Cero 『eo』/ Review

 Cero 「eo」

 

 
Label: カクバリズム
 
Release: 2023/5/24 

 



Review  
 

 
「eo」についてのceroのフロントマン、高城昌平のコメントは以下の通りです。

 


これまでのceroのアルバム制作といえば、常にコンセプトや指標のようなものが付きものだった。それが自分たちのスタイルでもあったし、バラバラな個性を持った三人の音楽家が一つにまとまるには、その方法が最も適していたのだと思う。
ところが、今回に関しては、そういうものが一切持ち込まれぬまま制作がスタートした。コロナ禍によって世の中の見通しが立たなかったこととも関係があるだろうし、年齢的なことにもきっと原因はあるのだろう。一番は、三人それぞれが自分のソロ作品に向き合ったことで、そういった制作スタイルに区切りがついてしまった、ということなのかもしれない。
 
なにはともあれ、唯一の決め事らしきものとして「とにかく一から三人で集まって作る」という方法だけがかろうじて定められた。そのため、まず環境が整備された。はじめは吉祥寺のアパートで。後半はカクバリズムの事務所の一室で。
このやり方は、とにかく時間がかかった(五年…)。「三人で作る」とはいえ、常に全員が忙しく手を動かすわけではないので、誰かしらはヒマしていたりして、効率は悪かった。でも、その客観的な一人が与えるインスピレーションに助けられることも、やはり多かった。
 
また、この制作はこれまででダントツに議論が多かった。シングルのヴィジュアルから楽曲のパーツ一つ一つにいたるまで、一体いくつメールのスレッドを費やしたかわからない。でも、そうやって改めてメンバー+スタッフで議論しながらものづくりができたことは、かけがえのない財産になった。楽曲を成り立たせているパーツの一つ一つが、セオリーを超えた使用方法を持っており、当たり前ながら、それら全てに吟味する余地が残されている。そんな音、言葉一つ一つに対する懐疑と諧謔のバランスこそがceroらしさなのだと、しみじみ気付かされる日々だった。


 

日本国内の音楽を聴いていてなんとなく感じるのは、基本的にパンデミック以前の音楽と、それ以後の音楽は何か別のものに成り代わった可能性が高いということである。成り代わったというのが本当かどうかはわからない。ただ、それはふつふつと煮えたぎっていた内面の違和感のようなものが、2023年を境にどっと溢れ出て、本格的な音楽表現に変貌を遂げたとも解釈出来る。その変革はオーバーグラウンドで起きたというより、DIYのスタイルで音楽活動を行うバンドやアーティストを中心にもたらされた。もしかすると、今後、これらの新しい”ポスト・パンデミック”とも称するべき音楽の流れを賢しく察知しなければ、日本の音楽シーンから遅れを取るようになるかもしれない。現在、何かが変わりつつあるということは、実際のシーンの最前線にいるミュージシャンたち本人が一番そのことを肌で感じ取っているのではないだろうか?

 

ceroーー高城昌平、荒内佑、橋本翼によるトリオは、これまでの複数の作品を通じて、日本語の響きの面白さに加え、中央線沿線(高円寺から吉祥寺周辺)のミュージックシーンを牽引してきた。 元々、2010年代のデビュー当時からトリオの音楽的なセンスは傑出していた。それは街のバーに流れる流行音楽とも無関係の話ではあるまい。メンバーの音楽的な背景には、広範な音楽(ポップス、ラップ、R&B)があり、それを改めて日本のポップスとして咀嚼し、どのように組み上げていくのか模索するような気配もあった。今では「Mountain、Mountain」などで関西風のイントネーションの面白さを追求していたのはかなり昔のことのようにも感じられる。

 

既に多くのファンが指摘しているように、メンバーのソロ活動を経て発表された「eo」については、聞き手の数だけ解釈の仕方があると思う。「大停電の夜に」の時代からのコアなファンであれば、懐かしいシティ・ポップや、akutagawaのような2010年代の下北沢や吉祥寺周辺のオルタナティヴロックのアプローチを見出すことができるし、それ以後の年代のネオソウルやラップ調の影響を見出すファンも少なからずいるかもしれない。実際、このアルバムは旧来と同様、日本語の響きの面白さが徹底的に追求された上で、以前の音楽性に加えてクラシカルやテクノ、ネオソウルの興味がアルバム全体に共鳴しているのである。これを気取っていると読むのか、それとも真摯な音楽であると捉えるのか、それも聞き手の感性や理解度のよるものだと思う。


しかし、オープニング曲「Epigraph」を聴くと理解出来るように、これまでのceroのアルバムの中で最もドラマティックで、彼らのナラティヴな要素が元来の音楽の才覚と見事な合致を果たしている。そのことはバンドの音楽に詳しくないリスナーであっても理解していただけるはずである。

 

また、それは「三人」というそれ以上でも以下でもない最小限の人数によるバンドという形式のぎりぎりのところで、銘々の才覚がバチバチと静かに火花を散らし、せめぎ合っているようにも思える。それは何か大それた形でスパークをみることはないのだが、しかし、確実にセッションの適切な緊張感から旧来のceroとは異なる音楽のスタイルが生み出されたことも事実であろう。上記の高城さんのコメントを見るかぎりでは、アルバム制作には五年という歳月が割かれたというが、結局、長い制作期間を設けたがゆえの大きな収穫を彼らは受け取ったのではないだろうか。これまでのceroの作品の中で最も緊張感がある反面、適度にくつろげる音楽としても楽しめるし、何かしら奇異な感覚に充ちたアルバムである。またソーシャル・メディアで指摘している方もいるが、明らかにこれはJ-Popの流れを変えうる一作と言えるのではないだろうか。

 

今作でのceroのアプローチは最近の洋楽と没交渉というわけではないものの、基本的にはJ-Popの音楽の範疇にあるものと思われる。そして、シティ・ポップの懐かしさとモダンなJ−Popの要素を織り交ぜ、それをどのような形で新機軸の音楽へと導いていくのか、その試行錯誤の跡が留められている。「Nemesis」を始めとする楽曲では、高城昌平が日本語の言葉の重みを実感しながらも嘆くかのような雰囲気に満ちている。以前は、さらりとラップ風にもしくはソウル風に軽快なリリックを展開させていたはずなのに、このアルバムに関してはその限りではないのだ。

 

何かしらパンデミック期の日本のパンデミック時代の閉塞した雰囲気に飲み込まれまいとするかのように、以前とは全く異なるじんわりとした深みのある言葉が一つ一つ丹念に放たれていく。それは日本語の表面上の意味にとどまらず、より深い感情的な意味がシラブルから聞き取ることもできる。さらに、このレコードから感じるのは、「言葉を放つ」というシンプルで実存にも関わる事柄の重要性を、ボーカリストである高城昌平さんはあらためてじっくり噛み締めているのだ。だからこそ言葉に深みがあり、軽やかな音楽と合わさると、奇妙なアンビバレントな効果を生み出すのである。例えば、最も言語的な実験性を込めたのが、「Fuha」となるだろうか。ここではノルウェーのJaga Jazzistの影響の反映させて、高城昌平のリリックは途中でブレイクビーツのように切れ切れとなるが、再びドリルのラップのサビに至ると、その言葉の響きがより鮮明となる。J-Popとしてはこれまでで最もアヴァンギャルドな作風のひとつである。

 

このアルバムには、他にもラテン系のポップや民族音楽の影響を反映した前衛的な作風が確立されつつある。「Tableux」でのイントロからのキャッチーなサビへの展開はアヴァンポップへとJ-Popが最接近した瞬間である。続く「Hitode No Umi」でのブラジル音楽を始めとするラテンとトロピカルの展開を通し、パーカッシブな要素を加味することで、各々の楽曲の印象を迫力ある内容にしている。それに続いて、旧来のceroの音楽性と同様に、少しマニアックな要素を踏襲しつつ、一般的なポップスとして万人に親しめるような形で「eo」は展開されていく。これらのパーカッシヴな要素は、実験音楽とも少なからず関係があり、グリッチに近いエレクトロニカの要素も織り込められている。その他にも、このバンドらしいソウルへの愛着が「Fdf」で示されている。ここにはアース・ウインド・アンド・ファイア直系のディスコソウルの真骨頂を見いだせると共に、ロンドンのJungleに近いレトロなネオソウルとして楽しむことができるはずだ。

 

『eo』はバンドメンバーの非常に広範な音楽的な興味に支えられたクロスオーバーの最新鋭のアルバムと称せるが、この作品を解題する上でもう一つ欠かさざる作曲技法が、アカペラのアプローチである。「Sleepra」では、息の取れた歌声のハーモニーの魅力が最大限に引き出されている。そしてそれは最終的に、ブレイクビーツを活用することによって、ハイパーポップに近い先鋭的なポピュラー音楽へと昇華されていく。これはトリオの現在の音楽に対するアンテナの鋭さを象徴付ける一曲になっている。アルバムの最後になっても、バンドの未知の音楽に対する探究心は薄れることはない。「Solon」では、最初期に立ち返ったかのような甘いメロディーを活かしたキャッチーなポップス、それに続く、クローズ曲では、ピアノを織り交ぜた上品なポップスに挑戦している。これらの曲には、どことなくシティ・ポップにも似たノスタルジアがわずかに反映されているが、しかしもちろん、これは単なる懐古主義を衒ったというわけではあるまい。ceroは2023年の日本のミュージック・シーンの最前線を行くバンドなのだから。

 

 

84/100