The Golden Dregs 「On Grace & Dignity』
Label: 4AD
Release Date : 2023年2月10日
Review
週末、4ADから発売されたばかりのザ・ゴールデン・ドレッグスの最新アルバム『On Grace & Dignity』の制作の契機は、フロントマンのベンジャミン・ウッズがパンデミックで職を失い、実家に戻った時期に遡る。 その時期、彼が得られた唯一の仕事は、トゥルーローという町の郊外にある経営状態の悪い建築現場での肉体労働者としての最も過酷な仕事であったという。「腰まで泥まみれになって穴を掘り、廃材の上に芝生を敷いたり、悲惨な冬だった」とこの時の境涯についてウッズは話している。さらに制作過程では、レイモンド・カーヴァー、リディア・デイヴィス、リチャード・ヒューゴーの文学に影響を受けたという。かなり魅力的なアートワークについては、ブリストルに在住する模型作家、Edie Lawrence(エディー・ローレンス)が手掛け、HOスケールの架空のコーンウォール地方の町が建設された。Polgras(ポルグラス)と称されるこの模型には、高架橋、河口、スーパーマーケット、新築の家、工業用ビルが建ち並び、『On Grace & Dignity』のすべての曲が表現されている。
ベンジャミン・ウッズの書き上げるポップソング/フォークソングは、例えば、Bon Iverのような雰囲気が漂っている。聞きやすくて口当たりがよくシンガロング性も強いが、そこには独特な渋みが醸し出されている。トラックメイカーとしても、ダンサンブルな要素を込め、それを優れたポップソングとして昇華している。また、近年のシンガーソングライターの労働環境の中で培われたともいえる哀愁が最新アルバム『On Grace & Dignity』には漂っているのである。
ベンジャミン・ウッズが書き上げた渋さと軽快さ、そしてスタイリッシュさを兼ね備えたポップソングには、しかし、しわがれた声、ささやくような心地よいトーン、そして、一種の達観したような大人の余裕すら感じることが出来る。これは上記の旧来の米国の名作家たちがそうであったように、世の中の出来事をワイルドに捉えようという価値観がベンジャミン・ウッズの歌声、ひいては存在そのものに乗り移ったかのように思える。それは彼と同じような苦しい境遇にある人の肩を静かに支え、”気にすることはない”と元気づけるかのようでもある。そのことが往年のR&Bの名シンガーのように、ソウルとブルースの色合いを作品自体に与えている。レコードのほとんどの収録曲は、エレクトロニカのバックトラックやピアノのブルージーな演奏を交えて繰り広げられるが、深い哀愁とワイルドさが温かみをもって胸にグッと迫ってくる。
同じようなシンガーとして、米国のトム・ウェイツがいる。そしてベンジャミン・ウッズの歌もウェイツの最初期の時代に近い雰囲気にある。「On Grace & Dignity』の収録曲からは、夜もだいぶ深まった頃、人知れずソングライティングを行うウッズの姿がおのずと目に浮かんできそうだ。もちろん、彼の書き上げる楽曲は必ずしもメインストリームの範疇には位置づけられないかもしれない。しかし、それでも、じっとゴールデン・ドレッグスの音楽に耳を傾けると、深く心にしみるものがある。それはベンジャミン・ウッズが、その時々の正直な感情(時にそれは苦しい境涯である場合もある)を誠実に歌詞に落とし込み、それらを音楽と一体化させていることに拠る。またゴールデン・ドレッグスの音楽は必ずしも取っつきやすいとはいえないかもしれないが、その誠実さと生真面目さ、真心を込めて歌を紡ごうとするウッズの心意気は、彼と同じような真摯で誠実な姿勢にあるならば、しっかりと伝わってくるはずなのだ。
特に「How It Stars」は旧来のポップスやR&Bをモチーフにしていると思われるが、なぜか静かに聞き入ってしまうものがある。この曲には神々しい感覚が漂い、ボーカルのエフェクトや抽象的なコーラスワーク、あるいは、後半部にアレンジとして導入される管楽器のフレーズによって強化されていく。それは聞き手を陶酔した感覚に誘い、心地よい時の中に居続けることを促す。どれほど厳しい時間にあろうとも、音楽に酔いしれている間にはその苦痛から逃れることが出来る。音楽の本来の力をゴールデン・ドレッグスは呼び覚ましていると言える。
また、それに続く「Before We Fell From The Grace」も暗示的なタイトル曲に位置づけられるが、軽やかなヴォーカル、喜ばしい雰囲気、そして甘美な管楽器の響きが曲そのもののダイナミックス性を高める。しかし、ありきたりのコーラス・ワークで雰囲気を盛り上げるという手法ではなくて、ウッズの存在感があり渋みと悲哀に溢れた歌声と対比的なインストの旋律が祝福された雰囲気をじわじわ高めていく。さらにその他、現代のエレクトロポップの切り口から解釈したゴスペル曲とも称せる「Eulogy」も聴き逃すことが出来ない。この曲もまたみずみずしい感覚に溢れ、アルバムのアートワークに見られるような、あっと息を飲むような美しさに彩られている。
このレコードの中で聞きやすさのある軽快なエレクトロとフォークを交えたようないくつかの曲が続いた後、エンディングの「Beyond Reasonable Doubt」では、また序盤のように渋さのあるポップソングへと舞い戻る。やはり、ベンジャミン・ウッズの歌声は渋く、聞き手をまったりとした心地よさの中に呼びこむ。序盤よりその声はさらに力強く、ブルージーで、コーラスも奇妙な陶然とした雰囲気に包まれる。そして、エンディングにかけての管楽器とギターの掛け合い、さりげないギターのフェイド・アウトは、この続きを聴きたいと思わせる余韻を持ち合わせている。ゴールデン・ドレッグスの音楽は、コンセプト通りに精巧な模型のように作り込まれ、感情がゆっくり流れては、過ぎ去っていく。そこには否定も肯定もない。ベンジャミン・ウッズはこの数年間の歌を通じ、みずからの感慨をじっと噛み締めているだけなのである。
82/100
「Before We Felt The Grace」