Melaine Dalibert 『Magic Square』
Label: FLAU
Release Date: 2023年1月20日
Review
現代音楽シーンで注目を浴びるフランスの音楽家、Melaine Dalibert(メレーヌ・ダリベール)は、David Sylvian、Sylvain Cheauveauともコラボレーションを果たしている。ダリベールはパリ音楽院で現代音楽を専攻し、オリジナルのピアノ作品の他、ジェラール・ペソン、ジュリアーノ・ダンジョリーニ、トム・ジョンソン、ピーター・ガーランドなど多くの作品の斬新な解釈を行っている。数学的な観点からピアノの作曲を組み立てる音楽家という紹介がなされている。
昨年のフルアルバム『Three Extended Pieces for Four Pieces』に続く今作は、ミニマリズムのピアノ音楽に位置づけられる作品と言える。初見として聴いた時の印象として、一番近い作風に挙げられるのが、ドイツの現代音楽シーンで活躍したHans Otte(2007年に死去)のピアノ曲である。ピアニスト、Hans Otteは、稀有な才能に恵まれた作曲家/演奏家ではあったが、舞台音楽の監督や、ラジオ・ブレーメンの音楽監督など大きな国家的な仕事に忙殺されてしまったせいか、結果的に、作曲家としては寡作なアーティストとなってしまった。彼は、Herbert Henrikとのピアノの連弾を行った『Das Buch Der Klange』という作品、『Stundenbuch』の二作を再構築することに作曲家としての後世を費やした。特に、『Das Buch Der Klange』は、現代音楽の最高峰の作品のひとつで、おそらく、以前の日本の駅のプラットフォームで使用されていた環境音は、この中の一曲をモチーフにしていたのではなかったかと思われる。
メレーヌ・ダリベールのミニマル学派のピアノ曲は、#4「Perpetuum Mobile」に象徴されるように、Hans Otteの系譜に位置づけられてもおかしくない静謐で情感に富んだ作風となっている。また、それに加えて、これらの音楽は、雨の日に書かれたものが多いように思える。実際の風景から想起されるような哀感とせつなさが、このアルバム全体の音楽には漂っている。演奏の技術的なことはほとんどわからないけれど、きわめて緻密な音の構成がなされていることに注目しておきたい。その一方で、これらの楽曲からは一種のペーソスが醸し出されている。しかし、それほど重苦しくならず、爽やかな情感が全編には感じられるのである。
ついで、メレーヌ・ダリベールの楽曲の主要な性質を形成しているのが、ピアノの音が減退した後の凛とした静寂である。
これらは、作曲者が作曲時、及び演奏時に細心の注意を払うことによって、持続音の後に不意に訪れる休符から齎される静寂に重点が置かれていることが分かる。たとえば、「Choral」に見られるように、実際に鳴らされるピアノの構成音(縦向きの和音はコラールという形式の基本形を踏襲していると言えるか)と共に、音が途絶えた際に訪れる奇妙な清々しさという形で現れる場合もある。古典的なバッハのコラールでなく、現代的なコラール曲とも称することが出来るだろうか。
他にも、坂本龍一へのトリビュートとして制作されたという「A Song」では、エリック・サティのような癒やし溢れる情感を伴うピアノ曲として楽しめる。換言すれば、”ポスト・サカモト”とも称するべき独特な繊細性に富んだこの曲は、坂本龍一氏の作曲の核心を捉え、そのDNAを受け継ぎ、未来型を示唆している。さらに、これらのピアノ曲は、ミニマル学派に属するだけでなく、オリヴィエ・メシアンの代表作のように涼やかな和音に彩られ、レナード・バーンスタインの『5 Anniversary』の収録曲のように、近代和声以降の自由性のある和音の配置ーー徹底して磨き上げられた和声感覚ーーによって構成されていることにも着目しておきたい。
タイトル曲「Magic Square」では、モダンなエレクトロニカに近い手法を取り入れ、ピアノの演奏をグリッチ・ノイズの新奇性と融合させている。ダリベールは空間性の演出とそれに対比する形で繰り広げられる詩情溢れるピアノの演奏を繰り広げている。近年フランスのピエール・ブーレーズが設立した国立音楽機関”IRCAM”ではジョン・アダムズのような現代音楽の他、音響学的な前衛性を重きに置いた教育が行われていたと記憶しているが、ここには、ダルベールという人物のフランスの音楽家としての矜持も込められているような気もする。
さらに、タイトル曲では、運動している音符と休んでいる音符が連動しつつ、実際のリバーブの効果とあいまって、独特の雰囲気に充ちた奥行きのある空間性ーアンビエンスをもたらしている。これは、Christian Fennezと坂本龍一の2007年のコラボ・アルバム『cendre」で取り入れられた前衛的な技法に近い作風となっている。また、この曲は、アルバムの中で最も力強い存在感を擁するにとどまらず、ダルベールの作風の中心にある癒やしの情感も堪能することが出来るはずだ。
最新作の全8曲は、現代音楽の作曲技法の蓄積により生み出された作品であるのは事実と言えるが、それほどマニアックな作風とはなっておらず、飽くまで一般的なリスナーの心に共鳴するような内容となっている。これはメリーヌ・ダリベールという音楽家が様々な音楽に親しんでいることの証拠ともいえるか。それは、心温まる情感、凛としたしなやかさ、そして、空間性に重点を置いた奥行きのあるピアノ音楽という形で多彩に表現されているのである。また、実際の音楽に触れた後の余韻……、これもまた本作の大きな醍醐味となるに違いない。『Magic Square』は、現代音楽に詳しくない方にも強くおすすめしておきたいアルバムとなる。
85/100