Label: Houndstooth
Release: 2023/4/28
Review
レイキャビクのシンガーソンライター、ヨフリヅル・アウカドッティルはかのビョークもその実力を認め、これまでにソロ名義で四作のアルバムを発表しているほか、同国のオーラヴル・アーノルズの『some kind of peace』にもゲスト参加している。今作のアートワークについては、ヨフリヅル・アウカドッティル自身が衣装デザインを務め、ギリシア風の長衣を身にまとっている。
そもそも、アイスランドのシンガーソングライターの中では、この国の最初のモダンクラシカルシーンを切り開いたヨハン・ヨハンソンの音楽性、または世界的なポピュラーシンガーとして名を馳せたBjorkの音楽性に影響を受けていないミュージシャンを探すほうが難しい。それは、 アイスランド国内で五人に一人が知っているとも称される国民的な歌手であるAsgeir(アウスゲイル)、そして、この度、ご紹介するJFDRの名を冠するヨフリヅル・アウカドッティルもまた同様である。
このアルバムで、 JFDRことヨフリヅル・アウカドゥッティルは、ビョークの最初期のアートポップ、そして、ヨハン・ヨハンソンやオーラブル・アーノルズのモダンクラシカル/ポスト・クラシカル、さらに、2000年代に最も新しい音楽と称されたmumのフォークトロニカの影響を織り交ぜ、幻想的で聴き応えのあるポピュラーミュージックのワールドを開拓してみせている。
さらに、このアルバムは、Lana Del Ley(ラナ・デル・レイ)の最新作『Did you know the tunnel under the ocean blvd?』に近い方向性を持つとともに、更にレイキャビクの美麗な風景を想起させる。基本的にはポピュラー・ミュージックに属しているが、実際に織りなされる楽曲については、エレクトロニカ/フォークトロニカ、インディーフォーク、ポスト・クラシカル、インディーロックというように、ヨフリヅル・アウカドゥッティルの広範な音楽的背景が伺えるものとなっている。
オープニングトラック「The Orchid」は、2000年代のmumのフォークトロニカの影響を込めたファンタジックなバックトラックに穏やかなJFDRのボーカルが特徴的な一曲である。まるでアルバムのオープニングは、果てなき幻想の物語へとリスナーをいざなうかのようだ。
二曲目の「Life Man」は手拍子をバックビートとして処理した一曲目とは対象的な軽快なトラックとなっている。
しかし、それは単なるクラブミュージックにとどまらず、やはりアイスランドやノルウェーのエレクトロニカ/フォークトロニカ勢の内省的なIDMの範疇に留められている。そして曲の後半では、これらの絡み合う複雑なリズムが連続する手拍子のビートに後押しされるかのように、独特な高揚感へと様変わりし、その最後になると迫力味すら帯びてくるようになる。
聞き手はこれらの幻想的とも現実的とも判別がつかない不思議な音響空間の中に手探りで踏み入れていかなければならないが、その後に続く三曲目の「Spectator」ではオルトフォークやインディーフォークの影響を内包した内省的なバラードソングへと転ずる。
まるでこの曲は、アイスランドの冬の光景、雪深くなり、街全体が白銀の世界に閉ざされるような清涼かつ神秘的な音楽がアコースティックギターにより紡がれていく。JFDRによる淑やかなボーカルは、イントロではきわめて内省的ではあるが、中盤から終盤にかけてアンビエントのような壮大なシンセのフレーズや、それとは対比的なエレクトロニカのフレーズと分かちがたく絡み合い、単一のフォーク・ミュージックを離れ、壮大で視覚的な音響性が生み出されている。
例えば、ビョークのファンであれば、ここに、かのアーティストと同じくアートポップの洗練された雰囲気を見出すはずである。曲の最後になると、アンビエント風のシンセのフレーズは、ボーカルそのものを凌駕するかのように迫力を増していき、アイルランドの風景を想起させる圧巻の瞬間に変わる。
中盤においてもJFDRは、一定のジャンルにとどまらず、自身の幅広い音楽的な背景を曲のなかに込めようとしている。
四曲目の「An Unfolding」では、Olafur Arnorlds、Eydis Evensenのような瞑想的なピアノの演奏にヨフリヅル・アウカドゥッティルのふんわりしたボーカルが加わり、アコースティックの弾き語りのような形で展開されていく。アヴァン・ポップやアートポップの影響を受けたモダンな雰囲気のボーカルを、バイオリンの微細なレガートが、このトラックをよりドラマティックでロマンティックに仕立てている。JFDRの内向的とも外交的とも言いがたい複雑な感覚を擁するボーカルはリスナーを陶然とさせ、この楽曲が持つ幻想的な雰囲気の中に呼び込むことを促すのである。
三曲目の『Spectator」と同じようにアンビエント風のシークエンスが中盤から終盤にかけて存在感を増していくことで、このトラック自体にラナ・デル・レイの最新作に比する祝福されたような雰囲気を生み出している。楽曲自体のテンションは高くはないのにも関わらず聞き方によってはある種の高揚感すら呼び覚ます。これはJFDRのボーカルの持つ魔力とも呼ぶべきだ。そして、この曲で、アルバムのカバーアートのイメージと実際の音楽がぴたりと合致するのである。
その後もJFDRは、音楽の持つ可能性とそれに纏わる情感の豊かさ、さらに音楽の持つ多彩性を複雑に展開させる。アイスランドのフォークトロニカの源流を形成するmumへの細やかなオマージュを込めた電子音楽で始まる「Flower Bridge」は、JFDRの音楽が持つ現実的な一面とは対象的な幻想性を呼び覚ましている。そしてこのシンプルなIDM(エレクトロニカ)の要素は「An Unfolding」と同じように、モダンクラシカル/ポスト・クラシカル風の存在感のあるピアノのフレーズが綿密に折り重なることで、インスト曲ではありながら芳醇な音響空間を生み出している。
続いて、これらの音楽性は、よりミクロ的な範疇において広がりを増していく。「Valentine」は製作者の人生と自分を支えてくれた人々への感謝が捧げられるが、基本的なバラードソングの表向きの表情とは裏腹に、JFDRはギターロックやインディー・ロックの要素を薄く加味させている。これらのマニアック性は、音楽を安売りすることなく、楽曲の持つ芸術性を高めている。
そしてJFDRは、アルバムの収録曲の中で、最も情感たっぷりにこの曲を歌い、自らの人生を色濃く反映させる。複雑に織りなされるボーカルの綾とも称すべき感覚は、この歌手特有の繊細さと温かみを兼ね備えている。ボーカルの音程には、分かりやすい形の山場をあえて設けていないが、中音域を往来するJFDRのボーカルは迫力満点で、そしてアウトロにかけてさりげなく導入される淑やかなピアノは、楽曲の持つ情感を引き立て、ドラマ性をもたらしている。
アルバムの終盤に差し掛かっても、これらの電子音楽を交えたロマンチシズムやクラシカルへの興味は薄まることがない。
7曲目の「Sideway Moon」は、ビョークのアートポップとmumのエレクトロニカを融合させたトラックであり、ある意味では、アイスランドのポピュラーミュージックや、その後の時代のエレクトロニカが台頭した時代に対するヨフリヅル・アウカドゥッティルの憧憬の眼差しが注がれている。
それは優しく、慈しみに溢れており、いくらか謙遜した姿勢も感じられる。そして不思議なことに、自己という存在を前面に出そうとしているわけでもないにも関わらず、アルバムの中では、このシンガーソングライターの圧倒的な存在感がはっきりと感じとられる。とりわけ、JFDRの感極まったような微細なファルセットは、美しいというよりほかない。曲の終わりになると、これらの静的な要素を持つ曲の印象は、ダンサンブルなアヴァン・ポップに変化し、強いバックビートとストリングスの美麗さにその背を支えられながら、力強い印象を持つ楽曲へと成長するのである。まさに一曲の中で、アイディアが土から芽を出し、それが健やかに成長していくような驚くべき変容の様子が、この5分にも満たない曲の中に集約されていることに注目したい。
それ以前のバリエーション豊かな展開の後を次いで、JFDRは、アルバムのクライマックスを細やかな二曲で締めくくっている。
初春が到来する以前の叙情的な雰囲気をアイルランド民謡の影響を交え、その前の年のクリスマスへの回想を織り交ぜ、切ない楽曲として昇華した「Feburary」、さらにフォークミュージックの温和さを内包させた「Underneath The Sun」は、『Museum』に華を添え、ほのかな癒やしをもたらしている。このアルバムは音楽をしっかり聴いたという実感をもたらすことは請け合いであるが、特にレコードの全体を聴きおえた後に、まるで一つか二つの季節を通り越ぎたかのような不可思議な感覚に包まれることに対し、純粋な驚きをおぼえざるを得ない。
86/100
「Spector」