New Album Review Benjamin Clementine  『And I Have Been』

 Benjamin Clementine 『And I Have Been』

 



Label: Preserve Artists

Release: 2022年10月28日

 


Review

 

このレコードは、パンデミック中に作られ、UKのアーティストの長期にわたる内省的な期間から生まれた。先ずはベンジャミン・クレメンタインのコメントを紹介しておきましょう。

 

「And I Have Been "はCOVID中に構想された。みんなと同じように、私も特別な人と道を共有することに関わる多くの教訓、複雑さ、そして啓示に直面した。パート1はシーンの設定に過ぎず、より深い「パート2」の舞台となる氷山の一角なんです」

  

クレメンタインは、ホームレスからスターダムへと駆け上がった人物であり、トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンは、このアーティストのステージを見た際にニューヨーク・タイムズ誌に、「ステージにふらりと現れたベンジャミン・クレメンタインは、裸足でロングコートの下にシャツも着ていなかった。彼はそのまま高いスツールに腰かけ、ほぼ立ったままでピアノを弾いた。彼はまるで、その場にいる1人1人に直接聞かせるような歌い方をしていたよ。その素晴らしい『声』に、私は驚きを隠せなかった」と説明している。彼は大きな注目を浴びたとしても、それを全く意に介さぬふてぶてしさを持つ。クレメンタインは、はなからスターになど興味はないのかもしれません。

 

2ndアルバム『And I Have Been』の音楽は、オープニングからミュージカルの雰囲気を帯びている。「Residue」 からして、展開力のある音楽が提示される。クレメンタインのボーカルは、古い時代のブルースのように泥臭く、アフリカの民族音楽のような迫力に満ちており、そして、舞台音楽の語りのように物語性を併せ持っている。それらがエレクトロニクス、映画音楽を彷彿とさせるオーケストラストリングス、R&Bや今日のラップミュージックの要素と複雑に絡み合ってストーリーは展開されていく。それは、何らかの音楽を意図して展開させるというより、何らかのヴォーカルトラックをバックミュージックにあわせて、即興演奏で繰り広げるというような雰囲気に満ちている。『And I Have Been」の中に内包されているストーリーテリングはなんの停滞もなく、ほとんどなめらかな質感を持って次から次へと移り変わっていく。それは、ベンジャミン・クレメンタインの人生の一側面を表した何らかのシーンの切り替わりのようでもあります。しかし、上記のデイヴィッド・バーンの言葉も分かる通り、クレメンタインの音楽にはふてぶてしさがあり、まるで裸足で弾き語りを演奏するようなワイルドさが感じられるのです。

 

こうして、オープニングトラックと二曲目の「Delighted」で、音楽を聴くというスタンスでリスニングに臨むリスナーを幻惑し、まるでみずからの世界に満ちる特異な煙幕の中にクレメンタインは私達を引き込んでみせる。続く三曲目の「Difference」は全2曲と打って変わってラップミュージックや現代的なR&Bの音楽へとシフトチェンジを果たす。この曲は、豪奢なストリングスアレンジと女性コーラスを交えたアルバムの中では比較的親しみやすいが、そこにはこのアーティスト特有の哀愁と繊細さがないまぜとなっている。さらに続く4曲目の「Genesis」では、ジャズやブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのようなエキゾチックな雰囲気を持ったカリビアン調の楽曲が展開される。これらの曲は、古い時代のアプローチを感じさせるが、それはアナクロニズムを志向しているわけではなく、クレメンタインの本能的な感性によって哀愁のある音楽へと導かれている。続く「Gypsy,BC」ではスパニッシュ音楽やジプシー音楽の影響を感じさせる音楽性に取り組んでいる。クレメンタインのピアノの弾き語りは、哀愁に満ちていますが、途中からストリングス・アレンジや、女性のコーラスワークにより物語性を帯びてくるのです。

 

他にも意外な癒やしがある「Last Movement of Hope」では、エリック・サティのような近代フランス音楽のピアノ曲にクレメンタインは挑戦しています。全体的にはソナタの構成が取り入れられている。アルバムの前半部のボーカルトラックとは一変して、この曲はキリコの絵画のようなシュールレアリスティックな響きにあふれている。ピアノの演奏はすごくシンプルでミニマルへの傾倒を感じさせますが、表面的な暗鬱な響きの中に奇妙な明るさが感じられる。まるで曲の途中から内的な空虚さの中に明るい兆しが表現されているようにも思える。この曲でのクレメンタインの演奏は即興的ですが、そこには凛とした気品があり、奇妙な美しさがこのクライマックスにかけて広がりを増していくように感じられます。

 

その後も渋さと哀愁を擁する「Copeing」でクレメンタインは、 内的な悲しみを吐露しながら、ピアノの弾き語りを続ける。前半部の楽曲と同じようにストリングスを交えた楽曲ですが、同じような手法でありながら新鮮味を感じさせる。それは、聞き手に聴かせるというより自分の内面の奥深くに静かに語りかけるような歌であるため、短い曲ではありながら聴き応えがあります。続く、「Weakend」では、ミステリアスなピアノの響きによって、クレメンタインの歌が引き継がれていく。やはり、曲の抑揚や起伏は、シンプルなストリングスのビブラートにより増幅されるが、この曲では、古い時代のフランスの映画音楽、あるいはその時代のポピュラーミュージックやカリブ音楽の影響をモダンな雰囲気を持った美麗なボーカルトラックへと昇華させている。

 

アルバムの終盤に差し掛かると、これらのミュージカルの音楽の色合いはさらに強くなっていく。「Auxiluary」では、1960-70年代のポピュラーミュージックを下地にしたより多彩なアプローチが取り入れられ、その音楽の持つ物語性を増していく。フランク・ザッパほどにはマニアックではないが、それに近いコアな雰囲気もある。メロトロンなどを卒なく楽曲のなかに取り入れたり、さらに民族音楽的なコーラスを取り入れたりと、ここで時代を超越したような楽曲を生み出しています。そして、クローズを飾る古典音楽のワンフレーズをピアノ音楽のモチーフとし、このアーティストらしい哀愁に満ちた南欧の民族音楽の性格を取り入れた「Recommence 」も新たな発見に満ちている。ミニマルへの傾倒を見せつつ、そこには複雑なこのアーティストのバックグランドが垣間見える。ピアノ演奏は一貫して抑制され冷静さに満ちているが、時に、クレメンタインのボーカルは、時に、内的な感情を吐き出すような本能がむき出しになる場合もある。これらの楽曲は、アンドリュー・バードのシュールさに近い方向性を感じさせる。


全体を見渡すと、クレメンタインの楽曲は、一見、シンプルで親しみやすく、スタイリッシュな雰囲気すら感じられますが、他方、その音楽の奥深くにあるのは、岩のように硬質な表現性、形而下のなにかを音として表側に引き出すかのような強烈さが込められている。そして、クレメンタインの音楽は哀愁に満ち、シュールさを感じさせるが、その表現はきわめて暗示的な示唆に富んでおり、一聴しただけで、その内奥を理解するのは困難をきわめる。この作品自体の好みや評価もかなり分かれると思いますが、少なくとも、このセカンド・アルバムは、他のどこを探しても見つけることの出来ないベンジャミン・クレメンタインの創造性と個性が発揮された一作で、彼の人生の精神的な部分が音楽として表側に表出したのかもしれません。体系的に音楽を学んだふうには見えないのに、このようなコンセプチュアルなミュージックを生み出すというのは、ほとんど驚愕に満ちている。

 

 

86/100

 

 

 

Featured Track 「Last Movement Of Hope」