ドイツの”Leiter-verlag”は、ニルス・フラームの最初期のレコーディングを収録した「Electric Piano」「Strichefisch」「Durton」のリリースを昨日発表しました。これらの作品に収録されている曲の多くは何年もの間、入手困難であったのもの、リリースすらされておらず、ストリーミングサービスにも登場したことがない楽曲が収録されている文字通り「幻の音源」となります。
「Electric Piano」は、2008年にダウンロード版としてリリースされた8曲が収録、さらに「Strichefisch」には、2005年の最初のプレス以来初めてとなるビニール盤としてのリリース、さらに三作目の「Durton」は2006年のデジタルバージョンのみでリリースされていた「My First EP」収録の楽曲とそれ以前に録音された幻の5曲の音源を新たに組み合わせています。
「当時、私達が南ベルリンで使用していたスタジオは、どちらかといえばあまり意に介することもないような小さなリハーサル室とも呼ぶべき場所でした」と、Leiter-verlagを主宰するニルス・フラームはある時代について回想しています。これは、おそらく、ニルス・フラームが若い時代に、ドイツハンブルグの郵便局で勤務していた直後の時代、また、プロミュージシャンとしての地位を確立する以前の、駆け出しの時代について語られたきわめて貴重な証言となります。
私は、今でもよく、「Electric Piano」の最初の着想が出来上がりつつあった、ある夜のことを思い出すことがあるんです。その小さなリハーサル室には、いたる場所に安い掃除用品が乱雑に転がっており、部屋には自然光が全く差し込まず、また、じめじめと湿気ていて、また、少し悪臭が漂っていました。朝の四時のことだったと思います」と、フラームは回想しています。「5時に最初のベースラインのアイディアを家に持ち帰ったんです。新しいアイディアが出てきたおかげで、すこぶる気分の良い一日でした。しかし、私は家にかえって、最初に制作されたそのベースラインをもう一度聴いて見た時、それがそれほど良いものとは思えず、また、その曲についての自信も持てなくなってきたので、それほど広汎なリリースを行わなかった経緯があるんです。
また、この回想について、Leiterのスタッフは、このアーティストの自作に対する懐疑心があまりに強すぎたと説明しています。しかし、その自作品に向けられる厳しい眼差しと批評性こそがニルス・フラームというアーティストの芸術性、及び、創造性を今日まで成長させ続けたのも事実でしょう。
おそらく、ニルス・フラームの当時の判断は、不必要で懐疑的なものでした。彼の判断は、謂わば、リハーサル室の化学物質の煙によって曇らされていたのです。このアルバム「Electric Piano」は、彼の将来への明確な道標を指し示しており、7つの繊細かつ優雅な構成を特徴としています。「今、私は、この作品の魅力を再発見したのです」と、ニルス・フラームは最初期の作品について肯定的に捉え直しています。現在の彼の音楽性の盤石さが、過去の作品をより前向きに解釈しなおす機会を与えたのです。
今回、リリースされる運びとなった三枚のアルバムについては、これまで熱心で長年のファンにしか知られていないフラームの最初期の作品の時代を垣間見ることが出来ます。彼は、2011年の「Felt」翌年の「Screw」でミュージシャンとしての最初の成功を手にしました。両作のどちらも、フラームが若い時代から学んでいたソロピアノでの演奏を特徴としています。しかし、楽器の経験は、彼の初期のレコーディングキャリアにそれほど大きな役割を及ぼしませんでした。
「私は最初の着想を捉えたとしても、それを大きな形で膨らませていくことが出来なかったんです」と、フラームは厳しい批評を最初期の自己に与えています。「例えば、バンドで友だちと遊んだりするときには、キーボードやフェンダーローズといった複数の種類の楽器を使うと、アイディアを膨らすことは容易くなります。そして、当時のピアノの演奏については、私にとって多くの学びの機会を与えた一方で、なんだかそれらの楽器のように遊びで演奏するという気があまり起こらなかったんです」
その代わりに、19歳の頃のフラームは、彼の友人のFredric Gmeiner(Nonkeenで演奏している)と共に演奏を始めました。ニルス・フラームが幼少期を過ごしたドイツ・ハンブルグの自宅にある仮設スタジオで音楽を作れるように、ラップトップをセットアップしようと試みたのです。(ニルス・フラームの父親は、ECM Recordsの専属カメラマンとして古い時代から活躍している)
To Rococo Rot,Murcof,Mouse On Marsのような20世紀後半の作品に大きな触発を受けたニルス・フラームは、その後、クラシックではなく、自宅にある仮説のスタジオで、長い期間にわたって、エレクトロニックの制作に没頭しました。特に、この時代、イギリスのプロデューサーであるマシュー・ハーバートの出会いに、ニルス・フラームは深い感銘を受けたようです。
「彼が、実際に生きているのを見た時、私は、正直、大きな驚きを覚えました」フラームは回想する。
「コンピューターやサンプラーについて、当時、私は、ほとんど知識をもっていなかったため、彼は、私に薫陶を与え、より良くしたいと思ったことでしょう。これらの作品はすべて基本的に、私が新しい可能性を追求し、音楽的な実験を行った形跡のようなものと言えます」
モダンクラシカルとしての最初のキャリアを築き上げたEP「Wintermusik」がリリースされるはるか以前のこと、2002年から2005年にかけて録音され、友人であるArne Romerが設立したレーベル”Atelier Musik”から最初にリリースされた「Durton」と「Streichefisch」は、ニルス・フラームがより、幅広い2013年の「Space」に向けての音楽性の指針を築き上げた画期的な作品となりました。それにもかかわらず、フラームは、他の共同制作者から多くの理解を得られることはありませんでした。彼の作品は、あまりにも時代の先を行き過ぎていたのです。
「ハーバートという人物が、私に対してこんなふうにいったことがあります」とニルス・フラームは、当時のことを苦々しく回想しています。
「フラーム。君は、上手くサンプリングすることは出来ない、また、君は、プリセットされた音色を使いこなすことが出来ないんだ」そんなふうに辛辣に言われてしまったため、長らく、私は、それらの音楽上の実験を試みることは出来なかったんです」
ご存知のように、今では、フラームほどサンプリングやプリセットを巧みに駆使するアーティストを見出すのはそれほど容易なことではありません。彼は「screws」をはじめとする作品で先鋭的なエレクトロニックの独自の作風をうみだしているのです。
しかし、難作として生み出された上記の作品とはきわめて対照的に、「Electric Piano」は、ニルス・フラームがハンブルグからベルリンに移住した直後のたった一夜で制作され、即興演奏、インプロヴァイゼーションが行われた伝説的な作品です。それは、自信を失いかけていたフラームが再び、制作エンジニアのレーマーの励ましによって、自信を取り戻し、最初のミュージシャンとしての一歩を踏み出させ、さらに、ハンブルグからベルリンへの移住によって、なんらかの重苦しい呪縛から解き放たれたかのように、キーボードの演奏、及び、プリセットの音色も独力で自在に使いこなしていることを、「Electric Piano」の作品全体を通じて多くのリスナーは発見することになるでしょう。
「Electric Piano」と他の2つの初期作品「Durton」と「Streichefisch」は、現在、LPおよびCDの2つの形式で購入することが可能です。さらに、すべてのプラットフォームで再生出来ます。
Today, @NilsFrahm shares three albums of rare early recordings, which have been unavailable for years and never appeared on streaming services before.
— LEITER (@leiterverlag) April 22, 2022
Listen now: https://t.co/Rsgvlck6cp#Durton #Streichelfisch #ElectricPiano pic.twitter.com/xUVAJqWPHb