Keith Jarret 『Dramaten Theater,Stockholm Sweden September 1972』
Label : Lantower Records
Release Date: 2023年1月2日
Review
米国のジャズ・ピアニストの至宝、キース・ジャレットは、間違いなく、ビル・エヴァンスとともにジャズ史に残るべきピアニストのひとりである。
若い時代、ジャレットはマイルス・デイヴィスのバンドにも所属し、ECMと契約を結び、ジャズとクラシックの音楽を架橋させる独創的な演奏法を確立した。その後、90年代になると、難病の慢性疲労症候群に苦しんだけれども、最愛の妻の献身的な介抱もあってか、劇的な復活を遂げ、『The Melody At Night,With You」(ECM 1999)という傑作を作りあげた。ピアニストの過渡期を象徴するピアノ・ソロ作品には、その時、付きっきりで介抱してくれた最愛の妻に対する愛情を込めた「I Love You, Porgy」、アメリカの民謡「Sherenandoah」のピアノ・アレンジが収録されている。2000年代に入ってからも精力的にライブ・コンサートをこなしていたが、数年前に、ジャーレットは脳の病を患い、近年は神経による麻痺のため、新たに活動を行うことが困難になっている。そして、残念ながら、コンサート開催も現時点ではのぞみ薄で、昨年発売されたフランスでのライブを収録した『Bordeaux Concert(Live)』もまた、そういった往年のファンとしての心残りや寂しさを補足するようなリリースとなっている。
ジャレットの傑作は、そのキャリアが長いだけにあまりにも多く、ライブ盤、スタジオ盤ともにファンの数だけ名盤が存在する。ライブの傑作として名高い『ケルン・コンサート」は、もはや彼の決定盤ともいえようが、その他、『At The Deer Head Inn』がニューオーリンズ・ジャズのゴージャスな雰囲気に充ちており、異色の作品と言えるかもしれないが、彼の最高のライブ・アルバムであると考えている。また、ECMの”NEW SERIES”のクラシック音楽の再リリースの動向との兼ね合いもあってか、これまで、ジャレットは、バッハ、モーツァルト、ショスターコーヴィッチといったクラシックの大家の作品にも取り組んでいる。クラシックの演奏家として見ると、例えば、ロバート・ヒルのゴールドベルク、オーストリアの巨匠のアルフレッド・ブレンデル、その弟子に当たるティル・フェルナーの傑作に比べると多少物足りなさもあるけれど、少なくとも、ジャレットはジャンルレスやクロスオーバーに果敢に挑んだピアニストには違いない。彼は、どのような時代にあっても孤高の演奏家として活躍したのである。
今回、リリースされた70年代でのスウェーデンのフル・コンサートを収録した『Dramaten Theater,Stockholm Sweden September 1972』は、今作のブートレグ盤の他にも別のレーベルからリリースがある。私はその存在をこれまで知らなかったが、どうやらファンの間では名盤に数えられる作品のようで、これは、キース・ジャレットがECMに移籍した当初に録音された音源である。もちろん、ブートレグであるため、音質は平均的で、お世辞にも聞きやすいとは言えない。ノイズが至る箇所に走り、音割れしている部分もある。だが、この演奏家の最も乗りに乗った時期に録音された名演であることに変わりなく、キース・ジャレットのピアノ演奏に合わせて聴こえるグレン・グールドのような唸りと、演奏時の鮮明な息吹を感じとることが出来る。
また、本作は、40分以上に及ぶストックホルム・コンサートは、ジャレットの演奏法の醍醐味である即興を収録した音源となっている。意外に知られていないことではあるが、最後の曲では、ジャレット自ら、フルートの演奏を行っている。そして、素直に解釈すると、本作の聞き所は、ジャズ・ピアノの即興演奏における自由性にあることは間違いないが、着目すべき点はそれだけにとどまらない。すでに、この70年代から、ジャレットは、バッハの「平均律クレヴィーア」の演奏法を、どのようにジャズの中に組み入れるのか、実際の演奏を通じて模索していったように感じられる。音階の運びは、カウンターポイントに焦点が絞られており、ときに情熱性を感じさせる反面、グレン・グールドの演奏のように淡々としている。ただ、これらの実験的な試みの合間には、このジャズ・ピアニストらしいエモーションが演奏の節々に通い始める。これらの”ギャップ”というべきか、感情の入れどころのメリハリに心打たれるものがある。
それらは、高い演奏技術に裏打ちされた心沸き立つような楽しげなリズムに合わせて、旋律が滑らかに、面白いようにするすると紡がれていく。さらに、二曲目、三曲目と進むにしたがって、演奏を通じて、キース・ジャレットが即興演奏を子供のように心から楽しんでいる様子が伝わってくるようになる。公演の開始直後こそ、手探りで即興演奏を展開させていく感のあるジャレットではあるが、四曲目から五曲目の近辺で、がらりと雰囲気が一変し、ほとんど神がかった雰囲気に満ち溢れてくる。それは目がハッと覚めるような覇気が充溢しているのである。
コンサートの初めの楽しげなジャズのアプローチとは対象的に、中盤の四曲目の演奏では、現代音楽を意識したアヴァンギャルドな演奏に取り組んでいる、これは、60年代に台頭したミニマル・ミュージックの影響を顕著に感じさせるものであり、フランスの印象派の作曲家のような色彩的な和音を交えた演奏を一連の流れの中で展開させ、その後、古典ジャズの演奏に立ち返っていく様子は、一聴に値する。更に、続く、五曲目の即興では、ラグタイムやニューオーリンズの古典的なジャズに回帰し、それを現代的に再解釈した演奏を繰り広げている。続く、六曲目では、ジャレットらしい伸びやかで洗練されたピアノ・ソロを楽しむことが出来る。
そして、先にも述べたように、最後のアンコール曲では、フルートのソロ演奏に挑戦している。これもまた、このアーティストの遊び心を象徴する貴重な瞬間を捉えた録音である。楽曲的には、民族音楽の側面にくわえて、その当時、前衛音楽として登場したニュー・エイジ系の思想や音楽を、時代に先んじてジャズの領域に取り入れようという精神が何となく窺えるのである。
この70年代前後には、様々な新しい音楽が出てきた。そういった時代の気風に対して、鋭い感覚を持つキース・ジャレットが無頓着であるはずがなく、それらの新鮮な感性を取り入れ、実際に演奏を通じて手探りで試していったのだ。いわば、彼の弛まぬチャレンジの過程がこのストックホルム・コンサートには記されている。また、後に、ジャズ・シーンの中でも存在感を持つに至るニュー・ジャズの萌芽もこの伝説のコンサートには見いだされるような気がする。