Weekly Recommendation
Yazmin Lacey 『Voice Notes』
Label: Own Your Own/Believe
Release Date: 2023年3月3日
「決して遅くはないが、今やっているという観点では遅い」と語るように、ヤスミン・レイシーは遅咲きのミュージシャンで、さらに音楽活動を開始するのも人よりも遅かったという。
彼女は音楽シーンに身を置いている間ーー自分の人生の部分のスナップショットのような瞬間ーーをとらえ、歌にするための練習として音楽を制作してきました。
デビューアルバム『Voice Notes』もまた、ヤスミン・レイシーの人生の瞬間をとらえた重要な記録となる。Black Moon(2017年)、When The Sun Dips 90 Degrees(2018年)、Morning Matters(2020年)という3枚の素晴らしいEPに続く本作は3部作の一つに位置づけられますが、それらが書かれたテーマに沿ってタイトルが付けられたという。
『Voice Notes』は、アルバムが誕生するきっかけとなったあるツールからインスピレーションを受けている。音楽制作の長年のツールであり、コラボレーターとメロディーを共有する方法であるボイスノートは、彼女にとって特別なコミュニケーションの方法なのです。
「私にとってボイスノートは、何かに対する即座の反応を表しています」と彼女は語っています。「濾過されていない、生の音を聞くことができるのです」
Craigie Dodds、JD.REID、Melo-Zed、エグゼクティブプロデューサーのDave Okumuといったコラボレーターとともに、スタジオでのジャムセッションから生まれたこの作品は、"不完全さの美しさ"を意図的に捉えた録音になっています。レイシーは、洗練されたサウンドを出来るだけ避け、生々しさ、つまり、アルバムタイトルにもなっているように「誰かの間や立ち止まり、声のひび割れを聞く」チャンスを与えることを選んだのです。
サウンド面でも、彼女はカテゴリーにとらわれず、様々なスタイルや影響を受けており、「自分自身を表現するさまざまな方法という点で、そこにはたくさんの異なるフレーバーがある」とレイシーは話しています。「私が聴いているもの、大好きな音楽、それを特定するのは難しいかもしれない。それはある意味、ソウルと呼べるかもしれない。なぜなら、それは私自身の魂から生まれたものだからです」
ヤスミン・レイシーは、Evening Standard、The Guardian、BBC Radio 6 Musicから支持を獲得したにとどまらず、Questloveのようなファンを持ち、特に2020年のCOLORSに”On Your Own”という曲で出演しています。しかし、幅広い賞賛の他に、『Voice Notes』の主要なストーリーとなるのは人生の細かな目に見えない部分であり、レイシーがリスナーと共有することを選択した個人的な観察となっているのです。
「私にとっては、自分の経験に対する反応なのです」とヤスミン・レイシーは語っています。「三作のEPを作ることは、音楽的にも人生的にも学んだことの次の章を形作ることになりました。そして、ここ数年で起こった多くのことを手放したかったんです。別れ、引っ越し、再出発、失敗、自分を見失うこと、自分を見つけること、大切なものをより広い視野でとらえることができるようになる・・・。そういった瞬間をとらえた経験こそが、不完全であっても前面に出てくるのです」
ヤスミン・レイシーは、人気DJ/Gilles Peterson(ジャイルズ・ピーターソン)が称賛するというネオ・ソウルシンガーで、最も注目しておきたいシンガーソングライターの一人です。
イギリス国内でも今後、大きな人気を獲得しても不思議ではない実力派のシンガーです。『Voices Notes」は文字通り、アーティストが自分の声をメモとしてレコーディングし、それを綿密なR&Bとして再構築したデビュー作となる。ロンドンで生まれ、現在はノッティンガムに拠点をおいて活動を行うシンガーソングライターは三作のミニアルバムをリリースしていますが、今作ではその密度が全然異なることに多くのリスナーはお気づきになられるかもしれません。
一般的に、R&Bシンガーは、これまでのブラックミュージックの歴史を見ても、同じようなタイプのシンガーを集めたグループか、もしくはソロアーティストとして活躍する事例が多かった。それはモータウンレコードや、サザン・ソウル、その後の時代のクインシー・ジョーンズなどディスコに近い時代、それ以後のビヨンセの時代も同様でしょう。しかし、ヤスミン・レイシーはソロアーティスト名義ではありながら、コラボレーターと協力し、新鮮なソウルミュージックを生み出しています。
また、今作はソウルミュージックとして渋さを持ち合わせているだけでなく、そしてレイシーの音楽的なバックグランドの広範性を伺わせる内容となっています。表向きには、近年のエレクトロとR&B、そして現代のヒップホップを融合させた流行りのネオ・ソウル、そして、ジャズとエレクトロを融合させたニュー・ジャズの中間にある音楽性を多くのリスナーは捉えるかもしれません。しかし、このデビュー作を聞き進めるうち、それより古いモータウンサウンドや、サザン・ソウル、そして何と言っても、イギリスのクラブ・ミュージックの文化に根ざしたノーザン・ソウルの影響が色濃いことに気づく。これらの要素に加え、評論筋から”Warm& Fuzzy”と称される、深みがあり、メロウで温かいレイシーのボーカルが、奥深い豊潤なソウル・ミュージックの果てなき世界を秀逸なコラボレーターとともに綿密に構築していくわけです。
近年のネオソウルのムーブメントのせいか、私自身はソウルミュージックの定義について揺らぐようなこともありました。本来のソウルの要素が薄れ、エレクトロやジャズやヒップホップの要素を根底に置くミュージシャンが最近増えてきて、厳密にはソウルとは言い難いアーティストもソウルとして言われるようになってきているからです。しかし、ヤスミン・レイシーの音楽的な背景にあるのは古き良き時代のソウルであり、それらの音楽性を支えるバックバンドがローファイやニュージャズの要素を加えて作品の持つ迫力を引き上げているのです。
アルバムの全14曲は、非常にボリューミーであり、近年のソウルミュージックにはなかった濃密なR&Bの香りが漂う。それは最初のヒップホップを基調にした楽曲「Flyo Tweet」で始まり、現代社会の感覚とアルバムのテーマであるボイスメモという2つの概念をかけ合わせたクールな雰囲気を擁している。そして、続く、二曲目の「Bad Company」では、自分の中にいる悪魔と対峙し、レイシーはローファイ・ヒップホップと古典的なR&B、普遍的なポピュラー・ミュージックの中間点を探ろうとしています。コーラスワークについては理解しやすいですが、曲全体に漂うエレクトリック・ピアノを用いたメロウさは、アンニュイなボーカル、まさに「Warm & Fuzzy」によって引き立てられていきます。さらに、「Late Night People」では、ノーザン・ソウルのクラブ・ミュージックの文化性を根底に置き、新境地を開拓する。この曲はテクノ性の根底にある内省的なビートを通じ、ヤスミン・レイシーの温かな雰囲気を持つコーラスワークが掛け合わさり、渋さと甘美さを兼ね備えたファジーな一曲が生み出されています。
「Bad Company」
更に続く、「Fools Gold」はフュージョン・ジャズのシャッフル・ビートを駆使し、チルアウトの雰囲気を持つリラックスした楽曲でやすらぎを与えてくれます。アルバムの序盤から続き、レイシーのハスキーなボーカルはメロウさを持ち合わせており、ポンゴのリズムが軽妙なグルーブをもたらしています。時に、レイシーはラップのフロウのような手法を用いながらジャジーな雰囲気を盛り上げる。アウトロにかけてのフェードアウトは余韻たっぷりとなっている。
それに続く「Where Did You Go?」では、古典的なレゲエでは、お馴染みの一拍目のドラムのスネアを通じて導かれていきますが、アーティストはダビングの手法を巧みに用い、ネオ・ソウルの豊潤な魅力を示してみせています。この曲でも、レイシーはファンク、ジャズ、ソウルを自由に往来しながら、傑出したボーカルを披露します。微細なトーンの変化のニュアンスは、楽曲に揺らぎをもたらし、そして、メロウさとアンニュイさを与えている。またファンクを下地にしたヒップホップ調の連続的なビートは、聞き手を高揚した気分に誘うことでしょう。
中盤においても、ヤスミン・レイシーとバックバンドはテンションを緩めずに、濃密なソウルミュージックを提示しています。真夜中の雰囲気に充ちた「Sign And Signal」は、イギリスの都会の生活の様子が実際の音楽を通じて伝わって来る。続く、古典的なレゲエとダブの中間にある「From A Lover」は、ボブ・マーリーのTrojanの所属時代の懐かしいエレクトーンのフレーズ、ギターのカッティング、そして、レゲエの根源でもある裏拍を強調したドラムのビートの巧みさ、ヤスミン・レイシーの長所である温かなボーカルの魅力に触れることが出来るでしょう。アウトロにかけてのメロウなボーカルも哀愁に溢れていて、なぜか切ない気持ちになるはずです。
レゲエ/ダブの音楽性を下地においたレイシーのファジーなソウル・ミュージックが「Eyes To Eyes」の後も引き継がれていきます。メロウさと微細なトーンの変化に重点を置いたレイシーのボーカルは、自由なエレクトリック・ピアノと、ディレイを交えたスネアの軽妙さとマッチし、渋く深い音楽性として昇華される。時に、そのアンサンブルの中に導入されるジャズギターも自由なフレーズを駆使し、絶えず甘美な空間を彷徨う。バンドの音の結晶に優しく語りかけるようなレイシーのボーカルは圧巻で、ほとんど筆舌に尽くしがたいものがある。
さらに、アルバムのハイライトとなる「Pieces」は成熟した魂を持つアーティストとして、ポピュラー・ミュージックの持つ意義を次の時代に進めてみせています。 ここでは、自分や聞き手に一定の受容をもたらしつつ、ジャズの要素を交えて、ゴージャスなポピュラーミュージックの特異点へと落着していきます。前時代のブリストル発のトリップ・ホップの影響を交え、サックスのメロウな響きを強調し、アーティスト特有の独特なR&Bの世界へと聞き手をいざなっていく。甘く美麗なコーラスは優れた造形芸術のように強固であり、内実を伴う存在感を兼ね備えており、途中からはダンサンブルなビートを交え、聞き手を陶酔した境地へ導いていくのです。
この曲以降の楽曲は、ある意味では、クラブ・ミュージックの熱狂後のクールダウンの効果、つまりチルアウトの性質が強く、聞き手を緩やかな気分にさせてくれますが、しかし、それは緊張感の乏しい楽曲というわけではありません。これまでの音楽的なバックグランドをフルに活用し、クラブミュージックを基調にするノーザン・ソウルの伝統性を受け継いだ「Pass Is Back」、レゲエをダンサンブルな楽曲として見事に昇華した「Tomorrow's Child」 、ドラムのフュージョン性にネオ・ソウルの渋さを添えた「Match in my Pocket」、そして、アフロ・ソウル/ヒップホップの本質を捉え、それらをアンサンブルとして緻密に再構築した「Legacy」、さらに映画のサウンドトラックのような深みを持つ「Sea Glass」まで、聴き応えたっぷりの楽曲がアルバムの最後まで途切れることはありません。
アルバムとして聴き応え十分で、収録曲は倍以上のボリュームがあるようにも感じられる。そして、本作に現代の流行の作品より奥行きが感じられる理由は、レイシーが育ったロンドンとノッティンガムの文化性、そして、彼女の人生の中で出会った沢山の人々への変わらざる愛情が流動的に体現されているからなのです。ヤスミン・レイシーというシンガーソングライターにとって、33年という歳月は何を意味したのか? その答えがこの14曲にきわめて端的に示されています。
95/100
Weekend Featured Track #9「Pieces」