ドライ・クリーニングは、元々が売れ筋を狙ったロックバンドとしてとは言えないが、イギリスで最も期待されるべきロックバンドである。その理由は実際の音楽を聴くと、よく理解出来る。彼らの音楽は常に自由で、アート形式を重きに置いている。歌詞は常にシュールである。もともと、フローレンス・ショー以外は他のロックバンドで活動していた。その後、アートの研究を行っていたショーをボーカリストとして招き、ドライ・クリーニングを名乗り活動するようになった。
フローレンス・ショーは歌うことに恥ずかしさを感じていたので、メンバーの進言があり、スピーチのスタイルを取り入れるようになる。スピーチというよりはスポークンワードに近い。この音階の変化に乏しいが叙情的なスポークンワードに、The Jam、Public Image Limitedのようなアートパンクの要素に加え、サイケデリックロックの性質を持つサウンドが多彩に展開される。
一般的に見れば、ドライ・クリーニングの音楽は難解であり、ニッチであると言える。これに異論を唱える人はそれほど多くないと思う。しかし、重要なことは、ドライ・クリーニングはどちらかと言えば、オルタナティヴといえる存在ではあるにせよ、UKのニューウェイブの核心にある音楽性を受け継いでいる。つまり、曲風はオルタナティヴであるが、歴史的に見れば、メインストリームに位置するバンドなのである。
そして、ドライ・クリーニングの2021年のファースト・アルバム『New Long Leg』は、アートパンクやニューウェイブの核心をついた快作である。このバンドの音楽性に地元のロンドンや他の地域の耳の肥えたUKのヘビーリスナーが飛びつかないはずはなかった。本人たちがかなりマニアックで売れないだろうと考えていたにもかかわらず、一般的なリスナーにも浸透し、予測していた以上の注目を浴びることになった。そして、このことに大きな戸惑いを感じているのが、ドライ・クリーニングのフロントパーソンのフローレンス・ショーであったというのだ。
ドライ・クリーニングは、2021年末にモンマスシャーのロックフィールド・スタジオでセカンド・アルバムの初期レコーディング・セッションを行っている最中、ボーカルのフローレンス・ショーは人生の中に大きな変化が生じたのを感じていたという。静かな時間に携帯電話を見ていると、アルバム・オブ・ザ・イヤーのリストが次々と目に飛び込んできたのだ。そこにはドライ・クリーニングの名前が挙がっていた。
「ちょっとびっくりした」とフローレンス・ショーはこの時のことについて回想する。「自分の中では、自分たちがやっていることの聴衆はかなりニッチだという考えが常にあったのですが、いくつかのリストを見て、それを想像するのが難しくなりました。緊張を鎮めるのに時間がかかった」
ドライ・クリーニングにとって、Covid-19のパンデミック期の社会的無関心は、彼らの急成長の現実を部分的に遮蔽していた。ポストパンク・リヴァイバリズムの避雷針であり、彼らのトレードマークである飄々とした雰囲気は、彼らの時代、2020年の精神をはっきりと捉えていたのだ。
フローレンス・ショーの無表情な歌詞は、ジェームス・ジョイスのような自由形式の潜在意識の流れで歌われている。最初のアートパンクの要素に加え、独特なスポークンワードの様式を新たに取り入れ、これまでに存在しえなかった新しいニューウェイブをミュージック・シーンにもたらした。つまり、それこそがデビュー・アルバム「New Long Leg」が絶賛された主な理由であった。しかし、彼女の文章がいかに好評を博しているかに注目が集まり、新しいトラック群を書き上げる作業は、突然、より複雑なものになった。「明らかに、自分自身を表現し、喜ばせようとする代わりに、聴いている人たちのほうに、心が傾き始めるの。私は聴衆のことはあまり考えません。その方がいいものが書けると思うから。だから、それが少し厄介になりました」
先月4ADからリリースされたアルバム「Stumpwork」ではプロモーションビデオを見ても分かるとおり、かなり制作が難航を極めたようだ。フローレンスショーは、レコーディングスタジオの壁に、アイディア代わりの短い言葉を書き留めたメモ用紙を貼付け、そのアイディアを何度も見ながら練り上げ、それに深度を加え、他の三人のメンバーと何度も入念に音合わせをしながら、レコーディングに臨んだ。フローレンス・ショーにとって、歌詞は単なる詩を書くというのではなく、何らかの小さい概念を重層的に積み上げていく作業といえる。そして、完成作品を見ると、フローレンスの歌詞と人柄は全くそのままに、彼女のシュールで非連続的なストーリーテリングがより抽象的になっている。「Anna Calls From The Arctic」に登場するエンポリオ・アルマーニのビルダーから、タイトル曲「Stumpwork」のゴミにしがみつく若いカップルまで、「Stumpwork」は狂気のディテールと奇妙なシュールレありスティックなイメージで溢れかえっている。そしてこれらの概念が音楽の向こうから降り注いでくるようにも思えるのである。
音楽的にも、Dry Cleaningはこれまで以上に自分たちの奇妙さに傾倒している。それはより内的な表現性に達したと言える。「Hot Penny Day」では、Madlibのようなヒップホップのクレートディガーから引用したと思われる深いファンクのグルーヴを取り入れ、他にも、「Driver's Story」では、物憂げで辛抱強く、ストロングなカットで、おそらく初めてバンドが自信を持ってすべての感情を表現している。
セカンド・アルバムでは音の出し方が手探り状態であった前作よりダイナミックな変化を遂げたことについて、ベーシストのLewis Maynardは次のように語っている。「最初のアルバムを発表したことで、僕たちはいろいろな方向に行けることがわかったし、『Stumpwork』ではそれをさらに実行することにしたんだ。よりエクストリームなジャングル・ポップ、よりエクストリームなストーナー・ロック、よりエクストリームなアンビエントを目指したんだ」。ギタリストのTom Dowseも二作目の制作において大きな心変わりがあったことを認めている。「1枚目のアルバムでは、すべてのテイクが完璧でなければならないと考え、緊張して、頭の中が真っ白になってしまったんだけど、2枚目のアルバムでは、そのプロセスをより信頼できるようになり、大きな視野で見ると、常に細かいポイントまで見ているわけにはいかないということに気づいたんだ」
「Stumpwork」は、今年最も期待されたアルバムリリースであると同時に、最も満足度の高いアルバムの一つでもある。このアルバムは、Dry Cleaningのキャラクターがその隅々にまで書き込まれている。それは他のアーティストとの出会いや、実際の会話において、自分たちの存在が他と何が違うのかについて以前より深い認識を重ねた。しかし、それはよりバンドの音楽性の原点をあらためて確認することにも繋がったのだという。「私たちは、製作時に、何人かのヒーローに会い、彼らの何人かと、私たちの仕事について話をすることが出来た。そのことは良い方に転じたはずです」とTom Dowseは言う。「でも、バンドとして、仕事のやり方、お互いの関わり方、それは変わらない。今でも同じように作曲しているし、ダイナミックさも同じだよ」
セカンド・アルバムでのフローレンス・ショーの歌い方は、これまでと同様に独特だ。しかし、「Gary Ashby」と「Don't Press Me」では、繊細な歌声を聴かせる場面もあり、エモーショナルな側面を垣間みることが出来るが、「これは実は違う要素なんだ。私の歌は、少なくとも私にとっては、私の話し言葉のようなものとは少しだけ異なる質を持っています。私は、歌の才能があるわけではありませんから、その歌にはある種の特質があるのです。歌に取り入れたいものがあれば、そこに持っていきます。あるいは、もっとバカバカしい曲のために歌を使うこともある場合もある。いろいろな理由があるけれど、本当に歌っていることが楽しいんだ」
フローレンス・ショーは、「Kwenchy Kups」のようにバスで蚤の市に行ったときでも、ブリストルの街を少し歩いたときでも、一日のうちに不完全な思考の断片や、過ぎ去った内的考察を記したメモを集めておく。全体的な効果としては混乱が生じますが、日常生活の具体的なディテールがこれらの歌詞に散りばめられている。時折、現代的な感情(「何も機能せず、すべてが高価で不透明で私物化されている」と彼女は「Anna Calls From The Arctic」で述べている)が含まれるが、それでもフローレンスは、彼女の歌に広いメッセージを読み取るように私たちを誘惑する。むしろ、セカンド・アルバムでのフローレンス・ショーの切れ切れな歌詞は、現実から遠ざかるのではなく、現実に近づいており、ますます混乱する現代生活に完璧に寄り添うものとなっている。イングランド銀行の資産売却やギルト債の償還率など、理解しがたいことを理解することが求められる現代において、フローレンスの散漫で熱狂的な文章には不思議な心地よさがある。彼女の騒動のどこかに、我々が切望する答えがあると信じると、慰めにもなる。そして、さらに良いのは、現実の生活の厳しい現実とは異なり、ドライ・クリーニングでは、あなたが見つけたどんな真実も、他のものと同様に正当なものであるということなのだ。
「それはリスナー次第でしょう」と、彼女は心強く言っている。「多くの人が曲の意味について話してくれます。そして、曲には何の意味もない、あるいはランダムだと思う人もたくさんいる。でも、私はそのどれもが好きだし、どう捉えられても構わないと思っている。たまに、私が言いたいことを正確に理解してくれる人もいますが、私はあまり明確に理解してもらうために書いているわけではありません。もし、包括的なメッセージがあるとすれば、政治や人生に関することではなく、個々の心の面白さや有効性を感じてほしい、というようなことでしょうか」
この原則はバンド全体にも当てはまる。Dry Cleaningは、リスナーが自分たちの音楽に反応するときにどう感じるべきかを規定するのではなく、両者が会話に参加したときに最高のつながりが生まれると信じている。つまり、観客が参加することにより、ドライ・クリーニングの音楽性はいかようにも変化する。聞かせるという場所に据えてしまうのではなく、自由に聴くということ、幅広い考えを持って聴いてくれるということ、それをバンドは重視しているのだ。
「私たちのメッセージは、直接的であったり、率直であったりするものではありません。私はこう感じるから、あなたもこう感じるはずだ "というようなことを言う必要もありません。むしろ、リスナーが曲を完成させられるような演奏スタイルなんだ」
しかし、時折、物事は実際にそのように見える場合だけのときもある。「Gary Ashby」は、行方不明になった家族のカメの物語を、とてもストレートに、そして甘く歌っている。"私がいないと動けないの?"とフローレンスは歌う。この曲が、Dry Cleaningの広々とした皮肉な空想の産物であると期待していたリスナーは、Garyのテーマが実在すると聞いて驚くかもしれない。そう、このカメの迷子の話は、フローレンスが街角で実際に見たものに文学性を付け加えたのだ。「彼に何が起こったのか、私たちは知りません。ゲイリー・アシュビー "と書かれた迷子札があって、その下に小さな写真とぼったくり電話番号が書いてあった。それ以上のことはわからない。彼らが歌を聴いてくれることをちょっとだけ願うし、"彼らがこのことを気にしないことを願う」
ドライ・クリーニングは常にこういったシュールな表現性を追求する。しかし、これらの話が、気まぐれな作曲とレコーディングのプロセスを指し示しているように見える一方、逆にその時期にはバンドにとって大きな悲しみもあった。
トムの祖父が亡くなり、ルイスの母スーザンも亡くなるという悲しみ。実は、スーザンの家は、初期EP「Boundary Road Snacks and Drinks」に名前を残し、彼女がいかにバンドの中心的存在であったかを物語っている。実際、2021年3月に、彼らが『Later...with Jools Holland』にデビューした時、彼女は入院していた。スーザンは「New Long Leg」のリリースからわずか1週間後に他界したというが、その目を見張るような全英アルバム・チャートの4位までの上昇を目の当たりにしたのだった。
「それがどこに出てくるか判断するのは難しいよ・・・」と、ルイスは母親スーザンの死が「Stumpwork」に与えた影響について語る。「私はいつもネガティブな状況にはポジティブに反応し、その中からベストなものを見いだそうとする。それが僕らの人生にとって大きな部分を占めているんだ」
Dry Cleaningが結束力の強いグループであることは明らかであり、同世代のバンドで最も成功に酔いしれることのないバンドである。「私たちはたくさんギグをしてきました」とドラマーのNick Buxtonは付け加える。「僕たちは皆、地に足をつけて活動することがとても重要だと考えているんだ」
4年前にバンドを結成したとき、この4人組はこのような事態を予想できなかったことは言うまでもない。しかし、このバンドが売れ筋ではないのにもかかわらず、多くの耳の肥えたファンが飛びつくのは、そこにオーバーグラウンドの音楽にはない真実性が込められていると感じるからである。体裁を度外視した本物の音楽を実は、メインストリームのファンも常に心のどこかで求めている。その渇望がこのバンドの音楽とうまく合致を果たしたというのことが言えるのではないだろうか。
ドライ・クリーニングは11月と12月に来日公演を控えているが、おそらく、リスナーも参加してひとつの完成した音楽が出来上がるというスタイルは、日本のファンにも好意的に迎え入れられるだろうと思われる。まだ、2つ目の階段を上ったばかりだが、ドライ・クリーニングは今後、世界的にも大きな人気を獲得していくだろう。しかし、「Stumpwork」についても予想外の好反応だったことについても、やはり、ドライ・クリーニングのメンバーは、いくらかの奥ゆかしさを持って自分たちの境遇を眺めている。「私たちのバンドをこれほどまでに気にかけてくれて、これほど時間を費やして考えてくれるなんて、特権のように感じる」とTom Dowesは言う。「僕らには本当に素晴らしいファンがいる、そのことに感謝しないわけにはいかないんだよ」