Ásgeir 『Time On My Hands』
Label: One Little Independent
Release: 2022年10月28日
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Review
現在の北欧のアイスランドのミュージック・シーンには、性別を問わず、傑出したシンガーソングライターが数多く見受けられる。JFDR,Jojiを始め、これから活躍しそうな歌手の例を挙げると枚挙に暇がないが、 しかし現在のアイスランド国内のミュージックシーンで絶大な支持を得ているのが、Ásgeir(アウスゲイル)である。アウスゲイルは2012年のデビュー作『Dyrd i daudapogn』で、国内のグラミー賞に該当するアイスランド・ミュージック・アワードの2つの主要部門を含む4部門を受賞し、国内のシーンにおける地位を確立し、今や、アイスランド国民の10人に一人が、このアウスゲイルのアルバムを所有しているともいわれ、アイスランド国内の音楽ファンでこのÁsgeirを知らない、という人を探す方が難しくなっているようだ。
若い時代、カート・コバーンに憧れ、グランジサウンドに目覚めた後、Ásgeirに薫陶を与えたのは、ロンドンのネオ・ソウル/エレクトロの象徴的なアーティスト、ジェイムス・ブレイクにほかならなかった。さらに、アウスゲイルのデビューした年代に活躍したBon Iverが彼の才覚を覚醒へと導いた。つまり、アウスゲイルの音楽は、ジェイムス・ブレイクのような人間味あふれるネオソウル、そして、ボン・イヴェールのエレクトロニクスとフォークの融合性にある。察するに、これらのサウンドを、アイスランドのMumに代表されるような自然味溢れるフォークトロニカサウンドと上手く合致させようというのが、このアイスランドの次世代のSSWの役割なのかもしれない。
デラックスバージョンを除いて通算五作目となる『Time On My Hands』は、近年の作品の中で最も内的な静けさと、このアーティストの持ち味であるソウルミュージックへの深い愛着が示された一作に位置づけられる。そしてアウスゲイルはアーティストとして深みのある表現性に到達したとも言える。
アウスゲイルは、今年ラフ・トレードからデビューしたCarolineを始めとする実験的なバンドの音楽を聴きながら、散歩やドライブをしているときに、アルバムの曲を思いついたという。そして、彼の頭脳の中に溢れる豊かなアイディアやイマジネーションは、このアーティストらしいソングライティングの手法、レコーディングスタジオに置かれていたMinimoog,Korg PS-3100といったヴィンテージのシンセサイザーを介して、纏められた作品として洗練されてゆく。
アルバム全体のアプローチは、やはり、このシンガーソングライターが信奉するBon Iverの主な音楽性であるエレクトロニクスとフォーク・ミュージックの劇的な融合性にあると思う。そして、これらのモダンミュージックの核心を突くアプリーチに洗練性を与えているのが、アウスゲイルのJames Blakeに近いソウルフルで温かみのあるボーカルなのである。アウスゲイルのボーカルは、ブレイクのように内省的であり、熱さを持ち合わせつつも冷静さを兼ね備えている。そしてこれらの曲がなぜ多くの人の心に共鳴するのかというと、それは、「人間味のあふれるソウル・レコード」というBlakeの主要な音楽性の核心を、このアーティストは継承しているからでもある。
このアルバムには、上記の二人のアーティストの性格を引き継いだエレクトロ・ポップのシンガロング性を上手く引き出した#2「Borderland」、先行シングルとして公開された、まったりとしたフォークとソウルを融合した#1「Time On My Hands」といった楽曲の中で、これまでのファンの期待に応え、以前より渋みのある内的な世界を探求し、新たなファンの心を捉える。このアーティストのファルセットは美しく、聴いていて心地よい。いわば一度聴いて分かる親しみやすい楽曲ではある反面、したたかな渋い歌唱力も持ち合わせているため、繰り返して聴いていても飽きさせない安定感のあるタイプの音楽になっているのだ。
しかし、Bon Iverのような売れ筋のアプローチの中にも、アイスランドのアーティストらしい独特な気風も込められている。独特な気風とはつまり他には見出すことの出来ないマニア性でもあるのだが、「Blue」では明らかに2000年代のMumのようなフォークトロニカのアプローチを、Minimoogの音色の面白さを駆使しながら新しいサウンドを探求しているように思える。それはポピュラー性の高い楽曲の中で異彩を放っており、このアルバム全体を俯瞰した際に、一筋縄ではいかないという感じを与え、いわば厳格で硬質な雰囲気をもたらしている。もちろん、これらのキャッチーさと聴き応えの両側面を兼ね備えたアルバムは、聞き手に一定のリズムと心地よさを与えつつら音楽の世界へ誘なうに足る求心力が込められているのにも注目である。
アウスゲイルの新作は、全体的に綿密な曲の構成がなされていて、始めから最後までじっくり聴き通せる。そして、アルバムの最後にも、重要な曲が収録されていて気を抜くことが出来ない。#8「Wating Room」 では、ダイナミックなソウル・バラードを展開する。このファルセットは技巧的で美しく、そして、この曲こそがこのアルバムに大きな存在感をもたらしていると言える。
84/100
Featured Track 「Waiting Room」