その後に世界的なスターとして知られ、冷戦時代の世界の象徴的なアイコンとなったデヴィッド・ボウイは、左右の瞳の虹彩の色が違うオッド・アイの持ち主である。グレーとブルーの瞳を持つロックシンガーは、ブレイク以前、シンプルで内省的なポップソングを中心に書いていた。72年以前には大きな商業的成功に恵まれなかったが、五作目のアルバムで大変身を遂げることになった。彼は、この時代のことに関して、売れるための契約があったと冗談めかして語っている。
その真偽はさておき、1972年6月16日に発売されたデヴィッド・ボウイの「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars」は、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」の物語を描いたコンセプトアルバムであ。このアルバムの楽曲をイギリスのテレビ番組、トップ・オブ・ザ・ポップスで初披露し、彼は一躍世界的なロックシンガーと目されるようになった。そして、モット・ザ・フープルやT-Rexと並んでグラムロックの筆頭格として認知されるようになった。そしてアルバムには、T-Rexのようなグラムロックの華美さとそれ以前に彼が書いていたような内省的なフォーク・ミュージックがバランス良く散りばめられている。
しかし、このコンセプト・アルバムに込められたミュージカルのテーマはフィリップ・K・ディックの作品のように奇想天外であり、人前にめったに姿を表さないことで知られるトマス・ピンチョンの作品のように入り組んでいる。デイヴィッド・ボウイは、ある意味では地球にやってきた異星人であるジギー・スターダストという救世主と自らの奇抜なキャラクター性をみずからの写し身とすることで、また俳優のようにその架空の人物と一体になることで、ルー・リードやイギー・ポップに比する奇抜なロックシンガーとして長きにわたりミュージックシーンに君臨することになった。もちろん、ボウイという人物の実像がどうであれ、彼はプロのミュージシャンでありつづけるかぎりは、その理想的な架空の人物を演ずることをやめなかったのである。
「ジギー・スターダスト」はデヴィッド・ボウイが架空のミュージカルとして書いたアルバムであるがゆえ、それが刺激的な音楽性とともに、舞台上で披露される演劇性を兼ね備えていることは首肯していただけるはずである。そしてボウイは、イギー・ポップやルー・リードのソングライティングに影響を受けつつも、SF的なストーリー性を音楽の中に取り入れ、そして彼自身が生まれ変わりを果たしたかのような華麗な衣装やメイクを施し、そしてクイアであることを表明し、それ以前のいささか地味なソングライターのイメージを払拭することに成功したのだった。
「ジギー・スターダスト」のストーリーは、天然資源の枯渇により、人類は最後の5年を迎え(「Five Years」)、唯一の希望は、エイリアンの救世主(「Moonage Daydream」)である。完璧なロックスターであるジギー・スターダスト(薬物を使用する、全性愛者である人間の異星人の姿)は、メッセンジャーとして、彼のバンドスパイダーズ・フロム・マーズとともに行動するという内容だ。
スパイダーズ・フロム・マーズは、"スターメン "と呼ばれる地球外生命体を代表して、メッセンジャーとして活動しているという設定である。そのメッセージは、快楽主義的な面もあるが、最終的には、平和と愛というロックンロールの伝統的なテーマを伝えるもので、スターマンが地球を救う。このメッセージを世界中の若者たちに伝え、ロックンロールへの欲求を失った若者たちは、その魅力にとりつかれていくようになった。70年代はサイケをはじめヒッピー・ムーブメントが流行しており、実際に物質主義的な利益を求める人々とは別の精神主義や理想主義を追い求める人々を生み出した。そして、これはジョン・レノンのソロ転向後の理想主義的なアーティスト像と一致しており、70年代初頭の時代の要求に答えたとも解釈できるだろう。
まさにデヴィッド・ボウイは、それ以前の内向的なフォークロックシンガーのイメージから奇抜な人物へと変身することにより、誰もいない場所に独自のポジションを定めることに成功したのである。しかし、このミュージカルで描かれるジギーという人物の最後は、ショービジネスの悲劇的な結末を暗示している。ジギーは名声のみがもたらす軽薄な退廃によって、最終的にステージで破壊されてしまう(「Rock 'n' Roll Suicide」)。(多くのロックスターが自ら破滅に向かうのと同じ手段である)。そしてこれは実際のミュージカルで強い印象を観衆に与えるのである。
結局のところ、このアルバムはヒーローの命運の上昇と下降の双方を描いている。ボウイは、1974年の「ローリング・ストーン」誌のインタビューで、この預言者に起因する自我を説明している。しかしこれらのプロットは非常に複雑怪奇で、その全体像をとらえることは非常に難しい。
時は地球滅亡まであと5年。天然資源の不足により世界が滅亡することが発表された。ジギーは、すべての子供たちが自分たちが欲しいと思っていたものにアクセスできる立場にあります。高齢者は現実との接触をまったく失い、子供たちは独り残されて何かを略奪することになります。ジギーはロックンロールバンドに所属していましたが、子供たちはもうロックンロールを望んでいません。再生するための電気がありません。
ジギーのアドバイザーは、ニュースがないから、ニュースを集めて歌うように彼に言いました。
そこでジギーがこれを実行すると、恐ろしいニュースが流れる。「All the young dudes」はこのニュースについての曲です。これは人々が思っているような若者への賛歌ではない。それは全く逆です。無限が到着すると終わりが来る。本当はブラックホールなのですが、ステージ上でブラックホールを説明するのは非常に難しいので、人物にしました。
ジギーは、夢の中で無限からスターマンの到来を書くようにアドバイスを受け、人々が聞いた最初の希望のニュースである「スターマン」を書きます。それで彼らはすぐにそれに気づきました...彼が話しているスターマンは無限と呼ばれ、彼らはブラックホールジャンパーです。ジギーは、地球を救うために降りてくるこの素晴らしい宇宙飛行士について話している。彼らはグリニッジビレッジのどこかに到着します。
彼らは世界では何の関心も持たず、私たちにとって何の役にも立ちません。彼らはたまたまブラックホールのジャンプによって私たちの宇宙に偶然遭遇しただけなのです。彼らの一生は宇宙から宇宙へと旅をしている。ステージショーでは、そのうちの1人はブランドに似ており、もう1人は黒人のニューヨーカー。私はクイニー、無限フォックスと呼ばれるものさえ持っている... 今、ジギーはこれらすべてを自分自身で信じ始め、自分を未来のスターマンの預言者であると考えています。
彼は自分自身を信じられないほどの精神的高みに連れて行き、弟子たちによって生かされている。無限が到着すると、彼らはジギーの一部を奪って自分を現実にする。なぜなら、本来の状態では反物質であり、我々の世界には存在できないからだ。そして、"Rock 'n' Roll Suicide "の曲の中で、ステージ上で彼をバラバラにしてしまうのです。
ボウイの代名詞となっているジギーという救世主的なロックスターのキャラクターは、イギリスのロックスター、ヴィンス・テイラーにインスパイアされた部分もある。50年代から60年代にかけてプレイボーイズで活躍したロカビリーのフロントマン、ヴィンス・テイラーは、薬物乱用の末、自分が「イエス・キリストの息子マテウス」と宣言し、ステージからメッセージを説いた。(「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」は出席していた弟子である)。
また、デヴィッド・ボウイがアルバム『Heathen』(2002年)でカバーした「I Took a Trip on a Gemini Spaceship」という曲の「Legendary Stardust Cowboy」にも影響を受けている。
さらにこれらのキャラクター性を強化したのが、ジギー・スターダスト・ツアーでデザイナーを務めた山本寛斎である。
山本寛斎は、この時代について、「日本的な美しさを世界に広めたい」と回想しているが、この時代のボウイのファッションについて見てみると、寛斎が志向したところは、和の持つ個性と洋の持つ個性の劇的な合体であったように思える。以下は「Tokyo Pop」でデヴィッド・ボウイが着用した山本寛斎が手掛けた衣装である。(鶴田正義氏の撮影)これらを見れば、ファッション自体がボウイというキャラクターの一部であることがわかりやすく理解できると思う。
デヴィット・ボウイが山本寛斎とともに作り上げたジギー・スターダストのペルソナは、パフォーマンス的なメイクとコスチュームに依拠しており、グラム・ロックというジャンルに少なからぬ影響を及ぼすことになった。「ジギー」という名前自体、ボウイの衣装への依存と表裏一体の関係にある。ボウイは、1990年の『Qマガジン』のインタビューで、「ジギー」という名前は、電車に乗っているときに通りかかった仕立て屋「ジギーズ」に由来していると説明している。
最も印象的なのは、ミュージカルのステージ上でのジギーの死が、グラム・ロック・アーティストの仕事に対するボウイの認識を物語っていることだ。72年から76年までを振り返って、彼は後に語っている。「その頃までは、"What you see is what you get "という態度だったけれど、舞台上のアーティストが役割を果たすミュージカルのような、何か違うものを考案してみるのも面白いと思ったんだ」
この発言からも分かるように、デイヴィッド・ボウイは、この時代の自らの分身を創作のメタ構造における登場人物のように認識している。なおかつまた彼はグラム・ロックというジャンルにもそれほどこだわっていたわけではなかったに思える。その後の70年代後半には、ミュージカルでの自らの姿を崩壊させるのと同様に、グラムロック・アーティストとしてのイメージを覆し、ベルリン三部作を通じ、ポップネスを志向した音楽性へ舵を取った。そして、時代の流行を賢しく捉えるセンス、そして以前の成功のスタイルにまったくこだわらないこと、この身軽なスタイルこそが、その後のデヴィッド・ボウイのロックスターとしての地位を盤石たらしめたのだった。
「Starman」 Top Of The Pops(1972)