U2のボノ アップル社との『Songs of Innocence』の無料ダウンロードキャンペーンの大誤算について回想する

U2

 この時代を覚えている方も少なくないと思われる。2014年9月9日、5億人のiTunesユーザーは、U2の最新アルバム『Songs of Innocence』がiTunesアカウントに自動的にダウンロードされていることに気がついた・・・。

 

-無料の音楽を嫌いな人はいないでしょう?- 、U2のボノは、このキャンペーンに関して以上のように考えていたという。ところがである、このアイディアは大失敗に終わった。そして、その時代で最も世界的なロックバンドとアップル・ブランドのマーケティング策略は大誤算であると批判がなされた。


以来、U2はこの時の呪縛を振り払うことができないでいる。もしかすると、U2が積極的に新作アルバムをリリースしないのもこの失敗が後を引いているのかもしれない。


U2のフロントマンのボノは、間もなく発売される自身の回顧録『Surrender : 40 Songs, One Story』でこのiTunesアカウントの無料ダウンロードについての話題について執筆している。つい昨日、10月22日、The Guardianは、iTunesの問題を取り上げたこの新刊書籍の抜粋を独占的に掲載している。

 

 この画期的と思われたアイデアは、2004年にアップル社の創業者スティーブ・ジョブズと初めて会ってから10年後、自分たちの曲「Vertigo」をiPodのコマーシャルに提供し、自分たちのiPodモデルを発表したときに思いついたアイディアであるとボノは断言する。しかし、このとき、最終的に、スティーヴ・ジョブズ氏は、会社の株式で報酬を得るというU2側の要求を却下したという。


2014年になり、バンドは、アップル社のCEOのティム・クック氏と再び会合を重ね、自分たちの完全な新作アルバムを無償提供するとの新しいアイデアについて話し合った。しかし、アップルを無料の音楽提供の場として見せたくないと、ティム・クック氏が躊躇した後、ボノはこう言ったと回想する。「お金を払って買って、それを無料でみんなにプレゼントする。それは素晴らしいと思わないかい? 聴くかどうかは、その人の自由なんだから・・・」


 しかし、先に述べたようにこれは大きな誤算となった。結局のところ、膨大な売上を持つアーティストと、そうではないアーティストの間には埋めがたい大きな溝が広がっていることを表すことになった。そして、リスナーとしても良い音楽に何らかの対価を支払い、アーティストを応援することはファンとして大きな喜びでもあるからだ。


U2のボノは当時を次のように振り返っている。「野心の誇示とでもいうのでしょうか。あるいは、高慢ちき・・・。批評家たちは、私の考えや行動を、行き過ぎだったと非難するかもしれない。いや、でも、実は、その通りなんだ・・・」。彼は、この失言の「全責任」をみずからに負うと付け加えている。


さらに、彼はこのように考えている。この時代の失敗については、マネージャーであるGuy(Oseary)でも、Edgeでも、Adamでも、Larryでも、Tim Cookでも、(Appleの)Eddy Cueにもなく、「全責任は自分にある。僕らの音楽を人々の手の届くところに置けば、彼らはそれに向かって手を伸ばすだろうと思ったんだ。しかし、そうはならなかったのです」と。彼は、自身の独断により、この無料のダウンロードのキャンペーンが推進されたことを潔く認めている。

 

このことについては、複数のいくらか揶揄的な意見も囁かれている。とあるソーシャルメディアは、「朝起きたら、ボノが、台所にいて、コーヒーを飲み、ガウンを着て、新聞を読んでいた……」とか、『U2の”無料アルバム”は値段が高すぎる……』と敬意とユーモアを交えて表現しているのだ。

 

 U2のボノの新たな回顧録『Surrender: : 40 Songs, One Story』は、11月1日に海外で一般発売される。この自伝的な新刊書籍の中で、ボノは、ダブリンで育ったことについて、母を突然失ったことについて、エイズと極度の貧困との闘いに捧げた人道的活動、そして、U2の前座としてのキャリアを読者に紹介している。また、この自伝には、0の章(各章はU2の曲名に由来)があり、ボノがこの回想録のために描いた40枚のオリジナル・ドローイングも併録される。

 

さらに、ボノはこの新刊書籍『Surrender: : 40 Songs, One Story』を宣伝するツアーを11月2日から開催する。ニューヨーク、ボストン、トロント、シカゴ、ナッシュビル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ロンドン、グラスゴー、マンチェスター、ベルリン、パリ、ダブリン、マドリッドを回る予定である。