Angel Olsen 「Big Time」
Label: jagujaguwar
Release Date: 2022年6月3日
中国の古い四字熟語に、「温故知新」という言葉があります。これは、日本語でいうと、ふるきをたずね、あたらしきをしる、という意味が込められた「論語」の中に登場する言葉です。その意味は、古い時代の出来事の深い理解を交えることにより、新しい時代の意味を再発見するというもの。なぜ、このような前置きをしたのかといえば、特に、アメリカのソロアーティストの中に、温故知新の精神を追い求めるミュージシャンが数多く見受けられ、エンジェル・オルセンの新作アルバム「Big Time」にも、この古い故事がぴったり当てはまるような感があるからです。
私は、アメリカ文化の専門家でもないため、詳しいことまでは言及できませんが、特に、最近、ファーザー・ジョン・ミスティ、ロード・ヒューロンをはじめ、米国のアーティストの間で、20世紀の初頭や中葉の音楽や文化に脚光を浴びせようと試みるムーブメントが巻き起こっているように思えます。これは「Nostalgia-Pop」ムーブメントの密かな到来と言えるかもしれません。
シカゴを拠点に活動するシンガーソングライターのエンジェル・オルセンさんは、この最新作「Big Time」において、テネシー・ワルツを中心として、カントリー、フォーク、アメリカの音楽文化の源流に迫ろうと試みており、失われたアメリカのロマンチシズム、ノスタルジアを映画のサウンドトラックのような趣のあるバラードにより探求していきます。アルバムの世界観は、徹底して物語調であり、最初から最後までそのコンセプトが崩れることはなく一貫した表現性が通っています。複数の先行シングルとして公開されたMV,「Big Time」のショートフィルムは、この音源としてのレコードを補足し、そのストーリーを強化するような役割を果たしている。
これまで、シンセポップ、オルタナポップ、またパンキッシュな雰囲気のあるポップス、作品ごとにそのキャラクター性を変化させてきたオルセンは、近年、アメリカの古いカントリー、フォーク、アメリカーナといった音楽に真摯に向きあい、去年には、シャロン・ヴァン・エッテンと共同制作でシングル「Like I Used to」を制作し、対外的な環境に関わらず、音楽性をひそかに磨きをかけ続けてきた。
そして、それらの表面的な音楽とは別に、精神的な研鑽をまったく怠らなかったことがこの作品には表れ出ています。ポピュラー音楽の内在する複数のテーマ、若い時代の思い出、家族、そして、愛情などなど、様々な文学的な表現を掲げ、それを良質な音楽としてアルバムに刻印しようと努めている。アコースティックギター、ペダルスティール、といったアメリカンカントリーを象徴するような楽器で表現しようとしており、それらが見事な形で花開いたのが、オープニングトラック「All The Good Time」、タイトルトラック「Big Time」であり、また、トム・ウェイツの最初期の作品「Closing Time」のロマンチシズムを彷彿とさせるような「Ghost Town」といった秀逸なアンセムソングです。これらはミズーリ州出身のオルセンとしてのアメリカ南部の美麗なロマンチシズムに対する憧憬のようなものが余韻として表れ出ています。
特に、オルセンは、この南部のカウボーイ映画のようなワイルドさの漂うアルバムの中、これまで様々な方向性を模索してきたシンガーとしての才質を余さず駆使し、複数の歌い方、正統派のシンガー、おどけたような歌い方、コケティッシュな歌い方、ウイスパーボイスと、複数のシンガーが曲ごとに歌い分けているように、作品で、ころころと自分のキャラクター性を変化させており、その辺りがエンジェル・オルセンというシンガーらしさが引き継がれていると言うべきか、正統派の歌手の大きな成長とともに、歌手としての大きな真価が伺え、特に、この七変化する歌唱法を聴くために、この作品を聴いたとしても大きな感動がもたらされるでしょう。
エンジェル・オルセンは、このアルバムが発表される直前のタイトルトラック「Big Time」のリリースにおいて、「この曲を母親に聞かせたかった。もし、母親がこの曲を聴いてくれたら素晴らしいといってくれただろうに・・・」というコメントを添えていたのを覚えています。この言葉はアルバムの確かな手応えを象徴していたと思いますが、間違いなく、もし、彼女の母親が生きていたら多分そのように言ったはずです。
そして、以上のコメントは、このアメリカ国内でも、シャロン・ヴァン・エッテンに比する実力を持つシンガーソングライターのこの作品に込められた万感の思いで、この作品がオルセンさんにとって、どれほど大切なものであるかを示しています。この作品は、これまでのエンジェル・オルセンのキャリアの中で記念碑的なアルバムでありながら、このシンガーソングライターの音楽の物語の序章ーオープニングに過ぎない。それは、ジャズを下地に独特なポピュラー音楽として昇華された名曲「Chasing The Sunー陽を追う」の劇的でドラマティック、さらに、オーケストラ・ストリングスのアレンジが、ゆるやかに、深い情感を伴いながら、徐々にフェイド・アウトしていくとき、言い換えれば、作品そのものの持つ世界が閉じていくまさにその瞬間、多くの聞き手は「この音楽の物語はまだまだ終わりではなく、これからも続いていく・・・」という、このシンガーからの素敵で勇敢なメッセージの残映を捉えるはずなのです。
Critical Rating:
96/100
Weekend Featured Track 「Big Time」
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