The National 『First Two Page of Frankenstein』/ Review

 The National 『First Two Page of Frankenstein』

 


Label: 4AD

Release: 2023/4/28                                            

 

Review


アートワークに関しては、2013年のアルバムに近いニュアンスが見出すことが出来る『First Two Page of Frankenstein』は、ザ・ナショナルのマット・バーニンガーがライターズブロックの壁にぶつかった時にその原点が求められる。

 

ザ・ナショナルは、ニューヨークのインディーロックバンドとしてベテランの境地にさしかかっているが、どうやらインスピレーションが枯渇し、曲が思いつかなくなるというのは、その人物の才能如何に関わるわけではなく、突如としてアーティストに訪れるのかもしれない。それはバーニンガーのように、真摯に音楽の制作に携わる人物であれば尚更なのだろう。おそらくその当時、ソングライターにとってライターズブロックは怪物のように思えたかもしれない。

 

結果的に、マット・バーニンガーは、メアリー・シェリーの古典小説『フランケンシュタインの怪物』の書籍を紐解き、小説のある一節に突き当たった時、このアルバムのインスピレーションの端緒としたのである。そして、この小説は、内的な孤独、悪魔という主題を置いた内容である。もしかすると、ライターズブロックに突き当たり、憔悴しきっていたマット・バーニンガーにとっては、いささかこの怪物に親しみや共鳴する何かが求められたかもしれない。

 

イギリスの小説家、メアリー・シェリーはこのフランケンシュタインという物語の中で次のように書いている。

 

「どうすれば、お前の心を動かせるのだろう/お前に作られたものが、お前に親切と憐れみを乞い求めているというのに、どう願っても、お前は好意の目を向けることが出来ないというのか?/ 信じてほしい、フランケンシュタイン、俺は善意の人間だったのだ。俺の魂は、愛と人情とに燃えている。だが、俺は孤独じゃないだろうか? 惨めなほど孤独ではないだろうか? 俺の作り主であるお前ですら、俺を毛嫌いしているではないか?ーー以下略」

 

このことについて、イタリアの文学者、ボローニャ大学で教鞭をとったウンベルト・エーコは、人間の関心と個性の発達によって、また、世界の中世から現代にかけての文化的な発展の過程において、この小説を通じて、メアリー・シェリーは人間の中に強固な自意識が芽生えることの不幸を鋭く描きだし、更に、ここに人間の持つ醜さが描出されていると指摘し、この戯画的な小説をロマン主義の最大の傑作として紹介したのである。そして、以上の有名な一節を照らし合わせると、このアルバムには音楽の神様であるミューズに対するソングライターの悲願のような感慨が込められているとも言えなくもない。創作の神様はいつも気まぐれで時に冷酷だ。製作者のことを温かく見守ってくれているとは限らないのである。

 

音楽に関しては、以前のアルバムよりも、深みのあるバラード曲が増えたという気がする。確かに2013年までは、ポスト・パンクと称してもおかしくないような勢いのある楽曲も収録されていて、それがまたナショナルの代名詞ともなっていたと思うが、今回、マット・バーニンガーは徹底して渋いバラードを書き、それを親しみやすいロックという形に織り込もうとしているのかもしれない。


もちろん、それは表向きには歌われていないことと思われるが、ここにはミュージシャンあるいはバンドとして長い年月を過ごしていくうちに、以前は見えていなかったものが見えるようになってしまったという不幸のような悲嘆が音楽的に、そして文学的に織り交ぜられているように思える。ただし、それは見方を変えれば、単なるインディーロックバンドであることに見切りをつけて、いくらかU2のような世界的なロックバンドへと歩みを進めることを決意したとも取れる。そのことを象徴づけるのが、すでにストリーミングで高い再生数を記録している「Eucalyput」である。ここで、マット・バーニンガーは自分の感情の中にある悲観的な思いを織り交ぜ、それを比較的朗らかな形で昇華しようとしているように見受けられる。そしてそれは以前のザ・ナショナルの音楽性とは少し違った形でリスナーの心を捉えるのである。

 

これらの主要な渋いロックソングの中にあって、それとは異なる華やかさを添えているのが、二人の米国の現代のミュージックシーンを象徴づける女性歌手であろうか。「The Alcott」において、テイラー・スウィフトは、マット・バーニンガーの書く渋さのある現代的なバラードに、自らの得意とするミステリアスな雰囲気を付け加えている。


もうひとりのコラボレーターであるフィービー・ブリジャーズは「This Isn't Helping」において、同じようなバラード曲の内省的な雰囲気を外側に解放させる力を加えている。米国を代表する歌手の参加は少なくとも、ザ・ナショナルの楽曲により深みと奥行きを与えていると言えそうである。 




75/100