Label: American Dreams
Release Date: 2022年5月20日
"私は特定の出来事や思い出よりも、感情を記録しようとしている。つまり...私の音楽は結局のところ、それに尽きる。
アメリカ/フィラデルフィアを拠点に活動する実験音楽家、Lucy Liyouは、前作の姉妹アルバム「Welfare/Practice」を今週末に発表しています。このアルバムで、ルーシー・リヨーは、韓国系アメリカ人の血筋を受け継ぎ、幼少期の思い出を元に、パンソリ(韓国民俗オペラ)や韓国ドラマのサウンドトラックからインスピレーションを受け、声、フィールドレコーディング、ミーム、Tumblr、YouTubeビデオからのオーディオ・サンプル、シンセサイザー、そして、アコースティック・ピアノによるTTS(テキスト・トゥ・スピーチ)のコラージュにより、独自の複雑な物語を作り上げていく。
「Welfare/Practice 」の作曲は、2019年末に始まり、ルーシー・リヨーは彼らの祖父が演奏していたパンソリの録音に触発されたアルバムを書こうとしました。音楽を通してのストーリーテリングとは何か、声だけでどれだけパワフルで世界を構築できるかを考えさせられました」と、リヨーは言う。「それを”TTS”でやってみようと思ったんです」
リヨーの新作は、電子音楽、ピアノ、オルゴールといった新旧の楽器、語りといった多次元的な要素をまじえ、それを一つらなりのスターリングテリングのような方式で展開していく。しかし、この作品にはそういった皮層に鳴り響いている音楽の中に、その裏側にはかなり奥深い意味が内在しています。
ルーシー・リヨーは、この作品を生み出すにあたって、韓国の民族楽器「パンソリ」の研究を行っています。パンソリは、18世紀に生まれ、一人の歌い手に合わせて鼓手が太鼓を叩くという形式の韓国の民族音楽です。アメリカの移民の家庭に生まれたリヨーは、祖父の時代、そのまたおうこの世代の暮らしにごくごく当たり前のように存在していた、その「パンソリ」にまつわる記憶を呼び覚ますため、はてないようにおもえる記憶の旅を企てる。それは基本的に、現代的な電子音楽やピアノをモチーフとし、往古の韓国で歌われていたかもしれないモノローグ方式のストーリーテリングという形を交えてくりひろげられていくのです。
リヨーの新作「Welfare/Practice」は、綿密な技法、サンプリング、フィールドレコーディング、そして、自身の声の録音という複数のマテリアルを多次元的にくみあわせることにより、シネマティックな視覚性をよびさまそうというものです。それは、この音楽家が音楽を感情表現と考えている証とも言えるのかもしれない。リヨーは、繊細で叙情性あふれる生きた音楽を通し、民族の感情の記憶をたどります。それらは、彼が生きる人生において直に聞いたかどうか定かではないものの、先祖たちが聴いたもの、接したものが、触れたものが、その際に生じた内的感覚が彼の遺伝子にしみついているのかもしれません。それは、ときには、喜んだ経験でもあり、傷ついた経験でもあり、また、楽しんだ経験でもある。その他、様々な先祖が体験したであろう感情を、リヨーはこのレコードで再現しようと試みる。それはすべての移民の心に共鳴する何かが込められ、韓民族にそれほどゆかりのない人の魂を捉えるものがあるはずです。
モダンで実験的な作風でありながら、リヨーは、ーーパンソリーーそれにまつわる祖国の民衆の暮らしというテーマを通して韓民族の深い感情の記憶をこのアルバムでたどり、歴史の錯綜により複雑化した定からなぬ謎を解きほぐしていこうと試みていきます。それは、アルバムジャケットにあらわされているように、バラバラに散らばったパズルをかき集めるような途方も無い企て。彼自身が人生において実際に見たのかどうかさえ定かではない、遠い時代を生きたリヨーの祖先のアメリカへの移民としてのおぼろげな記憶にはじまり、それよりもさらに古い、それよりももっと古い、韓民族としての原初の記憶に定着した日常的な暮らしに至るまで、ルーシー・リヨーは、自分自身のルーツをひたむきに追い求めていきます。真摯さのようなものが宿ることによって、このアルバムは表向きの静けさとは裏腹に強い芯のようなものが通い、圧倒的なパワーが与えられる。時に、サンプリングによって重層的に組合わせるアコースティックとエレクトリックの両側面の性格が絶妙に引き出された生き生きとしたサウンドは、さながら生きた有機物のように蠢き、純粋な美麗さを持って、稀に、強い痛みのようなものを伴って胸にグッと迫ってくる。また、それは何らかの癒しや共鳴のような気分を私たちに与えてくれます。
本来、感情表現をするのには、文章や詩が一番最適かと思われますが、それは人によって様々のようです。ある人にとってはそれは文章や絵であり、写真であり、ある人にとっては演劇であるもの、それはリヨーにとって、レコードという音楽の形式だったのであり、さらには、アルバムの中に内在するモノローグや対話をおりなしてくりひろげられていく、ささやかでありながら壮大な物語でもあったのです。ルーシー・リヨーの紡ぎ出す精神的に凛としたはかなさを持つ音楽は、多種多様な実験的な試みを介して、民族の歴史や源泉を遡行しながらたどっていく。果たして、それはあらかじめ何らかのかたちで約束されていたものであったのだろうか・・・。このレコードーーひとつの記録は、様々なルーツを持つ人に静かな共鳴を与え、感情のもつ現実的な側面を提示し、奥深い情感を与え、さらに、人間の感情というものがどれほど多彩であるのかを教えさとしてくれる。様々な記憶の感情を丹念に辿るリヨーの音楽を通しての試みは、せつなげな情感を滲ませています。