Kathryn Mohr 『Holy』 EP / Review

Kathryn Mohr 『Holy』 


 

 Label:  The Flenser

 Release: 2022年10月21日

 

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Review

 

 キャサリン・モーアは、この作品のレコーディングをニューメキシコの田舎で行い、アンビエントドローン、ローファイ、フィールドレコーディング、エクスペリメンタルミュージックと、多角的な音楽のアプローチを追求している。

 

アルバム制作の契機となったのは、サンフランシスコ海岸に打ち上げられた不可思議な浮遊物、その誰のものともつかない、どこから来たものとも解せないミステリアスなテーマを介して、この音の世界をひとつらなりの物語のように丹念に紡いでいきます。その中に、このアーティストなりの内的に収まりがつかないいくつかの抽象的な概念、人間という存在の儚さ、記憶の歪み、そしてトラウマがこの世界の体験をどのように変化するのかを追い求める音楽となっている。


 一曲目の「___(a)」という不可解な題名からして、グロッケンシュピールのような音色を交えたシンセサイザーのフレーズが展開され、それは際限のない抽象的な空間の中へとリスナーをいざなう。ミステリアスでもあり、なにか次のトラックの呼び水となり、さらにはEP全体のオープニングのようでもある。それを受けて展開されていくのは、意外にも暗鬱なスロウコアを彷彿とさせるローファイの世界。粗いギターの音色、そして同じようなコードを反復しながら、キャサリン・モーアはローファイ感のあるボーカルトラックを紡ぎ出している。それは、歌声を介して、これらの内的な不可思議な世界や、作品のテーマであるサンフランシスコの海岸に流れ着いたミステリアスな浮遊物の存在をおもむろに解き明かしていくかのようでもある。その雰囲気は、アンビエントとフォークの融合を試みている、ポートランドのGrouperのアプローチに比するものがありますが、キャサリン・モーアはコーラスの多重録音により、この楽曲に親しみやすさを与えている。

 

その後も、ミステリアスな世界はジャンルレスに続いていく。エレクトロニカ/フォークトロニカに近い「Red」では内向的な電子音楽の領域を探求する。ミニマルとグリッチとノイズの中間にあるこの三曲目でさらに、キャサリン・モーアは内側の世界へ、さらなる奥深い世界へと静かにその階段を降りていく。それはまるで、はてない内的な空間を切り開いていくかのようである。


そうかと思えば、次のタイトルトラックでは、Girl In Redのようなベッドルームポップ/ローファイの質感を持った親しみやすいボーカルトラックが提示されている。しかし、それらはやはりスロウコア/サッドコアのようにきわめて内省的なサウンドが繰り広げられ、淡々と同じコードが続き、また同じコーラスワークが続いていく。曲は単調ではあるのだが、不思議と飽きさせないような奥行きがあるように感じられる。

 

その後の一曲目と同系にある「___(b)」では、フィールドレコーディングで録音したと思われる大気の摩擦するような音だけが延々と再生される。これは、もしかすると、ニューメキシコの砂漠がちな大地で録音された音と考えられるが、わずか一分半の短いトラックは、この土地のワイルドな雰囲気を思わせるのみならず、際限のない空間がそれとは対極にあるコンパクトなサンプリングとして取り入れられている。これは、アンビエントともドローンともいえない、音楽の連想的な作用を生じされる特異なエクスペリメンタルミュージックである。


続く「Glare Valley」で、キャサリン・モーアは、モダンな雰囲気を持つ、ローファイ/インディーロックを展開させていく。ノイズを過度に施したエフェクト処理は、最近のハイパーポップへの傾倒も伺わせるが、おそらくキャサリ・モーアが追い求めるのは、この音楽に代表されるような脚色や華美さなのではなく、きわめて質朴で純粋な感覚である。キャサリン・モーアは、ただ、ひたすら、自分自身に静かに何度も何度も問いかけるように、内側の世界へとエレクトリックギターの弾き語りを通じ、抽象的な表現性の核心にこの音楽を通じて向かっていく。きわめて内省的で危うげな世界へ、このアーティストはおそれしらずに踏み入れ、内面を丹念に検めていくのだ。


EPのクローズとなる「Nin Jiom」では、再び、エレクトロニカの世界へと舞い戻る。これも「Red」のように、そつないミニマルミュージックではあるが、この中にもローファイなコーラスワークが取り入れられている。それは内面の感情をコーラスとして置換したかのように亡霊的な響きを持ち、聞き手をさらなるミステリアスな世界へ引き込んでいく。そして、それらの断続的な世界は、ふと、作品のクライマックスの語りのサンプリングにより途絶えてしまう。得難いことに、それまであった空間が、このサブリミナル効果のあるサンプリングにより一気に遮断されるのだ。きわめて部分的であり、瞬間的であり、感覚的であり、断片的でもある。そもそも、連続性という概念を、この作品全体の中で完膚なきまでに拒絶しているようにも見受けられるが、してみれば、それこそがこのアーティストが表現したかったなにかなのかもしれない。

 

総じて、この新作EP『Holly』は、ニューメキシコの砂漠地方の乾いた雄大な風景を思わせるとともに、内的な感覚を繊細かつ綿密に表現し、アーティストの心の中にわだかまる聖なるものと邪なるものの間で、たえず揺れ動くかのような作風となっている。しかしながら、作者は、常に、この形而下の狭間に落ち着かなく身を置きつつも、たしかに、聖なるもののほうへ魅力を感じており、そちらがわに引きずられようとしている。それが、本作のタイトルが『Holly』となった所以なのかもしれない。

 

これらの多次元的で分離的な作風が、より大がかりな形式のフルアルバムとなった時、どのような作品になるのだろうかと、「Holly」は大いに期待させてくれるものがある。今作は、耳の肥えた実験音楽のファンにとどまらず、ローファイのファンにとっても見逃せないリリースとなっている。



78/100