Weekly Recommendation / Ekin Fil 『Rosewood Untitled』

Weekly Recommendation  


Ekin Fil 『Rosewood Untitled』


 

Label: re:st

Release Date: 2023年1月13日   

 

Genre: Ambient/Drone

 

 

Review

 

2021年7月、記録的な熱波がギリシャとトルコが位置する地中海沿岸区域を襲ったことを覚えている方も少なくないはずである。


当時、地中海地域の最高気温は、何と、47.1度を記録していた。記録的な熱波、及び、乾燥した大気によって、最初に発生した山火事は、二つの国のリゾート地全体に広がり、数カ月間、火は燃え広がり、収束を見ることはなかった。2021年のロイター通信の8月4日付の記事には、こう書かれている。


「ミラス(トルコ)4日 トルコのエルドアン大統領は、4日、南部沿岸地域で一週間続いている山火事について、『同国史上最悪規模の規模』だと述べた。4日には、南西部にある発電所にも火が燃え移った。高温と乾燥した強風に煽られ、火災が広がる中、先週以降8人が死亡。エーゲ海や地中海沿岸では、地元住民や外国観光客らが自宅やホテルから避難を余儀なくされた」と。この大規模な山火事については同国の通信社”アナトリア通信”も大々的に取り上げた。数カ月間の火事は人間だけでなく、動物たちをも烟火の中に飲み込んでしまった。

 

このギリシャとトルコの両地域のリゾート地を中心に発生した長期間に及ぶ山火事に触発されたアンビエント/ドローンという形で制作されたのが、トルコ/イスタンブールの電子音楽家、エキン・フィルという女性プロデューサーの最新アルバム『 Rosewood Untitled』です。エキン・フィルは、非常に多作な音楽家であって、2011年のデビュー・アルバム『Language』から、昨年までに14作をコンスタントに発表しています。

 

電子音楽のプロデューサー、エキン・フィルは、基本的にはアンビエント/ドローンを音楽性の主な領域に置いています。昨年に発表した『Dora Agora』は、それ以前の作風とは少しだけ異なり、ドリーム・ポップ/シューゲイザーとアンビエントを融合させ画期的な手法を確立しています。


シンセの演奏をメインとするアーティストが珍しくギター演奏に挑んでいて、異質なドローン音楽として楽しむことが出来る。デモ・テープに近いラフなミックスが施されているので、以前の王道のアンビエントとは別の音楽性を模索しているかもしれないとも取れたのでしたが、今回、スイス/ベルンのレーベル”re:st”から発表された最新作『Rosewood Untitled』を聴くかぎりでは、その読みは半分は当たっており、また、もう半分では外れてしまったと言えるかも知れません。

 

エキン・フィルの最新作『Rosewood Untitled』は、英国や米国のアンビエント・ミュージシャンとは作風が明らかに異なる。それはこのアーティストを発見した前作『Dora Agora』から明瞭にわかっていたことではあるが、才覚の全貌ともいうべきものがこの作品で明らかとなっている。


エキン・フィルの制作するアンビエントは、ブライアン・イーノのようにアナログ風のシンセサイザーを貴重としたシンプルな抽象音楽が核心にあり、稀に癒やしという感慨が押し出されている点においては、他のプロデューサーとはそれほど大きくは相違ないように思える。しかし、エキン・フィルの描く表現性は、一般的な西洋的な概念に対するささやかな抵抗や反駁ともとれる何かを感じ取ることができる。


この作品全体には、トルコという土地の文化、特に、アラビア文化とヨーロッパ文化の折衝地としてのエキゾチズムが満ち渡っている。 東洋とも西洋とも異なる、いや、むしろ、東洋と西洋の双方の文化の発祥ともいえる太古から面々と続く文化性が、トルコで発生した山火事を音楽という領域から描出したこの最新アルバムでは掴み取ることが出来る。それはまた言葉を変えれば、他の地域のリスナーにとってはあまり馴染みがない、99%が回教徒で占められるというトルコ/イスタンブール、またアナトリアの土地の文化の本質へと一歩ずつ近づいていくという意味でもある。

 

実際の音楽は、アナログ・シンセの音色を生かしたシンプルなアンビエント・ミュージックとなっている。オープニング「Borealis」では、日本の伝説的なアンビエント音楽家、吉村弘の作風を彷彿とさせるレトロな雰囲気を体感することが出来る。


これはもちろん、日本の昔のレトロ・ゲームや最初期の任天堂のゲーム音楽にも近い雰囲気のオープニングとなっています。そして、エキン・フィルは、その最初の簡素なテーマからオーケストラ・ヒットなどを用いて神秘的な音楽性を引き出し、奥行きのあるストーリーを導き出していく。しかし、音楽の物語が転がりだしたとたん、いくらかの悲哀や感傷を擁する特異なアンビエンスが展開されていくことが分かる。そして、前作と同様、米国のアンビエント・プロデューサーのGrouper(リズ・ハリス)を彷彿とさせる浮遊感のあるドリーム・ポップ風のアンニュイなヴォーカル・トラックが空間性を増していき、そのまま淡々とフェード・アウトしていく。


聞き手は、手探りのまま二曲目へと移行せざるをえないが、いまだこの段階ではこの表現しようとすることが何であるのかは不明瞭のまま。もちろん、それは地上的な表現性と宇宙的な表現性を繋ぐ神秘性という形で、エキン・フィルのアンビエントは続いていくのである。ときに、絶妙なループを施しながら、奇妙なノイズを取り入れながら、「Seasick」は、あっという間に終わってしまう。


2曲目の「Disembered」では、前曲とはガラリと雰囲気が一変する。パイプ・オルガンの音色をシンセサイザーで使用し、前の2曲よりも神秘的であり、神々しいのような世界観を綿密に作り上げていく。しかし、リードシンセの音色は常に華美な演出を避け、素朴な音色であるように抑制を効かせている。ときに主旋律に対しての対旋律が奇妙な宇宙的な質感を伴って紡ぎ出される。この段階に差し掛かると、このトルコの山火事の変遷をシンセサイザーの重なりによって描出していく。


さらに、続く、四曲目のタイトル・トラックは、より神秘的な空間が立ち上がる。一見して、少し不気味な感じのあるイントロダクションから導きだされるコントロールの利いたシンセサイザーのパッドの音色は主張性を極力抑え、その場に充溢する得難い感覚を見事に表現している。時折、導入されるマレット・シンセの音色は、真夜中に燃え盛る炎が地上を舐め尽くす様子が描かれているように思える。それはまたその山火事を見る者にとっても信じがたいような瞬間でもある。

 

これらの描写的な抽象音楽は、常に、トラックが一つずつ進むごとに深化していき、例えるなら、それは内側にある奇妙な空洞のような場所へ、深く、深く降りていくかのようである。そして、5曲目の「Hidden Place」まで来ると、聞き手はオープニングで居た場所とは異なる空間性を見出す。


大げさに言えば、最初にいた空間とは異なる別領域に居るように思える。この曲は、アルバムの中で、次の曲と共に最もドローンの要素が強いトラックとなっていますが、まさに2021年当時の夏のトルコの空気の流れのようなものを、パン・フルートの音色を介して丹念に空間として表現していく過程を捉えることが出来るのです。


そして、そのシンセのフレーズは寂寥感にあふれているが、その半面、どっしりした安定感も感じ取ることができる。ドローンの広がりは宇宙的な神秘性に直結している。そして、この曲のクライマックスは、前振りというか、アルバムのハイライトとなる次曲への連結部の役割を果たす。

 

さらに、エキン・フィルの音楽性の真骨頂ともいえるのが、つづく「Who Else」となるでしょうか。ここでは、ドローンの最北の表現性が見いだされますが、そこにはオープニングに呼応する形で、エキン・フィルのボーカルが異質な浮遊感を伴い乗せられている。そして、このドローンの中には非常にか細い、西洋主義とは異なるアラビアの文化性を読みとくことが出来る。それはなにかしら回教徒のいる天蓋にモザイク模様を頂くモスクの下に反響するコーランの輪唱を遠巻きに聴くかのようなエキゾチズムが、これらのアンビエントには揺曳している。


そして、「Meyen」に差し掛かると、神秘的な雰囲気は、突如として山火事の情景へと変貌を遂げる。曲のクライマックスでは、地中海沿岸地方の山全体を炎が舐め尽くす様子が描出されているように思える。ここに来て、信じがたい驚異的なサウンド・スケープはさらに奥行きを増していくが、それと同時に、人智では計り知れない神秘性が作品の核心のテーマにあることに気づく。アルバムのクローズ「Meyen」に聞こえるアンビエンスは筆舌に尽くしがたいものがあり、まさに圧巻というよりほかなく、鳥肌が立つような異質な感覚が充溢しているが、このクライマックスにこそプロデューサーの天才性が表れ出ているように思える。この劇的なエンディングにおいて、エキン・フィルは、人智を越えた神秘の源泉にたどり着いた。今作は、ドローン・ミュージックの最高峰に位置付けられる衝撃的なアルバムといっても過言ではないでしょう。


100/100



Weekend Featured Track #7「Meyen」