Julien Chang(ジュリアン・チャン) 米国の新進気鋭のポップスシンガーのデビュー・アルバム”The Sale”に注目

Music Tribune   

 Weekly Recommendation 

 

 

 

Julien Chang 『The Sale』




 Label: Transgressive

 Release: 2022年11月4日


 

Review

 

米国のシンガーソングライター、ジュリアン・チャンは、若き天才であり、その多岐に亘る作曲能力、そして複数の楽器を演奏し、伸びやかな歌唱力を誇る点で、プリンスを彷彿とさせる。十代からすでに本格的なソングライティングを開始していたというエピソードも相通じるものがある。

 

アーティストとしての道を歩むきっかけ、つまり音楽の道を目指すようになった理由について、「人々に衝撃を与えたかった」とジュリアン・チャンは端的に語っている。「人々が慣れ親しんできた私のイメージに挑戦するようなものを、期待されることなく密かに作りたかったのです」というのだ。


デビュー・アルバム「Jules」で、Julian Changは最初の目標を達成するのみならず、それ以上のものを手に入れた。19歳(ファーストアルバムリリース時)のボルチモア出身の彼は、プログレッシブなジャズの即興演奏と洗練されたクラシックの構成に、ポップなメロディーと実験的なサイケロックを融合させ、その驚くべきビジョンと素晴らしい楽器演奏の才能を披露している。そのアレンジは、予想を裏切り、若さゆえの自由と発見に満ちあふれている。同時に、Changの繊細で抑制されたヴォーカルは、愛と友情、成長と変化、記憶と後悔に取り組む彼の若さとは裏腹に、思慮深さすら感じさせる。彼が敬愛してやまないスティーヴィー・ワンダー、ビートルズ、テーム・インパラ、ロバート・グラスパー、あらゆるアーティストを意識した、トリッピーなサウンド・コラージュであり、カテゴライズされないアルバムを生み出したのだ。


Changは、Baltimore School for the Artsでクラシックとジャズの演奏を学びながら育った。地元のヒップホップ・アーティストのためにビートを作るのが趣味だったが、クラスメートや教師のほとんどは、彼をトロンボーン奏者としてしか知らなかった。彼が自宅で独学で楽器を学び、地元の食料品店で働いたお金で地下にスタジオを建てていたことなど、知る人はほとんどいなかった。


「制作中に何かを話したり、共有したりすることで、自分が作っているもののインパクトを減らしたくなかったんです」とジュリアン・チャンは言う。「誰も予想していないものをリリースすることで得られる力を利用したかったのです」。実際、チャンは、昨年、この作品集をオンラインで公開し、CDを少量生産して自主的にリリースした時点では、さほど騒がれることもなかった。ところが、このレコードは、その後、ボルチモアの音楽コミュニティーで徐々に広まり、最終的にはロンドンまで届き、Transgressive Records(SOPHIE, Let's Eat Grandma, Neon Indian)の目に留まり、関係者はニューヨークまでチャン本人に会いに行き、間もなくレコード契約を申し込んだのだった。

 


Julian Chang
 

 以上のようなデビューの経緯を持つ、ジュリアン・チャンは、2020年のデビュー・アルバム「Jules」でPitchfork、Fader、The Guardian、NME、Loud & Quiet、DIY、Billboard等、錚々たる音楽メディアから歓迎を受け、最初の成功を掴んだが、このセカンド・アルバムで彼は才覚により磨きをかけている。

 

ホームタウンのボルチモアとプリンストン大学の寮の二箇所で録音されたという2nd「The Sale」は、ホームレコーディングのラフさが引き出されているが、他方、ジュリアン・チャンの広範な音楽知識とリスニング経験に裏打ちされた宝玉のような輝きを放つ作品と言える。アルバムは、全体的に、モダンなインディー・ロックが楽曲の基礎に置かれているが、その他、ピンク・フロイドからテーム・インパラに至るまで新旧のサイケデリック、そして大学で専攻していたクラシック、ジャズの技術を曲や演奏の中に多彩な形で散りばめている。およそ、シームレスに音楽の領域を行き来し、ジャンルレスとも言えるような多彩なアプローチが今作には取り入れられている。

 

ジュリアン・チャンは、グレゴリオ聖歌からスティーヴ・ワンダーまでの幅広い楽曲を楽理的に解釈し、その関連性を見出す知性溢れるアーティストではある、しかし、このセカンドアルバムにはそういった衒学的な概念はほとんど感じられない。アルバムの冒頭、二曲目収録の「Mermalade」を始めとする楽曲で、チャンは感覚的なインディーロックソングを書き、論理性に傾くのではなく、感性に重きを置いている。ジュリアン・チャンは自分の感覚を信じきり、作品を生み出す。彼は衒学を厭い、リスナーに堅苦しさを与えず、爽快なイメージをリスナーと共有しようとしているのだ。

 

 感覚の共有というひとつのテーマは、チャンの繊細な感性により、みずみずしい表現性へと昇華されている。そして、そのイメージは、中盤から終盤にかけて、さらにおどろくべき展開力を見せる。往年のディスコ時代のダンスミュージック、ロックの最盛期、そして、近年の米国のオルタナティヴロックを、ジュリアン・チャンは自分なりの手法で表現しようと試みている。さらに彼は、ほんのわずかながら、サイケ、ソウル・ロック、最近のLAの宅録のローファイアーティストのようなジャンク・ミュージックの要素を加えて、それをほとんど呆れるような多彩さで変幻自在に展開させる。


それは、このアーティスト、ジュリアン・チャンがジャンル、カテゴライズという概念を軽々と超越しようとしている証左でもある。これらの涼やかな雰囲気に充ちた多彩なインディーロックのボーカルトラックの中には、鋭い感性に裏打ちされたモダン・ジャズとミラーボール時代のディスコ・ロックの中間点にある「Snakebit」のような楽曲がひときわ強烈な印象を放つ。ジュリアン・チャンは、スティーリー・ダンの「Aja」やプリンスの最盛期のような艶気のある中性的なボーカルを活かした楽曲でリスナーを魅了し、幻惑させてみせる。


「Snakebit」


 


続く「Time And Place」では、シド・バレット在籍時のピンク・フロイドのような独特なサイケデリアの中へ踏み入れていく。モダンフォークの要素を取り入れ、サイケとアンビエントの中間点を探る。しかし、驚くべきなのは、ジュリアン・チャンの楽曲は常にコントロールが効いているためか、自由奔放になったり、放埓の罠に陥ることはない。ここでは、みずからの感性を頼りにし、豊富な楽理知識に裏打ちされた楽曲進行が取り入れられている。さらに、次曲の「Bellarose」では、前曲のインディーフォークのアプローチにより強い焦点を絞り、それを感性豊かな楽曲へ昇華させようという意図も見受けられる。そして、その先鋭的な試みは、実際のところ、成功しており、聞き手を陶然とさせる甘美さと艶やかさの妙味を持ち合わせているのである。

 

一般的なアーティストの場合、作品の中盤から終盤に差し掛かると、ほとんど相手の手の内がすっかり明かされ、その作品がどのような指針を持って製作されたのか、おおよそ把握できるようになるが、まったく不思議なことに、ジュリアン・チャンのレコードは、そのかぎりではないのである。彼はこの終盤部において、リスナーをさらなる混迷の中に引き込み、華麗なマジックを目の前で披露するかのように、リスナーの集中力を絶えず惹きつける。むしろ、クライマックスで、このアーティストの曲が良く理解出来るようになるというよりも、さらに予測不能で不可解な部分も出てくるのが面白い。そう、音楽というのは、よくわからない部分があるからこそ魅力的なのだ。

 

「Ethical Exceptions」では、ローファイアーティストを彷彿とさせる楽曲に取り組んでおり、クラシックとは程遠い、ヒップホップ/ローファイヒップホップのアプローチをオルタナティヴ・ロックと劇的に融合させている。ここで、ジュリアン・チャンは、Part TimeやBlack Marble、Ariel Pinkのようなジャンク感のある音楽の方向性に挑み、現代的な米国の音楽文化を、クラシックやジャズのように、既に評価が確立されている音楽文化と対峙させる。これは、このアーティストが、それらの現代の音楽が、古典音楽やジャズと同等の価値を持つ音楽なのだと主張するかのようでもある。さらに、2ndアルバムのクローズを飾る「Competition's Friends」では、ビートルズのアート・ロック、ピンク・フロイドのサイケ・ロックを見事な形で現代に蘇らせている。


ボルチモアが生んだ鬼才--ジュリアン・チャンは、この作品で、過去と現代を一つの線で結ぼうとしている。『The Sale』はまさしく「温故知新」という故事を音楽表現として表したかのような味わい深い作品である。

 

 

 

92/100

 

 

Weekend Featured Track 「Competition's Friend」