Pole 『Tempus』
Label: Mute
Release: 2022年11月18日
Review
ドイツ/ベルリンのプロデューサー、ステファン・ベトケは、既に長いキャリアを持つ電子音楽家で、ドイツのテクノ・ミュージックの伝統性を受け継ぐミュージシャンとして知られている。2000年代後半に発表した、三部作『I』『Ⅱ』『Ⅲ』において、このサウンド・デザイナーの持つ強固な個性を見事な電子音楽として昇華した。この三部作は、コンピューターシステムのエラーを介して発生するグリッチを最大限に活かした傑作として名高い。冷徹なマシンビートが重層的に組み合わされて生み出される特異なグルーブ感は、ベトケの固有の表現性と言えるだろう。
先週金曜日に発売された『Tempus』は、ステファン・ベトケ曰く、2020年の前作アルバム『Fading』の流れを受け継いだもので、その延長線上にあるという。しかし、2000年代の三部作とは異なる作風を今作を通じてベトケが追い求めようとしているのは、耳の肥えたリスナーならばきっとお気づきのことだろう。ステファン・ベトケは、今回の制作に際して、母親の認知症という出来事に遭遇したのを契機として、その記憶のおぼつかなさ、認知症の母に接する際の戸惑いのような感覚を、今作に込めようとしたものと推測される。しかし、記憶というのは、常に現在の地点から過去を振り返ることによって発生する概念ではあるが、ーー過去、現在、未来ーー、と、ベトケは異なる時間を1つに結びつけようとしている。これが何か、本作を聴いた時に感じられる不可思議な感覚、時間という感覚が薄れ、日頃、私達が接している時間軸というものから開放されるような奇異な感覚が充ちている理由とも言えるのである。
今作のアプローチには、2000年代のグリッチ/ミニマルの範疇には留まらず、実に幅広いベトケの音楽的な背景も窺える。そこには、メインとするグリッチの変拍子のリズムに加え、CANの『Future Days』のクラウト・ロック/インダストリアルへの傾倒もそこかしこに見受けられる。他にも二曲目の「Grauer Saound」では同じベルリンを活動拠点とするF.S. Blummのようなダブへの傾倒も見られる。しかし、ベトケの生み出すリズムは常に不規則であり、リスナーがリズムを規定しようとすると、すぐにその予想を裏切られ、まさに肩透かしを喰らってしまう。そして、ダブのようにリバーブを施したスネアの打音が不規則に重ねられることによって、ダブというよりもダブステップに近い複雑怪奇なグルーブ感が生み出される。聞き手はステファン・ベトケの概念的なテクノサウンドに、すっかり幻惑されてしまうという始末なのである。
アンビエントに近いテクスチャーにこういったダブに近いリズムが綿密に組み合わされ、『Tempus』の音楽性は構築されていくが、時に、これらの楽曲にはジャズに近いピアノのフレーズが配置され、これが無機質なアプローチの中に、僅かな叙情性を漂わせる理由といえる。しかし、それらのフレーズは常に断片的であり、何か人間の認識下に置かれるのを拒絶するかのような、独特な冷たさが全編を通じて漂っている。このあたりの没交渉的な感覚にクールさを見出すかどうかが、この最新アルバムを好ましく思うかの分かれ目となるかもしれない。
『Tempus』は、かなり前衛的なアプローチが図られており、聴く人を選ぶというより、聴く人が選ばれる、というような作品となる。しかし、この近未来へのロマンチシズムを思わせるようなアプローチ、モダン・インダストリアルな雰囲気の中に、今回の制作において、ステファン・ベトケの構想した、過去、現在、未来を1つに繋げるという、SFの手法が上手く落としこまれているのもまた事実だ。ステファン・ベトケは、リズムの面白さを脱構築的に解釈し、あえて不規則なリズムをランダムに配置することによって、自身の不安めいた感覚を電子音楽として表現しようとしているように思える、それは彼の内面の多彩性がこのような複雑な形で表れ出たとも言える。
最新作『Tempus』において、ドイツテクノシーンの最前線に位置するステファン・ベトケは、新しい立体的な電子音の構築を試みているが、彼の模索する新たなリズム構築の計画は未だ途上にあると思われ、今作で、ステファン・ベトケの最新の作風が打ち立てられたと考えるのは、やや早計となるかもしれない。しかし本作は、CANを始めとする、プリミティブなクラウト・ロックを現代的な視点から電子音楽により再構築したアルバムとして、多様な解釈を持って聴き込めるような作風となっている。
78/100