Little Simz 『No Thank You』
Label: AWAL Recordings
Release: 2022年12月12日
Review
2022年度のマーキュリー賞受賞の熱狂の余韻も冷めやらぬ中、先日発表されたUKのラッパー、リトル・シムズの最新作は、ベスト・アルバムリストには間に合わなかったものの、それに匹敵する高いクオリティーを持つ。正直を言うと、この新作アルバムの凄さには本当に驚いた。
幼い時代からラップをしていたというナイジェリアからの移民の両親を持つリトル・シムズは、特にこのジャンルをゴスペルやネオ・ソウル、エレクトロと融合させ、これまでに存在しえなかった形式を打ち立ててみせている。
オープニングを飾る「Angel」は、特に、このアーティストのラップが独自性に支えられていることを示している。淡々と紡がれるライムは爽やかな雰囲気を擁しているが、背後のバックトラックには強固なブラックミュージックへの憧憬が滲んでおり、ゴスペルのコーラス、ブレイクビーツを交えたソウルが爽快でありながら陶然とした空気感を演出している。特に、このゴスペル的なコーラスは、リトル・シムズの音楽を敬虔あふれるものとしている。その後も、モータウンサウンドのイントロをモチーフとして展開される#2「Gorilla」では、アシッド・ハウスのコアなグルーブをいかしつつ、このアーティストらしい、さっぱりとしたライムが繰り広げられる。
その後も、アルバムの音楽は、1つのジャンルに規定するのを忌避し、#3「Siloulette」では、ソウル/ファンクのグルーヴ感を存分に活かしながら、ポップミュージックのダイナミクスとの融合を図っている。しかし、ミステリアスな雰囲気を擁するトラックには、やはりゴスペル・コーラスにより上質な音楽として昇華されている。曲のクライマックスでは、シネマ音楽のようにダイナミックなホーンとともにフェイド・アウトしていく。ここまでの音楽は、往年のソウルの大掛かりな舞台装置のような演出もあるが、その内郭には、リズムに対してどのような言葉を配置すればよいのか入念に注意が払われている。バックビートを活かしたリリックはリトル・シムズの特徴ではあるが、それは幼い時代から感覚的なものとして定着しているのだろう。
さらに「No Merci」からはおそらく近年のハウス・ミュージックに呼応した現代的なサウンドで聞き手の心を捉えてみせる。表面上は、メインストリームの音楽を志向してはいると思われrうが、そこにはリトル・シムズらしい叙情性と繊細性もこの曲には感じ取る事もできる。この曲はアルバムの中でバンガーとして機能しているが、やはりクライマックスにかけては、ダイナミックなソウルへと発展し、ストリングスとホーンのアレンジが深みと迫力をもたらし、続くエレクトロへの意外な展開への呼び水となっている。これらの曲の展開力というのは目を瞠るものがある。
続いて、アルバムの音楽はより多彩さとバリエーションを増していき、「X」ではアフリカン・ミュージックのリズムを取り入れつつ、特異なリズム性に根ざしたラップ・ミュージックにブレイクビーツの要素を重ね合わせて楽曲を展開していく。何かひりつくようなシムズのリリックとライムは刺激的であり、前衛的なものであり熱狂性を帯びている。そして、それはやはり、このアーティストの音楽性の核心にあるゴスペルの要素と合致し、イントロからは想像しがたいトリッピーな展開の仕方をする。このあたりに、シムズの才覚が表れ出ているように思える。アウトロのメロウな雰囲気は、往年のソウル・レジェンドに全く引けを取らないものがある。
「Heart on Fire」ではメロウなソウルとエレクトロを融合し、淡々とライムを紡ぎ出していく。バックトラックに導入されるエレクトリック・ピアノの響きは、既にソウルミュージックの要素としては不可欠だが、この曲もまたシンプルなビートから一転、クライマックスではドラマティックな展開が待ち受けている。それはリトル・シムズの簡素なライムを中心としてストリングス・アレンジとゴスペル・コーラスが、このアーティストの核心にある叙情性を華やかに演出するかのようにも感じられる。さらに、ゴスペル風のイントロをモチーフにしたソウルのバックトラックに対して、センスよくリリックを紡ぎ出すリトル・シムズのスタイルはその後の「Broken」そして「Sideways」に引き継がれていく。しかし、それはあくまでブレイクビーツの最新鋭のスタイルに根ざし、原型の形を破壊し、それを再構築しようというアーティストの意図も見受けられる。こういった新奇なチャレンジは、むしろ、往年のソウル/ゴスペルの音楽の特性を知悉しているからこそ出来ることだ。リトル・シムズは、それらの音楽にある核のような何かをサンプリングとして抽出し、それを軽快なラップ・ミュージックとして昇華されているのである。
もはや終盤の段階に来て、このアルバムの良盤としての評価を疑うリスナーは少ないと思われる。その後に続く「Who Even Cares」は、アルバムの中盤にかけての良質な音楽の魅力をより引き立てる働きをしている。
リラックス感のあるチルウェイブに近いこの楽曲は、いわばそれらの中盤までの聴き応えのある楽曲のクールダウンのような役割を果たしている。さらにラスト・トラックで、リトル・シムズはジャズ・ピアノのアレンジを交え、クールなライムを展開させる。このゴージャスな雰囲気を要するラスト・トラックこそ、マーキュリー賞の授賞が名ばかりではなかったと証立てるものとなっている。
総じて、リトル・シムズの「No Thank You」は、始めから終わりまで一貫した音楽性を掲げ、それを中心とし、ゴスペル、ファンク、ソウル、ジャズという多彩な側面をみせつつ、タイトなラップ・ミュージックとして仕上げられている。本作はキャッチーではありながら深みもある。知りうる限りでは女性のラップ・アーティストとしては、2022年度の最高傑作の1つに挙げられる(と思われる)。ラップ・ファンにとどまらず、ソウルファンもチェックしてみてほしい。
97/100
Featured Track「Control」