Dischord Records Top 10 Album Dischord 名盤ガイド

 Dischord Records

 

ディスコードレコードは、ワシントンDCの伝説的なパンクロックを専門とするレーベルである。1980年、Minor Threatのイアン・マッケイがTeen Idlesのジェフ・ネルソンとともに設立した。

 

 
 

Dischord Recordsの代名詞ともいえるMinor Threat、レーベルオーナーのイアン・マッケイ氏(前列)


 

レーベル設立当初は、DCハードコアシーンの元祖、ティーン・アイドルズのレコードの収益を元に、ワシントンDCのハードコアパンクのリリースを行うために立ち上げられたレーベルであるが、後に、Dischordは、USハードコアシーンの担い手となったのみならず、DIYの精神を掲げ1980年から長きに渡って運営されているインディーズレーベルでもある。ワシントンDCの知り合いのバンドのみをリリースするというスタイルは、今日まで貫かれているレーベルコンセプトでもある。

 

今回は、この1980年代からUSハードコアの最重要拠点となったディスコード関連の10の名盤をご紹介致します。

 

 

 

 

 1.Teen Idles

 

「Minor Distubance EP」

 

 

 

USハードコアシーンの祖、ティーン・アイドルズなくして、USハードコアを語ることは許されません。

 

イアン・マッケイ、ジェフ・ネルソンを中心にワシントンDCで結成。1980年代初頭、アメリカでドラックや暴飲といった退廃的な風潮が蔓延する中、それとは正反対の禁欲的な思想の一つ、「No Sex,No Drink,No Drug」を主張した最初のDCハードコアバンドであり、ストレイトエッジという概念を最初に生み出した伝説的ロックバンドでもある。「Minor Distubance EP」は性急なビートを打ち出した傑作で、イギリスの”Oi Punk”に近い硬派のパンクアルバムです。 

 

 

 

 

 

2.Minor Threat 

 

「Complete Discography」

 

 

 

イアン・マッケイ率いるMinor Threatの活動期の全音源が聴けてしまうという伝説的な名盤。初期のマッケイの激烈なテンションから、後期には、Fugaziを彷彿とさせる落ち着いたポストロック寄りのアプローチにバンドサウンドが徐々に変化していく様子が克明におさめられています。

 

マイナー・スレットという存在、このアルバムの影響力は凄まじいもの。後のSxE、ストレイトエッジ・シーンの先駆けとなり、このハードコアムーブメントは、ボストンやNYにも及んだ。「Filler」、「Minor Threat」「Straight Edge」を始め、USハードコアの伝説的な名曲が数多く収録されている。 







3.Void:Faith 

 

「Spilit」 

 

 

 

イアン・マッケイの実弟のアレックがヴォーカルを務めるFaith、そして、ワシントンDCでも最強のハードコアバンドであるVoidの痛快なスピリット作品。

 

Faithの方もシンプルなハードコアサウンドでかっこいいですが、なんと言っても注目なのはVoidです。この前のめりなヴォーカルスタイル、すさまじい勢いは歴代のハードコア・パンクの中でも随一の切れ味を持つヤバさ。USハードコアシーンの最初期の名スピリットとして挙げておきます。

 



 

 

4.Dag Nasty

 

「Can I Say」

 

 

  

1986年発売のダグ・ナスティーのデビュー作にして歴史的傑作。どちらかと言えば、ハードコアというより、メロディックパンクの枠組みで語られるべきバンドで、LifetimeやHusker Duに近い雰囲気を持つ。

 

デビュー作「Can I Say」には、スタジオ録音に加え、四曲のライブパフォーマンスが収録されています。スタジオの録音トラックもかっこ良いが、必聴なのは、「Circles」、そして追加収録のライブの楽曲「Trying」。速い、かっこいい、エモーショナル。後の1990年代のオレンジカウンティのメロディック・パンクシーン、スケートパンクシーンの音楽性の礎となった作品です。 

 

 

 

 

 

5.Rites Of Spring

 

「End On End」 

 

 

 

 

後に、One Last Wish、Fugaziをイアン・マッケイとともに結成するガイ・ピチョトーのバンド。


激烈な叙情を突き出したサウンドは、ニュースクールハードコアの祖であるだけではなく、エモーショナル・ハードコアの元祖でもある。作品のプロデュースはイアン・マッケイが担当。  

 

 

 

 

 

6.One Lat Wish

 「1986」 

 

 


 

Rite Of Springの3人のメンバーとEmbaraceのMichael Hamptonによって結成されたが、わずか活動数週間に終わった幻のバンド。

 

いわゆるエモサウンドとは一線を隠すエモーショナルハードコアサウンドを特徴とする。このアルバムは十数年間お蔵入りしていたというが、1980年代のエモサウンドを一早く体現した伝説的なアルバム。エモというジャンルがハードコアパンクを始祖としていることが良く理解出来るような作品。「Three Unkind Of Silence」「Sleep Of The Stage」、表題曲「One Last Wish」と、伝説的なエモーショナルハードコアサウンドがずらりと並ぶ様はもはや圧巻です。

 

 

 

 

 

7.Fugazi

 

「13 Songs」

 

 

 

 

イアン・マッケイがマイナー・スレットを解散させた後、ガイ・ピチョトーと始動させたパンクロックバンド。

 

表向きにはパンクロックバンドとはいえども、どちらかといえば、ポストロックバンドのようなミクスチャーサウンドを志向していた。大学の構内でライブをおこなったり、手作りのバンドフライヤーを作成したりと、DIYの活動スタイルに拘りつづけた。このデビュー作の魅力はなんと言っても、「Waiting Room」のかっこよさに尽きます。パンク、レゲエ、スカ、ポップス、あらゆるジャンルを飲み込んだ扇動的なダンスロック。この後、フガジは「In On the Kill Taker」「Red Maschine」といった、ポストロック寄りのアプローチを選んでいくようになる。

 

 

 

 

 

8. Jawbox

 

「My Scrapbook Of Fatal Accidents」 


 

 

上記のDiscordのハードコア・パンクのバンドとは違い、オルタナティヴロックの要素の強いJawbox。Jay Robbins(Goverment Issue,Burning Airlines)を中心に結成。1980年代の伝説的なインディー・ロックバンドです。

 

グループ内で紅一点の女性ベーシストを擁することから、The Pixiesに近い音楽の方向性を持っている。他にも、パンクの尖り具合も持ち合わせながら、ポップスの要素の強い音楽性という面で、Jawbreakerに近い雰囲気を持つ。アルバム「My Scrapbook Of Fatal Accidents」 はDiscordの関連レーベルからリリースされたベスト・アルバムに比する編集盤。

 

「68」や「The Shave」は、アメリカのバンドの中でピクシーズのオルタナ性にいち早く肉薄した隠れたインディーロックの名曲。その他、1990年代のオルタナティヴロックを予見した「Sound On Sound」といった落ち着いたエモーショナルな名曲は、現在も特異な輝きを放ち続ける。  




 

9.Q And Not U

 

「Power」 

 

 

 

既に2005年に解散しているQ And Not You.並み居るDiscordサウンドの中にあって、上記のJawboxやMedicationsとともに異彩を放つロックバンド。どちらかといえば、ワシントンというより、シカゴのTouch And Go、傘下のQuartersticksに所属するバンドに近い雰囲気を持つ。

 

強いて言えば、Dismemberament Planのサウンドアプローチに近い。この作品「Power」で展開されるのは、ディスコパンク、ニューウェイヴサウンドの色合いの強いダンスロックであるが、2000年代に埋もれてしまったアルバムです。 今、聴くと、それほど悪くはない。名盤とはいえないかもしれないが、現代的なロックサウンドの雰囲気を持つ面白さのある作品です。

 

 

 

10.Slant 6

 

「Soda Pop Rip Off」 

 


 

 

Discordの中でもとびきり異彩を放つガールズ3ピースのロックバンド。Christina Billlotteを中心に結成。

 

ハードコアパンクというよりか、The Yeah Yeah Yaehsのようなライオット・ガールのロックサウンド、ガレージロック色の強いバンド。男顔負けの力強さのあるヴォーカルは、上記のハードコアの猛者に比べ遜色のないパワフルさを持つ。この作品「Soda Pop Rip Off」は、英国のニューウェイブのX-ray Specsのようなキラキラしたサウンドの雰囲気を感じさせる。演奏がもたもたしているのは、ドラマーが元ピアニストで、ドラムの初心者であったからというのはご愛嬌。