ドイツの作曲家であり、かつてタンジェリン・ドリームのメンバーでもあったクラウス・シュルツェが74歳で亡くなりました。
シュルツェ氏の死去は、彼が長い闘病の末、昨日に(4月26日)に亡くなったという彼の家族のFacebookの投稿を通じて明らかとなりました。
「彼は素晴らしい音楽の遺産を残したのみならず、妻、二人の息子、四人の孫をこの世に残しました。彼と家族の代表して、長年にわたるあなた方の忠誠と支援に多大なる感謝をしております。彼の音楽は、私達と共にこれからも生き続けるでしょう」
Psy Freeのバンドのドラマーとして音楽家のキャリアを開始したクラウス・シュルツェは、60年代後半、このプロジェクトを脱退し、タンジェリン・ドリームのドラマーとして参加。その後、彼らのデビュー・アルバム「Electric Mediation」に取り組んでいたシュルツェは、間もなくこのグループを去っています。そこから、クラウス・シュルツェは、マニュエル・ゲッチングとハルトムート・エンケと共に、アシュ・ラ・テンペを結成するものの、1972年のイリヒトからソロキャリアを追求するため、たった一枚のアルバムをリリースした後、アシュ・ラ・テンペを去っている。その後、シュルツェはソロアーティストとして活動を行うようになった。クラウス・シュルツェは、1975年、及び、1976年にリリースされた「Timewind」「Moondawn」を含む、60枚以上のソロアーティストとして広汎なバックカタログを形成した。クラウス・シュルツェは、また、1979年のレコード「Dune」でボーカルをレコーディングするため、アーサー・ブラウンを起用している。
1976年、シュルツェは、日本のジャズパーカッション奏者、ツトム・ヤマシタ、スティーヴ・ウィンウッド、アル・デイ・メオラらと共に、スーパーグループに参加する。1976年には、スタジオ・アルバム「Go」、フランスでのライブを収録した「Go Live」、1977年には「Go To」を発表した。他の共同プロジェクトでは、ドイツのスーパーグループであるコズミック・ジョーカーズ、デッド・カン・ダンスのリザ・ジェラルドとのコラボレーションを行った。
クラウス・シュルツェの最新のソロアルバム「Deus Arrakis(デウス・アラーキス)」の詳細については、先日公開されたばかりで、リリース日は、6月10日に予定されています。この新作レコードは、クラウス・シュルツェが長年の関係を持ち、最近、最署名を行ったドイツのレーベル”SPV(エスペーファー)"を通じてリリースされます。
また、今回、クラウト・ロックの先駆者のひとり、クラウス・シュルツェの死去に関して、SPVのマネージング・ディレクターであるフランク・ウーレ氏は、以下のような哀悼の意を表したコメントを添えています。
「クラウス・シュルツェは信念の人であり、傑出した芸術家にほかなりません。 この時間に私達が思いやるべきことは、残された彼の妻、息子たち、家族です。彼のいつも陽気な性質、革新的な精神、および、印象的な一連の仕事は、私達の記憶から消えることなく根付いています」