【Review】  Arlo Parks(アーロ・パークス) 「My Soft Machine」

 Arlo Parks 『My Soft Machine』

 


Label:  Transgressive

Release: 2023/5/26

 

Review

 

2021年のデビューアルバム『Collapsed In Sunbeams』から2年が経ち、アーロ・パークスは様々な人生における変化を起こした。

 

ブリット・アワードの受賞もそうだし、ソールドアウトツアーもあった。そして、海外でのライブを開催する機会にも恵まれた。来日公演時の夏、アーロ・パークスが日本の少し古めかしさのある街角をラフな姿で歩き回る瞬間を目撃したファンもいるかもしれない。そういった人生の広がりがこの二作目のアルバムには反映されているという気がする。また、アーティストは故郷のロンドンを離れ、ロサンゼルスへと活動拠点を移している。そのせいもあってか、この二作目は一作目におけるベッドルームポップの方向性に加え、少なからず西海岸の音楽の気風を反映した作風となっている。それはアーロ・パークスが信奉するインディーロック/オルタナティヴロックや、ロサンゼルスのヒップホップ・カルチャーを彼女自身の音楽性の中に取り入れ、どのような音楽的な変化が起こるのかその目で見極めようとした作品とも解釈出来るのだ。

 

活動拠点を西海岸に移したことは、実際の音楽を巡るテーマにも変化をもたらさないはずがなかった。デビュー・アルバムでは、過去の人生を振り返り、それをどのような形で親しみやすい現代のポップスとして昇華するのかを模索していた。そして事実、最初の作品のテーマは予測以上の成功を収め、瑞々しさのあるサウンドとともに世界中の多くのリスナーの共感を得ることが出来たのだったが、続く2作目では、ロサンゼルスの自然のなかで多くの時を過ごし、ロンドンの生活の変化からもたらされる感覚の変化を、これらのオルトポップの中に織り込もうとしている。新たな変化を追い求めようとしたことは、とりも直さず制作のスローダウンを意味したが、アーロ・パークスにとっては早く作品を生み出すことより、海や山、砂漠を散歩し、その実際の経験からもたらされる感覚をどのように高い精度のポピュラー・ミュージックとして昇華するのかということを最優先したのだった。商業的な成功を上乗せするよりも、また過去の成功にすがることよりも、ミュージシャンであることをアーロ・パークスは選択した。

 

商業的でないというわけではない。しかし、ネオソウルの要素をヒップホップのチョップとして処理した少し甘い感じのあるインディーポップは、オープナーである「Bruiseless」を見ても深みと説得力をましたことが分かる。 そして制作者はロサンゼルスだけに流れている気風をその肌で直に感じ取り、それをなんらかの形でこのアルバムのなかに取り入れようと絶えず模索している気配がある。これがアーティストの背後に遠近法を駆使して青い空を撮したアルバムのアートワークと同じように、前作に比べ、より爽快な雰囲気が加味されたように思える理由なのである。そして全体的に感じ取られる風通しの良さは、実際の音楽と掛け合わさり、清々しい気風を呼び込み、意外なことに、再度到来したデビュー作のような印象を与えもするのである。

 

制作者はデビュー作よりもインディーロックの要素を意図して作品中に織り交ぜようと試みたと話している。かなり詳しいらしく、パークスは、エリオット・スミス、デフトーンズ、スマッシング・パンプキンズをはじめとするオルトロックを好んで聴くアーティストではあるが、これらの音楽的な経験は、オルタナに留まらず、ラップやディスコサウンドという広範な音楽的な経験が収録曲に反映されていることが分かる。「Impurities」では、ターンテーブルのスクラッチの音を散りばめ、それをブレイクビーツとして処理し、緩やかで優雅なサウンドを呼び込んでいる。それに加え、中国風の旋律をシンセ・ポップという観点から加え、ほのかな叙情性を帯びたインディーポップソングとして昇華している。デビューアルバムのベッドルームポップの要素を一歩だけ未来に進め、それよりも深みのある音楽性へとパークスは到達することなった。

 

アーロ・パークスのアーティストとしての新境地は4曲目の「Blades」でわかりやすい形で訪れる。ここでは、懐かしのシンセポップ/ディスコポップの要素を交えた軽快なナンバーを展開させている。内省的なイントロからサビにかけてのそれとは対比的な外向きのエネルギーに支えられた盛り上がりは、アンセミックな響きをもたらし、多くのリスナーの共感を誘うものとなっている。更に、前作にはないスタジオレコーディングでの理想的なサウンドの探究の成果は「Weightless」に見いだすことが出来る。

 

 

アーロ・パークスはこのトラックで聞き手のすぐ近くで演奏しているかのようなリアル感を追求しようとしている。The 1975のマティ・ヒーリーが得意とするような、ソフト・ロックやAORに根ざした軽やかなモダンポップではあるが、スピーカーやヘッドホンで聴いた時、音がすぐ近くで鳴っていて、まるでアーティスト自身が近くで演奏しているようなダイナミックス性を味わうことが出来る。また、The Nationalの最新アルバムを始め、近年、最も頻繁に登場するコラボレーターで、アーロ・パークスが誰よりも大きな信頼を置くフィービー・ブリジャーズが参加した「Pegasus」も刮目すべきトラックとなるだろう。

 

ここでは、パークスの淑やかなボーカルに続いて、二人のボーカルの掛け合いが訪れる瞬間は、なにか息を飲むような雰囲気に充ちている。ここでは、プロのボーカリスト二人の緊張感がレコーディングを通じて感じ取ることが出来る。軽快なバックビートに支えられて繰り広げられるパークスとブリジャーズの両者の相性バツグンのコーラスワークは、アーロ・パークス単独のボーカルトラックよりもさらにキャンディーのような甘酸っぱさが引き出されている。

 

アーロ・パークスの無類のオルタナティヴロックファンとしての姿は、「Dog Rose」の中に捉えることが出来る。シンセと相まって導入されるギターロックのアプローチはおぼつかなさと初々しさがあるが、欠点は必ずしもマイナスの印象を与えるとは限らず、洗練されたロックよりもはるかに鮮烈な印象をもたらす場合もある。サビでは、インディーロック調の盛り上がりへと変化するが、テンションのピークはすぐに抑制され、旧来のベッドルームポップの心地よい緩やかなフレーズへと直結する。この曲を聴くと分かるが、他のトラックと同様に広範なジャンルを取り入れてはいるが、アーロ・パークは和らいだポップスの理想形を探そうとしている。

 

また同じく、ちょっとミステリアスな雰囲気を擁する「Puppy」では、アーロ・パークスというアーティストを形成する要素のひとつであるベッドルームポップに加え、もうひとつの要素であるドリーム・ポップの要素を見出すことが出来るはずだ。アーロ・パークスは、ここでマイ・ブラッディ・バレンタインのシューゲイズの影響を反映させ、それをやはりアルバムの序盤の収録曲と同じように、和らいで、まったりとした、親しみやすいポップスに昇華している。しかし、そのトラックの背後には、ポーティス・ヘッドに象徴されるブリストルのトリップ・ホップやUKラップの影響もわずかに漂っている。これは捉え方によっては、ロサンゼルスへ転居したパークスの故郷ロンドンへの密やかなノスタルジアが表されているとも解釈出来る。

 

その後にも、ポップスという観点からダブステップを再解釈した「I'm Sorry」では、アルバム全体に通底する「ブラインドからのぞく」というアーティスト独自の考えが表明されている。そのフレーズは実際の歌詞の中にも現れ、そこには表向きな文化的な概念ーー音楽や人々ーーに対するアーロ・パークスの困惑や躊躇に類する感覚が見て取れる。アーロ・パークスも今より善良な人間になるべく、理想とする存在に近づくための道筋をつけようとしている。こういった前向きな考えは、彼女の音楽に触れる人々に対して良い影響を与える。「My Soft Machine」の終盤まで、自己の探究と外側の世界にどのように折り合いをつけるかというパークスの思索は続く。クローズド・トラック「Ghost」でもその内なる探究は終わることがない。 


 

82/100