Weekly Recommendation
Cicada 『棲居在溪源之上 (Seeking the Sources of Stream)』
Label: FLAU
Genre: Post Classical/Modern Classical
Release Date: 2023年1月6日
Featured Review
台湾/台北市の室内楽グループ、Cicada(シカーダ)は、2009年に結成され、翌年、デビューを果たしています。 当初、五人組の室内楽のバンドとして出発し、インスタントな活動を計画していたといいますが、結果的には10年以上活動を行っており、台湾国内ではメジャー・レーベルのアーティストに匹敵する人気を獲得しています。
現在のCicadaは、ピアノのJesy Chiang、アコースティック・ギターのHsieh Wei-Lun、チェロのYang Ting-Chen、バイオリンのHsu Kang-Kaiというラインアップとなっています。メンバーの多くは芸術大学で音楽を体系的に習得した本式の演奏者が多いそうです。
2013年にリリースされた『Costland』以来、Cicadaは、台湾という土地をテーマに取り上げ、本島を取り巻く海の想いや人々の温かな関係性を演奏に託した楽曲スタイルを確立し、実際の風景をもとにオーケストラレーションを制作している。
シカーダのメインメンバー、作曲者である、Jesy Chiangは、スキューバ・ダイビングと登山をライフワークとしており、『Coastland』では、台湾西岸部へ、さらに、その続編となる『Light Shining Through the Sea』で、台湾の東岸に足を運んで、海や山を始めとする風景の中から物語性を読み解き、その風景にまつわるイメージを音楽という形で捉え直しています。
台湾の穏やかな自然、また、それとは対象的な荘厳な自然までが室内楽という形で表現される。さらに、2017年の『White Forest』では、町に住む猫たちや林に棲まう鳥など、Cicadaの表現する世界観は作品ごとに広がりを増しています。
その後、2019年のアルバム『Hiking in The Mist』では、Jesy Chiangみずから山に赴いて、小川のせせらぎや木々の間を風が通り抜ける様子などをインスピレーションとし、室内楽として組み上げていきました。とりわけ、”北大武山”での夕日の落ちる瞬間、”奇來山”と呼ばれる山岳地帯の落日に当てられて黄金色に輝く草地に心を突き動かされたという。言わば、そういった実際の台湾の神秘的な風景を想起させる起伏に富んだオーケストラレーションがCicadaの最大の魅力です。
さらに追記として、2022年、Cicadaは、日本の文学者、平野啓一郎の『ある男』の映画版のサウンド・トラックも手掛けています。
Cicada |
東京のレーベル、FLAUから1月6日に発売されたばかりの新作アルバム『Seeking the Sources of Streams』においても、アンサンブルの主宰者、作曲者、ピアノを演奏するJesy Chaingは、台湾の自然の中に育まれる神々しさを再訪し、それを室内楽という形式で捉えようとしています。
このアルバムについて、Jesy Chaingは次のようにバンドの公式ホームページを通じて説明しています。
「2年ほど前、私達、Chicadaは、前のアルバム『Hiking In The Mist』を完成させた。そして次は何をしようかと考えはじめた。やはり、山について書きたい。だが、前作とはちょっと違う観点を探してみたい。
迷ううちに、ずいぶんと長い時間が過ぎた。2020年10月、私は中央山脈の何段三と呼ばれるトレイルを10日かけて歩いた。登ったり降りたりが延々と続く長い山道を、毎日ゆうに10時間は歩き続けた。ついに中央山脈の心臓部にたどり着き、果てしなく広がる丹大源流域と呼ばれる谷地(やち)を目にした時の感動は筆舌に尽くしがたい。そして、そのとき、ふと悟ったのだ。ここが私達の次の作品のインスピレーションを与えてくれる場所なのだということを・・・」
Cicadaの音楽は、ピアノを基調とした、チェロ、バイオリン、ギターによる室内楽であり、映画のサウンドトラックのような趣があります。彼らは、坂本龍一、高木正勝の音楽に影響されていると公言していますが、実際のバンド・アンサンブルは、さらに言えば、久石譲の気品溢れる誠実なモダン・クラシカルや映画音楽にもなぞらえられるかもしれない。「源流を訪ねもとめて」と題された新作アルバムのオープニングを飾る「Departing In The Morning In The Rain」は、一連の物語の序章のような形で始まる。これは、『Hiking~』の流れを受け継いだ音楽性であり、親しみやすく穏やかな世界観を提示している。さらにピアノの演奏とギターの音色は、聞き手の心を落ち着かせ、そして、作品の持つ奥深い世界へ引き入れる力も兼ね備えています。
二曲目の「Birds-」からは、上記の楽器の他、オーボエ/フルートといった木管楽器が合奏に加わり、まさにジブリ・ファンが期待するような幻想的なサウンドスケープが展開される。演奏が始まる瞬間には、どのような音楽が出来上がるのか、演奏者の間で共有されているため、四人が紡ぎ出す音楽は、清流の中にある水のように自然かつ円滑に流れ、作品の持つ現実的な風景と神秘的なファンタジーの合間にある平らかな世界観が組み上げられていく。そして、前二曲の前奏曲の流れを継いで、三曲目の「On The Way to the Glacial Cirque」では、それらのストーリーが目に見えるような形で繰り広げられる。ピアノとギターに、チェロとバイオリンが加わり、4つの楽器により幅広い音域をカバーすることで、楽曲そのものに深みが加えられています。
特に、注目したいのは、ジブリの劇伴音楽を彷彿とさせる神秘性や幻想性はもちろん、チェロとバイオリンの微細なパッセージの絶妙な変化、クレッシェンド/デクレッシェンドの抑揚により、楽曲は情感が加わり、琴線に触れるような感慨がもたらされること。弦楽器の和音のハーモニーと併行する形で、楽曲の持つ世界感を押し広げているのがJesy Chiangの情感豊かなピアノの演奏であり、 そしてまた、Hsieh Wei-Luの繊細なアコースティック・ギターの演奏なのです。
アルバムの中に内包されている世界観は、どのように形容されるべきなのか。少なくとも、これらのオーケストラは現実的であるとともに幻想的でもある。台湾の山間部の神々しく神秘的な風景と同じように、時間とともに、その対象物の観察者しかわからないような、きわめて微細な形で、序盤の音楽は変化していきます。音楽として、急激な展開を避けることにより、その瞬間の真実性に重点が置かれていますが、それは生きているという感を与え、また、聞き手に大きく呼吸する空間性を与える。
続く、四曲目の「Foggy Rain」では、華やかな前曲の雰囲気とは打って変わって、それと別の側面を提示しており、ピアノと弦楽器を基調にした淑やかなポスト・クラシカルの領域に踏み入れる。上品な弦楽のトレモロを始めとする卓越した演奏力は言わずもがな、木琴(マリンバ)、鉄琴(グロッケンシュピール)の音色は、お伽話のような可愛らしい印象を楽曲に付加するにとどまらず、アイスランドのフォークトロニカの幻想的な空気感に溢れている。それはまた、山間の夕暮れの烟る靄の中に降り注ぐ小雨さながらに、繊細で甘美な興趣を持ち合わせている。これらの瑞々しい情緒は他の音楽では得難いものなのです。
続く、五曲目のタイトル・トラックは、このアルバムの中での大きなハイライトでもあり、山場ともいえ、11分以上にも及ぶ大作となっています。ここでは、坂本龍一、久石譲の系譜にある柔らかな表情を持った繊細なピアノ曲が展開されますが、室内楽のアンブルやギターのソロにより、中盤部に起伏のある展開が設けられています。その後、中盤での大きなダイナミクスの頂点を設けた後に訪れるピアノの静謐でありながら伸びやかな演奏は、彼らの創造性の高さを明確に象徴づけているように思えます。この曲は、Jesy Chaingが台湾の山間部を歩いた際の風景をありありと想起させ、聞き手は心地よい癒やしの空間に導かれていきますが、それは、果てしない神秘的な空間に直結しているかのよう。まさに、ここで、表題の『Seeking the Sources of Streams』に銘打たれている通り、Cicadaはアンサンブルの妙味を介して、台湾という土地の源流を訪ね求め、さらに、その核心にある「何か」を捉えようと試みているのかもしれません。
そして、今作の多くの山の中にあって、谷地のように窪んだ形で不意に訪れるのが、六曲目の「Encounter at the Puddle」となります。これは、前半部のテーマの提起を受け、その後に訪れる束の間の休息、または間奏曲のような位置づけとして楽しむことができるはずです。この曲もまた、前曲と同様、オリヴィエ・メシアン等の近代フランス和声を基調にした坂本龍一の繊細なピアノ曲を彷彿とさせ、とても細やかで、驚くほど切なげであり、なおかつ、儚いような響きに彩られている。とても短い曲ではありながら、このアルバムの中にあって強いアクセントをもたらす。なにかしら深い落ち着きと平らかさが、聞き手の心に共鳴するような佳曲となっています。
アルバムの後半部に差し掛かると、楽曲は、精細感を増し、物語性をよりいっそう強めていきます。聞き手は、神秘的な山間の最深部に足を踏み入れ、そして、きっと、その自然の中にある何がしかの神秘性を目の当たりにすることでしょう。「Raining On Tent」は、マリンバとチェロを主体に組み上げられた一曲であり、その後にバイオリンやピアノが最初のモチーフを変奏させていく。そして、それは確かに、山間部の天候の急な変化と同じように、上空を雲がたえず流れていく際の景色の表情が、時間とともに刻々と移ろう様子が音楽として克明に捉えられている。
さらに、それに続く、8曲目の「Remains of Ancient Tree」は、スペイン音楽、ジプシー音楽の影響をほのかに感じさせ、Hsieh Wei-Lunのアコースティック・ソロと称しても違和感がないような一曲となっている。ガット・ギターのミュート奏法を介して繰り広げられる華麗な演奏は、聴き応えがあるため、かなりの満足感を与えると思われますが、このギターの卓越した演奏を中心にし、ピアノやバイオリン、チェロのフレーズが、調和的に重なり合うことによって、曲そのものの物語性やドラマ性が強化されていきます。もちろん、それはまた、表題曲とまったく同じように、台湾の自然の源流の神秘性に接近しながら、自然の奥底にある神々しさに人間が触れる瞬間の大いなる感動とも称せるかもしれない。特に、クライマックスにかけてのチェロの豊潤な響きは、この音楽が途切れずに延々と続いてほしいと思わせるものがあるはずです。
これらの8つの神秘的な旅を終えて、最後の曲「Forest Trail to the Home Away Home」によって、物語は、ゆっくり、静かに幕引きを迎えます。この最後の曲は、アルバムのオープニングと呼応する形のささやかなピアノを中心とする弦楽アンサンブルとなっていますが、この段階に来て、聞き手はようやく神秘的な旅から名残惜しく離れていき、それぞれの住み慣れた家に帰っていく。しかし、実のところ、不思議なことに、Cicadaの最新作で織りなされる幻想的な感覚に触れる以前と以後に見えるものは、その意味が明らかに異なっていることに気がつくはずなのです。
92/100