活動を開始した。彼らは、ハウスメイトとして暮らしながら、デモトラック制作に専念した。ソングライティングにおけるパートナーシップを築き上げることにより生産性はみるみるうちに上昇し、スミスの自宅で数多くのデモトラックがシンセを介して生み出された。

 

その後、彼らは明確なバンド形態を取るため、リーズで活動していたTreeboy&Arcから残りのドラマーとギターのメンバーを引き入れることに成功し、追い風が吹き始めたように思えた。しかし、バンドの思いはパンデミック時代の到来により、一度はくじかれてしまったのだった。

 

「私達は、2020年1月にヤードアクトとして門出を果たしましたが、皮肉にも、その後すぐ世界的なロックダウンが始まったんです・・・」とヴォーカリスト、ジェームス・スミスは当時のことを回想している。

 

「それでも、私達は、バンドとしての活動をやめるつもりはありませんでした。 そこで、ロス・オートンというエンジニアに、制作したライブ録音のデモテープ「Fixer Upper」を持っていって、この曲を目に見える形にしたいと考え、デモをリミックスしてもらったんです。その過程、ギタリストのサミー・ロビンソンが私達の元を去っていったのは、正直、とても残念な出来事でした。別に、彼とは仲違いをしたというのではありません。サミーとは常に友好的な関係を築きあげられていたと思っています。新たなギタリストSam Shjipstone が加入したことは、それほどバンド活動を行っていく上で、明確な違いが生じたとは思っていません」


 

彼らが最初に明確なレコードの形にした「Fixer Upper」は後にEP「Dark Days」に収録されている。この曲はThe Streetsの「The Irony of It All」と同様、風刺的なシニカルな架空のキャラクターを歌詞の中に登場させている。

 

この曲で、ジェームス・スミスが描き出しているのは、新自由主義の英国の社会的な描写であり、スミスのスポークンワードの特性を活かし、暗鬱としながらもコメディーに満ちたタッチで曲の世界観が見事に描き出されている。

 

彼が「Fixer Upper」の曲中に登場させたグラハムという架空の人物は、2020年代の社会の主流といえるような典型的な人物である。

 

グラハムは、法を遵守する善良な市民であり、さりげなく人種差別主義者でもあり、また、彼自身の持ちうる特権にあえて気がつこうとしていない人物でもある。この曲は、パンデミック以前に書かれた楽曲だというが、この愛国的な思想を持つ架空の人物が現在のイギリス社会の出来事について、何らかの私的な意見を抱えているということを暗示している。

 

 

「"Fixer Upper"の歌詞に登場するグラハムというキャラクターについては・・・」とジェームス・スミスは苦笑を交えながら語っている。

 

 

「99%、ほとんど確実に、例えば、All Lives Matterのような思想を前面に掲げる人間だと言えるでしょう。彼がパンデミックという概念にどっぷりはまり込んでいるのには2つ原因があります。それは、俗に言われる”ピアーズ・モーガン効果”と呼ばれるものです。このグラハムという人物が、個人的になんらかの社会的な制約を受けている場合、彼は充分な政策を打っていないイギリス政府に反意を唱えるでしょう。 あるいはもし、彼がパンデミックによって傷ついた人を、直接的に友人や知人、あるいは親族を介して知らなければ、彼は間違いなく「私は絶対マスクを着用しません。これはただのインフルエンザなんですから」と主張するはずです。なぜなら、グラハムという人物は、正しいと思うことだけを信条とする人間であり、それ以外のことは興味を示さない、つまり、彼の思想の核心は彼自身に集約されたマキャベリストだからです」

 

「この曲では、グラハムの後に引っ越しをしてきた人々について、実際にフォローアップを書いていますが、それをあんまり仰々しく取り上げるつもりはありません」とジェームス・スミスは語る。

 

「私は、この曲を聴いてくれる人々が、このキャラクターに深く接してくれることが何よりの喜びなんです。そして、私の曲を聴いてくれた人々が、”この男は、今の社会に必要なことを歌ってくれている”なんて称賛してくれればこの上ない喜びなんです、まあ、それでも本心ではそうでないことを願っていますよ」

 

 

ジェームス・スミスはこれまでのUKの歴代のシーンにあって、存在しそうで存在しなかったタイプのヴォーカリストとも言える。

 

UKポスト・パンクの伝説、The Fallのヴォーカリスト、マーク・E・スミスからの直接的な影響を公言していて、ワードやセンテンスの語尾にわざと本来意味のない発音を付け加える遊び心を欠かさないアーティストである。

 

また、ヴォーカリスト、ジェームス・スミスの人物像というのも面白い。そこには、モリッシーのようなブラックユーモアこそあるが、自己陶酔はない。トム・ヨークのような社会的なメッセージ性こそ持つが、内向的な悲観主義者ではなく、外交的な楽観主義者である。ジェームス・スミスは歴代のUKのロックシーンを見渡しても、とびきり風変わりで、魅力的な人物のように思える。


しかし、彼は本質的に、政治色の強いメッセージを掲げるバンドとして自分自身を表現しようとは考えていない。言い換えれば、彼は、人々に何かを考えるべきかということを明瞭に伝えたくないとも考えている。それは、彼自身、何らかの一つの概念に縛られることを嫌うばかりではなく、自分がアイコンのように見なされ信奉され、スターとして神棚にまつりあげられることだけは避けたいと考えているからなのかもしれない。つまり、一つの強固な考えを標榜するように、他者に押し付けるのでなく、多種多様な価値観があって良いではないかとスミス自身は認めているのかもしれない。

 

もっとも、現代社会のAll Lives Matterをはじめとする様々な概念が、「ポリティカルコネクトネス」として氾濫する時代において、幅広い選択肢をもたらすスポークンワード、コミカルな雰囲気をにじませた楽曲の世界観は、現代社会の人々に少なからず安息を与えてくれるに違いない。そして、ヤードアクトの楽曲がなぜ一方通行にならないのかという点についての答えは出ている。

 

彼らの音楽は、オーディオ機器、あるいは、ライブパフォーマンスを通しての聞き手との対話、また、コミュニケーションの始まりなのであり、また、ヤードアクトの楽曲を聴いた後、聞き手自身が、それを自分の頭の中で咀嚼し、最終的に自分なりの答えを見出してもらいたい、自分で最終的な結論を導き出してもらいたい、というように、ジェームス・スミスは考えているのだ。

 

「現在、政治的なメッセージ性を持った音楽は、世界のシーンの中でも非常に目立っているように思えます・・・」とジェームス・スミスは語っている。

 

 

「それらは、すべて、何々党が悪いだとかいう当てつけにも酷似していて、私達は、同じような事例がその他にも数え切れないくらいあるのを知っているんです。私達は、常に、上記のような、何かもっともらしい言葉を垂れるぐらいなら、多くの人をたのしませるような事柄を言うことを優先したいんです。バンドの最初のリリースである「Fixer Upper」のような曲において、私にとって重要だったことは、鮮烈な印象を外側の世界に与えることだった。たとえ、もし、そんなふうに誰かから揶揄されたとしても、その人が完全に間違っていると断言するつもりはありません。

 

もちろん、それと同時に、私達は、社会の背後からものをいい、「私たちは左翼ではないんだ!!」という自己防衛的な人達のようになりたいわけでもないですし、それと同様、私は自分の意見を表明するためだけに、このような風変わりで馬鹿げた物言いをしているつもりもありません。一般的な人々が何らかのことについて発言するのは、必ずしも、自分の責任にはなりえない、と私は考えていますが、同時に、私自身がなんらかの的はずれな発言をした場合には、弁解や弁明をするための場に束縛されるべきとも考えています。これまで、ヤードアクトの活動を行っていく上で、上記のようなことについては、それなりに上手く対処できたのではないかと私自身は考えてますが・・・」

 

 

ヤードアクトの人気が沸騰していくにつれ、 政治に対して率直な意見を述べる、IDLES、Sports Teamのように、彼らの部分的に表現される政治的な思想を全面的に取り上げ、ポップスターとして祭り上げていこうと考えている人々は、イギリス国内、世界全体に少なからず存在することは間違いのないのことである。けれども、こういったアーティストたちは、その後、祭り上げられた挙句、商業的な成功を手にするかわりに、それと引き換えにアーティストらしく生きる上で大切なものを失ってしまったのだ。

 

しかし、ヤードアクトは、今後、過去のスターの悪例に染まらないであろうと考えられる。彼らは、事実、デビュー前に、「Black Lives Matter」を支持しているファンに、facebookを介して怒りのコメントを数多くぶつけられた。この時、ヤードアクトはまさに、上記のような考えを手放した、あるまじきロックバンドであると痛撃な批判を浴びたのだ。この出来事について、ジェイムス・スミスはこのように回想している。

 

 

「古い世代の考えを持つ人々の中には、進歩的な考えを持てない人たちも一定数いるのかもしれません。この問題については非常に難しいことですが、全体的なポイントはそういう出来事を通して、私達はすすんで建設的な会話、コミュニケーションを図っていきたい、と考えているんです。他のバンドが、例えば、一例として、右翼的な思想を持つファンが、彼らの政治的なメッセージに対して疑問を投げかけている出来事を私はかつて見たことがあるんです。そういったファンに対して、常にバンド側は、

 

”それなら、ファンをやめればいい、私達の音楽を聞かなければ良いんだ”と言っただけでした。私は、このバンド側の対応について、完全に同意するわけにはいきませんでした。私は、中産階級の白人として、自分と異なる階級の人達、例えば、労働者階級の同性との会話に際しても、彼らが自分たちとは異なる存在とみなしている場合でも、しっかりとした会話が組み立てられるという奇妙な特性があるんです。ですから、私は、これからもファンと建設的な会話をしていきたいと考えていて、彼らに対して、一方的で好戦的な考えを押し付けたりするようなことだけはしたくないな、というふうに考えているんです」

 

 

ヤードアクトのフロントマンであるジェームス・スミスがどのような考えでバンド活動を行ってきたのかについては以上のコメントが明確に物語っている。それでは、バンドの音楽性や歌詞についてはどうだろう?? 

 

ジェイムス・スミスは、1970−80年代のパンク・ロックサウンドからの強い影響を公言しているが、その他にも1980年代のオールドスクール・ヒップホップ、1970年のイタロ・ディスコ、さらに、2000年代のインディー・ロック、これらすべてを踏襲した独特なサウンドを生み出し続けている。

 

彼が幼年期から音楽ファンとして聴いてきた様々なサウンドが一度は記憶として定着し、その後、スポークンワードを交えた刺激的なポスト・パンクとしてアウトプットされる。もちろん、デビュー・アルバム「The Overload」において、彼らのミクスチャーサウンドの魅力は表題トラック「The Overload」を始め、「Payday」「Rich」といった秀逸な楽曲に表れ出ている。

 

 

「The Overload」

 

 

既に、デビューアルバム「The Overload」がリリースされる以前に、EP「Black Days」そして、四作のシングルがリリースされた後、ヤードアクトの清新な雰囲気に満ちたサウンドは、多くのメディアやファンの興味をひきつけることに成功したことは確かだ。 彼らのような痛烈なポストバンドの台頭を、常に、多くのコアな音楽ファンは待ち望んでいたのかもしれない。その過程で、ヤードアクトは”BBC Radio 6”でのレギュラーポジションを獲得し、さらに、四作目となるシングル「Rich」は、音楽雑誌NMEを始め、多くの音楽メディアに好意的に取り上げられるまでに至った。

 

 

1月21日にリリースされたデビュー作「The Overload」について、フロントマンのジェイムス・スミスは下記のように話している。

 

「私達ヤードアクトは、まだ駆け出しの新進バンドであるため、最初期のシングルリリースにおいて、何らかの印象をシーンやファンに与えられたのはとても嬉しいことでした。しかし、私自身、歌詞を書くことに関してはまだ全然納得していません。

私は、このアルバムの制作段階で、多くのキャラクターの研究、歌詞についてもより抽象的な概念を交え、早いテンポの楽曲を書くこともアルバム制作の構想として取り入れていました。しかし、それらの事とは別に、自分の書く言葉についてはまだ、果たして、これを「詩」と呼んでよいものなのかどうか自信が持てずにいるんです・・・

でも、元来、話し言葉ースポークンワードというのは、詩的な意味を持つといえます。おそらく、多分、本当の詩人は、話し言葉について悩ましく考えるかもしれませんが・・・」


 

デビュー作「The Overload」は、イギリス国内にとどまらず、日本でも音楽ファンの間で話題騒然となっている。

 

 


このバンドの楽曲の主要なソングライターでもあるジェイムス・スミスは、現在、幸いなことに、ライターズブロックに悩まされたことは一度もないという。それは彼が常に全力で走り続け、ホットなスポークンワードを紡ぎ出し続けるからこそなのだろう。

 

ヤードアクトは既に60曲以上ものデモトラックを温存しているという。おそらくデビュー作にも収録されていない素晴らしい楽曲が既に生み出されているかもしれない。まだまだ、それらの楽曲の多くはリリースされていない。

 

鮮烈なデビュー作を掲げて2022年のUKのミュージックシーンに華々しく台頭したヤードアクト。これから、どういった形でリリースがなされるのだろうか、今後のバンドの活動からしばらく目を離す事は出来ない。